09,お姉ちゃんの矢
ヌトラメロイがブヨブヨぬるぬるの両手で、リリンの小さな体を木に押さえ付ける!
「ぎ、ぅ……!?」
女性の細腕とは思えない圧力に、リリンの口から呻きがもれた。
構わず、ヌトラメロイはリリンを押す腕に力を加え続ける。
「ねぇ、ルークくんって子は、すごく友達思いの優しい男の子なんでしょう? 聞いているわよ。そんな子がさぁ……無惨に変わり果てたガールフレンドを見たら、どんなそそる表情をすると思うぅ?」
「きは、ぁ……な、に、を……!?」
「私はねぇ……大好きなの。小さな男の子が、苦しみ悶えるサマが……見てるだけでジュンジュンに濡れちゃうくらいにねぇ……! ま、私、蛞蝓モデルだから、いつでも全身濡れ濡れなんだけれど」
薄色の肌を紅潮させて、ヌトラメロイはリリンに熱い吐息を浴びせた。体内で沸き立つ蒸気で濁った白い吐息……想像しただけで興奮の極致だと言わんばかりだ……!
「と言う訳でぇ、まずはあなたをぐちゃぐちゃにしてあげる。お腹の中身全部、お口からぴゅーしちゃいましょうね~ッ!」
「――リリンを放せッ!」
「!」
雄叫びと共に緑光が弾け、横薙ぎに流星が降った。
――不思議な緑のオーラを纏ったルークが木盾を構えて茂みから飛び出し、ヌトラメロイの横腹目掛けて突進したのだッ!
「あら」
ルークの芽能【森絡共然】は森からパワーを借り受ける能力。
緑のオーラはその証明。つまり彼の突撃は、森によるパンチと言える馬鹿げた威力を誇る……はずなのだが。
モロに直撃したはずのヌトラメロイの声は、悲鳴にはほど遠かった。
「ぇ――わぁ!?」
逆に、ルークの方が驚きの声。
ヌトラメロイが粘液を撒き散らしながら吹き飛んだのと同時、巨大な風船にでもぶつかったかのようにルークの方も弾き飛ばされたのだ。
「にぎゃん!?」
「うぉおおう!? ルーク!? どうしたんだよ!?」
ルークはそのまま、飛び出した茂みまで弾き飛ばされ、頭から突き刺さってマヌケな悲鳴。
そこに隠れていたコウは突然の親友飛来に小さな体にしては盛大な悲鳴をあげた。
「ぁいたた……な、なんか、あの黒いお姉さん、すごいバイーンって、弾力が……」
「なんだぁ? おっぱいにでも突っ込んだのか?」
「おっぱいには当たってなかったと思うけど……そんな事より! リリン!? 大丈――」
リリンの身を案じ、飛び起きながら問いかけたルークだったが、最後まで続ける事ができなかった。
何故なら、
「ぅぶあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
涙やら鼻水やら涎やら、そりゃあもう顔中から汁を撒き散らしたあられもない状態のリリンが、猪突猛進めいて突っ込んできたからだ。
リリンはもう抱きつくと言うよりただただ筋の良いタックルで、ルークの胸に飛び込んだッ!
