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困惑

 冬と呼ぶにはまだ早いが肌寒さが増し、森の木々が完全に色付いたある日のこと。


 セレストはいつも通りヒューティリアに言葉の意味を教え、妖精に渡す菓子を作りをし、泉の傍でライアーを奏でて精霊たちに聴かせていた。

 そして太陽が天頂に差し掛かった頃、昼食を食べ終わるなりヒューティリアにこう言った。


「今日から暫く午後は調合部屋に籠る。もう読み書きは問題ないし、大分言葉の意味もわかってきたようだから、書棚の本を好きなように読んで自習しててくれ」

「うん」


 素直に頷いたヒューティリアに小腹が空いたら食べるようにと菓子を渡して、セレストは調合部屋に籠ってしまった。


 会話を交わした時点では何とも思わずに受け入れたヒューティリアだったが、しんと静まった部屋で本を読んでいるうちに段々と心細いような気分になってくる。

 集中力が途切れ、何度も窓外へと視線を投げ、日の傾きが先ほどと大して変わっていないことを確認すると落胆したように本へと視線を落とした。




 ヒューティリアの体感としては長い時間をかけて日が沈み、夕食前の時間帯になるとようやくセレストが調合部屋から出てきた。

 ぱっと椅子から立ち上がったヒューティリアはセレストに声をかけようとしたものの、本を片手に難しい顔をしているのを見て話しかけられる雰囲気ではないと判断し、言葉を発することなく座り直す。

 しかしすぐに何か思い付いたような顔になり、再び椅子から立ち上がる。そして調理場へと向かうセレストに駆け寄った。


「忙しいんでしょ? 温めるだけだったらあたしがやる」

「ああ……悪いな」


 火の番は任せられないと突っぱねられる可能性も考えていたヒューティリアは、思いの外あっさり任せられて目を丸くした。

 一方のセレストはそんなヒューティリアには気付きもせずに竃に火種を放り込むと「火傷には気をつけろ」とだけ言い残してダイニングの椅子に座り、本と睨み合う。

 セレストから台所を任せられたことに驚きながらも、ここに来てから調理を手伝ってきた成果を見せる時だと意気込んで、ヒューティリアは竃の上に乗った鍋の中身を焦げないように掻き混ぜ始めた。


 くつくつと音を立てて煮立ち始めたスープからは、食欲がそそられるいい香りが漂ってくる。その香りを吸い込んで堪能すると、ヒューティリアはちらりとセレストの様子を窺った。


 このスープを含め、ヒューティリアがこの家に来てから口にしたものは全て、あのただひたすらマイペースな、けれど何やかんやで真剣に文字の読み書きや畑仕事を教えてくれているセレストが作ったものだ。

 今日までセレストを観察してきたヒューティリアは、セレストは何をやらせてもそつなくこなせる人物なのだという認識を持っていた。

 不必要と判断した物事には一切関わろうとしないが、必要なことに関しては家事を含め、畑仕事もさらりと片付ける。それどころか出来ることに関しては何をやらせても一級品の腕前だと、密かに尊敬している。


