ep31:祈りと別れ
これにて2章閉幕です。
レイヴンが慌てた様子で影から出てきたときに、嫌な予感がした。
書類山脈の雪崩が起き、文字通り書類に埋もれていた私はレイヴンの焦りの滲む瞳に喉が締まる。
「ダリオン様、急ぎのご報告があります」
嫌な予感、というものは当たるものだ。
今だって色んな可能性がある。元怠惰の谷の魔素溜まりの件や、狂暴化の件、獣の魔物化の件、移住、大鬼族、豚人族からの依頼。
しかし、一番最初に引っかかったのは「ノエル」という単語だった。
そしてそれは的中する。
「ノエル殿が……、ノエル殿が魔王様をお呼びです」
焦りの中、絞り出したレイヴンの言葉。
ここ数か月の間は比較的平和な報告ばかりであった。
スノウに一日の出来事を話したり、新しい本の物語の感想を伝えたり。
“ダリル”と過ごす代わりにスノウと過ごし、ダリルに話したかったことを纏めてスノウに話している様子だった。
太っちょを中心とした三馬鹿は、あからさまにノエルを避けているようではあったが執拗に絡むような真似はしなくなったということに、安心もしていた。
それがこの焦り様……。
ちらついたのは、あの日の約束。
────僕の名前を呼んでよ。必ず助けに行くからさ────
ノエルに、何かあったんだ。
そう思った瞬間、私は背後の窓から飛び降りていた。
同時に新たなスキル《飛翔》を発動させ、空を切るように教会を目指して飛び去る。
《浮遊》と《重力操作》を並列起動させて飛んでいたが、スキルが一定レベルまで上がったことで解放されたスキルだった。
おかげで翼を動かすことなく、空を飛ぶことができる。
「ダリオン様!」
フルスピードの私に追いついてきたのは、ベリアルとアスタロトである。
二人も私同様に、《飛翔》スキルを獲得しており、私の配下の中でもトップレベルのスピードを誇る。“護衛”という名が彼らの向上心に拍車をかけたことも、スキルを獲得できた要因だろう。
「ついてくることは許すが、いつも通り原則待機」
『承知いたしました』
端的な指示に対し、二人は頷く。
そしてそのままスピードを落とすことなく、僅か一分ほどで教会の前の森へと到着した。
レイヴンから詳細は聞いていない。
もしかしたら、そんなに大事ではないかもしれない。
僅かに残った理性で森の中から外を伺うと、足元に白い蛇、スノウが絡みつく。
明らかに見せる“焦り”の色に、緊張が走る。そして、木の影からそっと教会の裏手を覗き見た。
「────!!」
すると、そこにはノエルが倒れこんでいた。
さらに、倒れたノエルを囲むように立つ大人たち。
何が起こっているのか理解はできなかったが、ノエルが私を呼んだ理由であることは瞬時に理解した。
私は《擬態》のスキルも使わぬまま、ありのままの姿で彼らの前に顕現する。
“聖なる結界”も微弱なもので、私は勿論のこと、魔物の中でも高位体のベリアルたちにも、何の影響もない。
「────ひ、ひぃいいいぃぃっ」
一人の男が、情けない悲鳴を上げた。
ノエルを囲んでいたのは、教会が位置している村の村人たちらしい。
そして、倒れこんだノエルは────
「……ノエル……?」
血を流し、見るに堪えない姿となっていた。
慌ててその小さな背中に手のひらを這わせると、僅かに心臓の鼓動を感じる。
……しかし、それは弱まりつつあった。
「────ベリアル、アスタロト」
『はっ』
その名を呼んだ瞬間、すぐ後ろに顕現したのは悪魔族の中でも上位の存在。
そもそも私が現れた時点で村人たちにとって地獄が現れたようなものであっただろうが、更に現れたベリアルとアスタロトの姿に、声を失っているようだった。
「……状況を説明させるために一人だけ残し、その他の奴等の魂には、恐怖を刻み付けろ」
『魔王様の御心のままに』
ベリアルとアスタロトは、それはそれは悪魔らしく笑った。
打撃は勿論だが、悪魔族は魔法や精神系へのダメージを得意としているのだ。私からの命令も、彼らにとっては象が蟻をつぶす程度の感覚と変わらないだろう。
「《恐怖浸食》」
アスタロトが綺麗な表情を崩すことなくそう呟く。
瞬間、村人たちが次々と発狂し始めた。広範囲に、アスタロトの魔力が広がっていくのを感じる。
「広範囲魔法使うのは狡いッスよ」
どこか不満気にベリアルが言うと、一人の女性の前に立ち口角を持ち上げた。
「《恐怖顕現》」
「ひ、ひぎゃあぁあああぁぁぁっ」
女性は顔をかきむしるように爪を立て、絶叫してその場に崩れ落ちる。
「えぐい魔法使っているのは、どっちでしょうね」
アスタロトは短く息を吐く。
