ep32:選定の儀
「ダリオン様、例の治水の件ですが」
「ああ、それは確かここに書類が……。
あった、これだね」
私が魔王として復活して、三年が経過した。
怠惰の谷という名前は歴史の中に名を刻み、現在では憤怒の領地という名前の方が深く定着している。
怠惰の谷の魔素溜まりは、私が直接魔素を吸い取ったり、巨大な魔石を魔素溜まりに設置することで魔素を吸着し、無事解消された。
現在では弱小種族も問題なく住める程度の魔素濃度に落ち着いている。
憤怒の領地では私が前世の記憶を頼りに“街”を作り上げようと、街道を整備したり、木の根や藁を編んだだけのモノを“家”と言っていた種族を呼び出し、家とはなんたるかを説き、建物を建造したり、と。
元ゲーマーの知識をフル活用して、魔界を発展させてきた。
元怠惰の王の配下たちは私の働きっぷりに大層驚いていたものだ。
ベリアルとアスタロトには改めて“白銀の護衛卿”という名を授け、正式に私専属の護衛となった。
ノエルは────……
……ノエルは、その後も疎まれながらも、あの日の怪我の後遺症などは特になく、健康に過ごしているらしい。
スノウやノエル見守り隊により、その近況は報告の一つとして上がってきていたが、一つ知ると十知りたくなるもの。
いくら聞いても、物足りなさが残る。
会いに行こうか。
森の中から、今度こそノエルに接触しないよう遠目に見てこようか。
そう何度も何度も考えた。
けれど、どこで見られているか分からない。
自分の危機感のなさから、ノエルを傷つけてしまった過去は消えない。
私の軽率な行動で、またノエルが傷つくようなことがあれば────……
(今度こそ、私は私を許せない)
そう思い、ノエルの成長は時折上がってくる報告書に載る文字だけで追いかけてきた。
ある日のこと。
波風立たぬ凪いだような日々に、雲一つない透き通った晴天に、突如雷が落ちたような。
そんな、激震が走った────
***
────三年が経った。
いつから、と言うと、ボクが隣村の教会で目を覚ました日からである。
大人たちに囲まれ、月明かりさえ届かないような暗闇で気を失うほどの暴行を受けた夜。
ボクは視界に歪むスノウを見つけて、その名を確かに呼んだ。
次の瞬間にはボクは誰かに抱き上げられていて。
意識が泥沼の底に沈んでいくような感覚の中、ボクは確かにそこに赤く揺れる髪を見た。
(あれは、絶対────)
そう思うものの、正解は分からない。
ボクは気がつくと隣村の教会で目を覚ました。
夜、ボクだけが突然、教会の扉の前に横たわっていたらしい。
たった一言、ボクの名を記す紙と共に。
誰が運んだとか、詳しい話は誰も知らない。
相変わらずボクのこの髪色と瞳の色のせいで、隣村の教会でも敬遠され、誰も積極的に関わろうとしてこなかった。
以前ならば丁寧に傷ついたかもしれないが、今となっては「何を今更」と割り切れるようになっている。
まあ、変に絡まれても鬱陶しいだけだったので、ボクもそんな距離感を甘んじて受け入れていた。
「ボクの友達は、ただ一人」
そういうと、ボクの腕の中で居心地良さそうに眠っていた白い蛇が不満そうにその首を持ち上げた。
「ははっ、ごめん。
一人じゃなかったね、スノウ」
どういう訳か、隣村の教会に移ってからも、その教会の裏手に位置する森の中にスノウは居た。
どうにも新しい教会に馴染むことができず、前と同じように教会の裏手で過ごすことが多かったボクは、たまたま森の中を横切るスノウの影に気が付いた。
なぜ、とか、どうして、とか。
気になることは溢れるばかりで何もわからなかったけれど、それでもボクはすべてを失ったわけではないということに、ひどく安心した。
ボクは読んでいた本を閉じ、その風圧で前髪が微かに揺れる。
(ねぇ、ダリル。ボク────)
挿絵もない本を読めるようになったんだ。
石を投げられることはなくなったけれど、友達はできそうにもない。
でもね、君は綺麗だと言ってくれたこの髪と、同じ色をした青空が好きだと思えるようになってきたんだ。
ねぇ、ダリル。
今度はボクが言うよ。
君の、夕日を切り取ったような赤い髪が綺麗だって。
