悩みの解消
ソーノに相談しようと思っていたこと。それと改めて向き合った結果、あっさりと答えが出てしまった。
そのことに拍子抜けしながら、ヒューティリアはベッドの上で体を反転させる。
仰ぎ見た天井に思い浮かべるのは幸せそうに笑うソーノと、今度は何故か余裕をなくしてしまった様子のグラの姿。
つい忍び笑いを漏らし、笑いを収めるのと同時に体から力を抜く。
ここ最近はずっとマールエルの手記にばかり気を取られていたが、ヒューティリアの中でようやく決着をつけることができた。
ヒューティリアの中でマールエルは、確かに自分と同一人物なのだろうと思っている。
同時に、全くの別人だとも思っている。
(だって、そうでしょう? セレストもソルシスさんと同一人物だけど、人格は全く違う──別人なんだから)
マールエルがやり直したかったソルシスとの師弟関係。
それを今、マールエルに代わってヒューティリアがセレストとやり直しているだなんて、思えなかった。
何故なら、ソルシスとマールエルの師弟関係とセレストとヒューティリアの師弟関係は、全くの別物なのだから。
そうとしか思えない自分の気持ちに気付きさえすれば、あんなにも悩み、恐れていたことが嘘のように、自分とマールエルとの繋がりが気にならなくなった。
(あたしはあたし。マールエルさんにはなり得ない)
ヒューティリアは天井に向けて手を伸ばし、自らの手の平を見つめた。
自分でも器用な方だとは思うが、セレストやクロベルから聞くマールエルは、やろうと思えば何でも出来る人なのだ。
多分自分はそんな風にはなれない。そういう意味でも別人なのだと思う。
(だからあたしの気持ちは、あたしだけのものなんだ)
躊躇う必要なんてない。
他の誰かの、違う種類のものかも知れないだなんて、迷う必要もなければ恐れる必要もない。
「よしっ」
伸ばした両手でぐっと拳を作り、ヒューティリアは勢いを付けて起き上がった。
『まだ眠らないの?』
部屋の明かりがついていることが気になったのだろう。そろりと顔を出した精霊がヒューティリアに問いかけてきた。
思いがけず声をかけられて驚いたヒューティリアは、跳ね上がった鼓動を落ち着けながら笑顔を浮かべる。
「うん、ちょっと思い付いちゃって。でもすぐ寝るから心配しないで」
そう伝えると、精霊はヒューティリアの言葉に頷いて姿を消した。
気を取り直してヒューティリアは殺風景な机を眺め、引き出しから紙束を引っ張り出す。新しい魔法を考えるためにセレストが用意してくれたものだ。
ヒューティリアはいまだに新しい魔法を考え出せないまま、日々を過ごしていた。幾つか案は浮かぶのだが、これだというものが見つけられない。
そのため、数枚の紙には書いては打ち消した文字が幾つも並んでいた。
しばしその文字群を眺め、改めてまっさらな紙を取り出す。
椅子に座り、筆にインクを付けると、ヒューティリアは気合いを入れて文字を書き始めた。
長いことマールエルの字で書かれた魔法書を見ていたおかげだろうか。ヒューティリアの字は美しく整っている。
そんな文字が、さらさらと白い紙面に綴られていった。
やがて満足行くまで書き付けると、ヒューティリアは手元の紙をマールエルの手記と同じ引き出しに仕舞い込んだ。
(明日村に行ったら、手記用の白紙の冊子を買ってもらおう)
今書きつけていたのは手記をつけ始める上での方針をまとめたもの。
あらゆる思考がすっきりした今こそ、自分の手記を書き始めたいと思ったのだ。
ヒューティリアはベッドに潜り込み、目を閉じる。
(セレストも手記をつけてるみたいだし、今度見せてもらおうかな。見せてくれるかな……)
そんなことを考えているうちに、ヒューティリアの意識は眠りの世界へ落ちていった。
翌日。
セレストとヒューティリアは王都に向かう準備をすべく、クルーエ村に向かっていた。
その道中で、セレストはヒューティリアの変化に気付く。
(随分と機嫌がいいな)
今にも歌い出しそうな楽しげな表情で歩く弟子を不思議な気持ちで眺めていると、その視線に気付いたヒューティリアが振り返る。
ヒューティリアはセレストと目が合うなりやや硬直したものの、すぐに気の抜けた笑顔を浮かべた。
そして再び正面に向き直ると、先ほどと同様……いや、先ほどよりも嬉しそうな表情で歩き出す。
セレストは首を傾げながらも安堵の息を吐いた。
(随分長いこと悩みごとがあったようだが、それが解消した……ってところか)
しかしそうなると、気になることが出てくる。
──今はまだ言えないけど、必ず答えを見つけるから。そうしたら絶対、セレストにも話すから──
耳に蘇るのは、以前ヒューティリアから告げられた言葉。
クロベルとふたりでこそこそとしているのが気になり、自分には言えないことかと問いかけた時、ヒューティリアははっきりと頷いた。しかし答えを見つけたら絶対に話すとも言っていた。
(つまり、まだ答えは出ていないということか?)
何となく引っかかり、セレストは顔を顰めた。
しかしすぐにセレスト特有の思考が顔を出す。
(まぁ、本人が答えが出たら話すと言っていたんだ。ヒューティリアが言い出すまでそっとしておこう)
気にはなっても、敢えて聞き出すようなことはしない。
すっきりしない気持ちもいつも通り飲み込んで、ただ相手が話すのを待つ。
例えその時がやってこないのだとしても、話したくないことを話させようとは思わない。
(いつも通りだ)
そう、いつも通り。
なのに何故か、一度湧き上がった苦い思いはなかなか消えてくれなかった。




