マールエルの魔法
ヒューティリアはセレストから魔法紙の作り方を教わりながら、復習を兼ねて魔法薬を作る毎日を送っていた。
とは言っても無闇に魔法薬を量産するわけにもいかない。材料は有限な上、取り扱いに関する決まり事が厳しいのだから。
となると、必然的に作る魔法薬の大半は常に需要がある傷薬になる。出来上がったものは王都に出た際に売り捌くため、箱に詰めた。
その合間に、他の魔法薬も練習する。こちらは薬として使えるか否かを妖精たちに判断してもらい、どのような結果が出ても処分する……といったことを繰り返していた。
その傍らで。
(ああ……あたしってこんなに優柔不断だったっけ?)
ヒューティリアはぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。
逃げていても仕方がないと決意したはずなのに、机の引き出しを開ける勇気が出ないまま、すでにひと月が経過していた。
(見るだけ。せめて今日は引き出しを開けるだけでも……!)
意図せず震え始めた手を引き出しに伸ばす。
亀の歩みよりも遅い速度で引き出しに近付いていった指先が、ようやく取っ手に触れた──その瞬間。
コンコン、と扉がノックされた。
驚きのあまり飛び上がると、もう一度扉がノックされる。
『ヒューティリアー、ちょっと出ておいでよ』
『セレストが面白いことしてるよ!』
『弟子に内緒で面白いことするなんて、酷い師匠だよね〜』
バクバクと脈打つ心臓を胸の上から押さえつつ、ヒューティリアは扉の向こうから呼びかけてくる精霊や妖精たちに応じようとした。
しかし。
『ちょっとぉ〜!』
『ヒューティリアが勇気を出してたところだったのに邪魔しないでよ!』
室内にいた精霊や妖精たちが扉の向こうに向かって抗議の声を上げる。
しかしよく見れば、ヒューティリアの目に映る精霊たちは何やらそわそわしていた。
『ねーねー。面白いことってなぁに?』
そわそわしていた精霊の中から、我慢出来ずに幼い精霊が問いかける。
なるほど、それが気になっていたのかとヒューティリアは納得し、自室の扉を開けた。
「あたしも気になるなぁ。面白いことってなに?」
『あっ、ヒューティリア!』
『邪魔してごめんね! でも本当、今すぐ行った方がいいよ〜』
『あれは言葉で説明するより見た方が早いから、急いで急いで』
『セレストってば、あれは教えないつもりなのかしら』
ねー? と、精霊や妖精たちが声を揃えながら、ヒューティリアを急かす。
急かされるまま、ヒューティリアは庭に出た。途端に刺すような寒さに包まれて、上着を着てこなかったことを思い出す。
急ぎ魔法で自分の周囲の温度を調整し、庭を見回すと、泉の畔に佇むセレストを発見した。
『そっと近付いてね』
『そっと、そ〜っと』
室内の慌ただしさから一転、今度は静かに近付けと言われ、ヒューティリアは何が何だかわからないまま抜き足差し足でセレストに近付いた。
近付くに連れ、泉の様子がいつもと違うことに気付く。薄っすらと、淡い虹色の光が泉の表面を漂っている。
「?」
ヒューティリアはその光の正体を確認すべく、首を伸ばして覗き込もうとし──足下に転がっていた石を踏んでしまった。
「わっ」
バランスを崩して声を上げれば、当然のようにセレストに気付かれる。
振り返ったセレストが駆け寄ろうとしたが間に合うはずもなく、ヒューティリアは地面に倒れ込んだ。もし音で表現するならば、ぱたり、という程度の勢いで。
(は、恥ずかしい……!)
