旧い思い出
ムルク夫妻が帰途につき、ヒューティリアはネリーに甚く気に入られたようで、別室に連れて行かれてしまった。
どうしたものかとセレストが居心地悪くしていると。
「少し話さないか」
一度別室に下がっていたワースが声をかけてきた。予測していたことなので頷き、案内されるまま客間に移動する。
客間に通され、備え付けられているソファーに机を挟んで腰を落ち着かせると、間を置くことなくセレストから切り出した。
「それで、話とは?」
ワースがセレストに話があることはわかっていた。なので問いかけることで促す。
とは言っても、内容はある程度予想できていた。
きっとワースは確認したいのだろう。マールエル死が真実であるのかを。
その予想は、見事に的中した。
「きみの師匠についての話だ」
「そうだろうと思っていました」
「そう思われているだろうと思っていた」
普段の冷静沈着なワースとは印象が異なる、ニッと歯を見せて笑うその顔に、セレストは脱力した。
セレストにとってはこちらの顔の方が昔馴染みの顔だ。
魔法師団にいた頃やムルクたちの前で見せていたような真面目な顔を見ると、どうしても畏まってしまう。
「聞きますよ。そのために招待に応じたんですから」
「それは有り難い。ではさっそく確認なんだが──」
ワースの表情が真剣味を帯び、思わずセレストは背筋を伸ばす。
「マールエルが亡くなったというのは、本当か?」
「はい」
予想通りの問いに、セレストはしっかりと頷いた。
「間違いなく?」
「間違いなく」
重ねられた問いにも、しっかりと頷く。
するとワースは組んだ両手に額を押し付け、長く息を吐き出した。
「……根拠を聞いてもいいだろうか」
理解しているが、納得は出来ていないといった声音。
セレストは、自分も納得せざるを得なかった事実を告げることにした。
「師匠はフォレノの森の守護者でした」
守護者。
その一言を耳にして、僅かにワースの指先に力が入った。恐らくこの一言で、これから語られる根拠がどういうものなのかを悟ったのだろう。
「守護者はその地を守護する代わりに、その地の精霊と妖精の長から助力が得られ、その生涯を見守られる……ということは、ご存知ですか?」
ワースは無言で頷いた。
「俺が師匠の死について納得することができたのは、森の長たちから守護者の席が空席だと言われたからです」
きっぱりと告げると、ワースが顔を上げた。
その目にはまだ迷いがある。
「森の長たちの言葉は、そんなにも信用出来ると?」
「守護者と最も強い繋がりを持つのは、守護者が守る地に住まう精霊や妖精の長たちです。長たち以上に、守護者であった師匠の生死を正しく知る者はいないでしょう。そして彼らには、嘘をつく理由がない。何故なら、守護者が不在であることは彼らにとって喜ばしいことではないからです」
ワースの迷いを断ち切るように、セレストが断言する。
するとようやく諦めがついたのだろう。ワースが小さく「そうか」と零した。
組んでいた手に顎を乗せ、息を吐き出すと共に肩の力を抜く。これまで張り続けていた気が抜けてしまったような、疲れに似た色がその表情に滲む。
「……マールエルは、私にとって友人であり、良きライバルだった」
ぽつりと、ワースが零す。
セレストは沈黙で以って肯定した。マールエルも全く同じことを言っていたのを思い出す。
「偉大なる魔法使い──ああ、この呼び名だとマールエルにも当て嵌まるのか」
言いかけて苦笑し、ワースは別の呼び名を口にする。
「知の賢者であるソルシス殿が私の師匠の許にやってきたのは、私が十歳の時のこと。私の師匠はソルシス殿にとって数少ない友人でね。弟子にしたマールエルと向き合う上で発生した、困りごとなどを相談しにきていたのだと聞いている」
ワースの言葉から、ソルシスの手記のことを思い出す。
ソルシスの手記には他人から受けた助言についても記されていた。きっとその中に、ワースの師の言葉も記されていたのだろう。
「それからは年に一度、多い時には二度ほど、ソルシス殿はマールエルを連れて王都を訪れた。その度に私とマールエルは互いがどこまで魔法を修得したのかを見せ合い、遅れを取った側が悔しがって修練に励んだ。が、それも五年後には途絶えてしまった」
セレストがワースを見遣ると、ワースはその日々を思い出していたのか懐かしそうに目を細めていた。
「……何故途絶えてしまったのか、聞いても?」
口を挟まない方がいいだろうかと思いつつ問いかけると、ワースは静かに頷いた。
「ソルシス殿が足を悪くされたのだそうだ。王都まで通うことが困難になり、以後師匠とは手紙でやり取りをすることになったと」
なるほど、とセレストは頷いた。
ソルシスの年齢は定かではないが、恐らく高齢の域に達していたのだろう。体に不調が出ていてもおかしくない。
「次にマールエルと再会したのは、それから十年後のことだった。赤子を連れて、マールエルが尋ねてきた」
その赤子がセレストであることは明らかだった。
ネリーがセレストを我が子のように扱う理由はここにある。
不意に、黙って耳を傾けているセレストをワースが慈しみの籠った目で見た。
視線に気付いたセレストが怪訝な表情を浮かべると、ワースは砕けた笑みを浮かべ、身を乗り出してセレストの髪をガシガシと掻き混ぜる。
「なにを──」
「全く、大きくなったものだ。こんなに小さかったのに」
と、セレストを解放したワースは両手で赤子だったセレストの大きさを示す。
どうやら満足行くまで感傷に浸れたようだ。ワースはそれ以上マールエルの話をする様子を見せず、セレストに構い始める。
「覚えていませんから」
「どうしてこんな素っ気ない子に育ってしまったのか」
「さあ」
大袈裟に嘆いてみせるワースに、正に素っ気なく返すセレスト。
その様子を扉の隙間から覗いている瞳が、二組あった。
「団長さんってあんな感じの人だったんですね」
こそっとヒューティリアが漏らすと、ネリーが声を押し殺して笑う。
「あの人、セレストくんのことがお気に入りなのよ。あの素っ気なさのせいかしら。血の繋がった子供たちよりも構いたくなるみたいなのよね」
確かに、今現在セレストを構い倒しているワースはとても楽しそうに見える。
なるほど、と納得していると、ネリーが扉を押し開けた。
「ほらほら、セレストくんが困ってるじゃない。あまり困らせると嫌われてしまうわよ?」
ネリーがセレストとワースの間に割り入ると、残念そうにワースが手を引く。
その光景が何だか家族の姿のように見えて、ヒューティリアはひとり、微笑みを浮かべた。