二人のおかげで、ノエルを囲っていた村人たちは次々に悲鳴を上げて倒れ、恐慌状態に陥っていた。
私は虫の息のノエルを抱き上げる。
「────《治癒》」
私の魔力を注いでノエルを治癒していく。
争いという争いもない上、私は《超速再生》を持っていることもあり治癒魔法はあまり使わない。若干の苦手意識を持ちながら、ノエルを丁寧に治療していく。
目に見える外傷は綺麗になり、傷ついた内臓もだいぶ治った。
苦しそうな呼吸は、規則正しい寝息へと変わっていく。
「────……ごめんね」
ノエルにそう、小さく落とした。
きっと、私のせいだ。ノエルは確かに疎まれていたが、こんな風に傷つけられる描写はなかったはず。ゲームのストーリーから外れてしまったのは、私が接触してしまったからなのだろう。
こんなに小さいのに、大人に囲まれて怖かっただろう。
大人からの暴力は、怖かっただろう。
それでもなんとか、スノウを通じて知らせてくれた。
おかげで、君を助けられる。
***
突然だった。
「ノエルは居るか」
教会に押し入るように、村人たちが複数入ってきた。
嫌な予感がした。だって彼らはノエルを忌子として嫌っていたのだから。
「い、いますけど……。
突然、どうされたんです?」
シスターが前に出て、村人たちの意図を確認する。
すると、一番前にいた大人────ノエルを教会へと追いやった村長が震える指でノエルを指さした。
「あいつは、悪魔とつながっている」
そう、はっきりとした声で告げた。
悪魔、というのは神聖な教会では毛嫌いされている。
故に、その単語にシスターたちも顔を顰めた。
「悪魔、ですって?」
「そうだ。あいつの傍には悪魔がいる」
それだけ聞けば、根拠のない妄想で取り乱しているだけの老人に見えるが、まるで村長を援護するようにつぶやいたのは、同じ教会に住む太った子どもだった。
「お、おれ、知ってる。
赤い髪の……魔王みたいな奴と一緒にいるところを見た」
その言葉に、ノエルの脳裏にはダリルが映し出される。
燃えるような赤髪は、この世界では凶兆────魔物のモノ、とされている。
まだ、そんなことを言っているのか、と。
ノエルは呆れに近い感情を覚える。
ノエルのことだけでは飽き足らず、そうやって伝承や伝説に踊らされ、差別を続けているのか、と。
何より、ノエルにとって初めてできた大切な友達のことを悪く言う様子に腹が立った。
「赤い髪……ノエル、それは本当ですか?」
シスターは眉間にぐっと皺を寄せ、軽蔑するような視線を向ける。
ああ、どいつもこいつも。
ノエルはどう扱って良いかわからない感情に震えた。
生まれてまだ数年。
吐き気を覚えるほどの怒りを、どうして良いかわからなかった。
「────本当です」
せめてもの抵抗のように、ノエルはきっぱりと伝えた。
ここで嘘を吐けば大人たちからの疑いを逸らせたかもしれないのだが、ダリルと過ごした時間を、否定することはできなかった。
「悪魔には鉄槌を」
そう呟いたのは誰か、ノエルにはわからなかった。
けれどその言葉に呼応するように村人たちは吠える。
シスターも、誰も。
ノエルを庇う者はいなかった。
そして始まった。
大人から一方的に、小さな子どもへ振り下ろされる拳の雨が。
ノエルを容赦なく打ち、頬は赤く腫れ目の周りは青く色づき、口周りは血に染まった。
ノエルの小さな体では、大人からの暴力を受け止めきれない。
痛みよりも衝撃に近い暴力は続き、ノエルは一瞬の隙をついてその場から逃げ出し教会の裏手へと駆け出す。
しかし、手負いの子どもの足ではすぐに大人たちに追いつかれてしまい、森まであと一歩のところで再び村人たちに捕まった。
掠れる視界で捉えたのは、森の手前で揺れる白い影。
(……スノウ……)
その姿をきっかけに、思い出した言葉。
────僕の名前を呼んでよ。必ず助けに行くからさ────
赤い髪の。
大切な友達の言葉。
助けてほしい、とかそういう感情はこの時なかった。
薄れゆく意識の中で幼いながらに“死”を垣間見た瞬間。
ノエルはたった一人の友達に、会いたかった。
ただ、それだけだった────
***
「────ダリオン様」
アスタロトが一人の老人の頭を鷲掴むようにして連れてくる。
男は「ひぃい」と情けない声を上げているだけで、まだ意識はあるようだ。
「この男が、村人たちを先導していた者です。
記憶を見ましたが────ダリオン様もご覧になりますか」
おそらく、状況説明のために残した一人なのだろう。
きちんと首謀者に当たりを付けているあたり、アスタロトに信用が置ける。
「……いや、そんな汚い人間の記憶など見たくない。
この状況を簡潔に説明して」
