ep13:レベル上げ、再び
《擬態》
そのスキルの説明文を読み、思わず眉を上げる。
《対象の種族・外見・魔力波長を一定時間模倣する》
これは……
「これ、めちゃくちゃ便利じゃない?」
思わず声が漏れた。
魔王である私が人間社会に出るのは不可能に近い。
魔物の王が現れた瞬間、勇者だの聖騎士だのがわらわら湧いてくる未来しか見えない。
……だが。
「擬態できるなら、話は別だよね?」
私が呟くと、隣に立っていたルシファーがわずかに目を細めた。
「……ダリオン様。まさかとは思いますが」
「ん?」
「人間の街へ行こうなどとお考えでは」
「行くよ?」
即答だった。
むしろルシファーの言葉にかぶせるくらいの勢いで言った。
ルシファーの表情が完全に凍りつく。
「い、いけません!
魔王様が自ら人間の元へ赴くなど――!」
「大丈夫大丈夫」
ひらひらと手を振る。
「擬態さえ解放できれば、人間になれるんでしょ?」
「理論上は可能ですが……」
ルシファーは言葉を切り、少しだけ眉を寄せた。
「人間の街は、魔族にとって安全とは言えません。
仮に外見を偽れたとしても、人間は魔力の違和感に敏感です」
「うーん……」
私は腕を組む。
確かに、それはそうだ。
「……でもさ」
スキル画面を指でつついた。
「外見と魔力波長を真似できるなら、普通の人間と区別つかなくない?」
ルシファーは少しだけ視線を伏せる。
「問題はそこではありません」
「え?」
「ノエルのいる場所です」
────……あ。
言われて、私は瞬きをした。
「……教会」
「はい」
ルシファーが頷く。
「教会関係者は、一般の人間よりも魔力に敏感です」
「下手に近づけば、違和感を持たれる可能性があります」
いつの間にか、影がゆらりと揺れていた。
「────その通りです」
「うわっ」
振り向くと、レイヴンが影から現れていた。
「レイヴン、いたの?」
「ええ、私は常に魔王様の影の中に」
相変わらず気配がない。
シゴデキ感はあるけど、逆にそれが怖い。
もちろん、そんな私の心情など知らないレイヴンはそのまま淡々と続ける。
「《擬態》は有用なスキルです。
私自身、蝙蝠への擬態など習得済みのため、その有用さについて何か申し上げることはありません」
「でしょ?」
「しかし、《擬態》スキルは習得した後が問題なのです。
魔力量がなければ、擬態状態を持続することができません」
私はスキル画面の数値を見る。
スキルを解放するまでに必要な魔力は現在値の約三倍だった。
「……やっぱりかぁ」
「仮に発動できたとしても、魔王様の現状の魔力量では、維持時間は数秒でしょう」
「秒」
ニチアサヒロインの変身シーンだけで擬態解けちゃうね。
私は椅子にもたれた。
「でもさ」
私はレイヴンとルシファーの二人を見る。
「人間の街に行ければ、ノエルの様子を直接見られるよ?」
レイヴンの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……魔王様」
「ん?」
「それは」
一拍置いて言った。
「かなり近づく前提ではありませんか?」
「……」
レイヴンの一言はまさに図星。
胸中ドストライクに入って思わず言葉に詰まる。
「いやいやいや」
私は手を振る。
「遠くから見るだけだって」
「本当に?」
私のその場で思いついただけの言葉に、信用のかけらもない。
間髪入れず入ってくる疑いの言葉に、私はまたしても言葉に詰まる。
「……」
三人の視線が刺さる。
めちゃくちゃ信用されていない。
「だって!」
思わず机を叩いた。
勢いが良すぎてヒビが入っちゃったし、その瞬間ルシファーの顔が曇ったのを見たけど、後が怖いから見なかったことにする。
「推しが近くにいたら見たくなるでしょ!」
あたかも正論を叩きつけるように言ってみるけれど、その言葉にルシファーがため息をつく。
おいおい、そんな反応して良いのか?
我、魔王ぞ?
