07,小さなお姉ちゃん
ユグドの国。森だらけの大陸に、甲高い声が響き渡る。
朝だぞう、と主張する大雄鶏の方々のモーニングコール的コケコッコーだ。
少々不格好な仕上がりの手作り草帽子が特徴的な金毛倉鼠・コウはコケコッコーが止むのを待つ。
言いたい事があるのだが、コウは小さい。声量も相応。コケコッコーの中ではろくに聞き取ってもらえないので賢明な判断である。
して、待ちに待ったコケコッコーの切れ目に差し掛かり、
「よし。おはよう、ルーク。もう平気なのか?」
コウの問いかけに対して、向かい合って立つ丸い木盾を背負った緑髪の少年・ルークはにぱっと笑顔。
「うん! もう杖無しでも歩けるし、飛び跳ねてもどこも痛くないよ!」
その快活な笑顔を見れば、肯定の言葉を聞くまでもなく快調は明らか。
つまりその笑顔に肯定の言葉まで添えられた現状、これ以上は無い元気の証。
おうそうかい、とコウは満足気に頷き返す。
そしてちょろちょろと移動を開始。ルークの爪先から足・腰・腹・胸・肩・首をささっと経由し、いつものポジション――ルークの緑色の頭の上にてこんと座る。
「いやーしかし……この前のは本当にビビったよな。まさかあんなごっつい奴らが侵入してくるなんてよ」
「うん……すごく恐かったね……でも大丈夫だよ! 次が来てもまた僕が守るから!」
「あら。泣き虫が随分とご立派ね」
突然、ルークとコウのほのぼのとしたやり取りに割り込んできた声。
ルークと同じく幼い声だ。同年代なのだろう。その声の主たる緑髪の少女は、実に気の強そうなキツい仏頂面を浮かべていた。
「あ、リリンだ。おはよう!」
緑髪の少女・リリンの仏頂面とは対照的に、ルークは子供相応の無垢な笑顔を向ける。
嫌味をひとつ言われてんだから、少しくらいムッとするなり言い返せよ……とコウは思うのだが、ルークがこの調子なのは今に始まった事ではない。
それに……。
「ふ、ふん……まぁ、おはよう……くらいは、返してあげるわ。感謝しなさい」
「うん! ありがと!」
ルークの笑顔を直視できず、リリンは仏頂面を少し赤くしながらそっぽを向いた。
これも今に始まったリアクションでは無し。わっかりやすいよなー……とコウはいつもルークの頭の上で思う。
「と……ところで、泣き虫ルーク。あんた、すっごい怪我したって聞いたんだけれど?」
すごくお見舞いに行きたかったけれど、シエルフィオーレの大袈裟極まる対処によりルークは集中治療室に放り込まれていたため、叶わなかった。
なのでこの数日、リリンはずっとそわそわそわそわそれはもうそわそわするだけの日が続いていた……などとは、決して誰にも教えないが、とにかくもうリリンとしてはその辺がものすごく気になる。
余りにも気になり過ぎて「ルークはきっとたくさん泣いてるわ……だってあいつ、すっごく泣き虫なんだもの! だからお姉さんのアタシが傍にいないと……傍にいてあげないと……う、うぅルークが、泣いちゃ、ぅからぁ……!」と泣きじゃくって養育者の精霊を困らせたほどだ。
故に今の質問、リリンは極力素っ気無くみえるように努めて放ったが、そこに込められた念は深く重い。
念の圧は薄らと感じ取りつつも、それの本質はいまいちピンときていないルーク。とりあえず「リリンがすごく心配してくれている」と言う部分だけは理解できたので、
「心配させてごめんね……でも大丈夫! もうどこも痛くないよ!」
ルークは自らの発言が事実である証明として、両手を大に広げぴょんぴょんと何度かジャンプしてみせた。
「そう……良かったぁ……って、違、べ、別に心配なんてしてないわ。アタシはあんたよりちょっぴりだけ先輩、ほんの少しだけお姉さんだから、義務として気をかけてあげただけなのよ。わかる?」
「……ホント、わっかりやすいよなー……」
「……何か言った? そこのハムスター」
おっと、余りのわかりやすさについ口から出ちまってたか。
コウは失敬失敬とジェスチャーで示しながら、お口をチャックで閉めるような所作をみせておく。
「そうだ、リリン! せっかく会ったんだし、今日はリリンも一緒に遊ぼうよ!」
「はぁ? 遊ぶ? あんた何言ってんの? アタシ達はこれからレクレーションでしょ?」
「……れくれーしょん?」
ルークが小首を傾げ、緑頭と共に傾いたコウも同様に小首を傾げる。
