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導きの言葉

 家を出たセレストは、ヒューティリアの姿を確認すべく一旦立ち止まった。

 ぐるりと泉の手前から視線を巡らせると、冬独特の色味を失っているようにも見える景色の中に、一際目を引く深紅を見咎める。

 今日はこの冬に入って最も寒い日だ。日陰の寒さに耐えられなかったのだろうヒューティリアは、陽光が差す一角にしゃがみ込んでいた。


「ヒューティリア」


 呼びかけると、氷が張った水面に投じられている視線が、セレストの方へと向けられる。

 相変わらず薄っすら涙を浮かべてはいるものの、先ほど見せた激しい感情の波は落ち着いたようだった。


 そのことにほっとする。

 しかし続く言葉を考えていなかったセレストは、一歩踏み出そうとしたところでぴたりと動きを止めた。ヒューティリアも口を閉ざしたまま、ふたりの間に沈黙がおりる。


 そのまましばしの膠着状態が続き、先に動いたのはセレストだった。ゆっくりとした足取りでヒューティリアの許へと歩き出す。


 ヒューティリアに歩み寄る間、セレストは秋の終わりの出来事を思い出していた。

 あの時もセレストはヒューティリアにかけるべき言葉を見つけられず、立ち尽くしていた。

 あれから全く成長していない自身のことを思うと、精霊や妖精たちの言葉がより一層突き刺さる。


 セレストは苦い思いを抱きつつヒューティリアの横に辿り着くと、目線を合わせるために地面に腰を下ろした。

 ヒューティリアはただその動きを目で追うだけで、何も言葉を発しない。

 この沈黙を破るのは、どうやらセレストの役目のようだった。


「……俺の考えが至らず、お前にはつらい思いをさせてしまったようだ。申し訳なかった」


 何とか反省の意思を言葉にする。今回は秋の件のように、ヒューティリアから何故謝るのか問われることはなかった。

 それはつまり、ヒューティリアも今回はセレストに非があると判断していることに他ならない。


 セレストはじっと見返してくるだけで反応を示さないヒューティリアの様子に、益々反省を深めた。

 そして何をどう伝えたらいいのか考えながら、ゆっくりと話し出す。


「……俺は、物心ついた頃にはすでに、精霊や妖精の姿が視え、声も聞こえていた。だからお前に教えるとき、どう伝えたらいいのかわからず、自分が師匠から教えられた内容をほぼそのまま伝えた」


 唐突に語り始めたセレストに、ヒューティリアは不思議そうな視線を向ける。

 その視線に、セレストは自嘲混じりの笑みを返した。しかしその笑みもすぐに消える。


「正直、あの説明でお前が実際に精霊や妖精の気配を捉え、声が聞こえるようになったと聞いて、あの方法が本当に有効なんだと実感した。だから、俺が師匠から教えられたとおりに教えていけば、お前も魔法を使えるようになるだろうと思い込んでいた。だが、どうやらそれでは駄目だったらしい。精霊たちに怒られた」


 セレストの視線が泉の方へと向けられた。つられて泉に目を向ければ、凍てついた水面が相変わらず時が止まったかのように静止している。


「俺も、魔力を捉え、操るのには大分てこずった記憶がある。魔力の調整が魔法を使う上で最も難しいと言ったのは自分の経験を踏まえてのアドバイスのつもりだったが、魔力を理解する上では何のヒントにもなっていなかったな」

「……セレストも、魔力を扱うのは難しかったの?」


 ようやくヒューティリアが口を開いた。

 セレストの話を半ば疑っているような声音。ヒューティリアにはセレストが何かにつまずいている姿が全く想像できなかったのだ。


 しかしセレストはヒューティリアに向き直ると、しっかりと頷いた。


「俺には、そもそも魔力がどんなものなのか認識するところからして難しかった。悩めば悩むほど正解から遠ざかっているようで、全く掴めずにいたんだが……」


 同じだ、とヒューティリアは思った。

 セレストもかつてはヒューティリアと同じように、答えを追い求める余り見失って迷子になったことがあったのだ。

 そう思ったら何となく、魔力を理解できない自分への絶望感が薄れた気がした。


 セレストは再び凍りついた泉の水面に視線を落とすと、静かに瞑目する。


「そんな時に、俺は傷を負って弱っている精霊を保護した。普段からよく話しかけてくれていた精霊だった。急いで家に戻ろうとしたんだが、他の精霊たちが間に合わないと、助からないから諦めろと言ってきた」


