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『知の賢者』ソルシス

 ソルシス。


 その名は、この国に住まう者であれば誰もが知っている。外部からの情報があまり入ってこないような村に生まれたヒューティリアですら知っている名だ。



 『知の賢者』ソルシスは、『書の賢者』マールエルの師匠にしてこの国で初めて『偉大なる魔法使い』と呼ばれた人物だ。

 彼は滅亡したとある都市国家からこの国に流れてきたという。


 魔法を活用することで発展を遂げていたソルシスの故郷は、ある日突然、誰もが想像し得ない災厄によって滅びた。


 その災厄とは、巨大な魔法道具の暴発。


 一瞬にして国そのものが消し飛び、人も建物も何もかも、跡形もなく消え去ったと言われている。

 そんな大災害に見舞われながら何故ソルシスが生き残り、どういった経緯でこの国に来たのかはわからない。が、全てを失ったソルシスは、いつの間にかこの国に住み着いていたのだという。


 彼の賢者が持つ魔法知識は膨大で、その知識はあまり魔法が発展していなかったこの国に多大なる恩恵をもたらした。

 今でこそ学園なんていうものまで存在しているが、ソルシスから「故郷には子供たちに魔法を教える機関があった」という話を聞くまで、誰も思いつきもしなかったものだ。


 次から次へと語られる彼にとっての故郷の思い出話は、この国の人間にとって新しい知識でしかなく。その知識は確かにこの国を豊かにしていった。


 そういった経緯で、ソルシスは『知の賢者』と呼ばれるようになる。

 その後も、魔法の知識もさることながら、魔法の腕でもこの国では適うものなど居らず。更に、その行いによって多くの精霊や妖精から信頼を得ていたことから、やがて『偉大なる魔法使い』とも呼ばれるようになっていった。




 そんな人が考え出した魔法。

 仮にソルシスが持ちうる全ての知識をこの国にもたらしていたとしても、その知識を使いこなし、新たな魔法を組み上げるに至る魔法使いはいるのだろうか。

 ヒューティリアにはとても、そんな魔法使いがこの国にいるとは思えなかった。それは先ほどのセレストの話からも容易に想像できる。


(可能性があるとするなら──)


 ヒューティリアの視線が、正面に座る師に向けられる。


(セレストなら、もしかしたら)


 新たな系統の魔法を探る魔法使いは現れなかったと語ったことから、セレストは少なからず新しい系統の魔法について考えたことがあるのではないか、と思った。

 それに、セレストが魔法についてあらゆる考察を重ねていることも知っている。

 過去にムルクから魔法の理論について話を振られたときには、見たこともないくらい饒舌になって持論を展開していことを思い出す。


「何を考えているのかは何となく想像がつくが……お前は、俺を買いかぶりすぎじゃないか?」


 ヒューティリアの視線に耐えられなくなったのか、セレストは眉間に皺を寄せつつ言い放つ。

 自分がセレストを凝視しすぎていたことに気付き、ヒューティリアは誤魔化すように視線を泳がせた。


「時繰り魔法の全体像を知っていても、あの魔法の初級から中級、上級へと発展していく仕組みはさっぱりわからないからな。何せ他の魔法のように、難易度が上がるにつれて出来ることが増えていくのとはまるで違う。時繰り魔法の発展形は、全く別の魔法に進化していくものだ」


 その声音にどこか悔しげな色があることから、一度はどのように劣化防止魔法から次の段階の魔法に至るのか、その道筋について考えたことがあるのだろう。そして、何も掴めなかった。


 それを悔しいと思えるセレストは、充分凄い魔法使いなのだとヒューティリアは思う。

 他の魔法使いなら、ヒューティリアのように「ソルシスが作った魔法だ」と言われた瞬間に解明すること自体不可能であると判断してしまうからだ。


 そのことに気付くと同時に、ヒューティリアは恥じ入った。

 自分はセレストの弟子なのに、あっさり考えることを放棄してしまった。それが恥ずかしくて、悔しい。

 もっと踏み込んでいく気概を持たなければと、自らに言い聞かせる。


 またもや自然と俯いていたヒューティリアの耳に、セレストの小さなため息が聞こえてきた。


「ソルシスはこの国の魔法使いとは発想のしかたそのものが違う。そもそも初級、中級、上級というくくりを作ること自体が間違いなんだ。そういう固定観念を取り払い、共通項を探り出してようやくソルシスが何を考えて時繰り魔法という系統を作り出したのかを探る────」


 そこまで言いかけて、セレストは言葉を切った。


「……まぁ、こんな話は今はどうでもいい」


 話の軌道を修正すべく、テーブルの上のもう一冊の本を手に取る。


「もし時繰り魔法を覚える気があるのなら、まずはこの干渉魔法が使えるようにならなければいけない。この干渉魔法も一筋縄ではいかないだろう。それでも、学ぶ気はあるか?」


