08,ぬめり寄る改人
ユグドの国には、およそ幽閉施設と呼べるものが存在しない。
咎者は基本的にその場でボッコボコにされて、「もう二度とすんなよ」と教育される。
もし、何度も犯罪に手を染める者や、罪歴の有無に関わらず余りに非道過ぎる行いをした者の場合は――情け容赦など一切無くシビアに『処分』して、生涯に幕を下ろさせるのが通例。
あらゆる意味で寛容であり、あらゆる意味で粗野にして野蛮とも言える体制。
国としての体裁が完成してしばらくの年月が過ぎ、他国との交易による文明発展を経ても、根底にあり基本となるのはワイルドライフ王国的性質なのだ。
――しかし、何事にも例外と言うものはある。
例えば、他国でお尋ね者となっている咎者への対処。
交流の無い国であれば無遠慮にユグドの国の作法――即ち「ボコって許す」or「ボコって殺す」の対処で済ませられる。
だが、交流のある国で指名手配されている者の取り扱いに関しては、そうもいかない。
「もうかれこれ数日経つが……未だにつくづく思う……なんて、雑な扱いなんだ……」
「流石は獣野郎の国って所ッスねぇ……」
組織単位で国際的に指名手配されている改人結社アバドンゲート、その所属改人ともなれば、然るべき国に送還して然るべき裁きを受けさせなければならない。
と言う訳で、痩身の男・レッドパインとムキムキ男・メープルジャムは拘束され、簡易的な牢獄に拘留されていた。
……「簡易的な牢獄」とは良く言ったもので、普通に言えば「お粗末な即席籠」と言う表現がお似合いだ。
二人とも後ろ手をギッチギチに縛られて背を合わせ、尻は土と野草を踏み敷いている。
周囲には、地面に突き立てた竹を数本、上部で束ねた鳥籠風の檻。
ただそれだけ。
そう、手だけ縛られて野ざらしに座らされ、周囲に竹で檻を作られているだけ。
トイレの時は常に見張りについている看守役の獣に申告し、数枚の厚い葉っぱをもらって向こうの茂みに連れて行かれる。
マジワイルドスタイルのプリズンである。
「やれやれ……せめて、もう少し極悪囚人として気取れる風情が欲しいものだな……悪党には尊厳も何も無いと言う残念ながら当然の話なのだろうが」
「世知辛いッスねぇ……」
「あー、やだやだ。大の男が二人して、じめっぽいったらないわ。そう言うの嫌いなのよねー」
「……何?」
レッドパインとメープルジャムの泣き言めいた会話に突如割り込んできた、女性の小声。
「……その声は……ヌトラメロイか……?」
「ええ。そうよ」
女性の声は、なんと地中から染み出すように響いているッ! 不思議だ!
改人二人にだけ聞こえるようにボリュームが控えめ調整されているため、監視役の獣は気付かない。
「ヌトラの姐さん……!? 助けに来てくれたのかよ!? ありがてぇぜ!」
「こら、騒ぐんじゃあないの」
制するような小声に続き、地面からにゅるりと這い出してきたのは――手だ。
実に女性らしい、細く滑らかで白い手。地を穿つのではなく、ゴポゴポと沸き立つような音と共に生えた。
不可思議に飛び出した女性の腕は、大声を出したメープルジャムを嗜めるように、その腰を軽く小突く。
「あとね、別に私の意思じゃあないわ。ダークゾニスがね、あんたらみたいに組織のために動いてくれる奴らは貴重だからどうか助けてやってくれってさ」
「流石、我々の司令塔だな。有り難い采配だ」
基本的に、アバドンゲートの改人は、ならず者めいた利己主義者ばかりだ。
アバドンゲートに身を寄せる理由は「改人になって自衛手段を得るため」でしかなく、組織への忠誠や愛着など持たない者がほとんど。
首魁ナラク・シュラクは如何なる考えからか、その在り方を容認していた。
そんな中では異端と呼べるのが、レッドパイン達、通称「ダークゾニス派」の改人達。
アバドンゲートにおいてナラクの次に偉いとされる男・ダークゾニスを筆頭とし、アバドンゲートの組織的側面を重要視する派閥だ。
いくら改人になって強烈な力を得たとしても、個ではタカが知れている――それを賢く理解し、団結する者達。
レッドパインとメープルジャムが優秀な科学者を探していたのも、「アバドンゲートの改人の質を上げ、より磐石な組織戦力を得よう」と言うダークゾニスの画策に賛同しての事だった。
「しっかし……あれね。もっと気合の入った監禁をされているだろうからと予想して、わざわざ私がよこされたってのに……この有り様は……」
ザルにもほどがある収監体制に、ヌトラメロイは顔が見えずとも軽く引いている事がわかる声になる。
「逆に、あんたら何で自力で逃げない訳?」
「いや、何度か逃げようと試みたが……来る見張り番がことごとく霊獣でな。あそこに転がって金玉を掻いている虎だか猿だか狸だか蛇だかよくわからないゴチャ混ぜの獣兵もそうだ。万全の状態で挑んでも歯が立たない次元の相手、後ろ手を縛られた状態では逃げる事すらままならん……」
「霊獣パねぇって……先に言っといてくれよ……」
「なるほどね。所詮は獣畜生と侮れない訳だ」
アホみたいな収監設備でも成り立つのは、見張り番が規格外戦力だから。
