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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第2話 名将の帰還

扶蘇ふそ。今、何と言った」


 せいの声は、静かなだけに、恐ろしかった。


 俺は五歳の子供の身で、その二つの視線の前に立ち尽くしていた。……桓齮かんきでは李牧りぼくに勝てぬ。口をついて出たその一言を、消すことは、もうできなかった。


 誤魔化すしかない。俺は、必死に頭を回した。


「……なんとなく、そう思っただけです。桓齮かんき将軍は、勢いが強すぎます。強すぎる将は深追いをして、罠にかかるものだと……乳母うばから聞いた覚えが」


 苦しい言い訳だった。だが、五歳の子供の戯言たわごととして流れてくれることを祈った。


 せいは、しばらく俺を見つめていた。やがて、ふっと、目元を緩めた。


「……ませたことを言う子だ。蒙恬もうてん、そなたの入れ知恵か」


「いえ。私は、そのようなことは」


 蒙恬もうてんは、戸惑いながら首を振った。だがその目は、まだ俺を、じっと見ていた。……子供の戯言たわごとだと、流しきれてはいないようだった。



 その戸惑いを、俺は、ひとり噛みしめていた。


 ――なぜ、俺は、こんなに焦った。


 答えは、分かっていた。これから起こることを、俺が、知っているからだ。


 桓齮かんきちょう侵攻しんこう。そして、肥下ひかの大敗。……歴史の歯車が、目の前で、回り始めている。



 数日後、俺は再びせいの宮に呼ばれた。此度このたびは、多くの将が、居並んでいた。


 その中央に、一人の女将おんなしょうがいた。


 筋骨きんこつたくましく、赤銅色しゃくどういろに日焼けした肌。頬に古い刀傷かたなきずが走り、目つきは、獣のように鋭い。……それが、桓齮かんきであった。


 俺の姿を見るなり、桓齮かんきの目が、ぎらりと光った。


「……この、ガキか」


 桓齮かんきが、のっそりと歩み寄る。そして俺を、見下ろした。


「聞いたぞ。俺様が、李牧りぼくごときに負けると、抜かしたそうだな」


 その声は、地の底から響くようだった。五歳の子供には、山が、覆いかぶさってくるようだった。


ちょうのガキどもと、同じ目をしてやがる。……俺を化け物でも見るような、その目だ」


「……桓齮かんき将軍」


 蒙恬もうてんがすっと、俺と桓齮かんきの間に割って入った。


「幼子の戯言にございます。お気になさいますな」


「どけ、蒙恬もうてん。……俺はこのガキの目が、気に入らねえと言ってるんだ」


 二人の女将おんなしょうの視線が、火花を散らした。



「よさぬか、桓齮かんき


 せいの声が、飛んだ。


 桓齮かんきは、舌打ちして、退がった。だが、その目はなお俺を睨みつけていた。


 ――この女は危うい。


 俺は身をもって、それを感じた。


 桓齮かんきという将は、確かに強い。平陽へいようで趙軍十万を破り、十万の首をねた。だが、その勝ち方が、問題だった。……降伏した趙兵、十万を、斬首ざんしゅにしたのだ。


