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時繰り魔法

 時は更に巡り、ヒューティリアがセレストの弟子になって五度目の夏を迎えた。

 それと同時に、ヒューティリアが干渉魔法を学び始めて二年が経過していた。




「……もう充分だろう」


 怪我を負った小動物にヒューティリアが治癒の干渉魔法を使う姿を眺めながら、セレストが零す。


 セレストが知り得る干渉魔法は全て教えた。

 ヒューティリアは教えられた魔法を着実に覚え、使いこなし、いつの間にか自らの魔力量の把握から配分まで意識を行き渡らせられるようになっていた。

 更に言えば、今や風の精霊のみならず、他の属性特化の精霊も快くヒューティリアに力を貸してくれている。


(精霊に好かれやすいんだろうな)


 ふとそんなことを思う。

 精霊や妖精の姿はヒューティリアからは見えないはずなのだが、ヒューティリアはそんなことなど気にせず相手の気配がする方に顔を向け、まるで相手が見えているかのように対話をする。

 どうやらその姿勢が好かれる一端ではあるようなのだが、それに加えて、ヒューティリアは精霊や妖精に対して親しげに話しかける。純粋に、会話すること自体を楽しみながら。

 すると、最初は警戒していた渡りの精霊や妖精も段々とヒューティリアに害意がないことがわかってきて、心を開くようになるのだ。


(これも才能か)


 ふと自らをも振り返り、苦笑しながらヒューティリアの能力を認めていると、ヒューティリアがセレストを振り返った。

 二年前よりも更に身長が伸び、今ではセレストの肩に届きそうなところまできている。顔つきも、どことなく大人びて見える。


「ねぇ、セレスト。一応怪我は治したんだけど、森に帰しても大丈夫かなぁ」


 やや高めだった声も落ち着いて、耳に心地良く響いた。

 しかし、迷ったときや困ったとき、わからないときにセレストに問いかけてくるのは以前と変わりなく。成長して姿や声が変わっても、ヒューティリアは今も変わらずセレストの弟子だった。


「少し放してみて様子を見たらどうだ? それでも心配なら、もうしばらく面倒をみてやればいい」


 治癒の干渉魔法は傷を癒す魔法だ。しかし、万能ではない。

 例え傷が癒えていても、怪我をしたという認識が残ったままでは動作に支障が出てしまう。その状態で野に放てば、すぐに他の動物の餌食になってしまうだろう。


 それも自然の摂理ではあるのだが、偶然とは言え、縁あって助けたのだからできるだけ長く生延びて欲しいと願う気持ちは理解できる。

 故に、様子をみるよう提案してみれば、ヒューティリアは不安げな表情を和らげて頷いた。


「うん、そうする!」


 さっそく小動物を地面に下ろす。

 すると小動物は小刻みな動きで周囲に視線を巡らせ、忙しなく立ち上がったり身を屈めたりし始める。かと思ったら、次の瞬間には猛然と走り出し、あっという間に森の中へと消えていった。


「……うん、あれだけ元気なら大丈夫そうだね」

「満足したなら、戻るぞ」


 少し寂しそうに、けれどはっきりと安堵の表情を浮かべるヒューティリアに、セレストが呼びかける。

 小動物の消えていった辺りを眺めていたヒューティリアは、セレストを振り返るなり不思議そうに首を傾げた。


「え? 今日の魔法の練習は?」

「もう上級魔法は問題なく使いこなしているし、魔法薬に関しても九割方修得している。干渉魔法に関しても、これ以上教えられることはない。通常であれば、お前はもう充分免許皆伝を与えるに相応しい魔法使いになっている」

「それって……」


 セレストが言わんとしているところを理解したのだろう。

 喜ぶでもなく呟かれた言葉は途切れ、その表情に僅かながらに緊張が走る。


「俺がお前に教えられることは、残すところあと僅か。魔法の系統としては、たったひとつだ」


 紡がれようとしている言葉に、ヒューティリアの緊張が更に増したのがわかる。

 それは期待故なのか、不安故なのか。

 セレストには判断がつかないが、続く言葉が変わることはない。


 だからゆっくりと。しかし簡潔に告げた。



「──今日から、時繰り魔法を教える」



 予想通りの言葉に、ヒューティリアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 そうすることでセレストの言葉を取り込み、飲み下そうとしているようにも見える。


 その反応を目にしたセレストの脳裏に、ヒューティリアは本当は時繰り魔法を覚えたくないのではないか、という考えが再浮上した。

 一度は意思確認をしたが、いまいちど時繰り魔法を学ぶ意志があるか確認し直した方がいいのかも知れないと思い、口を開く。


 しかし。

 顔を上げ、正面からセレストを見据えてきたヒューティリアと目が合うなり、喉元まで出かかっていた言葉は引っ込んでいった。

 これほどまでに強い意志を湛えた目など、見たことがない。


(……いや、過去にも一度あったな)


