つまずき
「次は自分の中に存在する魔力を感じ取り、引き出す方法だが──」
そう切り出して、セレストは『魔法の基礎』のページを捲った。ヒューティリアも開かれたページに目を向ける。
そこには簡略化された人の図と、その中心から体の輪郭に向けて螺旋状に広がる波線が描かれていた。しかしその図と横に書かれた説明文だけでは知識としては頭に入るものの、感覚として掴むのは難しい。
セレストも同じ感想を抱いたのだろう。小さく「わかりにくいな」と呟くとヒューティリアに手を差し出す。
「これは言葉で説明するより実践の方がいいだろう。俺の魔力を少し送り込むから、感覚で掴め」
ヒューティリアはセレストの顔と目の前に差し出されている手を交互に見る。そしてこの手を取れというセレストの意図を汲み取ると、おずおずと小さな手を持ち上げてセレストの手に重ねた。
セレストの手は幼いヒューティリアからしたら大きく、思いの外温かかった。
「魔力の流れが掴めるようになれば、感覚的に引き出すことも可能になる。魔力を引き出すのに一番適しているのは利き手だな。物を扱うのに慣れているからか、魔法を操るときも利き手を使った方がうまくいく」
説明しながらセレストは自らの手を介してヒューティリアの手に魔力を送り込んだ。ヒューティリアがびくりと体を揺らす。
「な、なんか冷たくてふわっとした何かが……」
「それが魔力だ。正確には俺の魔力だな。魔力の感触は使い手の得意な属性に近い性質を持つ。俺の得意な属性は水と風だ」
「得意な属性……」
「精霊たちが言うには、お前は火と土が得意なんだそうだ」
重ねた手を不思議そうに眺めるヒューティリアの呟きに、すかさずセレストが応じる。するとヒューティリアは驚いた表情でセレストの顔を見上げた。
言葉にこそしないが、他人の心情に疎い……というより頓着しないセレストが、ヒューティリアが今正に問いかけようとしていた事柄への答えを先に口にしたことが意外すぎて、驚愕に近い感覚を抱いたのだ。
「そうなんだ……セレストとは違うのね」
「真逆とも言えるな。だが得意ではないからと言って使えない訳じゃない。ちゃんと教えるからそこは安心してくれていい」
セレストは淡々と告げるとヒューティリアから手を離し、早速魔力の捉え方について説明し始める。
魔力は体内にある魔力の器を中心に、血流と同じように全身を巡っていること。
得意な属性に近い性質を持つため、意識的に探ろうと思えば案外簡単に感覚的に捉えることが可能であること。
ヒューティリアの場合は火と土なので、捉えやすい火の性質……熱を探ると見つけやすいこと。
「まずは自らの内側に意識を集中する。そのうち血流とは違う何かが全身を巡っていることがわかるようになる。そこに至るまで、ただひたすら集中する」
「わかった」
ヒューティリアは頷くと、目を閉じて自らの内側へと意識を集中させた。
自分の内側と言ってもちゃんとそのように意識できているか微妙なところではあったが、自分の全身を巡る見えない力があるというイメージを強く持つ。
そうして探り続けていると、何となく、熱い流れが自らの内にあるような気がしてきた。思い込みかもしれないが、不思議と自分の中にある魔力を掴んだような手応えを得る。
「これ……かな?」
ヒューティリアが呟くと、思わずといった様子で「早いな」とセレストから声が漏れた。
「恐らくまだ掴めたような気がする、というところだろうが、そういう感覚を持つことが大事だ。もし掴めた気がするなら、それを手のひらを通して外に出すようにイメージしてみろ」
そう言って、再び手を差し出す。どうやら先ほどセレストがやって見せたように、今度はヒューティリア側から魔力を送り込んでみろということらしい。
ヒューティリアは小さく頷いて、セレストの手に自らの手を重ねた。そして自分の中を巡っている魔力を捉え、捉えた魔力をセレストと重ねている手のひらから外に出すようにイメージする。
「…………」
自分では上手くいっているのか判断できず、ヒューティリアはセレストの反応を待った。
しかしいくら待っても沈黙が流れるばかりで、いつも騒がしい精霊や妖精たちすらも、気配は感じるものの物音ひとつ立てずにいる。
「ど、どう? できてる?」