霊格の存在が見張り番などと言う雑用にあたるなんて、世界中見渡しても、精霊との縁が濃いこのユグドの国くらいなものだろう。
「察するに、あんたらが捕まる羽目になったのも、霊獣と遭遇しちゃった系な訳ね」
「ああ、私は確かにそうなのだが……」
「だが?」
「うス。恥ずかしながら、俺っちは豆粒みてぇなガキに……」
「……怪力馬鹿のあんたが子供に負けたぁ……?」
「ただの子供ではない。ヴィジタロイドの少年だ。アレは仕方無い」
「……少年」
何故か、ヌトラメロイの声が「少年」と言うワードに過敏な反応を示す。
「ふぅん、少年、少年……ね。って事は、一般的に考えて男子よね? 『少年と言う言葉は年頃をさすものであって本来男女の区別はありません』とか言う時代に取り残された雑学みたいなオチはないわよね?」
「ああ、間違い無くオトコだぜ。ありゃあ」
ぶっちゃけ、男女の区別が付けられる容姿では無かったのだが……メープルジャムは「仮にチンコが生えてなかったとしても男前な気迫のガキだったぜ」と言うニュアンスでそう言った。
「よろしい。年頃は? 名前とか容姿は? わかる限り教えなさい」
「まぁ、人間で言やぁまだ年齢一桁台の中盤前後って感じで……見た目は草を集めたみてぇな色の頭で、面構えはガキ相応、名前は確か……」
「ルークくんだな」
「ふむふむ、ふむふむふむふむ……」
何かを吟味するようなヌトラメロイの声がしばらく連続する。
「決めた。あんたら、手縄は解いてあげるから、後は自力でなんとかしなさい」
「ぇ、あ、ああ。手縄さえ無ければ、どうにか逃げるだけならば可能だろうが……君は手伝ってくれないのか?」
「急用ができた」
「急用ぉ……? あッ」
メープルジャムは一瞬だけ訝しみ、そしてすぐに気付いた。
レッドパインも同様。
ヌトラメロイの悪い性癖だ。
これが出てしまうと、いかに組織行動重視派に分類されるヌトラメロイと言えども制御不能。
「怪力男をブッ飛ばすようなガッツのあるショタ……容姿の次第でもあるけれど……ヌチョンヌチョンにしない手は、無いわよねぇ……♪」
◆
ひとしきり走り終えて、緑髪の少女・リリンは小さな肩を大きく揺らしながら、手近な木に手を突いて休憩。
体を動かして汗を流し、多少は落ち着いた――
「嘘よ嘘よ嘘よ嘘ようそようそようそよウソヨウソヨウソヨウソヨ」
――訳でもない様子。
幼いながらに確立されていたアイデンティティが粉々にぶっ壊されたのだ。
そりゃあそう簡単には立ち直れないのも当然。しばらくは、受け容れ難い現実を否定する言葉をブツブツ呪詛のように羅列する作業に夢中になってしまうのも仕方無い。
だがしかし、育て主の教育が良かったのだろう。
リリンは精神崩壊の一歩手前めいた虚ろな目の色を残しつつも、冷静な思考能力を徐々に取り戻し始めた。
「……落ち着いて、落ち着くのよアタシ。万の言葉で否定しても、現実は一寸だって歪まないわ」
現実逃避の無意味さを自分に対して冷静に説く幼女、と言うのも実にアンバランスな風情である。
「ルークが芽能を使える、うん、わかったわ。オーケー。うん……うん……」
まず、現実を許容。次に考えるのは、その現実の何に対して自分の精神が崩壊しかけたか。
ルークが芽能を使える=ルークが自身より優れていると言う事実の受け入れ難さが、全ての原因。
そうだ、問題の本質は、芽能が使えるかどうかではない。
どんな要素であれ、「ルークが自分より優秀であると言う確実なものを手に入れた事」がショックだったのだ。
「――……アタシが守るって決めたのに……」
ルークが生まれた日。ようやく歩けるようになった程度のリリンは、育て親の精霊に連れられて、シエルフィオーレのお祝いに行った。
陽だまりの園に設置された揺り篭の中、そこでまどろむ小さな小さな――乳児と幼児の狭間に在ったルークを見て、リリンは生まれて初めての感情を抱く。
それは愛情と呼ばれるものであり、愛情の対象は大切にしなければならない。
育て親の精霊がリリンの頭を撫でながら、そう教えてくれた。
だから、リリンはあの日、ルークのぷにぷにの頬を突き回して泣かしながら、決めたのだ。
――この子は、大切だから、アタシが守るんだ。
リリンが生まれて初めて抱いた強い感情と、そこに起因する決意。
それは彼女の生において、決して他者には想像できない大きな意味を持っている。
だから、ルークが自分より強くなる事、自分の庇護が必要無くなる事が、精神崩壊レベルのショックなのだ。
して。
では、どうするべきか。
「……決まってる……アタシも、発芽すれば良いのよ……!」
ルークが自分よりも強くなってしまった事が問題であるならば、更に自分が強くなってしまえば良い。
実に単純明快な答えだった。
「やってやる、やってやるわ!」
自身を鼓舞する大声を張り上げ、リリンは両手を天に漲るやる気のガッツポーズ。
「アタシだって、あばどんげーととか言う奴らをぶっ飛ばせるくらいの芽能を手に入れてやるんだからァーッ!」
「あら、随分と威勢の良い子がいるじゃあないの」
――え?