「げふゥッ!?」
幼体とは言えヴィジタロイド。リリンのタックルは相当な威力である。そりゃあルークもこんな声が出ちゃう。
「ルーク!? おいリリン! 何して……」
「……ったぁ……こ、わか、ったぁぁぁぁあぅあああああああああああ……ルークぅぅ……」
押し倒したルークの胸に顔を押し付けて隠しているが、リリンは全身を小刻みに震わせ、がちがちと歯を鳴らす音が聞こえる。
……とても、恐い思いをしたのだろう。ルークもコウもそれを咄嗟に察した。
「……大丈夫だよ、リリン。もう大丈夫だから」
リリンをいじめようとしていた謎の女は今、ルークが森の力を借りて吹っ飛ばした。
あのすごく大きくてゴツかったメープルジャムですら一撃でノック・アウトした突撃なんだ。あんな細身の女性が耐えられる訳……。
「――……ふふふふ、うふあはははははははははははああああああッ!」
「なッ……!?」
森中に響くのではないかと思える、女性の高笑い。
この声は――
「今ぁ! 確かに聞いたわぁ! あなたがルゥゥゥク! ルゥク! ルークルークルーク! あぁぁあはははははははははは! やぁだもぉぉぉ思い描いていた通りの良ショタじゃあなぁぁいのぉぉぉぉぉおおおおおおおお!」
「ぃ、いいいい……!? な、何かあのお姉さん、すごいテンションで僕の名前を連呼してる……!?」
「私は改人結社アバドンゲート所属ゥ! ヌトラメロイよぉぉぉ! よろしくねぇぇぇえッ!」
「げぇっ、あばどんげーとって、この前の奴らの仲間かよ……!?」
狂ったようなテンションで笑うヌトラメロイには、流血の一滴も、傷の一つも無い。その身から滴り落ちるのはヌトヌトとした粘液だけ。
黒帽子のつばの奥で両眼が異様な輝きを放ち、ただただルークを捉え、放さない。
「って言うか……何であの女、ルークの突進を喰らって平気なんだよ!? この前のデッカい鎧の奴だって耐え切れなかったんだろ!?」
「メープルジャムの事かしらぁ? 当然でしょぉ? そもそも第二級改造人間と第一級改造人間は全性能が段違いだしぃ……加えて私のモデルは蛞蝓だものぉ!」
――アバドンゲートにおける改造人間の等級。
第四級改造人間は部分的な改造を施された者。
第三級改造人間は肉体の五割以上を改造し、特殊武器を扱える肉体強度を得た者。
第二級改造人間は全身を改造し、特殊外装を装着して戦える肉体強度を得た者。
そして第一級改造人間は――特殊外装と完全に一体化し、霊格を持つ生命体にすら匹敵する生理機能を獲得した者。
ヌトラメロイは蛞蝓をモデルにした第一級改造人間だ。
その特殊外装は蛞蝓の肉体と同様の性質を得ている――つまり、構成物質の約九八%が水分であるッ!
第一級改造人間であるヌトラメロイは、その外装と一体化しているため……その肉体そのものが九八%水分で構築されているのだッ!
これは雨粒やキュウリをも凌ぐ水分率! 即ち、自然界でも希に見るレベルのほぼほぼ純正の水ッ! 水が意思を持って人の形を保っているだけ……それがヌトラメロイ!
殴ったって、水は壊れない!
蹴ったって、水は壊れない!
つまり、ヌトラメロイには――
「私のヌルヌルプルンプルンのウォーターボディにはぁ……物理攻撃の類が一切効かないのよ! それが例えどれだけ強烈だとしてもねぇ!」
「そ、そんなぁ!?」
ルークの攻撃手段は、森のパワーを借りた盾突撃オンリー!
つまり、それが効かない=打つ手が無いッ!
ルークからすれば相性最悪!
ヌトラメロイからすれば相性最高ッ!
「り、リリン! 立って、逃げよう! コウも頭に乗って! 早く!」
シエルフィオーレに言われた。もし次に同じような事があったら、必ず逃げなさい、と。
可能な限り、戦う事を算段に入れてはいけない。
そう、念入りに注意を受けた。
加えて、唯一の攻撃手段が効かないのだ。まず戦いようがない。
あと、ルークは直感している。あのお姉さんの目はヤバい。知識の不足で何をされるのか具体的に想像はできないが、とにかくあの手の目をする輩と関わってはいけないとショタの本能が叫んでいる。
「うふふ、うははははは! 鬼ごっこかしらぁ? いいわよぉ。一〇数えてあげるから逃げなさいな! お姉さんが楽しく愉しく弄んであげるわぁ!」
◆
「だ、ダメだ、ルーク! オイラにはあの女のどす黒い気配みてーなもんがハッキリわかる! やべー奴だあいつは……! しかも……真っ直ぐ追っかけてきてる!」
「僕も薄ら感じる……! すごく不愉快な気配だ……!」
宣言通り、ルーク達が走り出してからきっかり一〇秒後。ヌトラメロイのものと思われる気色の悪いな気迫のようなものが、背後から接近を開始した。
しかも、かなり速い……!
ルークは頭にコウを乗せ、腰を抜かしてしまったリリンを背負っているとは言え、【森絡共然】の補助を受けた脚力で走っている。誰かの前を横切れば、「……今、緑色の風が吹きやがったぜ……!」と戦慄させられる速度を出しているはずだのに。
ヌトラメロイの気配を振り切れるどころか、ジワジワと距離が詰まっているのを確実に感じるッ!
