秘匿された魔法
王都から戻って半月が経過した。
雪解けでぬかるんでいた森の状態もすっかり落ち着き、大地の色が白から緑へと変貌している。
そんな森の中、大きな泉の畔にヒューティリアは立っていた。
冬のあいだ温度調節魔法を使い続けたことで上級魔法のコツは掴んでいる。現在は他の魔法でも上級魔法が扱えるか試しているところだ。
ヒューティリアが精霊に呼びかける。すると泉の奥の方、ヒューティリアからは最も遠い地点の水面が大きく波立った。
続いて別の魔法を行使すべく、再び精霊へと呼びかける。今度は波立った水面が噴水のように空中へと跳ね上げられた。
「これだけ扱えるなら、充分だろう」
まるで障害などないかのように次々と上級魔法を使いこなす弟子に、家の壁に寄り掛かって様子を見ていたセレストが太鼓判を押す。
「もっと威力を上げたり範囲を広げられるようになれば完璧だが、苦手属性でこれだけできていれば充分だ。あとは回数を重ねて腕を磨けばいい」
「うん!」
焦らずじっくりと。一歩一歩上達すればいいと遠回しに言うセレストに、ヒューティリアは力強く頷いた。
「お前は筋がいい。魔法学校だとこの領域に到達するのに倍以上の時間を費やすそうだ」
「そうなの?」
「上級魔法を習得するのに六年かかると聞いたな」
学園は全ての生徒がついてこれるように時間をかけて教えている面もあるが、優秀者であれば飛び級が可能だ。それでも短縮できて一年が限度だと言うから、やはりヒューティリアの成長速度は速い。
まさか二年と半年程度で上級魔法まで安定して使えるようになるとは思ってもみなかったセレストは、しばし考え込んだ。
(ここに到達するのに、早くて三年半から四年と読んでいたんだが)
もうしばらく上級魔法に重点を置くべきか。それとも、最終目標となる魔法を教えるための、次なる段階の魔法を教えるべきか。
(最終目標……)
それは、『時繰り魔法』だ。
習得に最も苦心するであろうその魔法を教えるには、ヒューティリアに適性が備わっているかを知っておく必要があった。
(早めるか、もう少し様子を見るか)
静かに見上げてくる弟子に視線を合わせると、水色の瞳が驚いたように微かに見開かれた。
ややつり目気味の大きな瞳は、色こそ違えど自らの師を想起させる。
溢れんばかりの好奇心に輝き、その一方で静寂を思わせる涼やかな色と、その奥に見え隠れする理知の光。
その瞳を見ていると自分の悩みなどささいなことなのだと、そもそも悩むまでもないことなのだと、妙な確信をもたらしてくるところまでそっくりだ。
ふと、セレストは口許に笑みを浮かべた。
ヒューティリアの目が更に大きく見開かれたが、気にせず切り出す。
「予定を早めよう。上級魔法は今後も引き続き練習を続けるが、学ぶ魔法の方は次の段階に進む」
「上級魔法の、次の段階?」
そんなものがあるのかと驚きを隠せないヒューティリアに、セレストは頷いた。
「干渉魔法。これまで学んできた魔法は自然現象に干渉する魔法だったが、干渉魔法と名付けられている魔法は、人体に干渉する魔法を指す」
「人体に……干渉する?」
ヒューティリアの疑問は、セレストが新たな言葉を紡ぎ出す度に増えていく。
疑問符まみれになっていく弟子に苦笑しながら、セレストはヒューティリアを促して家に戻った。ヒューティリアをソファーに座らせ、自分は書棚に向かう。
手を伸ばし、やや上段にある本を二冊、手に取った。
「干渉魔法は特殊な魔法で、扱える魔法使いはそう多くない。だが、この干渉魔法が習得できなければ、時繰り魔法も習得できない」
「時繰り魔法……」
また新しい魔法の名称が出てきたと、ヒューティリアは緊張で身を固くする。
その目の前に書棚から持ってきた二冊の本が置かれた。
「順に説明する。一度に覚えようとしなくていい。ただ、ひとつ覚えておいて欲しいのは、俺がお前に教える最後の魔法は、この時繰り魔法になる」
(適性があれば、だが)
これだけは心の中で付け加えた。
現時点ではヒューティリアの適性の有無はわからない。けれど、マールエルが教えろと言ったのだ。適性がないはずがない。そんな確信がある。
一方、ヒューティリアの瞳は揺れていた。
最後。
その言葉が胸に突き刺さって痛い。
そんな日は来なければいい。そう思う気持ちと、セレストに追いついて、セレストのような魔法使いになりたいという気持ちがせめぎあう。
「正直に言うと、俺は時繰り魔法を教えることにあまり賛成ではない。が、師匠が教えろと言うからには何か考えがあってのことだろう。何故なら、時繰り魔法は────真の時繰り魔法は、秘匿された魔法だからだ」
戸惑う気持ちを断ち切るかのような、セレストの言葉。
ヒューティリアはいつの間にか俯けていた顔を上げ、真っ直ぐにセレストを見つめた。
「秘匿? どうして?」
どうして隠しているの?
