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ムルク

 王都の中心部に程近い、見るからに高級そうな宿。この日はここで一泊することになった。

 あまりにも豪華な内装や調度品に、ヒューティリアは思わず室内をぐるりと見回した。


「そっちの続き部屋にもベッドがある。お前は続き部屋の方を使え。俺はこの部屋を使う」


 入り口から入ってすぐの部屋のベッドに腰掛けると、セレストは入り口とは別の扉を指し示す。

 言われるままにヒューティリアが扉を開くとそこには続き部屋があり、セレストが言った通り、その部屋にもベッドがひとつ用意されていた。


「ねぇ、ここって凄く高い宿なんじゃないの?」


 奥の部屋も貴族が使うような豪華な作りになっていて、ヒューティリアは恐る恐るセレストを振り返った。


「多少は。でも入り口がひとつで二部屋ある宿が他にないから仕方ない」


 一応ヒューティリアの保護者である自覚があるセレストは、全くの別室になることを避けたようだった。

 しかし貧しい村で生まれ育ったヒューティリアは、あまりの豪華さに萎縮してしまう。


「お、お金とか、大丈夫なの?」

「魔法師団にいる間に大分貯め込んだから、これくらいは問題ない」


 素っ気ない返答。

 ヒューティリアはこれ以上話題が浮かばず、かと言って続き部屋にひとりでいてもすることがないので、扉の前で立ち尽くしていた。


 荷物の中から本を取り出したセレストは立ち尽くしているヒューティリアに気が付くと、しばし考えてから口を開く。


「読むか?」


 今取り出したばかりの本を差し出され、ヒューティリアは引き寄せられるようにセレストの許に足を運び、本を受け取った。

 しかし普段ヒューティリアが読んでいたような本とは違って文字がびっしりと書き込まれていたため、開いた瞬間に閉じて突き返す。


「やることがなくて暇……」


 思わずといった様子で零れ出たヒューティリアの言葉に、セレストは同意して頷く。


「確かに、家にいる時は常にやることがあったからな……。かと言ってあの人混みの中に出るのも面倒だ」


 それは自分も嫌だなと思い、ヒューティリアも困り果てた──その時だった。



 コンコン、と、部屋の扉がノックされる。

 宿に来客。

 そう考えただけでセレストの眉間に皺が刻まれる。


「お客様。ご友人と名乗る方がいらっしゃっていますが、お通ししますか?」


 高級な宿だけあって、対応も細やかだ。

 落ち着いた声で問われ、セレストは「来客の名は?」と問いかけた。


「ムルク様と名乗っておられました。大柄な方で、魔法師団のマントを着用されております」


 この返答を聞いて、セレストがあからさまに嫌そうな顔になった。ぽつりと「約束は明日だろう」と呟く。


「いかが致しますか?」

「…………通してくれ」


 今回セレストがヒューティリアの楽器選びと基礎の指導を頼んだのは、王国魔法師団時代の同僚・ムルクだった。

 故に、突然の来訪も無下にはできず。


 宿の従業員に案内されてやってきたムルクは、部屋に入るなり「ひっさしぶりだなぁ! セレスト!!」と大きな声を上げて突進してきた。

 遠巻きに様子を窺っていたヒューティリアは、その巨体と大きな声に怯えて隣室の扉の影に隠れる。


「声がでかい。静かにしろ」


 開口一番でそう言い放つと、セレストは再会を喜びながら近付いてきた元同僚を冷めた目で見上げた。

 しかしムルクは堪えた様子もなく「相変わらずだなぁ!」と豪快に笑う。

 それからふと、扉の影に隠れているヒューティリアを見遣った。ヒューティリアと目が合うなり、ムルクは笑みを収めて真面目な顔になる。


「弟子を取ったから楽器選びと楽器の基礎を教えるのに付き合えって手紙がきたときは、一体何の冗談かと思ったんだが……まじか。まじだったのか」


 ムルクは大きな体を屈め、ヒューティリアをじろじろと不躾に見た。

 ヒューティリアはその視線に怯えて益々扉の影に隠れながら、目でセレストに助けを求める。

 助けを求められたセレストは、仕方なさそうにムルクとヒューティリアの間に割って入った。


「あまり恐がらせるな」

「そういうつもりじゃないんだが……いやぁ、見事な赤髪だなぁ」


 びくりとヒューティリアが身を竦ませる。

 ヒューティリアがこれまでとは別種の怯えを滲ませたことに気付いたムルクは、おや、と目を瞠った。