一気に顔が熱を持つ。
擦り傷を作るような転び方ではなかったが、不格好に転んだことが恥ずかしく、ヒューティリアはしばらく地面に突っ伏したまま微動だにしなかった。
「大丈夫か?」
上から降ってきた声に、ヒューティリアはようやく顔を上げる。
見上げた先にはセレストがいて、ヒューティリアに手を差し伸べてくれていた。
「大丈夫……」
何とか返事をしたものの、何気なく見遣った泉にはもう、先ほどまで見えていた淡い虹色の光はなかった。
せっかく精霊や妖精たちが呼びにきてくれたのに、何を見せようとしてくれたのかわからなかった。そのことが残念で、ため息が漏れる。
しかしヒューティリアの視線の先を追ったセレストが、そのため息の理由を察して「ああ」と呟いた。
「何をしているのか気になったのか」
「うん。精霊や妖精たちが、セレストが面白いことしてるって教えてくれたから見に来たの」
尚も地面に伏したままのヒューティリアの目の前に、改めて手が差し出された。
ヒューティリアは意識の外に消えかけていた自分の状態を思い出して、その手を借りて立ち上がる。服に付いた土を払い、もう一度泉を見遣った。
「何をしていたの?」
「……師匠が考え出した魔法のことを思い出して、久しぶりに使ってみただけなんだが」
答えつつ、セレストは泉の方へと戻っていく。ヒューティリアもその後に続いた。
「師匠はかつて、自書を転写……複製するための魔法道具を開発した。これはその過程で思いついた魔法だそうだ」
説明するなりセレストは精霊に呼びかけ、魔法を行使する。次の瞬間には、再び現れた淡い虹色の光が泉を覆うように広がっていく。
「これは師匠向きの魔法で、俺にはあまり向いていないんだが……」
ぽつりと零しながらも「よく見ていろ」と視線で促す。
セレストを見上げていたヒューティリアは促されるまま、泉に目を向けた。
すると、泉の水面を覆う虹色の光が動き出す。
最初に現れたのは、見たことのある絵。
肩まである鮮やかな赤い髪。深い青の瞳を細めて幸せそうに微笑んでいる、妖精の姿。
「『森の中のヒュー』の表紙……」
ヒューティリアが呟くと絵がぼやけるようにして消え、再び淡い虹色の光に戻る。続いて現れたのは、絵本『森の中のヒュー』の一頁目。
「これは幻を見せる魔法だ。俺が子供の頃、師匠はよくこの魔法で絵本を再現して見せていた。魔法が使えるようになるとこんなこともできるんだと言って、魔法を学んでみる気はないかと何度も聞かれた記憶がある」
話している間にも、泉に映し出されている絵は変わっていく。
それを眺めながら、セレストは淡々と語り続けた。
「最初は興味が湧かなかったんだが、どうやってこの幻を見せているのか仕組みが気にならないかと師匠が聞いてきた。少し興味が湧いて話を聞いて……気付いたら、すっかり魔法を学ぶ気になっていたな」
ふとその口許が緩み、懐かしそうに目を細める。目の前で展開されている幻の絵本の先に、遠い記憶が蘇っているようだ。
「マールエルさんは、セレストの性格がよくわかってたんだね」
ヒューティリアが微笑みながらそう切り出せば、セレストは虚をつかれたような表情を浮かべ、ヒューティリアを振り返った。
一瞬、泉に映し出されている幻が揺らぐ。
「……そうか。確かに、そうだったのかもしれない」
セレストの顔に、寂しげな笑みが浮かんだ。それを見た瞬間、ヒューティリアの心臓がぎゅっと掴まれたように痛む。
「そう言えば師匠には、言葉にしなくても言いたいことは全て読まれていたな。それを不思議に思うこともなかったんだが……」
セレストは再び視線を水面に落とした。その先では、妖精のヒューティリアが魔法使いに手を差し伸べている絵が映し出されている。その絵もまたぼやけて消え、続いて現れたのは暖かな光を放つ妖精のヒューティリアを手の上に乗せた魔法使いの絵。
ただその絵を眺め、黙り込んでしまったセレストをヒューティリアは再度見上げた。
いつもは感情の読めないその瞳に、明らかな愁いが浮かんでいる。
「……セレストは、マールエルさんのこと──」
常とは違うセレストの様子に、ヒューティリアは無意識に口を開いていた。しかし言葉は続かず、声が途切れる。
それが気になったのか、セレストがヒューティリアを見下ろした。怪訝そうに、ただヒューティリアをその瞳に映している。
「あー、えーと……何でもない。いい師匠だったんだね、マールエルさん」
自分でも何を言おうとしていたのかわからず誤摩化すと、セレストは何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
思わぬ反応に「あれ? 違うの?」と問うと、セレストの眉間に皺が寄った。
「違……わない。と、思う。多分」
「何その曖昧な返事! セレストのお師匠様でしょ? ていうか、育ての親でもあるんじゃないの?」
何故かショックを受けて、ヒューティリアが畳み掛ける。
しかしセレストは口許に手を当てて考え込んでしまった。
「確かに師匠には感謝しているし、尊敬していなくもないが、日頃の行いがな……」
『わっかるぅー!』
『マールエルはずぼらだったもんねぇ』
『いやいや、あれはセレストのためにそういう風に装ってただけで』
『いやいや、あれこそが真のマールエルの姿だったんだよ』
『いやいやいや』
『いやいやいやいや』
にわかに騒がしくなり、あっという間に周囲に精霊や妖精たちが溢れ、マールエルの真の性格談義へと発展していく。
そんな彼らの話を聞きながら、セレストは頷いたり、首を横に振ったりしていた。
一方、マールエルの人と形を手記で知っているヒューティリアは複雑な気持ちで精霊や妖精たちの話を聞き、セレストの反応を見ていたのだが──
不意に、みんながマールエルについて、楽しげに話していることに気が付いた。
セレストも時折笑みを浮かべ、時には呆れ、普段と比べてかなり喜怒哀楽がはっきりしている。
(マールエルさんは、みんなから好かれてたんだ)
それは、セレストも含めて。
そう思ったら何だか嬉しくなって、ヒューティリアはマールエルに伝えたくなってしまった。
(マールエルさん。こんなにもたくさんの精霊や妖精たちが……あなたが大好きだった弟子が、楽しそうにあなたの話をしてるよ)
よかったね。
そう伝えたいと思った自分が、誰よりも温かい気持ちを味わっている。
ヒューティリアは言葉にできない喜びで胸がつまり、こみ上げそうになる涙を必死に押さえ込んだ。




