幕間 マールエルと絵本
「我ながら、絵がうまいと思う……!」
全力の自画自賛。
マールエルはようやく描き上げた最初のページを眺め、うんうんと満足げに頷いた。
そこに、別室から出てきた女性が近寄ってくる。
「マールエルさん、セレストくん寝たわよ」
囁くような声で話しかけてきたのは、クルーエ村のサナ。マールエルよりも十歳ほど年下の女性だ。
庭にももうひとりいて、そちらで家の補修をしてくれているのはサナの旦那のレグ。こちらもマールエルより若く、ふたりは最近家庭を持ったばかりだった。
「ごめんね。新婚さんなのに手伝って貰っちゃって」
マールエルが揶揄うような言い回しで振り返れば、サナは穏やかな笑顔で「いいの」と返す。マールエルの揶揄など何処吹く風だ。
それどころか、「マールエルさんならうちの人を使わなくても家の補修くらいできるんじゃないかしら?」と言ってくる始末。
マールエルは苦笑った。
「ご祝儀だから」
「ふふ。ただじゃ受け取らないだろうから、わざわざ仕事を依頼してきたのね」
「バレてるだろうけどね」
「そうね。ふふふ」
サナの口振りから察するに、レグにもマールエルの企みはバレているらしい。
残念、と言わんばかりに肩を竦めてため息を吐き、改めて先ほど描き上げた絵を眺める。
「あら、素敵」
「ありがとう」
マールエルにつられて絵を見たサナが笑顔で誉めた。マールエルも嬉しそうに微笑む。
「それはセレストくんに見せるの?」
「うん。一応、これも魔法使いになるための勉強になるから」
マールエルは、この絵本を読むことで妖精や精霊といった存在について基礎知識がつけられることをサナに説明した。
「あらぁ……それって、量産できないかしら」
「ん?」
言われた言葉に首を傾げつつ、マールエルはサナを見遣った。
視線の先にいたサナは、真剣な眼差しで作りかけの絵本を見つめている。
「きっと需要があると思うの。この国って魔法に対する意識が低いっていうか、無知なところがあるじゃない? それこそ、ソルシスさんがこの国に来るまで魔法は庶民にとって縁遠いものだったし、正しい知識を持たない人がほとんどだったもの。だから子供のうちから魔法に関する正しい知識を教えられるのって、凄く大事なことだと思うの」
絵本からマールエルに視線を移したサナは、更に捲し立てる。
「この国はこれからどんどん魔法に関わる人が増えていくわ。何故なら、ソルシスさんが現れてからの数十年で魔法学園が設立されて、魔法使いを志す人が増えているんだもの。これからもっと増えてもおかしくないわ」
熱の籠った訴えとともに、ずいっとサナがマールエルに迫る。思わずマールエルが身を引いたのにも構わず、サナは熱弁し続けた。
「でも、みんな魔法の知識なんてほとんど持っていないところからスタートするのよ。それはそれで何とかなるのかも知れないけれど、もっと早く……それこそ子供の頃から魔法を身近に感じていた方が理解も深くなるんじゃない? 例えそれが魔法使いを志さない人であっても、正しい知識があるって、凄く大切なことじゃないかしら」
ずいずいと迫ってくるサナに気圧されるように仰け反ったマールエルは、辛うじて「そうだね」と頷く。
するとサナの表情がぱっと華やいだ。
「でしょう? だから、この絵本を量産して広めたらどうかしらと思ったの。何かないかしら、文字を転写する魔法道具があるじゃない? あれみたいに、絵も転写できるような魔法」
「…………サナ」
まるで子供のように目を輝かせているサナに、マールエルが呼びかける。
するとサナは我に返り、しゅんと眉尻を下げた。
「無茶言ってごめんなさい……」
「あっ、ちがうちがう。むしろサナ凄い。天才!」
と、大きめの声を上げたマールエルの口を、咄嗟にサナが手で塞いだ。マールエルも慌てて口を閉じ両手を合わせてサナに謝る。
サナが手を離すと、マールエルは声を抑えて続けた。
「面白い案だよ。そんな魔法はまだ存在しないけれど、すでに似た魔法道具が存在するんだし、作れるんじゃないかな」
