ふたつめの真実・2 〜フォレノの森の小さな妖精〜
故郷を失い、彷徨い続けたソルシスがようやく見つけた新たな居場所。それがこのフォレノの森だった。
クロベルの言葉を、セレストもヒューティリアも静かに聞いていた。
ソルシスがこの森に家を構えていた時点で予測できることではあったが、何故ソルシスがこの地を選んだのかはわからない。故に、続く言葉を待った。
『この森に辿り着いたとき、ソルシスは大雨に降られてびしょ濡れだったそうだ。防ごうと思えば防げたのに、ソルシスにはすでにそのような気力などなく、ただ雨に降られていた。しかし雨が上がった途端に寒さを感じたのだろう。急に火が恋しくなったのだとか』
くすりとクロベルが笑う。
なにが可笑しいのかとセレストもヒューティリアも首を傾げた。
『疲労のあまり思考力が落ちていたのだろうな。森の中だというのに、ソルシスは精霊たちに火をおこして欲しいと呼びかけたのだそうだ。しかし森の精霊や妖精たちにとって火は最も扱いを警戒するもの。それを求めるよそ者の魔法使いに力を貸す精霊は、この森にはいなかった』
ヒューティリアはふと、どこかで聞いた話だなと思った。
思わずセレストを見遣ればセレストも目を細め、何やら思案している様子だった。
『しかし、手を差し伸べる者は存在した。それが、小さな小さな妖精。後にソルシスが恩人と言って憚らなかった存在だ』
ちらりと、再々度クロベルがヒューティリアに視線を向けた。しかし先ほどまでとは違い、その口許には笑みが浮かんでいる。
その含みのある表情のまま、今度はセレストにも視線を向けた。クロベルと目が合ったセレストは、クロベルの意図がわからずただ静かに見返す。
『精霊も妖精もその存在を人の目に見えるよう示すときに体を光らせるが、あの光がその精霊や妖精の髪色と同じ色であることは知っているか?』
ヒューティリアは頷いた。
知っている。
それは、あの本にも書かれていたこと──
『その妖精は深い青色の瞳とは対照的な、目が覚めるような鮮やかな赤い髪を持っていた。故に、火を灯すことは出来ずとも炎のような色の光を見せることができた。その妖精は寒さに震えるソルシスの心を温めようと、周囲の精霊や妖精が止めるのも聞かずに単身でソルシスに近付き、暖かな赤い光を灯したそうだ』
いよいよ確信を得て、ヒューティリアはクロベルに問いかけようとした。
しかし機先を制するように、クロベルが自らの口許に人差し指を当てる。反射的に口を噤むと、クロベルは話を進めた。
『その小さな妖精の勇気ある行動で森の精霊から力を借りることが出来たソルシスは、穏やかなこの地を終の居場所と定めた。それからはこの森にくるまで絶望していたことが嘘のように、この森の守護者となるべく奔走し始めた。あとのことは、わかるだろう?』
「……ソルシスを救った妖精の名前が、ヒューティリアなのか」
クロベルの問いに応じたのはセレストだった。
ヒューティリアは自分と同じ結論に辿り着いたセレストを見上げ、改めてクロベルを振り返る。
視線の先にいる原初の精霊は、穏やかな笑みを浮かべながらゆっくりと頷いた。
『まぁ、その名前はソルシスが付けたものなんだが。精霊も妖精も、通常は個体名を持たないからな』
そう補足して、クロベルは続ける。
『あの絵本は、ソルシスから過去の話を聞いていたマールエルが、セレストのために作ったものだ。マールエルはなにをやらせても器用だったからな』
クロベルの言葉に、セレストは小さく唸った。
なにかとずぼらな印象が強い師ではあるが、セレストが家事を含め色々とこなせるようになったのは、偏にマールエルの教えの賜物だ。
人に教えられるということはつまり、マールエルにもできるということ。
セレストの印象としても、マールエルはやろうと思えば何でもできる人物だった。
マールエルが絵本を作ったと言われても、師匠なら作れるだろうと妙に納得できてしまう。
「しかし何故、敢えてソルシスの昔話を絵本にしたんだ?」
疑問があるとするならば、ここに尽きる。
しかしクロベルは意味深な笑みを浮かべたまま答えず。ここでもちらりとヒューティリアに視線を投げ掛けた。
一方ヒューティリアはその視線の意図に気付き、セレストとは別の意味で唸る。
(マールエルさんは、セレストにソルシスの過去を知らせたかった……ってこと?)
