似た者師弟
帰宅後。
買ってきた日用品や食料の収納を手伝うと、ヒューティリアはさっそくソーノから借りた本を広げた。
買い出しに行った日は魔法の勉強をするにも時間的に中途半端になるため、自由に過ごしていいことになっている。
ちなみにソーノからは「好きな本がいっぱいあって選べないから、全部読んで欲しい」と言われたのだが、一度に運ぶにはソーノの蔵書はあまりにも多かった。
何故ならソーノの家は雑貨屋であり、割と裕福な家庭であると同時に本を入手しやすい生業でもあるからだ。
村で唯一の商店である雑貨屋は、日用品に限らず要望さえあればどんな品でも仕入れることを売りにしているため、取り扱っている商品は実に幅広い。生活必需品のみならず嗜好品、果ては魔法薬まで取り扱っている。
セレストからしたらソーノの家は魔法薬の受注・販売を担ってくれるお得意様でもあるのだ。
そんな雑貨屋の子供であるソーノは、店の跡継ぎとなる兄と一緒に早い段階から文字の読み書きや算術を習っていたこともあり、ヒューティリアと同じ十歳という年齢で既に沢山の本を読んでいた。
数多く読んだ本の中でも好きな本は年相応の女の子らしく、王子様がお姫様を窮地から救い出し、最後には共に幸せになる……といった流れの本ばかりだ。
ヒューティリアもそういった本があることは知っていた。
とは言っても、王都でムルクから「ヒューティリアはこういう本は読まないのか?」と問われたことがあり、それがきっかけで初めてそういった、ロマンスを前面に押し出している本の存在を知ったのだが。
今回借りてきた三冊のうち、ソーノが甲乙つけ難いながらもこれが一番好きだと言っていた一冊を手に取る。
美しい装丁で、表紙の絵も幸せそうに身を寄せあっている男女(恐らく王子と姫)が明るく優しい色合いで描かれていた。
しばしその表紙や装丁を堪能すると、さっそく一頁目を開く。
その後の頁をめくる速度はとても子供の読む速度とは思えないほどだが、日頃ヒューティリアが読んでいる本の文量と比べるとソーノから借り受けた本は圧倒的に文量が少ない。故に、傍から見ると流し読みをしているような速度になってしまう。
しかし決してなおざりに読んでいるわけではなく、ヒューティリアは一字一句見逃すことなく着実に読み進めていった。
そうして最後の一文まで目を通すと、ヒューティリアは眉根を寄せて首を傾げる。
「どうした?」
片付けを終えてリビングに現れセレストが、難しい表情で最初から読み直し始めたヒューティリアに問いかけた。
「うんとね……」
ヒューティリアは困惑の表情を浮かべたまま本から視線を上げ、正面のソファに座ったセレストにクルーエ村での出来事を話し始める。
ただし、ソーノが自分の気持ちを知られるのを嫌がっている様子だったので人の名前は伏せ、言葉を選びながら伝える。
「──それで、本を貸してもらったんだけど……読んでみても、あまりよくわからなかったの」
一通り説明を終えると、ヒューティリアはパラパラと本をめくった。
「この物語はね、ある国のお姫様がいじわるな継母に城から追い出されて、何とか城に戻ろうとしたけど道に迷って、困っていたら親切な男の子が助けてくれるの。その男の子は庶民の格好をしてるんだけど実はお隣の国の王子様で、王子様はきれいで心優しいお姫様を好きになって、お姫様も親切で頼もしい王子様を好きになって。最後は王子様が自分の正体を明かして、ふたりは結婚して幸せになったけど、その裏で継母は厳しい罰を受けた……っていう話なんだけど」
ざっくりとあらすじを口にするヒューティリアに、セレストは複雑な表情を浮かべた。
ヒューティリアの様子からは物語に対する感情移入の類が一切見受けられない。
もしセレストが同じ本を読んだとしても感情移入などせず、同じように物語を捉えるだろう……が、ヒューティリアまでもがそれでいいのだろうかという、自分でも出所不明の疑問が芽生えたのだ。
「この本を読んでも、“特別な好き”がなんなのかわかった気がしなくて」
困り果てた様子でヒューティリアがセレストを見上げてくる。しかしその瞳には困惑の色とは別に、セレストに対する期待と信頼も見受けられた。
そしてその期待と信頼から、ヒューティリアはこれまでと同様に師に疑問を投げかける。