「……精霊さんから何も聞いてないの?」
「うん。シエルはまだせーれーいんから帰ってきてないから」
シエルフィオーレとスケルッツォは仲良く精霊院の修復工事を命じられており、まだしばらく帰れそうにない。
現在、ルークはパティパンズの世話になっている。
「そう……じゃあ、アタシが教えてあげるわ!」
ふってわいたお姉さんぶれるチャンスに、リリンは仏頂面を破顔して小さな胸をぽんと叩いた。
ルークは「流石リリン!」とその様に憧憬混じりの視線を送る。それが更にリリンを調子付かせた。
……こいつら妙に相性良いよな、とコウは思う。
「ふふん。この前、あんたが無様に泣かされた事件があったでしょう? 今後、似たような事が起きて、芽能を使えない未熟なヴィジタロイドが巻き込まれた場合を想定して、訓練を兼ねたお遊戯会をするんですって。今日はその第一回」
「ほーん。なるほどな。遊びながら身の守り方を教えようって訳だ」
「それだけじゃあないわ」
コウの補足に更に付け足す形で、リリンはドヤ笑顔のまま続ける。
「なんと、身を守るためのかっこいい装備もくれるらしいわ!」
実際の所、配布されるのは必要最低限の控えめな装備なのだが……リリンが想像しているのは精霊騎士団に所属する成体の先輩ヴィジタロイド達が所持しているような立派な代物。
当然、ルークだって大興奮するはず。さぁこのハイテンションをシェアしましょう……と言う勢いで言ったのだが……。
「僕、もう持ってるよ?」
くるりと身を翻し、ルークは紐を通して背負っていた木盾をリリンに見せた。
「……え……」
「それに、おめー、もう芽能とか言うのも使えるようになったんじゃあなかったっけか?」
「うん」
「……えぇッ……!?」
コウの発言と、それを肯定するルークに、リリンは愕然。
「る、ルーク? え? 芽能……つ、つか、使えるの……?」
「うん。体に負担がかかるから、あんまり使っちゃダメだって言われてるけど……すごいの使えるよ! あばどんげーと? とか言う悪い奴らもぶっ飛ばせるくらいの!」
ルークだって子供。自分の優れている部分の自慢はしたい。褒められたい。
特にシエルフィオーレやリリンのような、尊敬する相手からの賛辞は何にも代え難いご褒美。
なので、ルークは屈託ない満面の笑みで、その事実をリリンに告げた。
対するリリンは顔色が悪い。
何故か。
――リリンは、お姉さんだ。いやまぁ世間一般のくくりで判別すればガッツリ幼女なのだが、リリン的には「ルークより自分は先輩でお姉さんだ」と言う強い自負がある。
その意識から派生し、「ルークに何かあったらお姉さんであるアタシが守ってあげるのも当然よね! やれやれだわ!(まんざらでもない表情)」と言う感じだった訳だが……。
芽能が使えるルークと、使えない自分。
成熟した方々と同等のステージに立ったルークと、まだまだ未熟な自分。
庇護すべき対象だと思っていた弟分の方が、自分より強くなった。
姉より優れた弟の顕現……!
今、リリンの中では起こってはいけないパワーバランスの革命が発生してしまっているのだ!
「……そよ……」
「? リリン?」
きっと「あら、泣き虫のくせにやるじゃあないの」くらいの褒め言葉はもらえるだろうとワクワクしていたルーク。
しかし、アイデンティティが半壊したリリンに他者を褒める精神的余裕などあるはずもなく。
「そんなの嘘よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおッ!」
「ぇ、ちょ、リリン!?」
涙を散らしながら、リリンはすごい勢いで森の奥へと消えてしまった。
「……あー……もしかして、触れちゃいけないやつだったか?」
リリンの反応と直前のやり取りを整理し、コウは彼女の心境を大体察する。
一方ルークはリリンの挙動に伴う感情変化が欠片も理解できずにおろおろしていたが、やがて結論を出した。
「ょ、よくわかんないけど……泣かせちゃった!? あ、謝らなきゃ! 追いかけよう!」
「逆効果じゃあねぇかなぁ……? いやまぁ、放置するのもアレだろうけどさ……」
複雑なリリンの心境に対処する最善の術が思いつかず、コウにはルークの提案を却下する材料が無い。
と言う訳で、ルークとコウはリリンを追いかける事になった。