「……ッ……ルーク……ごめん。アタシが変な意地張ったのがそもそもの原因で……こんな事に……!」
「リリン、気にしなくて良いよ。あの人間、最初から僕が目的だったみたいだし……」
おそらく、リリンが遭遇し、その場にルークが駆けつけなかったとしても、ヌトラメロイはいつかルークの前に姿を現していただろう。
事実としても、慰めとしても、ルークの言葉は間違っていない。
「とにかく、今はあの危ない奴から逃げる事に集中しようぜ! そんでオイラから提案だ! このまま走ってても、誰かいる場所に辿り着く前に確実に追いつかれると考えるぜ! ここはどこかに隠れてやり過ごすのが良い!」
「うん、そうだね。僕も賛成! リリンは!?」
「……ええ、アタシもそれが良いと思う」
幸い、ここはルーク達が勝手知ったる森の中。毎日のように駆け回る庭であり、かくれんぼだってよくやる。
とくれば、隠れるのにお誂え向きのポイントもよく知っている。
大岩を跳び越え、枯れ木のトンネルを抜け、腐葉土の密集地を駆けて、とある木を目指す。
その木の根元には、大きく深い虚が空いている。大昔、熊系の誰かが使っていた冬眠用の穴蔵だろう。
虚に滑り込んで身を潜め、ヌトラメロイの気配が通り過ぎたのを感じ、ルーク達はようやく一息吐く事ができた。
「……ぃ、行ったね」
「おう……助かったな……」
「………………ごめん………………」
「リリン? まだ言ってるの? リリンのせいじゃないって……」
「違う! そうじゃあないの……」
……リリンが下唇を噛み締めて悔やんでいるのは、己の不甲斐無さだ。
改人を前に泣き震える事しかできず、情けなくルークに抱きついた後は、腰を抜かして自分で歩く事もままならない。
「アタシは、ルークよりお姉ちゃんなのに……何も、できてない……!」
身を隠してやり過ごす案だって、本当は真っ先に自分が思いつくべきだった。
後悔や罪悪感に気を取られて、逃げるための術を考えるのがおろそかになっていた。
ルークを守るのだと息巻いておきながら、実際にルークの身に危機がおよんだ時、何もできない。できていない。
悔しくて、申し訳なくて、涙と謝罪が溢れ落ちて仕方無い。
「情けない……こんなアタシじゃあ、あんたのお姉ちゃんなんて、言えない……!」
「……リリン。顔を上げて。僕の目を見て?」
「……ぅ……?」
僅かに持ち上がったリリンの頬を、ルークは両手を添えて包んだ。
自分が失敗をして、ごめんなさいと泣き叫んでいると、シエルフィオーレは必ずこうやってくれた。
手の温かみが頬を包んでくれて、何だか落ち着けるのだ。
だからルークもそれを真似た。
「落ち着いて、リリン。大丈夫。リリンはいつだって、僕を助けてくれた」
小さい頃、ルークが森で迷った時、一番最初に見付けてくれたのはリリンだった。
結局一緒に迷子続行となったが、それでも、独りで迷い続けるよりはすごく救われた気分になれた。
ルークが野生の蛇に怯えていた時、その蛇に噛み付いて追い払ってくれたのはリリンだった。
自分だって蛇が嫌いな癖に、怯える素振りなんて見せずに、助け出してくれた。
他にも、枚挙に切りが無いくらいに、リリンはルークを助けて、守ってくれた。
「シエルが言ってたよ。『今、何かに失敗しても、今までの全部が台無しになるなんて事は絶対に無いから。少し失敗してしまったくらいでこの世の終わりみたいに嘆く必要は無い』……って。何かに失敗したって、僕に取ってリリンはリリンだよ。ずっと変わらない。だから、泣かないで」
今、リリンが多少の醜態を晒したからって、今までルークを守ってくれた立派なリリンが消滅する訳ではない。リリンに守られたルークの感謝が無に帰すなど、有り得ない。
「僕に取ってリリンは、ずっとずっと、すごい先輩だよ」
「……ルー……ク……」
「良い話ねぇ」
――え?