 趙の民は、桓齮かんきの名を、憎悪ぞうおしていた。



 ましてや、と俺は思う。


 趙という国は、かつて長平ちょうへいの戦いで、四十万もの降兵こうへいを秦に生き埋めにされている。国じゅうが、その恨みを骨のずいまで抱えている。


 その趙へ、よりにもよって、桓齮かんきを送る。……戦に強いという、ただ一つの理由で、最も残虐ざんぎゃくな将を。


 俺は、ぞくりと身震いした。


 これは火に油を注ぐようなものだ。趙の兵は、桓齮かんきを前にすれば、死に物狂いで抗うだろう。……そして、その趙には李牧りぼくという軍神ぐんしんがいる。



 趙侵攻しんこうの軍が、編成された。


 大将は、桓齮かんき。そして副将として、蒙恬もうてんが、従軍することになった。


蒙恬もうてん。……行ってしまうのですか」


「はい。武人ゆえ、戦は、務めにございます」


 蒙恬もうてんは、いつものように、柔らかく微笑んだ。だが俺の胸には、消せぬ不安が渦を巻いていた。


 肥下ひかの戦い。桓齮かんきが大敗する戦。……そこに蒙恬もうてんが行く。


 俺は、蒙恬もうてんそでを、握った。五歳の子供にできる、精一杯だった。


「……蒙恬もうてん。ひとつ、聞いてください」


「なんでございましょう」


「戦では必ず、周りに斥候せっこうを張り巡らせておくのだ。……敵が、どこに潜んでいるか。目を、こらして。決して、油断せぬように」


 蒙恬もうてんはきょとんとした。それから、俺の頭をそっとでた。


「……ご心配、痛み入ります。この蒙恬もうてん、しかと胸に刻みましょう」


 どこまで本気にしたかは分からない。ただ、俺にできるのはそれだけだった。



 軍は趙へ進発した。


 後に伝え聞いた、戦の顛末てんまつは、こうだ。


 桓齮かんきの軍は破竹はちくの勢いで、趙の領内へ攻め込んだ。だが趙の女将軍・李牧りぼくは、正面からぶつからなかった。


 李牧りぼくは、趙の奥深くに、陣を敷いた。そして、その周囲に幾重もの伏兵を潜ませた。……桓齮かんきを深く誘い込み、袋のねずみにして討つ。そういう罠であった。


 桓齮かんきは、その罠を見抜いていた。


「ふん。李牧りぼくめ。……俺を釣ろうって腹か」


 だが、桓齮かんきの出した答えは、常軌を逸していた。


「罠が、発動する前に。……おとり李牧りぼくを、討てばよい。首さえ獲れば、伏兵など、烏合の衆よ」



「……お待ちください、桓齮かんき将軍」


 蒙恬もうてんが、進言した。


「あまりに、危ううございます。李牧りぼくを追えば、我らも深入りする。伏兵の只中ただなかへ、飛び込むも同然」


臆病者おくびょうものめが」


 桓齮かんきは、鼻で笑った。


「怖いなら、後方で、震えていろ。……手柄は、俺様が、いただく」


 蒙恬もうてんの言葉は、届かなかった。



 桓齮かんきの突進は、凄まじかった。


 李牧りぼくめがけて、まっすぐ、突き進む。……その速さは、伏兵が態勢を整えるより、早かった。李牧りぼくは、じりじりと、追い詰められていく。


 ――あと一歩。桓齮かんきの刃が李牧りぼくに届こうとした、その時。


 一人の男が、桓齮かんきの前に、立ちはだかった。


 武の、化身であった。


 趙の副将、司馬尚しばしょう。……李牧りぼくの傍らにはべる、無双むそうの剣士。その剣が桓齮かんきの一撃を、真っ向から受け止めた。


「どけっ! 小僧がぁっ!」


 桓齮かんきえた。だが、司馬尚しばしょうの壁は破れなかった。……李牧りぼくを討ち損ねた。



 その、わずかなとどこおりが、命取りだった。


 桓齮かんきが、李牧りぼくを仕留めそこねた、その一瞬に。趙の伏兵が、いっせいに牙を剥いた。


 桓齮かんきは後退した。だが逃げる先々に、新手あらての伏兵が湧いて出る。まるで桓齮かんきの退路を、李牧りぼくがあらかじめ読み切っていたかのように。


 兵が削られていく。一隊、また一隊と趙の伏兵に飲み込まれる。……破竹はちくの秦軍が、みるみるしかばねの山と化していった。


 そして、最後に。


 退く桓齮かんきの背へ。音もなく、追いすがった影があった。……司馬尚しばしょうであった。


 桓齮かんきが振り向く暇もなかった。司馬尚しばしょうの剣が、その背を深々と貫いた。


 ――十万の首をねた、残虐ざんぎゃくの将は。趙の地で、その血をあがなうように絶命した。



 桓齮かんき討死うちじに


 その報せよりも早く。趙の伏兵は、副将・蒙恬もうてんの隊をも囲もうと迫っていた。


 だが。


 蒙恬もうてんは動いていた。


 あの、幼い扶蘇ふその言葉を覚えていたのだ。……周りに斥候せっこうを張り巡らせよ、と。


 蒙恬もうてんの放った斥候が、伏兵の気配をいち早く掴んだ。桓齮かんきが、まだ李牧りぼくを追っている、その頃には。蒙恬もうてんは、すでに退却を始めていた。


「……全軍、退けっ! 隊列を崩すな! 押し包まれるぞっ!」



 それでも、戦は、甘くなかった。


 退く蒙恬もうてんの隊にも、趙の追撃が、襲いかかった。伏兵の網は、深く、広い。……一度、退却が乱れれば、そこで終わりだった。


 蒙恬もうてんは、殿しんがりを務めた。押し寄せる趙兵を、幾度も押し返しながら。じりじりと味方を逃がしていく。……幾度も討たれかけた。それでも、蒙恬もうてんは崩れなかった。


 だが、その安否は。……戦場の砂塵さじんの中に閉ざされた。



 咸陽かんように届いたのは、秦軍、大敗の報のみであった。


 桓齮かんき討死うちじに。趙侵攻軍、壊滅。……肥下の戦いは、俺の知る史実の通り、秦の惨敗に終わった。


 蒙恬もうてんの名は、その報せの中になかった。生きているとも、死んだとも知れぬ。


 俺は、宮の片隅で、膝を抱えていた。


 ――俺の言葉は。届いたのか。あの斥候の一言が、蒙恬もうてんを生かしたのか。それとも。


 史実では、蒙恬もうてんは、この戦で死んではいない。だが、ここは俺の知る世界とは違う。……確かなことは、何もなかった。


 俺は、ただ祈ることしかできなかった。



 幾日が過ぎた。


 そして、ある日。


 咸陽かんようの門に、傷ついたわずかな軍勢がたどり着いた。


 その先頭に。……甲冑かっちゅうを血と泥に汚した、蒙恬もうてんの姿があった。


「――蒙恬もうてんっ!」


 俺は、宮の作法も忘れて、駆け出していた。小さな足で、転びそうになりながら。蒙恬もうてんのもとへ、まっすぐに。


 蒙恬もうてんは俺を見て、疲れきった顔に、それでも柔らかな笑みを浮かべた。


「……ただいま、戻りました。扶蘇ふそ様」


 片膝かたひざをつき、俺を、抱きとめる。血と汗と、鉄の匂いがした。だが確かに、生きて温かかった。


「無事で……無事で、よかった……!」


 俺は蒙恬もうてんの首にすがりつき、子供のように泣きじゃくった。……中身は大人のはずなのに。涙が、止まらなかった。


 蒙恬もうてんは、俺の背を、そっとでた。


扶蘇ふそ様の、おかげにございます。……斥候を張れという、あのお言葉。あれがなければ。私は今ごろ、趙の土になっておりました」


 その声は静かだった。だが、その目は。……もう、子供の戯言を見る目ではなかった。


 ――この子は、いったい、何者なのだ。


 蒙恬もうてんの眼差しは、確かにそう問うていた。

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