精霊狩り
ヒューティリアがムルクからフルートを習い始めてひと月が経過した。
その間、セレストとヒューティリアは半ば無理矢理ムルク夫妻の家に宿泊させられていた。
今日こそ宿に行くと言えばイナが「ヒューティリアちゃんがいないと寂しいわ」と引き止め、時にはムルクがセレストに酒を勧めて足止めをする。
セレストは心底迷惑そうにしながら回避を試みるものの、ムルクが「あの魔法の理論なんだが」と切り出せばつい持論を展開してしまい、なし崩しに酒を飲まされてしまうという体たらく。
とは言っても、セレストは決して酒に弱いわけではない。
しかし、さすが『書の賢者』の弟子と言うべきか、魔法に関する立ち入った話題になるとやけに饒舌になり、そこに酒が入ると少し気分がよくなるのか語りが長くなってしまう。
そうして気付けばヒューティリアがうたた寝を始めてしまい、結局ムルクの家に世話にならざるを得なくなるのだった。
ちなみにムルクはこのひと月の間、魔法師団の仕事をこなしつつ、帰宅後や休日の空いた時間を目一杯使ってヒューティリアにフルートの手入れの仕方から吹き方、細かいコツなどを教えた。
セレストがあまり無理せず教えられる範囲でいいと伝えたものの、ムルクもぐんぐん知識や技術を吸収していくヒューティリアに教えることが楽しいらしく、仕事の疲れも見せずに教え続けた。
ムルクが仕事でいない日中は、ヒューティリアはイナと買い物に出かけたり、セレストと楽団の演奏を聴きに行ったりしていた。
実際の奏者の音を聴き、技巧を目にすることで、より深くムルクが教えてくれるコツがどういうものなのかを理解していく。
一方セレストは、ヒューティリアがイナと買い物に出て不在の間、ひとりで王都に出かけていた。
ほどんどの場合はヒューティリアたちよりも早くムルク宅に戻っているが、時々ヒューティリアたちよりも遅く帰ることがあった。そういうときは大抵、ムルクと一緒に帰宅する。
どこに行っていたのかヒューティリアが問いかけても、少し遠出をしていたとか、久々の王都を歩き回っていたとか、セレストの性格やその疲れた表情からは到底納得できない答えばかりが返ってくる。
なにも教えて貰えない。
そのことがヒューティリアに小さな不安を抱かせていることになど、このとき誰も気づきもせず──
そうして過ごすうちに、ひと月という時間が過ぎ去っていた。
王都での滞在は長くてひと月程度、とぼんやりと見積もっていたセレストは、王都を発つ前日になってムルクにその旨を伝え、「はぁっ!? お前、そういうことはもっと早くに言えよな!」と文句を言われた。
更にムルクは「知らせてこないと!」と大急ぎでどこかに出かけていき、帰ってきたのは夜中近く。
翌朝改めて「団を抜けた時もそうだったけど、お前は何でも唐突すぎるんだよ」と苦言を呈された。
その後もムルクのセレストに対する愚痴大会はしばらく続き、ようやく終息を見せたのは朝食を終えた頃のこと。
「いやぁ、しかし。ヒューティリアの飲み込みの早さは凄いな。もう基礎の勉強は充分だろう」
言いたいことを言い切ってすっきりした表情のムルクは、気を取り直してヒューティリアを誉め立てた。
それに対して、ムルクの愚痴を全て聞き流していたセレストが当然とばかりに頷く。
「ヒューティリアは何をやらせても器用にこなすし、覚えも早い。文字もあっという間に覚えたし、魔法を教え始めて半年で初歩の魔法が使えるようになったからな」
セレストが淡々と弟子の優秀さを語れば、ヒューティリアは照れ笑いを浮かべつつ足元に視線を逃がす。
しかし。
「半年で!? さすがにそれは無理だろ」
「できるもん!」
ムルクが否定するとすぐさま顔を上げ、ぴっと人差し指を差し向ける。
そして、ムルクの眼前でその指先に小さな火を灯して見せた。
「まじだ!?」
「ヒューティリアちゃん、すごいっ!」
イナが手を叩いてヒューティリアを賞賛する。
ヒューティリアは得意げに胸を反らした。
「竃の火の調節も出来るよ」
「何だって!? 半年で火の調節まで出来るなんて、天才か!」
「……火の魔法は扱いを誤ると危険だから、安易に使わないように言ったはずなんだがな」
大仰に驚くムルクの熱と対極にあるような冷静さで、セレストがヒューティリアを一瞥する。
言いつけを守らなかったことを遠回しに指摘され、ヒューティリアは指先の火を消すと「ごめんなさい」と謝罪した。反省の意志を確認し、セレストはソファーから立ち上がる。