突如割り込んできた女の声に対して、ルーク達は疑問を声にする暇が無かった。
虚の中に滑り込んできた粘液塗れ変幻自在のブヨブヨ腕が、まるでアナコンダか何かのようにルークを巻き取って、一瞬で虚の外へと引きずり出してしまったッ!
「ぅ、うわあああああああああああ!?」
「なッ――ルーク!?」
リリンとコウも慌ててルークの後を追い、外へ。
「ぐッ、な、うわッ、気持ち悪い……は、放してよぉ!」
「うふふ……やぁん。そんなに暴れられたらぁ、お姉さんの粘液が飛び散っちゃうじゃあないのぉ……ルークきゅぅぅぅん……♪」
――ヌトラメロイッ!
何と言う事だろう! 下半身がまさしく蛞蝓のように変貌し異形と化したヌトラメロイが、軟体の両腕でルークを巻き取ってヌチョヌチョの粘液にまぶしているッ!
「な、何で……アタシ達が隠れているのに気付かずに、通り過ぎて行ったはずじゃあ……!?」
「くふ、ふふはははは! こんな子供だましのまさしくかくれんぼみたいな隠れ方で、私を出し抜けるとでもぉ? 舐めないでもらえるかしらぁ。――良質なショタの匂いをッ! この私が嗅ぎ漏らす訳無いでしょうがァッ!」
――蛞蝓は、触覚と嗅覚を主に駆使していると言われているッ!
蛞蝓の改人であるヌトラメロイもまた、触覚と嗅覚が並外れて優秀ッ!
彼女の鼻は逃さない……! 獲物の匂いを、決して逃さないッ!
先ほどまでどす黒い気配を放ち自らの足跡をわかりやすくしていたのは、ルーク達がその内「隠れる」と言う手段を選ぶ事を予想していたから。
どこぞに身を隠し、ヌトラメロイの気配をやり過ごした時……ルーク達は安堵するだろう。これ以上無く喜ぶだろう。
――そして、その喜びを覆した時、とてもとても絶望してくれるだろう。
だから、一度は気付かないふりをして通り過ぎた後で、気配を殺し、下半身を蛞蝓型に変形させて足音を殺して、近寄ったのだ。
ヌトラメロイの愉悦は、苦悩するショタをヌチョンヌチョンに汚す事。
すべて、ルークを苦悩させるために仕組んだ事だったのだ!
悪辣……! どこまでもッ!
「さぁ、ルークくん……ガールフレンドの前で陵辱してあげるわぁ。まずはどの穴が良い? 耳ィ? 鼻ァ? 口ィ? それともお目目かしらァ? まさか下の方だなんて、マセた事は言わないわよねぇ? ショタだものぉ。ショタはそんな下品な事、言わないわぁ」
「ひィぁッ!?」
腕だけでなく、ヌトラメロイの一〇本の指までもが伸縮自在・縦横無尽に動き始め、ルークの小さな体を好き放題にねぶり回し始めた。ヌトラメロイが意地悪に「ねぇ、耳? 鼻?」とささやきかける度に、該当する感覚器官の周囲をフェザータッチでねっちょりねっちょりさせていく。
「ひぐ、ぅ……ゃめ、気持ち悪いよぉ……!」
「そう、それで良いのよぉ……気持ち悪いのが、やがて気持ち良くなっていく……その過程で『気持ち悪いはずだのにぃ……!?』と理解不能な未知の快楽に混乱し困惑し苦悩し混濁し最後は狂っちゃうぅぅ……そう言うサマが見たいのぉッ!」
「く、くそう変態ナメクジおばさんめッ! ルークを助けなきゃあ色々やべぇ! 行くぞリリン! うぉおおおおお!」
「え、ええ! やぁぁああああああああ!」
コウとリリンは両手を振り上げてヤケクソめいた突撃ッ!
何か見た事あるこれ! デジャヴッ!
そして当然のように、ヌトラメロイが振り回した尾に薙ぎ払われ、派手に転がされてしまったッ!