「……いや。まだ魔力の流れが掴めていないか、うまく魔力を操作できていないかのどちらかだな」
期待と不安がない交ぜになっているヒューティリアの問いに、セレストはあっさりと答えた。
実際、魔力を感覚的に掴み操る技術はそう簡単に会得できるものではない。たった一度の挑戦で成功するはずがないと考えているからこそ、残念に思うこともなく淡々と答えたに過ぎない。
しかし魔力を捉え操る技術が難しい技術であることを知る由もないヒューティリアは、できていないと告げられて落ち込んだ。ここまで順調にあらゆることを習得してきただけに、出来ないことへの悔しさも湧き上がってくる。
すぐに落ち込んだ気持ちよりも悔しい気持ちが勝り、俯きかけていた顔を上げた。
「も、もう一回!」
「ん」
ぎゅっとセレストの手を握り再挑戦する意思を示すと、セレストは頷いて待ちの姿勢になる。
ヒューティリアはセレストが呆れることなく付き合ってくれる様子を見せたことにほっと息をつくと、改めて自らの魔力に意識を向けた。
そうして挑戦することおよそ半日。
日が沈む頃になってようやく、ヒューティリアは自分の魔力を放出することに成功した。
この半日で何度となく繰り返してきたように、ヒューティリアは恐る恐るセレストに問う視線を向ける。
すると、これまで首を横に振り続けてきたセレストが静かに頷いた。途端に、ヒューティリアの表情がぱっと輝く。
「やった!」
『おめでとう!』
『おめでとう〜』
喜ぶヒューティリアを眺め、セレストは微苦笑を浮かべた。
ヒューティリアが負けず嫌いであることには気付いていたが、それ故に発揮される根気もなかなかのものだと、呆れを通り越して感心する。
「今日はこの辺にして、夕食に──」
と、席を立ったセレストの手を、ヒューティリアは慌てて掴んだ。
「この感覚を覚えているうちに、一回でいいから“灯火の魔法”に挑戦させて! お願いっ!」
縋り付くような格好で見上げてきたヒューティリアの訴えに、セレストは眉間に皺を寄せた。
「熱心なのは悪いことじゃないが、休息も必要だ。体調を崩すと魔力もうまく巡らなくなる」
機嫌を損ねているようにも見える表情で言われたものの、それでもヒューティリアは引き下がらなかった。
「一回だけでいいの! お願い!」
尚も食い下がるヒューティリアを見下ろしながらセレストは億劫そうにため息をつくと、「一回挑戦したら夕食にする。二度はやらない」と言って椅子に座りなおした。
さすがにわがままだったかも知れない。怒らせてしまっただろうかとヒューティリアは肩を窄めた。
しかしセレストの表情は不機嫌そうだと言われればそのようにも見えるし、いつも通りだと言われればそのようにも見え、いまいち感情が読み取れない。
「ここまで順調に手順を踏んできているが、この先も同じようにいくとは思わないように」
やはり少し怒っている気がする。ヒューティリアは無理に頼み込んだ数分前の自分を呪った。しかし今更「やっぱり明日でいい」などと言えば、余計に煩わしく思われるかも知れない。
そこに思い至り、ヒューティリアはやるからには真剣に向き合おうと気を引き締めた。背筋を伸ばしてセレストを真っ直ぐ見つめると、その真剣さが伝わったのか、無表情に近かったセレストの顔にも真剣さが宿る。
「いいか、火は特に気をつけて扱わなければならない属性だ。精霊たちが危険がないよう気を配ってくれると言っていたが、お前自身も細心の注意を払うように」
「はい!」
気合いを入れて返事をすると、セレストは小さく頷いてヒューティリアから見えるようにテーブルの上に右手を乗せ、人差し指を立てた。
「手順を言葉で説明されると簡単そうに聞こえるだろうが、慣れるまでは相当な集中力が必要になる。まずは自分の魔力を捉えつつ、小さな火を灯して欲しいと精霊に伝える。続いて火を灯して欲しい場所……今回の場合はわかりやすく指先に、魔力を集めて体外に放出する」
そう説明しつつ、いとも簡単に指先に火を灯してみせたセレストに、ヒューティリアは目を輝かせた。
慣れるまでは相当な集中力が必要だと言いながら、自分は魔法の説明をしながらでもその魔法を使ってみせている。そんな自らの師に、ヒューティリアは改めて尊敬の念を抱いた。