どうして隠さなければいけないの?
どうしてそんな魔法を教えようとしているの?
たくさんの「どうして」がそこに込められており、セレストはどう答えたらいいものかと思案する。
「そうだな……秘匿されている理由については、まずひとつに必要とされる資質の条件が厳しく、代償が大き過ぎることが挙げられる。特に代償の方がこの魔法を広めるのは危険だと判断されるような内容だった」
これが隠している理由。
しかし、あまりピンときていないのだろう。ヒューティリアは難しい顔をして黙り込んでいる。
セレストは続けて、隠さなければいけない理由を説明した。
「次に、世間に知られれば大変な事態になることが予測されるという点が挙げられる。これは代償の大きさの件とも繋がることだが、もし真の時繰り魔法が世間に知られれば、使い手の命も危ういかも知れない」
「え!?」
思わずヒューティリアがテーブルの上に身を乗り出した。
「セレストは大丈夫なの!? あたしに教えられるってことは、セレストもその時繰り魔法が使えるってことでしょ!?」
「……さっきも言った通り、真の時繰り魔法は大きな代償を払わなければいけない。だから知識はあっても使ったことはない。それだけ危険な魔法だからな」
セレストの答えに、ヒューティリアはほっと息を吐き、安堵の表情を浮かべた。
しかし、続けられた言葉に再び不安を掻き立てられることになる。
「とは言え、使おうと思えば使えるだろう。ただ、真の時繰り魔法を使えることはこの森の精霊たちとその上位の精霊、あとは師匠だけしか知らないから問題ない。誰かに知られることもなければ、知られる機会さえもないだろう。お前も、何があっても誰が使えるのか以前にそんな魔法があること自体、外に漏らさないように気をつけろ」
「わ、わかった。絶対に言わない!」
言ったらセレストの命が危険に晒される。そう思うだけで心臓が潰れそうなほど苦しくなった。だからこそ絶対に秘密を漏らしてなるものかと決意して、ヒューティリアはぎゅっと口を引き締めた。
しかしそのあまりの力みように、却ってセレストの表情は緩んでいく。
「まぁ、時繰り魔法はそんな面倒臭い魔法だ。嫌なら覚えなくてもいいし、そもそもその存在自体を忘れてもいい。ちなみに、時繰り魔法という名前自体は世間に浸透している」
「え?」
拍子抜けした声を上げるヒューティリアに、セレストは一冊の本を差し出す。差し出された本を見てみれば、その本の表紙には『劣化防止! 時繰り魔法学』という文字が踊っていた。
「劣化、防止?」
「時繰り魔法とはその名の通り、時間に干渉する魔法だ。その初歩の魔法である劣化防止魔法くらいなら、世に出ても魔法使いの命が危険に晒されるほどの話題にはならない。何故なら、劣化防止魔法は食材の劣化速度を半減させる程度の効果しかない割に、支払う代償が大きすぎるからな。誰も必要としていない。ただそのような魔法も存在する、という程度の認識だ」
ただ、とセレストは続けた。
「劣化防止魔法が時繰り魔法の初級魔法であるということは知られていない。時繰り魔法に関しては、劣化防止魔法しか存在しないということになっている」
セレストの話に、ヒューティリアは首を傾げた。
ひとつの系統にひとつの魔法。そう言われても違和感しかない。
「でも普通、劣化が防止できるなら、もっと研究すれば別の効果も見込めるって考えるんじゃない……?」
「ああ。実際そう考えて研究に手を出した魔法使いはたくさんいる。が、先ほども言ったように、難易度が高い上に求められる資質などの条件も厳しい。加えて支払う代償も大きいのに、その割に大した成果が得られない。結局、誰もこの魔法を発展させることはできなかった」
「なら」
ならどうして。
ヒューティリアは『劣化防止! 時繰り魔法学』の表紙に綴られた著者名を指先でなぞる。
マールエル=オーリエ
そこにはそう記されていた。
「師匠は多分、停滞している魔法使いたちに一石を投じようとしたんだろう。新しい魔法は作ろうと思えば作れるんだと。だが時繰り魔法の初級魔法を世に送り出した結果、魔法使いたちは新たな系統の魔法を探るのではなく、この時繰り魔法の発展系を模索した。そんなもの、見つけられるはずがないのにな」
「どうして?」
何故そう断定できるのか。
不思議に思って問いかければ、セレストは感情のこもらない吐息を吐き出した。そして、ぽつりと答えを落とす。
「時繰り魔法は、『知の賢者』ソルシスが作り出した魔法だからだ」