「うあッが!?」
「きゃうッ!?」
「ッ、コウ! リリン!」
「あらあら、まぁだ他所事を気にかける余裕があるのぉ? ダメねぇ。あなたはこれから、私のヌメヌメ以外を気にしちゃあダ~メ」
「ぅうう! くそう! くそう! 放せ! 放せよう!」
膨大な緑のオーラを纏い、力の限り暴れるルーク――しかし、どれだけ力を加えても、ヌトラメロイの水の体はバインバインプルンプルンと粘液を散らしながら弾むだけ。
柔らかくしなやかなヌトラメロイの拘束は、ルークを逃さず、着々とその幼い体を粘液で蹂躙していく。
「ひぃ、ぅわ、やめ、気持ち、悪いよぉ……!」
「……ルーク……!」
助けなきゃ、守らなきゃ。
リリンはその二言だけをひたすら脳内で繰り返して、土を掴み、立ち上がる。転がされた時に落ち葉や土が口の中に入っていたらしく、口の中に味が広がるが、構っていられない。
――ルークは言ってくれた。
例え今、リリンが失敗したとしても、決してリリンを見損なったりしないと。
そこまで慕ってくれる弟分が、今、変態の毒牙に晒されている!
――守、らなきゃあ……ルークを、守らなきゃあッ!
『――承知した』
「……!?」
どこからともなく、不思議な声が聞こえた。
『リリン。耳を澄ますのだ。君は我々に属する植物より生み出された。元々、我々の一部。我々の声を聞き、そして、我々と共に在る権利を有する』
これは――森の声ッ!
リリンの全身に、力が滾るッ! 今までの自分が嘘だったかのようなエネルギッシュッ!
ルークと同様、緑色のオーラがリリンを包むッ!
「なッ、リリン……!? おめー、その光はルークと同じ……!?」
「もしかして……芽能……!?」
『然り』
森の声による肯定ッ!
そう、リリンは今、発芽したッ!
ルークを守りたい――その強き一念が、彼女を発芽へと導いたッ!
『君に与えよう。今、彼を、同胞の少年を救い、守護するための力を』
「やった……! あ、でも……」
余りにも好タイミングな覚醒に一瞬は喜んだリリンだったが……。
ルークと同じように「緑のオーラを纏ってパワーアップ」……なんて芽能をもらっても、ヌトラメロイに対しては焼け石に水――いや、ここは「大海に小石を放るようなもの」と言うのが適切か!
『案ずるな。単純なパワーで倒せない相手である事は把握している。よって君に与える芽能は――【宿輝着床】!』
「さくり、ふぁいず……?」
変化が起きる。
リリンを包んでいた緑色のオーラが、彼女の両腕へと収束。更に掌に集まり、細く伸びた。
「これは――弓矢……!?」
具現したのは、翡翠の宝石から切り出したような外観の美しい弓と矢。
矢の鏃には、何やら丸い植物の種子のようなものが。
『放て。その矢は邪悪を塗り潰す輝を生むッ! 教えてやるのだ、万物を飲み込む森の生命力をッ!』
森は、時間をかけて着々とその領域を拡大していく。
例え渇いた砂漠だろうと、種子を落として、落として、芽吹くまで落とし続けて、広がっていく。
巨大な壁が立ちはだかったとしても、蔦や根を伸ばして絡め取り、貫き、飲み込み、取り込んで、まだまだ広がっていく。
リリンに与えられた矢は、その森の生命力――緑の侵食を具現化した力ッ!
ルークを守ると言うリリンの決意に応えた森が授けた、ヌトラメロイを倒すための力ッ!
「アタシが……守るんだ……!」
リリンは細腕に力をいっぱい込めて、矢を弓にあてがい、引き絞る。
「ん? あら、どこから持ってきたのか知らないけれど、キラキラしてて綺麗な弓と矢ね。で、それで私を射抜くって?」
クスクス、とヌトラメロイが笑う。嗤う。
川に矢を撃ち込んだって、水は死なない。無駄だ無駄だと、ヌトラメロイはリリンを馬鹿にしているのだ。
「アタシはルークを守る……だって、アタシは……」
リリンが狙うは、ヌトラメロイの胸、ど真ん中。
翡翠に透き通る矢を、今、放つッ!
「アタシは――お姉ちゃんなんだからァァァッ!」
放たれた矢は当然一直線ッ! ぴゅんッと空を切り、見事、狙い通りヌトラメロイの胸に命中ッ!
粘液を散らし、ドプンと重い音を立てて、突き刺さるッ!
