ひとつめの真実 〜臙脂の手記 序文〜
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私は大変なことをしてしまった。師匠に、師匠が大切にしていたものを失わせてしまった。
師匠は親に捨てられた私を拾い、育ててくれたのに。成人した後も魔法使いとして生きていけるようにしてくれたのに。私はなんて酷い弟子なのだろう。
師匠は気にするなと言うけれど。これでようやく諦めがついたと言うけれど、私はその師匠の優しささえ受け入れられなかった。
だから、師匠に失わせてしまったものを取り戻すために、時を戻そうと思った。
本当に私は馬鹿だ。失敗に失敗を重ねにいってしまったのだから。
そう、私はまた失敗したのだ。
代償として鮮やかな髪色や目の色を持っていかれようと、そんなものはどうでもよかった。
今度は、師匠を犠牲にしてしまった。
本当に、本当に、私は馬鹿で馬鹿で、愚かでしょうがない。
自分で自分が許せない。
けれど、犠牲になってしまった師匠が、目の前にいる。
小さな小さな、赤子となって。
知らなかった。
真っ白だった師匠の髪が、本当はこんなにきれいな空色だったなんて。
その色を見ていたら。他に頼る人間がいないこの子を見ていたら、私は生きなければいけないと思った。
どんなに後悔に塗れ、生延びることがつらかろうとも。
師匠が──この赤子が独り立ちするまで、私が育て上げるのだと強く誓った。
この誓いを忘れないために、私はこの手記を綴ることを決めた。
きっと何度もこの頁を読み返すであろう未来の私へ。
例え挫けそうになったとしても、この子を、セレストを立派な魔法使いに育て上げ、独り立ちさせるその日までは泣くな。笑え。そして生き抜け。
泣くのは、ちゃんと育て上げ、送り出してからだ。
だから、どうか。
どうかその日まで、頑張れますように。自分の気持ちに負けませんように。
そして今度こそ師匠が……セレストが、幸せになれますように。
マールエル
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衝撃の内容に、ヒューティリアは知らず息を止めていた。
息苦しさを覚えてようやく、呼吸することを思い出す。
『一度目の失敗は、時を止める魔法だ。マールエルはソルシスに請われ、魔法使いとして独り立ちすることを認められてもソルシスの許に留まり、時繰り魔法の研究を手伝っていた』
クロベルが静かに語る声が、遠くから聞こえるように感じられた。
必死に意識を傾け、言葉のひとつひとつを聞き逃さないように拾い上げる。
『当時はまだ、時を止める魔法が永続的な魔法であると知らなかったソルシスとマールエルは、時を逆行させる魔法よりも簡単なものだと、代償もそう大きくはないだろうと考えていた。しかし、実際は違った。あの時力を貸したのはわたしだが、ふたりがそのような考えを持っていたことになど気付くはずもなく、願われたことをただ叶えようとしてしまった』
その結果、失った代償は大きかった。
クロベルの声が震える。
『ソルシスは、ある妖精の核を大事に持っていた。わたしはそれを知らず、用意された代償の不足分としてその妖精の核を貰い受けた。まさか、そんなに大切なものだなんて思わなかったんだ』
きっとクロベルに非はない。
ヒューティリアはそうぼんやりと思った。
けれど口を挟む隙などなく、懺悔するようにクロベルは話し続けた。
『結局、その核の主であった妖精のために時繰り魔法を研究していたソルシスは、もうこの魔法を研究するのは危険だからやめようと言い出した。代償がこの程度で済んで良かったと。これでようやく諦めがついたと……』
その言葉はマールエルの手記にも書かれていた。
マールエルの手記とクロベルの話。その両方に同じ言葉が出されたことで、ソルシスの「ようやく諦めがついた」という一言がどれだけ印象に残っているのかがヒューティリアにも窺えた。
『ソルシスも年老いていたし、体が不自由だったことも多少は影響していたのだろう。もしかしたら、本当に諦めるきっかけを探していたのかも知れない。けれど、わたしもマールエルも納得出来なかった。そうして起きたのが、二度目の失敗だ』
クロベルの姿が揺らぐ。
今の姿を維持出来なくなったかのように、溶けるように小さくなっていく。
『時繰り魔法の現時点での最上級魔法は、時の逆行だ。思想まではできていた。けれど、実践できるほど完全なものではなかった。それをマールエルが行使した。わたしも協力した。けれど、やはり不完全だった。暴発の瞬間に気付いたソルシスが、暴発の反動と代償のほとんどを引き受けた』
辛うじて視認出来る大きさにまで縮んだクロベルを、ヒューティリアは静かに見下ろした。
今にも消え入りそうな、小さなクロベルの姿。そこに今のクロベルの心が映し出されているのではないかと思った。
『マールエルは髪の色と目の色が代償になったが、ソルシスはそれまでの人生で培ってきた記憶全てが代償になった。記憶は、命の次に重い代償だ。もしソルシスが記憶を差し出さなければ、マールエルの命は失われていただろう』
新しい魔法を実行する場合、代償を得る側の精霊にも必要となる代償の大きさはわからないのだと、クロベルは呟いた。
ヒューティリアは口を挟まず、続くクロベルの言葉を待つ。沈黙の意図を汲んだクロベルは、一呼吸の間を置いて疲れたような声で続けた。
『正しく代償が支払われ、ソルシスが全てを引き受けた。その結果、ソルシスの体の時間が逆行し、赤子となった。それが』
「それが、セレスト……なんだね」
『……そうだ』
重い沈黙が降りる。
ヒューティリアは何度か言葉を発しようとしたものの、結局なにひとつとして言葉にはならず。
そうしている内に、幻のマールエルがゆっくりと消え始めた。
完全に消える直前に手を広げ、ヒューティリアを包み込むように抱きしめる。次の瞬間にはもう、そこには何も残っていなかった。
「ねぇ、クロベル」
何もない空間を見つめながら、ヒューティリアはようやく浮かんだ言葉を口にする。
クロベルは返事こそしなかったものの、沈黙を返すことで先を促した。
「どうして、あたしにこんな話を?」
『それは……その手記を読み終えれば、わかる』
クロベルの言葉に促されるように、ヒューティリアは手元の手記を見下ろした。
臙脂色の無地の装丁。その表紙を撫でた時、クロベルが慌てたような声を上げる。
『まずい、セレストが帰ってきた。部屋から出てくれ!』
急かされ、追い立てられるようにヒューティリアは部屋を出た。いつの間にか開かれていた扉が、ヒューティリアが出るのと同時に閉じられる。
振り返り扉を押してみるがびくともせず、再びマールエルの部屋は開かずの間に戻ってしまった。
『わたしも気をつけておくが、その手記はヒューティリアが読み終わるまでセレストには見られないようにしてくれ』
背後から話しかけられて、ヒューティリアはクロベルを振り返った。
「どうして?」
『どうしてもだ』
即答されて、ヒューティリアはしばし考え込んだ。
正直、この手記をセレストに見せていいのかヒューティリアには判断出来ない。
見せたところでセレストであれば「だからどうした」と言いそうな気がする。その一方で、何でもない風を装って、実はショックを受けてしまうのではとも考えてしまう。
「……わかった」
見せた後の反応が予測出来ないからこそ、恐くて見せられない。
そう判断して、ヒューティリアは急ぎ自室に戻り、手記を机の引き出しに仕舞い込む。
ほぼ同時に、玄関扉が開かれる音がした。
慌てて部屋を出て、妖精たちに施錠を依頼する。すぐに妖精たちが応じてくれてほっとしつつ、ヒューティリアはいつも通りの自分を装ってセレストを出迎えるのだった。