「……お嬢ちゃんは自分の赤髪が嫌いなのか?」


 表情と纏う空気を和らげ、声量を押さえて問いかけてきたムルクを、ヒューティリアは睨みつけた。

 しかし数年間とは言え魔法師団でセレストと関わっていたからか、多少厳しい態度を取られてもムルクは動じない。

 むしろその反応から相手の思考を予測することに慣れており、口許に苦笑を浮かべた。


「そうか。嫌いじゃないが、嫌なんだな」

「……どっちなんだ」


 ムルクの言葉を聞いて、セレストは眉間に皺を寄せた。

 一方ヒューティリアはムルクの言葉が見事自分の思いを言い当てていて、目を瞬かせた。


「説明したところで、老若男女問わず扱いが雑なお前に複雑な乙女心は理解できないだろ」

「意味がわからない」

「そういうところが駄目なんだって」


 まるでフォレノの森の精霊や妖精たちのようなムルクの言い種に、セレストは口を噤む。

 ふたりがそんなやり取りをしている間に、そろりそろりと扉の影から出てきたヒューティリアは、小走りでセレストの背後に移動して背中に張り付いた。そしてムルクの様子を窺うように、セレストの影から僅かに顔を出す。


「ちょっ……おい、なんだこの可愛い小動物は……!」

「小動物じゃない、人間だ。名前はヒューティリア」


 大真面目に否定してヒューティリアを紹介したセレストに、ムルクは「例えだよ、例え!」と突っ込みを入れてから改めてヒューティリアの方へ向き直る。


「しかしそうか、お嬢ちゃんの名前はヒューティリアか。どこかの可愛らしい妖精と同じ名前だな」

「そこから名前を拝借したからな」


 以前にもサナと同じやり取りをしたなと思いながらセレストが答えると、ムルクが怪訝そうにセレストを見た。

 しかしサナと同じく察しのいいムルクはそれ以上何かを問うことなく、屈めていた体を起こす。


 セレストが弟子を取った。しかも、まだ幼い少女。

 魔法使いに限ったことではないが、弟子入りすると師匠の許に住み込んで師から学ぶ。つまり、この少女は親元ではなくセレストの許で暮らしている。

 それに加えて、この少女の名前はセレストが名付けたという。

 ここまで情報が揃えば、少女の事情をある程度予測することができた。


「さて、時間もそろそろ頃合いだろう。明日以降の打ち合わせがてら、これから一緒に夕飯を食べに行かないか?」


 ムルクがそう提案すると、すかさずヒューティリアのお腹が空腹を訴える音を立てた。

 セレストも顔を真っ赤にしているヒューティリアを見下ろしながら、乗り合い馬車に乗るからと昼食が控えめだったことを思い出す。


「そうだな、行くか」

「よし、決まり! ヒューティリアは何が食べたい?」

「……わ、わかんない」


 身を屈めて覗き込まれ、ヒューティリアはセレストの背中に隠れながら小さく答える。

 実際、ヒューティリアには王都にどんな食べ物があるのかわからないので、至極当然の返答だ。


「セレストは?」

「何でもいい。ヒューティリアも好き嫌いはないから、お前が行きたい店で構わない」

「その年で好き嫌いがないだと……!? なら、俺が最近ハマってる店にしよう。絶対気に入るから!」


 そう言って、意気揚揚とムルクが先導して宿を出た。

 辿り着いた店は宿から割と近く、夕飯には若干早い時間帯にも関わらず既に賑わっていた。


 店に入るとムルクが店員顔負けの知識でお勧めのメニューを紹介し、セレストとヒューティリアがそれぞれ品を決めると慣れた様子でムルクが注文を済ませる。

 出された料理は想像以上に美味しく、食べている間も食材や味付けについてあれこれ語るムルクに、段々とヒューティリアも警戒を解いていった。


 セレストはその様子を横目で見ながら、さすがだなと内心舌を巻く。

 この元同僚は人の心をつかむのが上手い。

 加えて、人と関わるのが面倒でセレストが辛辣な態度を取っても意に介さず、あれこれ世話を焼いてきたほどの鋼の精神を持っている。


 口には出さないが、セレストもそうして構われているうちにムルクを頼りにするようになった面がある。

 今回嫌々ながらも手を貸して貰う他ないと判断を下したのは、頼る相手がムルクだったからだ。



 いつの間にか楽しげにムルクの話に聴き入っているヒューティリアを眺めながら、セレストは口許を緩める。そして心置きなく、美味しい料理を味わった。

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