「あーれー……はいはい。命中命中ど真ん中。ダーツで言えば満点ね。でも残念。アタシは心臓まで水でできているの。矢でぶち抜かれたって、痛くも、痒くも――ごまッ」
ヌトラメロイの言葉を遮ったのは、彼女自身の奇声。
まぁ、奇声のひとつやふたつは漏れるだろう。
何せ、口の――喉の奥から、翡翠に透ける太枝が突き出して来たのだから!
「も、がは!? げ、も、おあおお!?」
困惑の極致と言う事だけはわかる、ヌトラメロイの奇声が連続する!
ヌトラメロイの水の体をそこかしこから突き破って、無数の枝はニョキニョキと伸び、急速に新緑の葉を付けていく!
「わ、わぶ!? え、ぇえ!? い、一体、何が……!?」
ジタバタともがくのに必死になったヌトラメロイの手から滑り落ちたルークは、訳もわからずに変わり果てていくヌトラメロイを眺めるしかなかった。
「ぶ、ぶうあ、あがあああああ……ぁあ……!?」
ヌトラメロイは何クソと体をやたらめったらに変形させて体内から異物を追い出そうと試みるが……異変に気付く。
――全身から力が抜けて、まともに動けないッ!
「これが……【宿輝着床】――アタシの芽能……!」
矢を突き立てた相手の体中を這い回り、あらゆるエネルギーを吸い尽くして成長する輝きの木ッ!
それが、リリンに授けられた芽能!
本来は相手の皮膚表面に着床して外側から縛り付けるように成長するのだが――ヌトラメロイは水の体が禍いし、種子が体内の奥深くまで打ち込まれてしまったため、体を突き破るように輝きの木が顕現している!
自身の体内深くから吹き出すものから逃れるには、流体であってもそれなりの労力、手間だ!
そしてヌトラメロイは今、急速に、その手間に割ける労力を輝きの木に奪われている……!
ヌトラメロイは抗いようも無く輝きの木の成長に完全に飲み込まれ、やがて気力も体力も吸い尽くされ、動けなくなったッ!
――特殊な形ではあるが、ノック・アウトッ!
リリンの一矢が悪辣な女改人を仕留め、毒牙にかかる寸前だったルークを救い、守ったのだッ!
「すっげぇな、おい……」
余りの事に、コウはぽかんと感嘆の言葉をもらすしかない。
ルークと言い、リリンのこれと言い、芽能と言う奴はまったく以て凄まじい。
「これ、リリンがやったの……!?」
「……え、ええ! そうよ! 見た!? アタシだって、その気になれば、こ、んにゃ、もんひょおあ?」
未熟な身で芽能を駆使した肉体的負担もあるだろうが、最も大きいのは緊張が解けた事による脱力だろう。
リリンは情けない声をあげながら、その場でぐしゃあと崩れてしまった。しかもコウを下敷きにして。
「ぅおおい!? ぴぎゅう!?」
「ちょっ、リリン!? コウ!?」
ルークの方も芽能の反動で大分体中にダメージが来ているが、たまらず飛び起きてリリンの元へ。
駆け寄って、コウの救出も兼ねてリリンを抱き起こしてみると――なんとも満足気な笑顔で気絶していた。
その口からは、上機嫌なうわごとが聞こえてくる。
「ルークは……泣き虫で弱いから……仕方無く、アタシが守ってあげるん……だからね……ぁ、タシ……は……お姉ちゃん、だから……これくらい……当然……」
きっと、夢の中でルークに手柄自慢をしているのだろう。本当に、ご満悦と言った具合の安らかな気絶顔だ。
少しおかしくなってしまって、ルークも笑ってしまう。
「……おいおい……オイラを潰してブッ倒れたくせに、随分幸せそうな面してんなこいつ……」
「ごめんね、コウ。でもリリンを許してあげて。悪気は無かったと思うんだ」
「まぁ、そりゃあそうだろうな。ああ、別に怒りゃあしねぇよ。親友を助けてもらった訳だしな」
「うん。リリンはやっぱり、すごいよ」
ルークはこみ上げた笑いを表情に残したまま、
「ありがとう。リリン。また僕を、守ってくれたね。本当に、ありがとう」
小さなお姉ちゃんに、御礼を言ったのだった。