クロベルに問いたくてもここで問いかけるわけにもいかず、またひとつ謎が増えたことに頭を抱えたくなる。
しかしそれとは別に、素朴な疑問が浮かび上がった。
「でも、『森の中のヒュー』がソルシスさんの過去にあった出来事を絵本にしたものだとしたら、絵本の中の“魔法使い”さんに精霊や妖精の姿が視えていないのはどうして? ソルシスさんは祝福持ちだったんでしょう?」
ヒューティリアの問いに、クロベルはもっともだと言わんばかりに頷いた。
『絵本に登場する“魔法使い”に精霊や妖精の姿が視えていないのは、精霊や妖精の祝福についての情報を漏らすのは得策ではないとマールエルが考えたからだろう。もし祝福持ちの情報が大々的に知られた場合、何が起こるか予測出来ないからな』
隠すということは、よくないことが起こる可能性に思い至ったということだろう。
実際ヒューティリアも想像してみたが、良からぬ事ばかりが次々と浮かんできてぶるりと震えた。
(精霊狩りや妖精狩りをするような人たちにとって祝福持ちの力は便利だもんね。祝福を持っている人が意識しなくても、周りには自然と精霊や妖精たちが集まってきちゃうんだから。精霊や妖精を集める餌にされかねない)
想像して改めて身を震わせたヒューティリアの正面では、セレストがいつにも増して眉間に深い皺を刻んでいた。
やはり精霊狩りや妖精狩りのことを考えていたのだろう。この点に関しては、セレストの表情は非常にわかりやすい。
『まぁ、そういう流れでソルシスはこの森に住み着き、守護者となった。が、平穏な毎日はいつまでも続かなかった』
セレストやヒューティリアの反応を見ながら、クロベルは話を続けた。その表情が暗く沈む。
『幻獣という存在は知っているか?』
この問いに、ヒューティリアは首を傾げた。初めて聞く言葉だ。
しかしセレストには通じたらしい。
「基本的に現世に干渉してくることはないが極稀に顕現し、町や村をひとつふたつ破壊して消える幻の獣。本来は神の獣とされているが、厄をもたらす個体は厄災とも呼ばれて……」
答えるうちに、何かに思い当たったのだろう。「まさか」と声を上げて目を見開くセレストに、クロベルは頷いた。
『そう、この森の近くにその幻獣──厄災が現れた。厄災と化した幻獣は物質を破壊し、命を刈り取るだけでなく、精霊や妖精の核をも喰らう。現世生物にとっての天敵だ。わたしも幻獣の気配に気付いて急ぎ駆けつけた……が、その時にはすでに幻獣は去り、残っていたのは半分近くを破壊されたこの森と、核を喰われた多くの精霊や妖精の亡骸。そして──妖精ヒューティリアの核を握り締めうずくまる、ソルシスの姿だった』
クロベルの言葉から想像するだけで、当時の惨状が目に浮かぶようだった。
ヒューティリアは幻獣の存在を知らなかったが、それがどれほど恐ろしい存在なのかを否応なしに突きつけられる。
『森を守るため、そしてその先にある村を守るためにソルシスと森の精霊や妖精たちは厄災を追い払おうとしたそうだ。その結果、当時の森の長たちを含む多くの精霊や妖精たちが命を落とし、ソルシスも命の危機にあったらしい。しかし妖精のヒューティリアがソルシスを庇い、厄災に喰われた。ソルシスは激昂し、精霊たちに呼びかけ、厄災に一矢報いたそうだ。痛手を負った厄災は去り、その直後、わたしが森に到着した』
悔しげに語るクロベルの声が微かに震えた。
しかし気持ちを落ち着けるように僅かな間を挟み、再び語りだす。
『再び絶望の底に落とされたソルシスは、それでも森の守護者として生きる道を選んだ。一方で、唯一取り戻せた妖精ヒューティリアの核を大切に保管し、その命を取り戻すべく新しい魔法を模索し始めた。そうしてソルシスが見出したのが、時繰り魔法だ』