「なら……!」
「でも今はまだない。これから作らなきゃだから、できるまで待って貰える?」
「もちろん。ありがとう、マールエルさん」
微笑むサナに、マールエルも目を細める。
「サナとレグの子供が生まれるまでには何とかしないとね」
「うふふ。お願いします」
まだその兆候は見られないが、いずれやってくるであろうその日を思っているのか、サナの表情が更に緩んだ。
その後、魔法が完成したあとはどれくらいの冊数を用意したらいいのか、どうやって広めていくのかなど、あれこれ相談していると、レグが仕事を終えて室内に入ってきた。
「補修終わったぞ〜。あと、ついでに農具入れの小屋も作ってきた」
「えっ」
やけに壁の補修に時間がかかっているなと思ったら、どうやら頼んだこと以上の仕事をしてくれていたらしい。外を見遣ればすっかり日が落ちていた。
「うわぁ、有り難い。ずっと必要だとは思ってたんだけど、何となくそのままにしてて」
「俺もサナもずっと雨ざらしの農具が気になってたんだ。だめになる前に妖精たちに修復して貰ってたんだろうけど、やっぱり道具は日頃から大事にしないとな」
「マールエルさんを驚かせるために小屋の材料の加工は村で済ませてきて、こっちに運んだらすぐ組み立てられるようにしておいたの」
レグとサナの言葉から事前に準備して来てくれたことを知り、マールエルは苦笑する。たっぷりご祝儀を渡して驚かせるつもりが、どうやら逆に驚かされる側に立たされていたらしい。
マールエルは急ぎ自室に引っ込み、用意していた祝儀入りの袋を持ってふたりの許に戻る。
「これじゃ驚かせるつもりが逆になっちゃったけど……」
「そんなことだろうと思ったから、こっちも内緒で用意してたんだよ」
悪戯が成功した子供のように笑うレグとサナに、マールエルは手に持った袋を差し出した。
「では、改めて。ご結婚おめでとう、レグ。サナ」
「ありがとう、マールエルさん」
「これからもよろしくな」
そう言って差し出された袋を受け取ったレグだったが、ずしりとした重みに慌てだす。
しかしマールエルが「セレストが寝てるから」と静かにするよう促すと、喉まで出かけていたであろう言葉を飲み込んで、大人しく祝儀を受け取った。
すっかり暗くなってしまった森の中、村に戻るふたりをマールエルは見送った。
こっそり精霊や妖精たちにふたりが村に着くまで見守るようお願いし、家に戻るなり再び絵本作りに没頭する。
(この絵本が担う役割は、私が意図しているよりずっと大きいのかも知れない)
当初この絵本は、セレストに妖精や精霊について教えるための教材のつもりで作り始めたものだ。同時に、かつて自らの師が語った実話を、セレストに伝えるための材料として。
それが事実だなんてわからなくていい。本来自分が持っていた記憶だなんて知らなくても問題ない。
ただ、消えてしまった師の記憶は断片的ながらも自分の中に残っていると、証明したかった。
(とんだ自己満足だけど)
自嘲の笑みを浮かべながら次の絵にとりかかろうとして、セレストが起きてくる気配がないことにふと気付く。
(あれ? いつ頃から寝てるんだっけ?)
首を捻り、真っ暗な外を見遣り──
村の子持ちの女性たちから聞いた話が脳裏を過る。確か、「あまり昼寝させすぎると、夜眠れなくなっちゃうのよ」と、言われた気がする。
(記憶が確かなら、サナと絵本を量産する話をするより前、昼を少し過ぎた頃から寝てるはず。っていうか、夕飯のことすっかり忘れてた!)
ガタンと音を立ててマールエルは椅子から立ち上がった。
そのまま慌ただしく別室で眠るセレストの許へ急ぐ。
「セレスト〜! 起きて! 起きてー!」
大慌てでセレストの部屋に駆け込んだマールエルの心配に反し、セレストはすでに起きていた。まだ小さな背中をこちらに向けて一心に窓外を見つめている。
その姿を確認するなり、安堵したやら自分の親代わりとしての不甲斐なさに打ちのめされるやらで、マールエルは脱力して床に座り込んだ。