「このとき、放出する魔力の量を誤るな。あくまで小さな火が得られればいい。かといって放出する魔力量が少なすぎれば火は灯らないし、少な過ぎてしまうことを恐れて過剰に魔力を放出すると大きな火を作り出してしまい、火事を起こしかねない。加減を覚えるまでは、火が灯るまで徐々に放出する魔力量を増やして調整するように」
念を押すように言われて「わかった」と頷くと、ヒューティリアも右手をテーブルの上に乗せた。そして人差し指を天井に向けて立て、自分の中を巡っている魔力に意識を傾ける。
微かに感じる熱を持った不思議な力の流れを掴むと、心の中で「小さな火を灯して欲しい」と精霊に向けて念じた。同時に、掴んだ魔力を指先から放出するようにイメージする。
しかし。
「……何も起こらない」
ヒューティリアの呟きが静まり返っている室内に響いた。するとそれに応じるように、
『だってヒューティリアの出す魔力が強すぎるんだもの』
『その魔力に応えて火を灯したら、この家が消し炭になっちゃう』
『それに、その量の魔力を魔法として消耗しちゃったら、ヒューティリアも倒れちゃうよ?』
と、精霊たちが次々と声を上げ始めた。
「過剰に魔力を出しすぎだな」
そう告げるなり、セレストが席を立った。思わずヒューティリアは「あっ」と声をあげてしまったが、慌てて両手で口を塞ぐ。
自分から「一回だけ挑戦したい」と言ったのだ。そしてセレストも「二度はやらない」と言った。これ以上わがままを言って煩わせるわけにはいかない。
セレストはヒューティリアが漏らした声に気付かなかったのか、そのまま調理場横の食料庫に入ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、ヒューティリアは小さくため息を吐く。
(過剰に魔力を出しすぎ……)
先ほどのセレストの言葉を反芻して、更にため息を重ねた。
自分はまだ魔力というものがいまいち理解できていない。感覚的に掴んだような気にはなっているが、魔力を適切に扱えていないことは明白。
そもそも魔力を扱っているという実感がないせいか、自分でも魔力をちゃんと扱えている気はしていなかった。
(何だか……自信がなくなっちゃった)
今日まで何をやっても努力すればなんとでもなってきた。
しかし今回ばかりは字を覚えたり、本を読んだり、楽器を演奏するのとは違う努力……感覚を掴むという何とも曖昧な技術を習得しなければならない。
「出来るかなぁ……」
ぽつりと言葉を零す。その言葉はヒューティリア以外誰もいない空間に、虚しく溶けて消えていった。
そして、ヒューティリアの不安は的中する。
同時に、セレストの「ここまで順調に手順を踏んできているが、この先も同じだとは思わないように」という戒めの言葉が現実となった。
これまで順調に知識や技術を吸収し、習得してきたヒューティリアは魔法を使う段になって初めて、大きくつまづいてしまったのだ。
何度挑戦しても魔力量の調整がうまくできない。
放出する魔力量をどのようにして調整すればいいのか感覚として捉えられないまま、ひと月が経過しようとしていた。
ヒューティリアもさすがに目に見えて落ち込み始めた。
最初は魔力が出せない訳じゃないなら何とかなるかも知れないと自らを鼓舞してきたが、幼く負けず嫌いなヒューティリアの心は、思うようにいかない状況が長く続いたことで折れかけていた。
対してセレストは「魔法はそう易々と使えるものではない」とか「魔力の調整が魔法を使う上で最も難しい」とか、これだけ長い時間をかけておきながら一切魔法が発動しない状況も、おかしなことではないと言う。
「コツが掴めるまで何度も繰り返し、失敗したらその都度何が駄目だったのか考え、改善していくことが大切だ」
そうアドバイスされたが、ヒューティリアには魔力というもの自体がいまだに掴みきれておらず、そんな状態で何が駄目だったのかなどわかるはずもない。
しかしセレストがそのことに気付くこともなく、ヒューティリアも魔力を扱えていないわけではないのだからと、魔力量の調整のイメージをあれこれ試してばかりで根本的解決には着眼しておらず────
────そうして更にひと月後。
ヒューティリアがついに、うまく出来ない悔しさと不安、そして密かに燻らせ始めていたセレストに対する不満の感情を、怒りに変えて爆発させた。