聞き覚えの無い、女性の声。
リリンが疑問を口にする前に、地面からゴポゴポと沸き立って、その女は姿を現した。
喪服のようなデザインの黒服に身を包み、黒帽子を目元を隠すほどに深く被った妖艶な雰囲気の女性。見たところ、人間っぽい。装いが真っ黒なせいで、薄白い肌がより際立って見える。
目隠れ美人の奇妙な女はリリンの顔を覗き込んできた。リリンはびくっと反応し、後ずさったが――背が木にぶつかってしまう。
女は動揺の極致で声も出ないリリンに構わず、互いの息がかかりあうような顔面距離へ。
よく見ると、女の肌はぬらぬらと照っている。皮膚の表面に、粘液の膜が張っているようだ。
女は静かに鼻を鳴らし、
「すんすん……ふむ。顔は好みだけれど、この匂いはメスガキね。残念。……でも、薄らと――良ィィショタの残り香もするわねぇ……」
女の紫色のルージュで光る唇を、厚みのあるぬっとりとした舌が舐めずった。
「それにその見た目……ヴィジタロイド、よねぇ。もーしーかーしーてー……あなた、『ルークくん』って子ぉ、知らなぁい?」
「ッ……!?」
何で、こんな怪女がルークの名前を知っているのか。
得体が知れない不気味な女への恐怖に揺れる脳では、それがどう言う事なのか、推し量る事もできない。
「ぁ、あんた、一体……」
「ふふ、気になる? まぁ、そうねぇ……ただのメスガキなら、無視する所だけれど、どうにもあなたは私の獲物を知っている風だから、答えてアゲル」
女の指が、ゆっくりとリリンの顎に触れた。
見た目は美しい滑らかな女性のそれだが――感触は、気色の悪い、ぬっとりとした粘液にまみれた指だ。
リリンの白肌に粘液の軌跡を残しながら、女の指が頬を撫でる。
慈しむように……は決して見えない。その動きはただ、悪辣なニュアンスだけを感じさせる。まるで、性悪な猫が小物をいたぶって嗤うような、そんな所作。
「改人結社アバドンゲート所属。第一級改造人間、モデル【弾軟貝虫】。ヌトラメロイよ」
名乗りと同時、女――ヌトラメロイの五指が、歪んだ。指はぶよぶよとした質感で粘液を撒き散らしながら、関節の構造をまるで無視した挙動でリリンの顔を這い回り、耳や鼻や口、目、顔中の穴と言う穴へ、迫る。
「ひっ……!? き、気持ち悪……!?」
「失礼な。……ま、いいわ。それじゃあ、メスガキ。今度はこっちが質問する番。ルークくん、知っているんでしょう? 答えて、くれるわよねぇ?」
まるでびちょびちょに濡れた太いミミズのように、ヌトラメロイの指がリリンの顔の上でのたくり回る。
――もし答えなければ、この指がどこに入り込み、何を破壊するか。想像できないとは言わせないわよ。
ヌトラメロイが暗にそう言っているのを、リリンは理解した。
答えるべきだ。
リリンはまだ幼い。悪党に脅され、言いなりになったって、誰が責めるだろうか。
むしろ、ここは妙な意地を張らず、素直に言う事をきいて無事でいる事が、最も褒められる選択だろう。
だが、
「う、ぅう、ヤだ……教え、るもんか……!」
不快感・嫌悪感……そして恐怖。
それらに抗う苦痛に顔を歪ませながら、リリンは拒絶の言葉を選んだ。
改人結社アバドンゲート。ルークをいじめた奴ら。そして、ルークが芽能でぶっ飛ばした奴ら。
そいつらが、ルークを探している。きっと、ルークに仕返しをする気だ。
そんなの、ダメだ。
「ルークは……アタシが守る……!」
気持ち悪い、恐い、誰か助けて、でも、ルークは守らなきゃ。
ゴチャ混ぜの感情がますますリリンの表情を歪ませ、ポロポロと涙をこぼさせる。
でも、それでも、リリンが口にしたのは弱音など一切混ざっていない勇ましい決意だった。
「へぇ、あなた、ルークくんのガールフレンドか何か?」
にちゃあ……と音を立てて、ヌトラメロイの粘液に塗れた口角が裂け上がる。
悪辣な笑みだ。見ただけで悪寒が走る、外道の面。
「あなたを使えば……ルークくんにとてもとても良い趣向を用意できそうねぇ」