どうせ禄でもない記憶だ。
直接記憶を覗こうものなら、千回嬲り殺してもまだ足りない。
そんな殺意に溺れてしまいそうで、アスタロトに説明を求めた。
「……は」
しかし、アスタロトはどこか躊躇するように視線を反らす。
言いにくいことがあるのだろう。
「……私のせい、ってとこかな」
予防線を張るようにそう告げると、アスタロトのピンクトパーズの瞳がわずかに揺れる。
どうやら正解らしい。
「……ノエル殿が、ダリオン様と一緒にいるところを見ていたらしく……。
人間界では赤髪は凶兆。悪魔の子と見なされるようでして……」
アスタロトの説明によると、村長は私が《擬態》した姿、ダリルとノエルが人目を逃れるようにして会っていたことに気づき、こっそり見張っていたらしい。
しかし、会わなくなって数か月経つ。
どうして今頃?という疑問にも、アスタロトが答えてくれる。
「どうやらここ数か月で作物の収穫量が大幅に減ったそうです。
それを、悪魔の子のせいである、と決めつけ凶行に及びました」
この村は怠惰の谷に近い。
高濃度の魔素溜まりがあるため、少なからずその影響が人間界にも出始めたのだろう。
原因はすぐにわかったが、魔素溜まりまで人間界に知らせてはいない。
魔界に近く、伝承や言い伝えを信じ込む辺境の村で、ノエルを害そうとしたのは……、
「……私のせい、なんだね……」
不用意に近づいた。自分の欲だけで、ノエルと接触した。
《擬態》のスキルを使用した時、印象的な赤髪が残ることだって確認していた。
魔法で髪色が変えられることだってできたかもしれないのに、そこまで深く考えることなくノエルに会いに来てしまったのだ。
今、ノエルが腕の中で意識を失っているのは────
ノエルに痛い思いをさせたのは、私のせいなのだ。
(だ……ダ、……リル……?)
その時、ノエルはほんの一瞬意識を取り戻した。
ぼやけ、霞む視界で捉えたのは、あの日────出会った日と変わらない、太陽を閉じ込めたような赤い髪だった。
しかし、魔法による急激な回復に体力が追い付かず、ノエルは声を発することもできないまま再び眠りに落ちた。
ダリオンは腕の中で眠るノエルに視線を落とす。
「……このままでは、きっとまた、ノエルを傷つけてしまう」
この村にも、もうノエルを置いておくことはできないだろう。
そう判断し、アスタロトに声をかけた。
「近隣に教会はある?」
「は、隣村にも教会はございます」
「……じゃあ、そこにノエルを預けよう」
私はそう決めると《飛翔》で飛び上がる。
「この村の後処理は頼んだ」
「御意に」
空を切り、わずか一分ほどで隣村の教会が見えてきた。
陽は落ち、夜の影が支配する中でも私の赤髪は目立つだろう。
私はスキル、《隠密行動》を発動し、暗闇に紛れる。
幸いにも窓から零れるわずかな灯と、月明かりのみが照らす暗闇のおかげで、私の存在はうまく溶け込む。
そっと、教会の扉の前にノエルを横たわらせる。
ノエルの髪色とオッドアイは、きっとどの村にいても疎まれるだろう。
しかし、私は知っていた。ノエルが聖魔法の使い手であることを。
勇者パーティへと迎え入れられ、人々から羨望の眼差しを向けられることを。
私のせいで、その未来を変えてしまうことは避けたかった。
私のこと、忘れないでほしい。
けれど、ノエルのこれからの人生、私という存在はバグそのものになってしまう。
今ならばまだ軌道修正が可能だろう。
名残惜しさはある。
推しに会うためにこの魔王である人生を歩んできたのだから。
それでも、今、自分の欲だけをノエルに向けることは間違っている。
私はただ一言
────彼の名前は“ノエル”です────
その一文だけを書き記した紙を添え、教会から離れた。
やがて、物音に気が付いたシスターが、教会の扉をあけ横たわるノエルを見つけた。
ノエルにとって辛い日は、まだ続くかもしれない。
けれど、辛い日々の先に幸せがあることを私は知っている。
今回の件で、ノエルから希望も何もかも奪っては、それはそれで何かのバグを生みそうだったため、スノウを新たな教会の裏手にある森に待機させた。
ノエルが、スノウの存在に気付くかどうかは分からない。
これは、ノエルとすべての縁を切りきれない私の甘さなのかもしれないけれど。
それでも。
「どうか、幸せになって」
そう心からの祈りは、夜の帳に溶けて消えた。
アスタロトの《恐怖浸食》は人々の恐怖心を煽り、極限にまで恐怖させる広範囲精神攻撃。
ベリアルの《恐怖顕現》は対象の恐怖の象徴を幻影として顕現させ、恐怖に陥れるという対個人用の精神攻撃です。




