決戦
「久方ぶりのうつし世、今回の器は望外の上物だな」
会長と化け物が同時に語りかけてくる。
それは音声というより頭に直接語りかけているようだった。
「おい、化け物。お前のような醜い存在は会長に似合わない。さっさと解放しろ」
「カッカッカッ、これは愉快」
会長と化け物が再び同時に哄笑する。
「貴様のような矮小な下郎が、過ぎた口を利きよる」
化け物の目が怪しく光る。
突然目まいが襲ってくる。たまらずたたらを踏む。
その時、奇妙なことが起こった。
昏倒しているクラスメイトを思わず踏んでしまいそうになったが、俺の足は相手をすり抜けて地面に触れた。
「ほう、なかなかに抗いよる」
「これならどうじゃ」
瞬間俺の脳内に様々なイメージが流れ込む。
運動場に倒れ込んでいる人々。1人、また1人と起き上がってくる。
すると、突然そのうちの1人が手近な生徒の服を脱がせ始めた。
いや、それはむしろ剥ぎ取り、引き剝いていると言った方が正確だ。
男が女を、女が男を、あまつさえ、男同士、女同志でもお構いなしに襲い始めた。
悲鳴、怒号そして嬌声、そういったもので校庭はあっと言う間に満たされた。
それが最高潮に高まった時、化け物は一組の男女を掴みあげた。
「やめろ!」
思わず叫び声をあげようとしたがそれは叶わなかった。
まるで、そこにいるのにいない、そんな存在に自分がなっているようだ。
化け物が女の脚を口に近付けたと思うと、それを喰いちぎった。
「――――!!!」
凄まじい絶叫がこだまする。
化け物はそれを聞くと満足そうにその男女を咀嚼し始めた。
「バリ、ゴキュ、グチャ」
骨の砕ける音、肉の裂かれる音、血の滴る音、直視すれば正気を失いかねない凄惨な光景だった。
食べ終えた後、化け物は手近なもう一組に巨腕を伸ばし、再び喰らう。
その繰り返しで500人近くいた生徒は瞬く間に平らげられてしまった。
全てを喰らったあと、鬼はスックと立ち上がると、スゥと腹に息を吸い込んだ。
「パゥ」
直後、鬼は口から直径1m程の火球を吐き出した。
その火球は低い弾道を描きながら、街の中心地、10km程離れている駅の方角へと飛んで行った。
数拍遅れて暴力的な閃光と爆風が吹き荒れる。
ありとあらゆるものはなぎ倒され、俺が住んでいた街は文字通り灰燼に帰した。
鬼がこちらを見てニヤリと笑う。
その目を見た瞬間、俺の意識は引き戻された。
相変わらずあたりには生徒が倒れており、俺の足はクラスメイトの体をすり抜けていた。
一連の流れから確信する。
この化け物はまだ実体化していない。
むしろこの空間こそがうつし世と常世の狭間なのだと。
そっと腹部に手を当てると、布越しに固い物が触れる。
(あの時会長に渡さず助かった)
正確にはまだ助かっていない。短刀でなんとか鬼を送り返さなければならない。
ここでしくじれば先ほどの白昼夢通りの未来が訪れる。
「止めておけ、その貧相な刀では我を滅することはできん」
見透かされていた。
余裕の表情で牙を見せて笑っている。
「がっ」
鬼の表情が驚きで固まる。
「馬鹿な、依り代の分際で我に刃向かうか」
「私はあなたを支配するために呼び出したの。あなたの入れ物になるつもりはないわ」
どうやら会長が抵抗しているようだ。
(今しかない)
俺は思いきり駈け出した。だが江崎もこちらに走り出している。
おそらく何らかの精神支配を受けているのだろう。
なんとかして突破する以外に道は無い。
捕まったが最後俺の実力では抜け出すことは不可能だろう。
距離がお互い5mまでに接近した瞬間、俺は左、相手から見て右に飛び込んだ。
江崎もそれに合わせて飛び込んできている。
その直後、俺は右方向に再び切り替えた。
フェイントに引っかかった江崎は一瞬軸足に残ってしまう。
間髪いれず、俺は送り足払いの要領でそれを刈った。
たまらず転倒する江崎。
おそらく操られていない状態なら見破られていただろう。
逆に助かった。
再び加速し会長の元へと向かう。
だがあえて数歩走った所でヘッドスライディングの要領で滑り込んだ。
数フレーム前まで俺の腰があった位置を、妹の加奈のタックルが空ぶっていく。
いままで何百と受けてきた加奈のタックルだ、後ろを見なくてもかわすことなど造作もない。
すぐさま飛び起きると今度こそ全力疾走で会長、もとい鬼の元へ駆け寄る。
再び江崎と加奈に追いつかれたら最後、同じ手は通用しない。
あと、数m、これで終わる。
「なめるなぁっ」
会長の抵抗をはねのけ、鬼がその巨腕を振りかぶる。
だが数瞬、俺の方が早い。
俺は手に持った小刀を化け物の魔羅に突き立てた。
(やったか)
だが鬼は委細構わずその腕を振りぬいた。
みぞおちにカウンターが深く突き刺さり、肺の空気が強制的に押し出される。
その痛みを自覚する間も無いうちに俺は後方5m以上吹き飛ばされる。
「かはっ」
胃液が逆流しそうな感覚に悶え苦しむ。
引きちぎられそうな意識を必死で繋ぎとめた。
鬼はゆっくりと近づいてきて口を開く。
「惜しかったのぅ、長い年月を経て法力は劣化していたようだの」
俺の頭が掴まれ、持ち上げられる。
「じわじわなぶり殺してくれようぞ」
やはり本気であれば、先ほどの一撃で俺の命はけし飛んでいたらしい。
それでも俺はニヤリと笑い返してやった。
「いや、届いたさ」
ダンダンダンッ!
タラップをけたたましい音とともにデブが駆け上がる。
バシッ!
その勢いのまま会長が手に持つ魔道書をはたき落す。
体格と質量差に負け、あっさり朝礼台下に本が落下する。
続いて小刀を取り出し、跳躍しながら本に突き立てる。
鬼は意図に気づき、俺を投げ捨ててそれを阻止しようとする。
もう、遅い。
そのためにあえておとりになり、わざわざ引き離したのだから。
ザクッ。
本に小刀が刺さるや否や、あたりを眩い光が包み込んだ。
……。
気がつくと、今まさに会長の開会宣言が始まろうとしていた。
その手には例の『古書』もとい魔道書は無く、会長のスピーチはいつものごとく見事だった。
なにもかも夢だったのだろうか。
いや、そんなことはない。
俺は体操服の下を探ったが家から持ってきたはずのダミーのペーパーナイフが忽然と姿を消していた。
(あとで北畠に礼を言わないといけないな)
俺はいまいち煮え切らない思いとともに空を見上げた。
秋空はどこまでも晴れ、絶好の体育祭日和だった。