君は、悲しんでいないかな。
ボクに会えなくて寂しいと思ってくれているかな。
ねぇ────ボクは、十三歳になったよ。
「ノエル、明日は“選定の儀”を行います。
必ず出席しなさい」
シスターに朝から何度も釘を刺される。
そりゃ、大事なミサをすっぽかしたことも、聖歌隊の練習をサボったこともあるけれど。
さすがに“選定の儀”に出ないわけにはいかない。
選定の儀は近隣の村から十三歳の子どもが集められる。人生においても一番大切な儀式と言っても過言ではない。
ボクが気怠そうに、「はいはい」と返事をすると、またシスターの顔が曇る。
嫌々話しかけているのだろうけれど、感情を隠そうともしない表情は不愉快だった。
(……子どもに向ける顔じゃあないよなァ……)
ふん、と鼻を鳴らす。
髪と瞳の色のこともあるけれど、思春期真っただ中のボクの相手が面倒だというのもあるのだろう。
(ご愁傷様)
シスターの背中にそう投げるように心の中で言う。
しかし、それも明日まで。
“選定の儀”を受けることで、子どもは成人として見なされる。
教会は成人した子をそのまま侍祭や修道士として迎え入れることもできるが、成人した子どもを保護し、面倒を見なければならないという決まりはない。
つまりボクは明日の選定の儀をもって、この教会を追い出される可能性が高いということ。
……教会を出たら、どうやって生きていこうか。
文字の読み書きはできるが、この髪色と瞳じゃあ碌な職にはつけないだろうな。
どうせ、属性も大したものではないだろう。
ギルドで冒険者として登録するか……。
そう思いながらボクは空を見上げた。
雲一つない晴天。
────君の髪は、空を切り取ったみたいに綺麗だよ────
ある日の声が聞こえた気がして、思わず笑った。
***
────翌日のこと。
ボクはシスターに朝早くから起こされ、湯浴みをし、今までのぼろきれのような服から上等そうな修道服を着せられる。
真っ白でシミもシワもない服なんて、生まれて初めて着た。
存外、着心地は悪いものだ。
「────それでは、これより“選定の儀”を行います」
────選定の儀。
それは自分の中に眠る魔法の属性を探るための儀式。
この儀式を通し、自分の扱える魔法の属性と、自身の魔力最大値を知ることで初めて魔法を扱えるようになる。
魔力最大値はそのまま、自身の魔法を扱う“器量”そのものを数値化したものだ。
一般的な農民とかは最大値が30もあれば良い方だろう。
そして、肝心の魔法の属性は全部で十種類に分類される。
所謂五大属性と呼ばれるものが、《火》・《水》・《木》・《風》・《土》であり、扱える者は多い。というか人間の八割くらいがこの五大属性の内のどれかである。
ありふれた魔法属性であり、一般的な生活魔法として扱われることが多い。
次に、《氷》・《雷》という属性があるが、これを扱える者は殆どいない。
それこそ王都にある聖騎士団とかいう魔物と戦ったり王族を守ることを生業にしている騎士団の中の上位者で扱える者が数名いるかいないか、と言う程度である。
そして最後に《闇》・《光》の属性。
これらは幻────というよりも、もはや伝説上の属性と言われている。
《光》属性は言わずもがな、神聖化されている。
逆に《闇》属性は魔物が得意としている属性のため、人間が持っていたらそれこそ魔物だ何だと言われて討伐対象になるレベルで嫌悪されている。
(これでボクが《闇》属性だったら、いよいよこの人生ともオサラバだな……)
なんて、自嘲気味に笑って見せる。
いつだって最悪を予想しておくこと。
幼いころから疎まれ続けた結果、ボクなりの心の守り方である。
────……ああ、最後って言ったけれどもう一つあった。
それは《聖》属性である。
魔物のエネルギーでもある魔素を浄化し、更には治癒魔法などに長けているという属性だが、これもまた数百年と確認されていない伝説の属性である。
唯一、魔王と渡り合える力である、と。
勇者と同じくらい、貴重な存在である、と。
そう言われている。
……けれど。ボクは知っている。
本当の勇者は金髪なんかじゃないし、本当に助けが欲しい人の元には現れてくれない。