 ヒューティリアの中で尊敬の対象へと上り詰めているセレストだが、ヒューティリアにとってセレストは尊敬の対象である以上に、大恩人でもあった。

 何せセレストは、本来なら何の義務も責任もないのに親に捨てられた自分の面倒を見てくれている。時間を割いて色々なことを教えてくれている。


 その恩返しがしたいと思った。

 故に、ヒューティリアはセレストが忙しいなら少しでもその負担を減らしてあげたいと考えたのだ。

 まだ自分に出来ることは少ないから、出来ることから少しずつ。ほんの僅かでも力になれたらと──



 そんなことを考えている間に微かに焦げたような匂いが漂ってきて、ヒューティリアは慌てて鍋に視線を戻した。

 煮立ち過ぎたスープは今にも溢れ出しそうに沸騰していて、けれどよくよく考えてみれば火の消し方すらわからないことに気が付いて改めてセレストを振り返った。


「ねぇ、ねぇ! これ、どうやって火を消せばいいの!?」


 大惨事になる前にと思って声をかければ、考えに耽っていたセレストがはっと顔を上げて立ち上がった。

 珍しく急ぎ足で竃の前まで来ると、手の平を竃の火に向ける。すると、あっという間に火が小さくなって消えていった。


「悪い。気付くのが遅れた」


 表情こそ変わらないものの、申し訳ないという意味合いの言葉をかけられて、ヒューティリアは口をへの字に曲げた。

 何故セレストが謝るのか。悪いのは自分(ヒューティリア)なのに。


「あんたは悪くないでしょ。焦がしちゃったのは、あたしなんだから……」


 と、思ったことをそのまま言葉にしたものの、途中でヒューティリアはあることに気付き、声が尻窄みになった。


 今日までの間、ヒューティリアはセレストを手伝うつもりが失敗して迷惑をかけたことが何度となくあった。しかし、セレストが怒ったことは一度もなかった。

 今日だって、自分からやると言い出したくせにスープを焦がしてしまったヒューティリアを責める様子は一切ない。


 これは偏にセレストの性格が寛容を通り越して緩過ぎるが故なのだが、ヒューティリアはまだそこまでセレストのことを理解できてはいなかった。

 その結果ヒューティリアは、叱責を受けない理由を悪い方向へと受け取ってしまう。


 せめてセレストが怒らないのは彼の優しさなのだと思うことができたなら、ヒューティリアも幸せだっただろう。

 しかし彼女はセレストの性格をこのように捉えていた。『不必要なことはしない人』。



 結果的にヒューティリアは、セレストは自分に何かを教えることに関しては価値を見出しているけれど、ヒューティリア自身には関心がないのではないかと、そう考えてしまった。

 自分はこの青年にとって、怒る価値もない、どうでもいい人間なのだと。


 明らかに考えが飛躍しているが、ヒューティリアにそんなことがわかるはずもなく。

 そこまで具体的に自分の気持ちを捉えられてはいなかったものの、ヒューティリアは何故かとてつもない寂しさとやるせなさを覚えて俯いた。


「いや、まだ火の番を任せるには早かった。わかっていて任せたのは俺の方だ」

「──違う! 悪いのはあたしなの!!」


 半ば意固地になって叫ぶと、ぶわっとヒューティリアの目に涙が溢れ出した。セレストがぎょっとしている間にも透明な雫がぼろぼろとヒューティリアの頬を伝って落ちていく。


「わっ、悪いことしたらちゃんと怒ってよ! 駄目なことしたらちゃんと言ってよ! 謝りたくても謝れないじゃない……!」


 そう訴えたヒューティリアの脳裏には、かつての家族の姿があった。


 ヒューティリアは7人兄弟のちょうど真ん中で、手がかかるうちは親が面倒を見てくれていたけれど、下の子が生まれるとすぐに兄や姉がヒューティリアの面倒を見るようになった。

 最初こそ弟や妹はずるいと喚いていたけれど、何度も親や兄姉に怒られているうちに、幼いながらも徐々に理解していった。

 我が侭ばかり言っていては周りを困らせるだけ。そんなことばかり言っていたら嫌われてしまう、と。


 我が侭はよくない。

 そのことを理解すると、ヒューティリアは親や兄姉の言う事をよく聞くようになった。

 たまに失敗してしまったり、つい感情的になって悪さをしてしまっても、怒られたり注意されれば何が悪かったのかを理解して、理解さえできれば素直に謝ることもできた。


 なのに、セレストは怒らない。

 怒られなくても自分が悪いことを、もしくは何も言われなくても自分が迷惑をかけてしまったことをヒューティリアは自分自身で気付き、謝りたいのに、セレストはヒューティリアが謝るより先に自分が悪いということにしてしまって、謝る機会すら与えてくれない。


 その理由を本人の口から聞いたわけでもないのに、ヒューティリアは自分の頭の中で勝手に理由を考え出して決めつけてしまい、感情的になっていた。


 ──我が侭はよくない。

 自分は今、我が侭を言っている。


 そのことも自覚できているのに、ヒューティリアは自分でもよくわからない寂しさを抱えたまま、感情に任せて更なる言葉を重ねようとする。しかし、そこで呆然と立ち尽くした。

 そもそも自分自身でも理解できていない自らの気持ちを、他人(セレスト)に訴えることなどできようはずもなかった。


 ヒューティリアは唇を震わせ、スカートをきつく握りしめた。そのまま二度、三度と小さくしゃくりあげると、顔をくしゃりと歪めて歯を食いしばる。


「ヒュー──」

「──ばかぁっ!!」


 セレストがようやく思考停止の呪縛から解かれるのとほぼ同時に、ヒューティリアは感情のままに全力で叫んで自室へと駆け込んでしまった。


 大きな音を立てて扉が閉められる。セレストは反射的に肩を竦めた。

 そのまましばし呆然とヒューティリアが消えた廊下の方を眺めていたが、やがてのろのろとダイニングテーブルに歩み寄り、椅子に深く身を預ける。そして何故ヒューティリアが怒ったのかを考え始めた。


 しかしどんなに考えても、セレストにはヒューティリアが怒った理由がわからない。逆に言えば怒らせた理由ばかりを考えていて、去り際に理不尽な罵声を浴びせかけられたことに対して全くの無反応だった。