「そろそろ行こう。あまり遅くなると乗り合い馬車がなくなる」
「うん」
セレストに続いてヒューティリアも立ち上がり、セレストと共にムルク夫妻にぺこりとお辞儀する。
「お世話になりました」
「お世話になりましたっ」
ヒューティリアがセレストに追従すると、イナは目を細めて微笑んだ。
「いえいえ。私もヒューティリアちゃんとお買い物が出来て楽しかったし、またいつでも遊びに来てね」
「そのうち俺もそっちに遊びに行かせてもらうから」
ムルクが今回の件でセレストから送られてきた手紙をひらひらと見せながら、ニヤリと笑う。そこには律儀にも差出人住所としてフォレノの森の住所が書き込まれていた。
それを目にするなりセレストは「うちには客間がないから来なくていい」と素気なく断る。
「俺は床でも眠れるぞ」
「魔法使いの家には安易に他人を入れてはいけないという決まりがある」
「他人じゃないだろ、友達だろ?」
「……いつから?」
「ひどいっ!」
ムルクが両手で顔を覆い、大袈裟に嘆く。
かつて魔法師団で繰り返されていた気安いやり取りに、セレストは表情を和らげ、小さな笑みを浮かべた。
しかし。
その笑みが一瞬にして消え去る。
「──ムルク、ヒューティリアを頼む」
セレストの真剣な声音に、ムルクも異変に気付いて表情を引き締めた。
「“狩り”か?」
「精霊の方だ」
短いやり取りを経て、セレストが走り出す。あっという間にムルクの家から出て行ってしまい、残されたヒューティリアは何が起こったのかわからずに混乱した。
「えっ、えっ? 何??」
このひと月の間に少しずつ募らせていた不安が、言い知れぬ大きな不安となって襲いかかる。
いても立ってもいられず、ヒューティリアはセレストを追おうと足を踏み出し──すぐさまムルクに肩を掴まれた。
「危ないから行っちゃだめだ」
「でも、セレストが……」
「セレストなら大丈夫だ。セレストは単独で行動するのに充分な実力を持っている。下手に追う方が足手纏いになる」
「でも……」
唐突に置いていかれ、心細さで涙が込み上げてくる。
その様子に気付くなりムルクは慌ててしゃがみ、ヒューティリアと目線を合わせた。
「そうだよな、大丈夫だって言われても不安だよな。ただ、セレストが向かったのは精霊狩りが行われている現場だ。ヒューティリアを連れて行くには危険すぎる」
「……精霊、狩り?」
聞きなれない言葉を耳にして震える声で問い返せば、ムルクは目を伏せ頷いた。
「世の中にはどうしようもない輩がたくさんいてな。精霊や妖精の核を売り物にするような魔法使いがいるんだ。セレストは耳がいいみたいで、精霊や妖精が狩られるときの声が聞こえるらしい。魔法師団にいたときも逸早く声を察知して、いつも飛び出して行っていた。このひと月の間にも、何件か精霊狩りや妖精狩りの現場を見つけて犯人を捕らえてくれたんだが……」
ムルクの言葉を受けて、ヒューティリアはこのひと月のことを思い出す。
セレストは外出した際に時折帰りが遅くなることがあり、そんなときは決まってムルクと一緒に帰宅していた。
その理由は、どうやらセレストが精霊狩りや妖精狩りの犯人を捕まえていたからだったようだ。
「でも、精霊も妖精も人の目には見えないのに、その犯人たちはどうやって狩っているの?」
ふと、素朴な疑問がわいてくる。
しかしムルクは首を横に振った。
「それは言えない。だが、方法がないわけじゃないんだ。あいつらは様々な手段を講じて精霊や妖精を捕らえ、核を傷つけ死に至らしめる」
死。
その言葉がヒューティリアの胸に突き刺さる。
思い出したのは、冬の終わりにセレストが語った、かつてセレストが救えなかったという精霊の話。
「核を傷つけられると、精霊や妖精は死んでしまうの?」
「ああ。核は精霊や妖精の本体だ。核が傷を負うと、精霊や妖精は急激に弱り始めるらしい。そして命が消えると、核だけが残る。精霊や妖精が死ぬと核を隠していた力も消え、人の目でも核が見えるようになるんだそうだ」
教本の受け売りだがな、とムルクは沈んだ声で言い添える。
「セレストさん、大丈夫かしら」
思わずといった風に、イナが呟く。
ムルクも相手の危険性を伝えた後だけに改めて大丈夫だと口にすることができず、沈黙した。
その時だった。
「ムルク、いるか?」
開け放たれたままになっていた玄関から、男性の声が聞こえてきた。
ムルクは聞き覚えのある声に驚き、慌てて立ち上がると玄関へと向かう。
そして声の主を確認するなり、「団長!?」と叫んだ。




