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過去の記憶

 エインは語る。

 幼き日に彼の故郷で起こった、不幸な出来事を。




 エインの故郷の村はチレン村より更に東に向かった場所にあった。

 今はもう廃村となっているその村には占者と呼ばれる者が存在し、村の決定はすべて占者に委ねられていた。

 何故そのような体制だったのかと言えば、過去に幾度も占者の導きで災害を免れ、長い年月を平穏に暮らしてこれたからだ。


 占者は代々その不思議な力で以って村を導き、役目を終える頃には次代を示し、連綿と受け継がれてきた役割だった。

 村長は占者を信じ、頼り。村人も占者を信じ、頼り──誰も占者の言うことを疑いもしなかった。


 しかし、今から四十年ほど前のこと。

 当時の占者は老齢にも関わらず、次代を示さなかった。

 それどころか己の地位を手放したくないばかりに、次代となる少女を村から排除してしまった。




「当時まだ六歳だった俺でも、はっきりと覚えている。あいつはこう言ったんだ。“この村で最も鮮やかな赤髪を持つ娘が、この村に災いを呼ぶ”と」


 エインが口にした占者の言葉に、ヒューティリアは目眩を覚えた。


(あたしと、同じ────)


 ぐるぐると、あの日の記憶が蘇り渦巻く。

 急に冷たい態度をとるようになった村人たち。親しい友人もヒューティリアを避け、家族さえも、ヒューティリアを見放した。

 あの、悪夢の日の記憶が。


「占者の言う災いを呼ぶ娘というのが、俺の姉だった。急に周りが姉を忌避しはじめて、親ですら姉に近付いてはならないと兄弟に言い聞かせて。俺は大人たちが恐くて、親の言う通りにしてしまった。そのうち両親が姉を手放すことを決めて、父が嫌がる姉を無理矢理馬車に乗せて、どこかに連れて行った。父が戻ってきたとき、姉は馬車に乗っていなくて……」


 エインは頭を抱えた。

 その目には涙が浮かんでいる。


「あの日の姉の声が今も消えない。助けてと叫んでいたのに、俺は何が起こっているのかも、何が起ころうとしているのかもわからないまま、ただ恐ろしくて立ち竦んでいただけだった……!」


 エインの様子から、深く悔いていることがはっきりと伝わってくる。そして今、これまで押しこめてきた気持ちを吐き出し、長年抱え込んでいた痛みをさらけ出していることも。

 ずっと誰かに聞いて欲しかった。そんな願望が見え隠れし、誰にきかれたわけでもないのに一気に捲し立て──


「俺は、何もできなかった。姉を救うことができなかった……」


 悲痛ささえ感じられる言葉が止み、ふとエインは顔を上げ、ヒューティリアを正面から見据えた。


「君は姉とよく似ている。その鮮やかな髪も、瞳の色も、声も。ただ、俺も年だな。姉の顔が、声が、はっきりとは思い出せないんだ。ただ何となく似てると思ったんだが……名前も違うし、そもそも年齢も違う。間違いなく別人だ」


 そう締め括り、脱力したように肩を落とすと自らの伴侶へと視線を移す。


 そんなエインをぼんやりと眺めながら、ヒューティリアもぎこちなく頷いた。

 語られた内容は驚くほど自らの経験と一致している。

 しかしエインの話は四十年も前の出来事だ。自分とは別の人間が、自分と同じ経験をしたのだろうと判断した。


 ただ、ひっかかっていることがあるとするならば。


(エインって、あたしの弟と同じ名前……)


 この国ではよくある名前。

 けれど、その顔は父にそっくりだ。

 偶然だろうか?


 そんなことを考えていると軽く背中を押された。

 見上げれば、眉間に皺を寄せたセレストと目が合う。


「帰るか」


 小さく問われて一度視線をエインに戻す。

 いつの間にか再びヒューティリアの方を向いていたエインは、目が合うなり眉尻を下げ、苦い笑みを浮かべた。


「急にこんな話をされても困るよな。ごめんな、忘れてくれ」


 どことなく寂しそうに見える顔に、ヒューティリアはぶんぶんと首を横に振った。

 するとエインは更に眉尻を下げてセレストに向き直る。


「今回は本当にありがとうございました。余計な話まで聞いて頂いてすみません」

「いえ、こちらから尋ねたので。むしろ踏み込だことを訊いてしまい、申し訳ありません」


 互いに謝り合うと、エインはゆるゆると首を振り、深々と頭を下げる。


「支払いはチレン村に戻り次第手配して送金します」

「わかりました。期限内ならいつでも構いませんので」


 セレストも軽く頭を下げ、それ以上は何も言わずに病室を出た。ヒューティリアも慌てて頭を下げて後に続く。


 そのまま無言で歩いた。

 途中、村の広場にグラとソーノの姿を見つけ、手を振るふたりに手を振り返して村を出る。

 森に入り、黙々と家路を辿る道すがら、不意にセレストが口を開いた。


「今更だが、他に聞いておきたいことはなかったか」

「え?」


 唐突な問いかけにヒューティリアは首を傾げる。

 歩く足は止めないまま、セレストは弟子を見下ろした。


「あの人に、聞いておきたいことはあったか?」


 “あの人”が誰を示しているのか、すぐに思い至る。

 ヒューティリアはしばし考え込み、視線を道の先へと向けた。


「聞きたかったことはセレストが聞いてくれたから、なにもないよ」

「……そうか」


 会話はあっさりと途切れ、再び沈黙がおりる。

 けれどきまずさはなく、これがいつも通りのふたりの空間だった。

 そう、いつも通りの。


(安心する)


 ヒューティリアはエインの話に引きずられ、過去の記憶を思い出したことであの日感じていた恐怖が蘇っていた。しかしその恐れの感情はいつの間にか消えていた。

 ゆっくりと息を吐き出しながら、同じようなことが五日前にもあったなと思う。


 ただただ恐ろしいものでしかなかった過去の記憶。

 例えそれが蘇ったとしても、五日前も今日も、セレストが傍にいることさえわかれば不思議と落ち着くことができた。


(セレストと一緒なら、あたしはもう大丈夫)


 そんな確信を得ながら師を見上げれば、セレストは感情の読み取れないいつもの表情でただ前を向いていた。

 自然と口許に笑みが浮かび、改めて正面に向き直る。


 目の前には真っ直ぐ伸びる道。

 家へと続く、不安のない道。


(ここにいたいな)


 そんな思いが浮かび上がる。

 いつかひとりでも生きていけるようになりたいと思っていた。そのつもりでこれまで努力もしてきた。

 けれど。


(ずっと、ここにいたいなぁ……)


 急速に膨れ上がった願望を持て余し、ヒューティリアは瞳を揺らす。切望する余り、泣きそうになる。

 そうして大きく傾いた気持ちを自覚しながら、家へと続く道をひたすら歩き続けた。

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