淡々と語るクロベルの声が途切れる。
しかしセレストもヒューティリアも、落とされた沈黙を破ることはなかった。
話はこれで終わりであるとわかっていても、あまりにも語られた内容が濃く、重く、それぞれ消化するのに時間がかかっているのだ。
ずしりと、空気の重量が増した気がした。
しかしその空気を吹き飛ばすように、クロベルが笑みを浮かべる。
『まぁ今話した出来事の大半は、マールエルや他の精霊たちから聞いた話なんだが。わたしはベルヴェルが消滅した日からこの森に幻獣が現れるまでの間、ソルシスの身に起きた出来事を直接この目で見たわけではない。ただ』
クロベルの装ったような笑みが、自嘲の色を持つ。
『わたしにとってソルシスはベルヴェル国唯一の生き残りであり、同じように大切なものを失い、居場所をも失った同士だった。だから愛着がわいてしまったのだろう。ソルシスがいなくなってもなお、この地から離れられないでいる──』
その言葉尻を拾ってセレストが顔を上げる。しかし何かを問うより先に、クロベルは姿を消してしまった。気配すら綺麗さっぱり消え失せている。
「……また逃げられたか」
視線を左右に走らせ、舌打ちでもしそうな様子でセレストがぼやく。
「また?」
「……あいつはいつも肝心なことを言わずに逃げる。何かあると匂わせておいて、言い逃げするのはどうなんだと常々思っていた」
ヒューティリアの問いに答えながら、セレストは腕を組んでソファーの背もたれに寄り掛かった。
少し年季が入っているソファーがぎしりと悲鳴を上げる。
セレストの言うことはヒューティリアもわかる気がした。
クロベルは突然現れ、一方的に語り、話し終えると消えてしまう。先日も、自分で言いかけておきながら全てを語ることなく姿を消している。
そして今回も、意味深な言葉を残して消えてしまった。
「セレストは、なにを聞こうとしてたの?」
ふと、そのことが気になった。
素直に疑問を口にすると、セレストはちらりと廊下の方を見遣る。
「クロベルは、ソルシスに愛着があるからいまだにこの地から離れられないでいる、と言っていた。あの言い回しでは、姿を見せなかっただけでずっとこの近辺にいたとも取れる。その確認がしたかったのと、ソルシスが亡くなって相当な年数が経過しているだろう。同郷のよしみとは言え、それでも薄れない愛着とやらが気になった。まぁ、これについては聞くつもりはなかったが」
セレストの視線の先を追うように、ヒューティリアも廊下の方を振り返った。
途端にマールエルの部屋の扉が目に入り、ギクリと体を強張らせる。
セレストがマールエルの部屋のことを……手記に記されていた真実を、知るはずがない。
そう思うのに、急激に上がっていく心拍数を抑えることができない。
目眩を覚えたヒューティリアの頭が、ふらりと揺れた。それを目敏く見咎めたセレストが、「大丈夫か?」と声をかける。
びくりと肩を跳ね上げ、ヒューティリアは恐る恐るといった様子でセレストを振り返った。
「え? なにが?」
「ふらふらしている」
指摘され、ヒューティリアは必死に言い訳を考えた。完全に目が泳いでいるが、本人が気付く様子は全くなく。
「ち、ちょっとクロベルの話で頭が一杯で」
「……そうか」
何とか捻り出した言い訳に、セレストは平坦な声で応じた。
その目はしっかりとヒューティリアの目が泳いでいるのを捉えており、しばし思案に沈む。それから視線を窓外へと向け、空が茜色に染まり始めていることを確認するとソファーから立ち上がった。
「少し早いが夕食の支度を始めよう」
そう告げてセレストが食料庫へと歩き出すと、ヒューティリアも慌てて後に続いた。




