知らない気持ち
ソーノを助けてからひと月が経過した。
この日の空は雲ひとつない晴天。
足元にくっきりと影が落ちる強い日差しの中、セレストとヒューティリアはクルーエ村に買い出しに向かっていた。
セレストはフォレノの森に戻って以降、弟子時代からの習慣で移動に危険が伴う冬以外の季節は五〜七日を目安に買い出しにでかけている……のだが、最近になって買い出し以外にも定期的に村まで足を運ぶ目的が増えた。
新たに増えた目的。
それは、ヒューティリアを村の人々、とりわけサナに会わせることだ。
セレストは自分が他人の心の機微に疎いことを自覚している。
故に、人の気持ちを察する能力が高いサナであれば、ヒューティリアの些細な変化にも気付けるのではないかと考えた。
そのように考えるようになったのは、先月の一件があったからだ。
あれからヒューティリアに変わった様子は見受けられないが、あの日見た暗い目がどうにも気がかりだった。
明らかにヒューティリアは、子供が抱えるには重いものをその身の内にしまい込んでいる。
しかしそれは時折顔を覗かせるだけで、セレストに打ち明けられる気配はない。
もしかしたら、自分以外の誰かが相手なら吐き出せるのではないか。
吐き出せなくとも、自分では察せない何かを他の人であれば察することができるのではないか……と漠然と考えていた。
しかしその目論見は外れ、まるで違う流れを作り出す。
とは言っても、悪い流れではないのだが。
ソーノは助けられたあの日以来、ヒューティリアが村を訪れるとグラが驚くほど積極的に声をかけてくるようになった。
今日も今日とて例に漏れず、村に着くなりヒューティリアを見つけたソーノが輝かんばかりの笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。
「ヒューちゃん、遊ぼう!」
気の強いヒューティリアと気の弱いソーノ。
一見すると相容れないようにも見えるふたりには本が好きという共通点があり、案外気が合った。
今となってはすっかり仲の良い友人だ。
しかしセレストに対しては相変わらず人見知りを発揮するらしく、ソーノは笑顔から一転、やや緊張した面持ちで小さくお辞儀をするとヒューティリアの手を引く。
手を引かれたヒューティリアがセレストに問う視線を投げれば、意図を理解してセレストは頷いた。
途端にヒューティリアがぱっと明るい笑顔を浮かべ、「行ってくる!」と告げるなりソーノと共にセレストの許を離れる。
ふたりが村の中央広場に向かうのを見送り、セレストは雑貨屋へと足を向けた。
中央広場に着くと、ヒューティリアはきょろきょろと周囲を見回した。
「あれ? グラは?」
いつもならソーノと一緒に迎えてくれるのだが、今日は姿が見えない。
珍しいと思って問いかければ、ソーノはなにかを探るような目でヒューティリアを見つめた。
「グラちゃんは、今日はレグさんと森に入ってるの」
「そう、なんだ」
ソーノの視線の強さに気圧されたヒューティリアはわずかに後退る。
するとソーノが意を決したように後退ったぶんだけ距離を詰めて、ヒューティリアに迫った。
「あっ、あの! ヒューちゃんは、グラちゃんのことどう思ってる?」
唐突な問いに、ヒューティリアは意味が理解できずに目をぱちくりさせる。
「へ?」
「グラちゃんは魔法使いに憧れてるでしょ? それに、ヒューちゃんは魔法使いになるためにセレストさんのところにいるんでしょ?」
間抜けな声を上げたヒューティリアに、更に迫るソーノ。
ソーノの意図がわからないヒューティリアは、とりあえず言われた言葉の真偽のみを判断してこくこくと頷いた。
するとソーノは勢い込んで互いの額がくっつきそうなほど身を乗り出してくる。
「だからグラちゃんはきっと、ヒューちゃんのことが好きだと思うの。ヒューちゃんと話してるときはいつも楽しそうに笑ってるし、間違いないと思う……!」
聞けば聞くほど言われている意味がわからなくなる。
一体ソーノは何を言っているのだろうかと、ヒューティリアは必死に頭を働かせて理解に努めた。
しかしヒューティリアにはどうしてもソーノが言わんとすることが理解できず。
「えぇと……?」
結局、呻くように声を上げるのがやっとだった。
そんなヒューティリアの反応など目に入らないかのように、ソーノが畳み掛ける。
「わたしが見た感じだと、ヒューちゃんもグラちゃんのこと、好きだよね?」
「それは……うん。まぁ、好きかな」
「やっぱり……!」
ソーノの問いの意図を理解できずに、ヒューティリアは単純に「人として」「友人として」好きか否かを素直に答えた。
しかし会話が噛み合わないままその答えを受け取ったソーノは、目にぶわりと涙を浮かべる。
「ちょっ、ちょっと! どうしたの、ソーノ!?」
「グラちゃんはきっとヒューちゃんのところに行っちゃう……」
「え?」
「しかもわたし、邪魔者なんじゃない……?」
「えぇっ?」
飛躍していくソーノの言動に頭が追いつかず、ヒューティリアはうろたえる。理解に努めようとしていた思考も停止寸前まで混乱を極めていた。
そのときだった。
「あらぁ。ソーノちゃん、ヒューちゃん。こんにちは。今日はいいお天気ねぇ」
偶然近くを通りかかったサナが声をかけてきた。