「それが問題なのです」
ルシファーが即答した。
モルガントが腕を組む。
「教会には神官や修道士が出入りしておりますからな」
レイヴンも続ける。
「不審な人物が長く周囲をうろつけば、間違いなく警戒されます」
「うぐ」
私の見せかけの正論なんかは瞬きの間に消え失せ、部下たちからの本気の正論の集中砲火を浴びて、私はぐったりと椅子に沈んだ。
「……じゃあどうすればいいの」
レイヴンは机の報告書へ視線を落とす。
そこに書かれた地名。
《怠惰の谷》
「まず魔力量を増やすことです」
「やっぱりそこか」
モルガントが言う。
「魔素源池の影響を受ければ、魔王様の魔力量は大きく伸びるでしょう」
「《擬態》の維持時間も伸びますし、何よりスキルのレベルが上がります。
より高度な《擬態》を使用することが可能になるでしょう」
ルシファーが続ける。
「つまり」
私は紅茶を一口飲む。
「レベル上げってことね」
三人が同時に頷く様子を見て、私はカップを置き立ち上がった。
「いいじゃん」
窓の外の魔界の空を見る。
「ノエルに会いに行く準備、始めようか」
すると 、レイヴンが静かに言った。
「魔王様、一点だけよろしいでしょうか」
「ん、何?」
レイヴンの真剣な眼差しに首をかしげる。
この仕草、女子高生と思えばあざと可愛いで済まされるが、威厳たっぷりなイケメンがやると、急に新宿二丁目感が出るから不思議である。
「ノエルに近づきすぎないよう、監視を強化します」
「信用して!?」
レイヴンの言葉に思わず声を上げると、三人はほとんど同時に視線を逸らした。
……ひどくない?
いや、まあ。
私自身、あまり信用できる発言をしていない自覚はある。
椅子の背に体を預け、天井を見上げる。
────ノエル。
現時点ではまだ八歳にも満たない、無邪気であどけない少年。
ファンブックで見た、ほんの数行の設定が脳裏をよぎる。
両親に捨てられ、教会で育つ忌み子。
それだけの説明だった。
でも、実際の世界でその話を聞いたとき、胸の奥がぐらりと揺れた。
……彼を助けたい。
最初はゲームのキャラクターとして、私自身の“推し”として。
下心しかない理由だった。
けれど、今こうして魔王として君臨し、この世界に生きている一人として考えたとき。
ノエルの置かれる状況は決して気持ちの良いものではない。
今ではただ一人の子どもとして、彼を助けたいと思うのだ。
私は小さく息を吐く。
「……まあ、いいや」
呟くと、三人がこちらを見る。
「どうせ今は無理だし」
ゆらめくUIの中に浮かぶ《擬態》の文字を睨むようにして見つめる。
「まずは《怠惰の谷》でレベル上げだね」
レイヴンが静かに頷く。
「魔王様の魔力量を増幅するには、最も効率の良い場所でしょう」
ルシファーが紅茶を新しく注ぎながら言った。
「危険ではありますが」
私はカップを受け取り、一口飲む。
ほのかに甘い香りが広がる。
そして、窓の外へ目を向けた。
魔界の空は相変わらず暗いし、世紀末もびっくりなほど、稲妻が光り雷の轟音が鳴り響く。
けれど、その向こう。
人間の世界に、ノエルがいる。
「……よし」
カップを置き、立ち上がる。
「《怠惰の谷》に行く準備、始めようか」
レイヴンがわずかに目を細めた。
「魔王様」
「ん?」
「同行の許可を」
「え?」
「《怠惰の谷》は、現時点でも様々な数値が“計測不能”となっています。
いくら魔王様であっても危険地帯です」
淡々とした声だった。
「魔王様だけを行かせるわけにはいきません。
それに何より、今の私では魔王様の足手まといになってしまいます。
私にも鍛錬の場をいただけないでしょうか」
私は少しだけ考える。
そして、肩をすくめた。
「……まあ、いいよ」
どうせ止めてもついてくるだろうし。
それに、レイヴンの意見は尤もだ。
強くなるならばレベル上げをするしかないし、レベルを上げるためには鍛錬をしなければならない。
レイヴンだけではなく、ルシファー、バアル、モルガントも名付けたことで上位種へと進化を果たしているため、その辺の有象無象と戦ったところで大した鍛錬にならないことも事実。
より、負荷のかかる環境が必要であることは、納得できる理由であった。
「じゃあ、準備ができ次第向かおうか」
私の言葉にレイヴンは短く返事をする。
ノエルに会うための準備は、まだ始まったばかりだ。