 怒りが湧くわけでもなく。悲しみを覚えることもなく。

 ただただ、ヒューティリアが見たこともないくらい感情的になって、怒りのようなものを爆発させたことに衝撃を受けていた。


『あ〜あ。駄目だなぁ、セレストは』

『ヒューティリアがかわいそう』

『こういう人のこと、なんて言うんだっけ?』

『唐変木!』

『そうだ、とーへんぼくだ!!』


「ちょっと静かにしてくれ」


 考えごとをしているのに側でわいわいと騒がれてはまとまる考えもまとまらない。

 そもそもまとまる以前に、答えに辿り着けそうなとっかかりすら浮かんでいないことを、セレストも自覚しているのだが。


『ねぇ、どうしてもヒューティリアが怒った理由がわからない?』

『どうしたらよかったのか、答えが聞きたい?』


 まるで悪魔の囁きのように、優しい声音で囁きかけてくる精霊や妖精たち。

 そんな彼らを無視して、セレストはぐつぐつと煮立っているスープを見遣った。


 微かに香ってくる焦げた匂い。でも食べられないほどではない。

 失敗と呼ぶには厳しすぎないだろうか?


 すっきりしない気持ちのままそこまで思考して、とりあえずヒューティリアの部屋の前に向かった。

 扉の向こうからは微かにすすり泣くような声が聞こえてくる。

 セレストは一瞬躊躇したものの、そっと扉を二回叩いた。


「食事はどうする」


 全く気の利かない問いに、すぐさま「いらない」という答えが返される。

 しかしこのヒューティリアの対応で取りつく島もないことくらいは、セレストにも理解できた。


 仕方なく調理場に戻り、自分の分だけスープを器によそう。

 他の食材を用意する気が起きず、とりあえずダイニングテーブルにスープとパンと水だけを用意して、着席する。

 試しにスープをスプーンで掬って口に運べば、あまりの熱さに舌が焼けた。味はわからなかったが、鼻孔をほろ苦い香りが抜けていく。

 顔をしかめ、もう少し冷ましてから食べようと、一旦口に水を流し込んだ。


 スープが冷めるまでの間、魔法薬の本に目を通しておこうと頁を捲る。

 どこまで読んでいただろう? そう思って文面に視線を走らせるも、全く頭に入ってこない。

 細く長く息を吐き出して、本を閉じた。そのまま何気なくリビングの書棚に目を遣る。

 本棚には子供向けの絵本と師がよく読んでいた本が数冊、半々で置かれていた。


 何気なく席を立ち、本棚に歩み寄る。

 今まで自分には関係ないと思って見もしなかった一角に、『子供とのつきあい方』というタイトルの本があることに気付き、半ば無意識の内に手に取った。


 表紙を捲ってみると、吃驚するくらいの汚い文字が踊っている。どうやら誰かが手書きした本のようだ。

 表紙はそれなりに綺麗な字で書かれているが、中身は別人が書いたものらしく、汚い字で埋め尽くされている。

 筆跡からして表紙は師が書いたものだろう。しかし中身の方の筆跡には全く覚えがなかった。


 しばし解読を試みてみたが、読み取れた文字はごく僅か。とても読む気になれない。

 本を閉じ、棚に戻す。

 そのまま何となく絵本の置かれた一角に視線を向けた。


 ここにある絵本は全て、マールエルや知の賢者ソルシスが幼いうちに弟子入りしたマールエルのためにと揃えた物だと聞いている。セレストも幼少時にはここにある絵本をマールエルから読み聞かせてもらっていた。

 そのタイトルひとつひとつに目をとめて、目についた絵本を抜き出してぱらぱらと読んでは棚に戻し、別の絵本を抜き出し目を通しては棚に戻し……。



 そんな事を繰り返しているセレストを、精霊と妖精たちはくすくすと忍び笑いを漏らしながら少し離れた場所から見ていた。

 幼少の頃からセレストを知る彼らだからこそ、その行動が動揺からくるものであると気付いていた。


『駄目だね、セレストは』

『とてもマールエルに育てられた子とは思えないよね』

『でもあの性格は生まれ持ったものだから、仕方ないよね』

『そうだね』

『そうだった、そうだった』


 くすくす。くすくす。



 セレストは精霊や妖精たちの会話こそ聞こえていないものの、気配は感じ取っていた。微かに聞こえてくる笑い声に小さくため息を吐いて本を棚に戻し、改めて食卓につく。

 既にスープは冷め切っていたが、そのまま黙々と胃袋に収めていった。

 そして美味しくなさそうに全て食べ終えると食器を片付け、再びダイニングに戻り、本を開く。


 明らかに本に集中できていない様子のセレストを、精霊と妖精たちは笑い声を収めて静かに見守っていた。

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