そのほがらかな声を耳にするなり、ヒューティリアは天の助けとばかりに縋るような顔をサナに向ける。
一方でソーノは涙腺が決壊し、ぼろぼろと泣き始めてしまっていた。
そんなふたりの様子にサナは目を瞬かせた。
「あらあら、どうかしたの?」
「それが、あたしにも何がなんだか」
「サナおばさぁんっ!」
困惑するヒューティリアと飛びついてきたソーノを交互に見て、サナは何かぴんときた様子で微笑んだ。
「まぁまぁ。ヒューちゃん災難だったわねぇ。ソーノちゃんも泣かないの。まだちゃんとお話しできていないんでしょう?」
よしよしと宥めるようにソーノの背中をさすりながら、サナはヒューティリアを手招きした。
招かれるままに寄ってきたヒューティリアの髪を優しく撫で、そっと顔を寄せて耳打ちする。
「ソーノちゃんはちょっとだけ思い込みが激しいの。しかも想像力が豊かだから時々暴走しちゃうのよね」
そうささやくと、サナはふたりに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「それで、一応なにがあったのか聞いてもいいかしら?」
問うサナの目はしっかりとヒューティリアに向けられていた。泣いているソーノでは話すこともままならないだろうと判断したようだ。
そのことを理解して、ヒューティリアはソーノから言われた言葉とソーノの様子、そのときの自分の心境をサナに話して聞かせる。
一通り事情を聞くと、サナはやっぱりと言わんばかりの顔で頷いた。
「それで、ヒューちゃんはグラのことをどう思ってるのかしら」
サナの言葉に、ソーノも泣くのを堪えながらヒューティリアを見た。
その目には不安が湛えられているが、ヒューティリアにはソーノが何を不安に思っているのかがわからず困り果てる。
「どうって言われても。ソーノは一体何が聞きたいの?」
「……なるほど。ヒューちゃんはヒューちゃんでわかっていなかったのね」
ふふふ、とサナは笑って再びヒューティリアの髪を撫でた。
「あのね、ヒューちゃん。ソーノちゃんはね、グラのことが好きなのよ」
内緒話のような小さな声でサナが告げると、途端にソーノの顔が真っ赤に染まった。
その変化に驚くヒューティリアを見て、サナはひとつ頷く。
「ソーノちゃんの“好き”は特別な“好き”なの。お友達として好き、家族として好き、というのとは違うものでね」
「さっ、サナおばさんっ!」
説明を続けるサナの言葉をソーノは慌てて遮った。
その目にはいまだに涙が湛えられている。
「なんで、なんで知ってるの? わたし、誰にも言ってない……」
「うふふ。おばさんは何でもお見通しなのよ」
サナは面白そうに笑っているが、その眼差しは優しさに満ちている。
一方、ソーノは知られていた恥ずかしさに耐えられず、両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。
そしてその傍らでは、ヒューティリアがふたりのやり取りを戸惑いながら眺めていた。
「ヒューちゃんは多分、グラのことはお友達として好きなんじゃないかしら」
「うん……というか、あたしはソーノもグラも友達だと思ってるし好きだけど、ソーノは違うの?」
益々首を傾げるヒューティリアの言葉を耳にして、ソーノもようやく話が噛み合っていなかったことを理解した。
真っ赤な顔のまま立ち上がり、ヒューティリアの手を取る。
「あ、あのね……わたしもヒューちゃんのことお友達だと思ってるし、大好き。でもグラちゃんは特別……なの」
「そうなんだ」
まだよくわかっていない様子のヒューティリアにどう伝えたらいいのだろうとサナは考え、ぽんと手を打った。
「そうだわ! ねぇ、ソーノちゃん。ソーノちゃんのお気に入りの本をヒューちゃんに貸してあげたらどうかしら!」
「わたしのお気に入りの絵本?」
「そう。ヒューちゃんが普段読んでいる本はソーノちゃんが普段読んでいる本とは違うんじゃないかしら」
サナの指摘にヒューティリアとソーノは顔を見合せて頷いた。
お互い本が好きだと言っても読んでいる系統がまるで違うことには既に気付いていて、ふたりが本の話題で盛り上がるのは主に装丁や挿絵に関することばかりだった。
内容に話が及ぶと、魔法使いや精霊や妖精が多く登場する本ばかり読んでいるヒューティリアと、王子様やお姫様が登場する本ばかり読んでいるソーノではまるで噛み合ない。
「ヒューちゃんも家にある本だけじゃなくて、普段読まないような本も読んでみたらきっと楽しいわよ。もしかしたら新しい発見があるかもしれないし、ヒューちゃんが好きになる本も見つかるかもしれないわ」
サナはヒューティリアの興味を引くように、言葉を選びつつ勧めてみた。
すると明らかにヒューティリアの目が輝き、頬が紅潮する。その表情だけで興味を抱いたことがわかった。
ヒューティリアに出会ってまだ一年も経っていないが、それでもサナはヒューティリアの性質をなんとなく掴み始めていた。
(本当に、ヒューちゃんはそっくりね)
楽しそうにどの本を貸そうか悩み始めたソーノと、ソーノが選んでくれる本をわくわくした表情で待ち侘びるヒューティリアを眺めながら、サナは心の中でそっと呟く。
そして内側から沁みるように広がる懐かしさに、自然と寂しげな笑みを浮かべた。