 あれは、ヒューティリアと出会ったその日のこと。

 もうあんな思いはしたくないと、ひとりで生きていけるようになりたいと言った時のヒューティリアの瞳と今目の前にある瞳は、まるで鏡に映したかのように同じだった。


「よろしくお願いします」


 真っ直ぐに届く、揺らがぬ声。

 そこにヒューティリアの決意が窺えて、セレストは思考を切り替えた。


「……家に戻ろう」


 改めてヒューティリアを促すと、セレストは家へと歩き出した。






「時繰り魔法は、どんな些細な魔法でも必ず魔力以外の代償を払う必要がある。安易に練習ができる魔法ではないから、知識先行で教えることになる」


 リビングのソファーに向かい合わせに座るなり、セレストは『劣化防止! 時繰り魔法学』をテーブルに置いた。


「練習をするとしても、時繰り魔法の初級魔法にあたる劣化防止魔法のみだ。それも、チャンスは三回」

「三回……?」


 回数が決まっていることを不思議に思ったヒューティリアが繰り返すと、セレストはテーブルの上に小さな石を三つ並べる。色も形もそれぞれ異なるが、どれも透明度が高く、鮮やかで美しい色をしていた。

 思わず見入っていると、セレストが「これは精霊の核だ」と告げた。途端にヒューティリアの表情が凍りつく。


「……え?」


 何故そんなものがここにあるのかと、言葉にせずともその顔にはっきりと書かれていた。

 セレストはそんな弟子を安心させるべく、どうやって入手したものなのかを説明する。


「これはこの森の精霊の(おさ)から譲り受けた、この森で命を終えた精霊の核だ」


 そう伝えながら、『劣化防止! 時繰り魔法学』を数項めくった。


「この本には明記されていないが、劣化防止魔法に必要な代償はこの大きさの精霊の核だ。劣化防止の時繰り魔法に挑んだことのある魔法使いであれば、皆知っている。だが、たかだか食材の劣化を半減させるためだけに精霊の核を入手しようと思う者なんていない」


 開いた頁には、劣化防止魔法を使う上で必要なものは“魔力”と“原初の精霊の助力”、そして“精霊から求められる代償”とだけ書かれていた。


「以前にも話したが、精霊や妖精の核は自然に命を終えたものに限り、取得者に所有権が認められる。だがそんな奇跡のような拾い物をした者なんて、過去に数えるくらいしかいないだろう。何故なら特定の地に住む精霊や妖精の場合、その核は全て、その地の精霊や妖精の長の許に届けられるようになっているからだ」


 これは本には書かれていない知識なのだろう。セレストはヒューティリアを見据えたまま続けた。


「本来は人間の手に渡ることなどない代物なのに、どういう偶然か過去に精霊や妖精の核を手に入れた人間がいた。そのせいで、今では精霊狩りや妖精狩りが横行してしまっている」


 セレストは忌々しそうに言い放つ。

 そんなセレストの様子に、ヒューティリアは以前から小さな引っ掛かりを覚えていた。


 セレストが強い嫌悪感と怒りを露わにするのは、精霊狩りや妖精狩りに対してだけだ。

 他のことでは滅多に強い感情を表に出さないのに、この件に関してだけは隠し切れない感情が露出する。


(あたしも精霊狩りや妖精狩りは許せない。けど、セレストの場合はそういう域を出てる気がする)


 過去に死にかけていた精霊を救えなかったことが影響しているのだろうかとも思ったが、それだけでは説明できないくらい強い感情のように思えた。


 この夏を終えれば、ヒューティリアがセレストの弟子になって丸五年になる。

 しかしこの件も含め、いまだにセレストのことはわからないことが多いように感じていた。


(知りたい……)


 けれど、どう問いかければいいのかがわからない。


「いずれにせよ、この核は事情を説明した上で森の精霊の長から譲り受けたものだから、大事に使うように」


 ヒューティリアの思考を断ち切るかのように、セレストが話を進めた。強制的に意識を引き戻され、ヒューティリアは慌てて居住まいを正す。


「わかった。大切に使う」


 しっかりと頷くと、セレストの表情が和らいだ。

 嫌悪や怒りの感情はいつの間にか消え去り、いつの頃からかよく見られるようになった微かな笑みを浮かべている。


「なら、失敗しないためにも知識をつけるとしよう」


 そう告げて、セレストは改めて『劣化防止! 時繰り魔法学』を示す。それまで開いていた頁をめくり、劣化防止魔法の詳細を説明し始めた。

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