〝迷い人〟の正体
光輝さんは店の応接セットに座り、両肘をついて祈るような格好で俯いていた。
私は静かに隣に座り、嗚咽する彼の背中をさする。
頼もしいと思っていた背中が、今はこんなにも小さい。
しゃくりあげる声は少年のように頼りなく、啜り泣く声を聞いていると胸が締め付けられる。
「……側にいますから」
そんな陳腐な言葉しか言えない自分が嫌になる。
答えない光輝さんを見て、私は目を閉じると彼を抱き締めた。
私は霊体で彼は生身。
私の肉体はまだ眠ったままで、本当の意味で彼を抱き締める事はできない。
(でも、この店でなら触れ合えて良かった)
そう思いながら、私はしばらく光輝さんを抱き、彼の背中に顔を押しつけていた。
どれだけ時間が経ったか分からない頃、光輝さんは呟いた。
「……兄貴は俺を恨んだだろうか」
本当の意味での答えは誰にも分からない。
死者の思いはもう誰にも知る事はできないから。
でも私は前向きな返事をした。
「恨んでいないと思います。……全部推測で希望的観測です。……でも、生前の和輝さんは光輝さんの憧れで、自慢のお兄さんだった」
私の言葉を聞き、光輝さんは小さく頷く。
「生前の彼ならこうした。こう言った。……遺された側はそう信じるしかないんです」
「…………そうだね」
彼はゆっくり上体を起こし、私も体を離す。
その時、黙っていたカクが口を開いた。
「しんみりしているところ悪いんだけどさ。光輝にはまだできる事があるよ」
「――――え?」
光輝さんは声を漏らし、私も顔を上げる。
「千秋の体の居場所を教えてくれた迷い人、まだ外で〝待ってる〟よ」
「あぁ……、あの、珍しくいい匂いがする人……」
私は電車の中で鼻先をかすめたオレンジの香りを思いだす。
「……いい匂いって?」
光輝さんは私の言葉を聞き、怪訝そうな顔をする。
「普通の迷い人は酷い匂いがしていたんですが、あの迷い人は、オレンジみたいないい香りがしたんです」
すると光輝さんは目を見開き、立ちあがる。
カクはツカツカと早足に店の出入り口に向かった彼に、声を飛ばした。
「神降ろしは今後も有効だ。〝その人〟が悪いものに囚われているなら、僕は神様として力を貸すよ」
店を出る前、光輝さんはカクを振り向いて言った。
「――――ありがとう」
「私も行ってくる!」
店を出ると、私たちは新宿三丁目の雑踏のただ中にいた。
横手を見ると、あの大柄な迷い人がポツンと立っている。
「…………兄貴?」
光輝さんが呟くと、通りすがった人たちが危ないものでも見るような目で、チラッと一瞥してきた。
それでも構わず、光輝さんは『化け物』に見えるだろう迷い人に声を掛けた。
「兄貴なんだろう? ……千秋ちゃんの居場所を知っていたから、ずっと教えようとしてくれた。……兄貴、ずっと〝橘〟の香水をつけてたもんな?」
迷い人はしばらく立ち尽くしていたけど、やがて、また私たちを導くようにゆっくり移動し始めた。
私と光輝さんは〝彼〟のあとをついて歩き、新宿三丁目駅から池袋行きへ乗り、赤坂見附駅で乗り換えをして銀座線に乗った。最終的に下りたのは京橋駅だ。
それから銀座の街並みを歩き、向かったのは築地方面。
〝彼〟はもっと速く歩けるはずなのに、周りの景色を惜しむような足取りでゆっくりと歩みを進めていた。
やがて私たちは橋川神社に着く。
もうそろそろ終電の時間になるからか、神社には人の気配はない。
〝彼〟はライトアップされた鳥居の前で一礼し、境内に入っていく。
やがて〝彼〟は拝殿の前で立ち止まり、二礼、二拍手をしたのち、しばし頭を下げて何かを願う。
そして一礼したのち、私たちに向き直った。
私と光輝さんは〝彼〟に対峙し、どうしたものか逡巡する。
やがて、店を出る際のカクの言葉を思い出したのか、光輝さんが恐る恐る言った。
「……俺に祓えと言っているのか?」
その問いに、〝彼〟は静かに頷く。
「~~~~っ、…………っ、俺に……っ、――――兄貴を……っ」
光輝さんは堪えきれずまた涙し、本当の別れを告げようとしている和輝さんに訴える。
「――――ごめん……っ、本当に、……ごめん。悪かった。――――許してほしい……っ」
俯いて肩を震わせる光輝さんに、〝彼〟はゆっくりと近づいてくる。
そして抱き締めるようにその黒い靄で包んだ。
すると光輝さんは泣き笑いの表情で呟く。
「……本当だ。〝橘〟の匂いがする」
〝彼〟が少し離れると、光輝さんは涙を流して謝った。
「…………本当にごめん。恨まれてもおかしくない事をした。……苦しかったよな。……つらくて、死ぬのなんて嫌だったに決まってるのに……。――――ごめん……っ」
最後はかすれた、絞り出すような声で謝り、光輝さんは肩を震わせる。
彼はしばらく葛藤していたけれど、「待っててくれ。ちゃんと送りだす」と言って歩いていった。