ボクの中の勇者は、あの日からただ一人なのだから。
「……貴殿の属性は────《火》である。
魔力数値は《45》……!」
近隣の村々から十三歳の子が集められる“選定の儀”で、村長の子どもを先頭に、当たり前のように最後尾のボク。
先頭の村長の子が、それなりに高い魔力最大値を叩きだし、一瞬だけ場がざわめく。
「さすがは俺の子だ!!」
そう叫んでいるのは村長だろう。
相変わらず金のかけどころが分かりやすいなりをしているな、と遠目に見る。
そして選定の儀は大きな盛り上がりも特にないまま順調に進み、半分ほどが終わったところで選定の儀を執り行っていた司祭がその表情を大きく歪ませる。
「こ、これは……っ
か、《雷》の属性……!」
その言葉に、地面が揺れるほどのどよめきが生まれる。
《雷》の選定が下ったのは、村の狩りを担当している家の子であり、選定を受けてその子の両親と思われる人たちが泣いて喜んでいた。
「父さん、母さん!お、おれ、王都で騎士団に入るよ!!」
眩しいくらいの笑顔を携えてそう宣言していた。
確かに珍しい《雷》の属性ならば騎士団の方から申し出たいくらいだろう。
(……ああいう奴が、物語の主人公になるんだろうな)
両親と抱き合いながら喜びを分かち合う姿を見て、吐き気を覚える。
あんな温かな陽の光に照らされたような人生なんて無縁のものだったし、陽の光がある所為で“影”ができることを、ボクは身をもって知っていた。
そしてボクがその“影”の部分であることも深く、深く理解していたのだ。
数えきれないほどの本を読んだけれど、あり触れた英雄譚の主人公はみな総じて、ああして底抜けに明るく、“喜び”をそのまま純度百パーセントで抽出して弾けたように笑うキャラクターばかりだった。
自分とはあまりにかけ離れた存在。
太陽を直視すると網膜が焼かれるように、ボクにとってああいう存在はただ、眩しくて嫌いだった。
「────最後に、貴殿の番だ。ノエル」
ようやく名が呼ばれ、立ち上がり司祭の足元に跪く。
これはボクが思春期だからかはわからないが、こうやって跪く必要はあるのか?
別に頭に触れ魔力を流すだけなら、体勢は何だって良くないか?
そう小さな不満を抱きながら、ボクは目を瞑る。
司祭の魔力が流れ込んでくるのを感じながら、どうせ禄でもない……
吐いて捨てる小石程度の魔法属性と魔力最大値が出るだけだろう。
そう、勝手に決めつけて黙る。
────しかし、いつまで経っても司祭は何も言わない。
(……まさか、属性そのものがなかったりして)
そんな在りもしない考えで自分を卑下しながら、うっすらと目を開けて周囲の様子を探る。
周囲もなぜ司祭が黙っているのかが分からない様で、誰もが司祭からの言葉を待っている状態だった。
やがて、司祭は震える声で告げた。
「────……う、嘘だ……」
その一言に、ボクはほくそ笑む。ああ、《闇》だったかな?と。
これでボクの人生にも終止符が打たれるのか。
何の未練もないといいたいところだけれど、唯一の心残りはスノウと、
(ダリルにもう一度、会いたかったな)
そんなことを考え、勝手に脳内で人生にピリオドを打っていたとき。
司祭の言葉が落ちてきて、ボクの脳みそを直接殴った。
「せ……、《聖》属性、だと……!?」
その言葉に、周囲はざわめく。
ボクは衝撃のあまり、声も出ない。
「しかも魔力最大値が《200》を超えている……!」
「に、二百だと……!?」
ざわっ、と空気が揺らぐ。
ボクが、《聖》属性────……
急に、乱暴に陽の光の下へ引きずり出されたような気がした。
陽の光は木漏れ日のような柔らかなものではない。
太陽の直射日光のように熱く、鋭い光は眩しく痛いほどだった。
ばっ、と顔を上げると司祭は勿論のことシスターも、ボクを疎んで石を投げていた者も、誰もが言葉を失っていた。
中には、あの日あの夜、ボクに拳を振り下ろしていた者もいれば、スノウに熱い湯を浴びせようとしていた者もいる。
その誰もが、まるで呼吸の仕方を忘れたように。
風の音さえもやんで、耳が痛いほどの静けさに包まれていた。




