晩餐
セレストたちは今、ワースの邸の前に立っていた。
何でもないような佇まいでいるのはセレストだけで、ヒューティリアもムルクもイナも、緊張のあまり表情が固い。
そんな面々を横目に、セレストが躊躇なくノッカーを叩く。そして遠慮なく声を上げた。
「ご招待に預かりました、セレスト=ルゼルシスです」
如何にも外用の口調で告げると、間もなく玄関扉が開かれた。
姿を現したのは、中年の女性。セレストの姿を認めるなり、満面の笑顔を浮かべてセレストを抱きしめた。
「セレストくん、久しぶりね!」
突然のことに目を白黒させているのはヒューティリアとムルクだ。
イナだけは中年の女性がセレストに向ける慈愛の表情に気付き、微笑みを浮かべている。
「お久しぶりです」
「本当に! 全く、毎年王都に来てるのにどうしてうちに寄ってくれないの。魔法師団を退団した時もあっという間にいなくなってしまって、送別の晩餐もできなかったじゃないの!」
セレストから体を離すなり、中年の女性は怒った口調で責め立てる。
しかしそこに本気の怒気など感じられず、何とも和やかな空気が場を支配していた。
呆気に取られているヒューティリアとムルクが、互いに顔を見合わせる。
すると、聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
「ネリー、セレストの弟子とムルクが驚いているからその辺で」
家の中から現れた人物──王国魔法師団団長のワースは、窘めるように中年の女性に声をかけた。
その様子から中年の女性がワースの奥方であることを悟ったヒューティリアとイナが姿勢を正し、ムルクも素早く敬礼する。
そんな面々を手の動きで制しながら、ワースはセレストに向き直った。
「久しぶりだな」
「はい。お久しぶりです」
挨拶を交わしていると、立ち話もなんだからとネリーが促し、邸の中に通される。
通された先は、食堂だった。
ワースの邸はそこそこ大きく、家族のための区画と来客のための区画に区切られている。
この食堂は、来客のための区画のようだった。
周囲に八脚の椅子が並ぶ食卓の上には所狭しと料理が並べられており、あまりの豪勢さにヒューティリアもムルクも驚きで口が開いてしまう。
イナに脇を突かれたムルクは慌てて口を閉じたものの、ヒューティリアは思わずセレストを見上げた。
その目で「凄い豪華!」と無言で訴えると、視線を感じたセレストがヒューティリアを見遣り、苦笑を浮かべる。服装や化粧でいつもと印象が違うが、素直な性質はいつも通りだと、無意識に安堵する。
「セレストのことは赤子の頃から知っていてね。という話は、ムルクやヒューティリアにとっては初耳だろうか」
客人に席を勧めながら、ワースは最奥の椅子に腰掛けた。
促されるまま全員が席に着くと、控えていた使用人がそれぞれの前に置かれたグラスに飲み物を注いでいく。
男性陣には酒を、女性陣には果実水を。
こんな豪勢な席も、使用人に世話をされるような待遇も初めてのヒューティリアは、ついきょろきょろと周囲を見回してしまった。
使用人の数は多くない。ように見える。
室内も豪華すぎることはなく、落ち着いた優雅さを感じる内装だ。
壁にかけられた絵画は周囲と調和をとりつつ、その存在に気付くと目が引かれてしまうような繊細な筆致で描かれている。調度品も見事に室内の雰囲気に溶け込んでいるが、ひとつひとつを見ればどれも年代を重ねた逸品であることがわかる。
思わずほぅ、とため息を漏らすと、遅れて隣に座った女性、ネリーがくすくすと笑った。
「凄いでしょう? 以前はもっと質素な家に住んでいたのだけど、国王陛下から魔法師団団長の邸なんだからそれなりの邸を構えるよう叱責を受けて、譲り受けたのがこの家なの」
それは暗に、この邸は国王陛下からの贈り物だということを示していた。
思わず身を強張らせたヒューティリアに、ネリーが苦笑を漏らす。
「ああ、そんなに気を張らなくても大丈夫よ。この家はもう、うちの孫たちが散々荒らしたあとだもの。陛下もすでに譲り渡した物だから好きにすればいいと仰って下さっているし」
ネリーはヒューティリアを安心させようとしてそう言ってくれているのだろう。それはわかるのだが、うまく緊張を解くことが出来ない。
つい顔を引き攣らせていると、視線を感じた。
視線の方を振り返れば、ばっちりワースと目が合ってしまう。
目が合うと、ワースは柔らかい笑みを浮かべた。
そこに込められているものが何なのかわからず、ヒューティリア首を傾げる。
「いや……知り合いによく似ていると思っただけだ。気にしないでくれ」
そう言われても、そのままじっと見つめられては気になってしまう。
ヒューティリアは困惑したまま、咄嗟にネリーとは反対隣に座るセレストを見た。視線に気付いたセレストは一度ヒューティリアと目を合わせると、表情を動かすことなくワースに向き直る。
「団長が言う知り合いというのは──師匠のことですか?」
ずばりと。
鋭い切り口に驚いたのはワースだけではなく、ヒューティリアもだった。
ふたりが同時に目を見開き、セレストを凝視する。
「よくわかったな。というか、似ていることには気付いていたのか」
「まぁ、一応。だからと言って、どうということもないのですが」
ただの確認です、と告げ、セレストは黙り込んだ。
その反応に苦笑したのはワースだけ。
ヒューティリアは心臓が早鐘を打っており、焦点が定まらなくなっていた。
(あたしとマールエルさんが似てるって、セレストは気付いていたの……? 言わなかっただけで、ずっと似てると思ってた? それでも──)
言い知れぬ喜びが、ヒューティリアの胸に到来する。
(それでもセレストは、あたしとマールエルさんは別の人間だって、思ってくれてた?)
確信までは得られていない。
けれどセレストは、「似ているからと言って、どうということもない」と言っていた。
それは、つまり──
「ふふ、まぁいいだろう。つのる話もあるが、料理が冷めてしまう。先に食事にしようか」
このまま談笑を始めてしまいそうな流れを断ち切り、ワースが声を上げた。
それぞれがグラスを手に持つのを目にして、慌ててヒューティリアもそれに倣う。
「では、久々の再会と、日頃の職務の慰労を兼ねて」
ワースの言葉をきっかけに、それぞれがグラスを高く掲げ、口許に持っていく。
ヒューティリアは見よう見まねで果実水に口をつけ、一口飲むと、ネリーに促されて料理に手を伸ばすのだった。