 精霊も怪我をするものなのか気になったが、ヒューティリアは口を噤んだまま。淡々と語るセレストの声に耳を傾ける。


「同族の精霊たちですら助けられないと判断している状況で、俺に出来ることは何もなかった。それでも諦められずに家まで走ったんだが……家に辿り着く前に、その精霊は死んでしまった。師匠に精霊の核を渡して何とか助けられないか聞いてみたが、生きているうちなら救う手立てはあったけれど、核だけになってしまってはもう助けられないと言われた」


 一度言葉を切り、閉ざしていた瞳を開け短く息を吐き出す。空気が白く染まり、しかしすぐに空中に融けて消えていく。

 その様子を見届けると、セレストは続く言葉を紡ぎ出した。


「──その生きているうちなら有効だった手というのが、精霊の命を繋ぎ止めるために、自らの魔力を分け与えることだった。つまり、まだ魔力を操れなかった俺にはどう足掻いても助けることは出来なかった」


 そう語るセレストの瞳に深い後悔の念が浮かんでいるように思えて、ヒューティリアの胸が痛む。

 もし自分がセレストの立場だったらと思うとやるせない。


「それがわかっていたから精霊たちも助からない、諦めろと言っていたんだとわかって、俺は自分の不甲斐なさが悔しくて、半ば意地になって魔力と向き合うようになった。掴んだと思った魔力を疑わず、思い切り引っ張り出すようにイメージしたら、魔力の使いすぎで泉周辺を水浸しにしたあげく魔力切れで倒れて、師匠にこっぴどく叱られた」


 そのときのことを思い出したのだろうか。セレストは小さく笑みを浮かべた。

 しかしすぐに表情を引き締め、改めて正面からヒューティリアと向き合う。


「その後は延々と魔力の調整が出来るようになるまで修練を繰り返し、やっと魔力を使いこなせるようになったのは半年以上経ってからだ。きっとお前が引っかかっているのも俺が引っかかっていたのと同じところだと思う」