 セレストはヒューティリアの意志を問うた。


 これまでも何度となく繰り返されてきた、ヒューティリアへの意志確認。

 その度にヒューティリアは学ぶことを選び、セレストはその意思を尊重し、根気よく教えてくれた。


 今もセレストはヒューティリアの決断を待ってくれている。

 仮にいま干渉魔法を学ぶことを──延いては時繰り魔法を学ぶことを拒否したとしても、セレストはヒューティリアが独り立ちする日まで面倒を見てくれるのだろう。


 その安心感に、あぐらをかいてはいけない。


 ヒューティリアは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら心を落ち着ける。今回の選択はこれまでのものとは比較にならないほど、重大な決断になると感じていた。


「──ああ、そういえば。もうひとつのお前の疑問に答えていなかったな」


 決断を迫る思考の渦の中で迷い揺れていたヒューティリアの意識が、現実へと引き戻される。

 声に導かれて顔を上げたヒューティリアは、セレストと正面から向き合った。

 ヒューティリアに向けられている新緑色の瞳はいつも通り揺らぐことがなく、感情を読み取ることはできない。


「もうひとつの疑問……?」


 咄嗟に頭が働かず、おうむ返しに問いかける。すると、「お前に時繰り魔法を教える理由だ」と苦笑気味に返された。

 セレストはヒューティリアが「どうして」という一言に込めた疑問全てに、答えをくれようとしてくれている。そのことに気付くなり、ヒューティリアは慌てて迷いを一旦頭の隅に追いやって居住まいを正した。


「さっきも言った通り、俺はお前に時繰り魔法を教えることにあまり乗り気ではない。師匠がそうしろと言うからには何か考えがあるんだろうと思うからこそ、教える気になっているだけだ」


 一度言葉を切り、セレストは視線を窓の外へと向ける。窓外の景色を見ているようで、その遥か遠方を探ろうとするかのような目。

 セレストはヒューティリアと視線を合わせないまま、話を続けた。


「ただ、師匠がいない今、師匠が何を考えていたのかを知る術はない。理由もわからず危険を伴う魔法をお前に教えるのは、俺としては本意ではない」


 再び言葉を切り、改めてヒューティリアと顔を向かい合わせる。ヒューティリアは真剣な表情でセレストの言葉の続きを待っていた。


「それに、何より。師匠の都合なんてお前には全くもって関係のないことだ。気にかける必要すらない」


 あまりにも真剣な顔で話に聴き入っている弟子の姿が何だかおかしくて、セレストは表情を和らげ、笑みを浮かべた。


「そんな魔法なんて覚えたくないと思うなら覚える必要はない。お前の意思で決めればいいことだ。もっと気楽に考えていいから、そう深刻そうな顔をするな」


 その顔を見れば、ヒューティリアが時繰り魔法の取り扱いの難しさを正しく理解しているとわかる。

 そんなヒューティリアだからこそ、時繰り魔法について話す気になったのだ。そうでなければ、意志の確認以前にこの話を切り出すつもりはなかった。

 師から教えるように言いつけられているからにはいつかは、と思ってはいても、やはりヒューティリアの慎重さや真面目さを知らなければこうもすんなり話すことなどできなかったはず。


(本当に、師匠の見る目は大したものだ)


 素質のみならず、人格までも見抜いていたとは思えないが、どこかで予見していなければ時繰り魔法を教えろと取れる言い回しは使わなかっただろう。

 改めて自らの師の勘のよさに感心していると、ヒューティリアの瞳に決意の光が宿った。


「ねぇ、セレスト」


 今や聞き慣れた呼びかけの言葉。

 セレストは促すようにヒューティリアの目を見続ける。


「あたしは、セレストのことを信頼してる。けどあたし、今回はマールエルさんの意志を信じてみたい」


 それは、つまり。


「あたし、時繰り魔法を覚えたい。どう言ったらいいのかわからないけど、あたし、時繰り魔法を知らなきゃいけない気がするの」

「……そうか」


 その感覚は、セレストにも覚えのあるものだった。

 マールエルから時繰り魔法の話をされ、学ぶ気はあるかと問われた時。自分も同じ感覚を抱いていた。

 そして、時繰り魔法を習得した。


「なら、今日から干渉魔法の勉強に移行する。干渉魔法は知識をつけるよりも実践を積む方が向いている。簡単に説明したら外に出るぞ」

「うん、わかった!」


 元気よく頷くヒューティリアに、セレストも頷き返す。

 こうして、最後の段階に向けた魔法の勉強が始まった。

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