「ねぇ、セレスト。友達とは違う好きって、どういう好きなの?」
セレストは出会ってから今日まで、問えば必ず答えをくれた。だから今回も答えをくれると信じて疑わず、するりと問いかける。
一方、問われたセレストは投げかけられた問いに対する答えに詰まっていた。
ヒューティリアが問いかけてきているものが何なのかは、ここまでの話の流れから察している。
知らないことではない。しかし、それはあくまで知識があるというだけの感情。
実感できずともそういった本をいくつか読んでいけば、ヒューティリアもセレストのように知識として知ることはできるだろう。
だがここでまた、セレストの内にそれでいいのかという疑問がわき起こる。
何故そう思うのかはわからない。けれど、どうにも払拭できない靄のようなものがまとわりついてくる。
「──悪いが、俺は答えを持っていない」
眉間に皺を寄せ、セレストは正直に答えることにした。
意外な言葉にヒューティリアが目を見開く。
「そうなの?」
「俺には興味が持てない類のものだからな。だが、周りを探せば答えを持つ人はたくさんいる。お前にその本を貸した人物もだが、サナさんやムルク辺りなら答えを持っているだろう」
そう伝えるとセレストはソファから立ち上がり、書棚の最上段、ヒューティリアでは手が届かず、セレストも一切手を出さない一帯の本を何冊か取り出した。
不思議に思いながら眺めていたヒューティリアの目の前に、セレストは持ってきた本を置く。長らく放置されていたからか、僅かに埃が舞った。
「これは?」
「師匠の愛読書だ。書の賢者なんて呼ばれているが師匠は書くより読む方が好きで、種類も多岐に渡る。その中でも特に気に入っていたのがこの本なんだが……所謂、恋愛小説だな」
マールエルは魔法に関する考察や研究を好み、その思想や理論を書として世に送り出す事で『書の賢者』や『偉大なる魔法使い』といった称号を手にしていた。
しかし、その中身は普通の女性でもあった。それも、どちらかと言えば夢見がちな。
弟子時代、セレストはマールエルが「気が付いたら独身のままこの年とか、夢敗れたりだなぁ」とか「今からでもいいから、白馬に乗った王子様……じゃなくてもいいから、素敵な人が現れないかな」などとぼやいているのを聞いたことがある。
そう思うならこんな森の中ではなく人里で暮らせばいいのにと思いながらも、マールエルがこの家を離れたがらない理由も耳にしていたので黙っていたのだ。
(師匠の跡を継ぐのが夢だったとか、ソルシス亡き後にこの森の守護者を不在のままにするわけにはいかないとか……そんなことを言って居残ってたから俺のような捨て子を拾って、益々相手が見つからなくなったんじゃないか)
何度となくそう思っては口に出せずに飲み込んでいた。それを口にしたら師を悲しませる気がしていたからだ。
他人の心情に疎いセレストでもそう予測できてしまうほど、マールエルはセレストに弟子として……弟子として以上に養い子として、惜しみなく愛情を注いでいた。
鬱陶しく思うこともあったが、セレストは師の愛情を過剰なほど受けて育ったのだという自覚がある。
だからこそ、師の頼みは断れない。その望みはできる限り叶えたいと思う。
それは、セレストの中で最も揺るがぬひとつの指針でもあり────
昔のことを思い出しているセレストの視線の先では、ヒューティリアがマールエルの愛読書を手に持ち、軽く埃を払っていた。
ある程度ほこりを払って満足すると興味深げに本を開き、しかし数頁読み進めたところで眉間に皺を寄せる。
読めば読むほど不可解だと言わんばかりの表情は深まっていくが、理解しようとする姿勢が崩れることはない。
その様子を眺めながら、セレストは苦笑した。
まるで過去の、師から愛読書を勧められて読んだ時の自分を見ているようだと思ったのだ。
(俺たちは似た者同士なのかも知れないな)
そんな感想を抱くと同時に、本と真剣に向かい合い、難しい顔で読み進めていくヒューティリアの姿がどこか師と重なることに気付く。
今まで似ていると思ったことなどなかったのに、不思議とその横顔が師を彷彿とさせる。
思いがけず師の姿を鮮明に思い出し、懐かしさを覚える。しかし、じわりと小さな不安もわき起こり、セレストは嘆息するとともに静かに目を伏せた。