 ヒューティリアも同じだと思い、頷く。

 それを確認して、セレストは更に言葉を重ねた。


「だが、魔力に関しては言葉で説明するのが難しい。ただひたすら魔力の存在と自分の感覚を信じて、成功するまで繰り返すしかない」


 そう語るセレストの言葉が、ヒューティリアの中にすとんと落ちてきた。

 はっきりとはわからないが、ずっとわからなかった何かがわかりそうな気がして息を呑む。


 そんなヒューティリアの変化に気付くことなく、セレストは話し続けた。


「だから、できないからといって諦めないでくれ。諦めさえしなければ、必ず扱えるようになるから」


 セレストが珍しく相手を励ますような言葉を口にする。その言葉を受けて、ヒューティリアは口許を引き締め、頷いた。


 魔力に関しては、セレストが既に説明してくれた以上のことを言葉で教えてもらうことはできないのだと理解する。

 しかしセレストが口にした「ただひたすら魔力の存在と自分の感覚を信じて、成功するまで繰り返す」という言葉から、大きな手掛かりを得た気がした。

 同時に、セレストの「諦めさえしなければ必ず扱えるようになる」という言葉がヒューティリアの折れかけていた心を奮い立たせる。


 けれどもう一声。気持ちを上向かせる言葉が欲しかった。


「あたし、ちゃんと魔力を使いこなせるようになると思う?」

「もうほとんど出来ているだろう。あとは調整することを覚えればいい」


 あっけないほどさらりと肯定されて、ヒューティリアは肩すかしを受ける。欲しい言葉とは方向性こそ同じでも、何かが違う。

 なので、更に問いを重ねた。


「なら、あたしはいつか、セレストみたいな魔法使いになれると思う?」

「……俺みたいな魔法使いになってどうする。もっと上の、師匠やソルシスのような魔法使いを目指せ」


 いつものように眉間に皺を寄せたセレストの言葉に、ヒューティリアは思わず身を乗り出した。


「あたしにとって一番の魔法使いはセレストだもん! あたしはセレストみたいな魔法使いを目指すの!」


 強い意志の籠った目で訴えかけてきた弟子に気圧され、セレストは僅かに身を引いた。

 このときセレストの胸に去来したのは、疑問符の嵐だ。


「そう言われるほどお前の前で魔法を使った覚えはないんだが」

「……あたしがセレストみたいな魔法使いを目指したいと思った理由は、魔法の腕のよさだけじゃないもん」


 口を尖らせるヒューティリアだったが、自分が尊敬の対象になっていることが理解できない様子のセレストを見て、小さく吹き出して笑った。


 あんなに追いつめられていたのに、いつの間にか心が軽くなっている。

 あんなにできないと思っていたのに、必ず出来るという自信が湧いてくる。


 人に教えるのはあまりうまくないけれど、セレストの言葉は確実にヒューティリアを導いてくれている。

 時々不満を抱くことはあっても、ヒューティリアにとってセレストは紛れもなく尊敬すべき師匠なのだと、改めて認識した。






「俺も出来るだけ言葉で説明できるよう考えるが、このとおり人に教えることには向いていない。俺が師である限り、これからもお前は苦労するだろう」


 家に戻るなりそう告げて、セレストは書棚から魔法書をいくつも引っ張り出してきた。

 そして魔力に関する記述のあるページを片っ端から開き、そこに記されている説明を噛み砕いてヒューティリアに説明する。

 小さくてもいい。何かヒントになればと思っての行動だったが、ヒューティリアは難しい顔で考え込んでしまった。


『そんなに一気に言われてもよくわかんないよ』

『ていうかセレスト、魔法薬の方はいいの?』


 精霊たちの突っ込みを受けて、セレストはしまった、という顔になった。


「魔法薬?」


『村で重病人が出てるんだって』

『急がないと、命に関わるの』


「そうなの!?」


 椅子を蹴って立ち上がったヒューティリアに問われ、セレストは黙り込んだ。

 師として今ヒューティリアを放り出すべきではないという思いと、請け負った仕事への責任、どちらを優先すべきか判断に迷ったのだ。

 何なら魔法薬に関しては妖精たちが作業を進めてくれているから、今日から着手せずとも宣言した納期には間に合うだろうと考えていたりもする。


「どうしてそれを先に言わないの!?」


『いや、そこに関しては色々とタイミングが悪かったよね』

『ちょうどヒューティリアも限界で爆発したから説明する暇がなかったしね』


 精霊たちの言葉に、今度はヒューティリアが言葉に詰まって黙り込んだ。

 確かにセレストは「急ぎ魔法薬が必要に」と言いかけていた。それを遮ったのは自分だったことを思い出したのだ。


 気まずい沈黙がおりる。

 その沈黙を破ったのは、ヒューティリアだった。


「命の方が大事に決まってる。あたしはもう大丈夫だから、魔法薬作りを優先して」


 そう言って廊下の先、調合部屋の方を指し示す。


「三日ほどかかるが」

「自習してる」

「何か困ったことがあったら」

「魔法薬が出来るまで待てるから大丈夫」

「だが」

「いいから!」


 ヒューティリアは珍しく優柔不断になっているセレストを椅子から立たせると、リビングから追い出すようにその背中をぐいぐいと押した。

 セレストは押されるがままに数歩進み、一旦立ち止まる。

 まだ何かあるのかとヒューティリアが見上げれば、柔らかい笑みを浮かべているセレストと目が合った。


 誰の目から見てもそうとわかる笑みを浮かべるセレストに、驚き目を見開く。

 そうして驚いている間に、大きな手で優しく頭を撫でられた。


「うちの弟子は頼もしいな」


 驚き固まっているヒューティリアを残し、セレストは調合部屋へと消えた。

 ヒューティリアはセレストの後ろ姿を見送ると放心状態から何とか抜け出し、だらしなく頬を綻ばせる。

 「頼もしい弟子」と言われたことがヒューティリアに更なるやる気と自信を漲らせたことになど、セレストが気付くはずもなかった。

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