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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第1話 気がつけば、女だらけの秦に転生していた

 またに湿り気を感じて、目が覚めた。


(まさか……おねしょしたのか!?)


 跳ね起きようとした。だが体が思うように動かず、手足がジタバタと宙をくだけだった。声を上げようとして、出てきたのは、泣き声だった。まるで赤子のような。


 目を開ける。涙で視界がにじんでいる。ぼんやりと、人の輪郭が見えた。


「おやおや。今、襁褓むつきをお取替とりかえいたしますね」


 柔らかな女の声であった。尻を濡れた布でぬぐわれ、新しい布を巻かれる。そして眼前に、豊かな乳房ちぶさが差し出された。


 抵抗などできるはずもない。俺は本能のおもむくままに吸い付き、そして――ようやく悟った。


 俺は、赤子として転生したのだ、と。



蒙恬もうてん。すまぬな。私の乳の出が悪いばかりに、そなたに乳母を頼むことになった」


 威厳のある、涼やかな声が言った。傍らに立つ、もう一人の女である。……この方が、俺を産んだ母――そして、この国の王であるらしい。


「もったいなきお言葉にございます、王よ」


 俺に乳を含ませている女が、柔らかく答えた。


「ちょうど私も、娘を産んだばかり。乳は張って仕方がありませぬ。この蒙恬もうてん、乳母の役目、しかと果たしてみせましょう」


 乳を与えるこの女が、蒙恬もうてん。そして、それを見下ろす王が、俺の母であった。


 俺の頭は、混乱した。


 俺の知る蒙恬もうてんといえば、秦の名将だ。万里ばんりの長城を築き、匈奴きょうどを討った、あの武人。……それがなぜ、女で、乳母なのだ。


 そして蒙恬もうてんが仕える、秦の王。それはつまり――秦王政しんおうせい。後に始皇帝しこうていとなる、あの人物ではないか。それが、女になっている。


 混乱する俺の頬を、蒙恬もうてんがそっとでた。


扶蘇ふそ様。よくお聞きなさいませ」


 その声は、赤子に言い聞かせるように、どこまでも優しかった。


「あなた様は、男にお生まれになりました。……この世に、十人に一人しかおらぬ、貴きお方にございます」



 男は、貴重なのだという。


 俺は赤子の耳で、蒙恬もうてんの言葉を聞いていた。


 この世では、生まれてくる子の、九割が女なのだと。男は、めったに産まれぬ。ゆえに男は宝として、ちょうよ花よと育てられる。重い物は持たされず、汚れ仕事もさせられず、傷ひとつ負わぬよう、大切にかこわれる。


 王族の男ともなれば、なおのことだ。殺すことすら、禁じられているという。男の血を絶やすことは、この世で最も重い禁忌きんきなのだと。


 ……なるほど、と俺は思った。だから俺は、こうして下にも置かぬ扱いを受けているのか。



「王よ。先ほどから、呂不韋りょふい様がお待ちにございます」


「あの者は、母と子が触れ合う時すら、与えぬ気か。……待たせておけ」


 せいの声が、すっと低くなった。


 俺は赤子ゆえに、目がよく見えていなかった。それでも分かった。霞んだ視界の向こうで、二つの気配がぶつかり、火花を散らしている。


「王よ! お世継ぎのご誕生、まことにおめでとうございますなぁ!」


 豪快な声が、部屋に響き渡った。呼ばれるのも待たず、入ってきたらしい。


 呂不韋りょふい。……秦の宰相さいしょうだ。そして『史記』という歴史書には、この男こそせいの実の父かもしれぬ、という記述がある。歴史上の謎の一つであった。


「うむ。……ところでお主、との戦の最中ではなかったか」


「ははは! 戦などより、お世継ぎの誕生の方が大事に決まっておりましょう! 戦線は蒙武もうぶに任せ、この呂不韋りょふい、馬を飛ばして舞い戻って参りました!」


「戦とは、そのように軽いものではないぞ。それに蒙武もうぶも、娘の蒙恬もうてんに子が産まれたのだ。早う帰してやりたいとは思わぬのか」


「ははは! あの女は、家族より戦が大事な女子にございます! 何の問題もありませぬわ!」


蒙武もうぶも、女なのか……)


 ふと蒙恬もうてんを見ると、やれやれと首を振っている。だがその目は笑っておらず、呂不韋りょふいの背を、静かに見据えていた。……武人の目だ、と思った。


「いやいや、扶蘇ふそ様のご生誕せいたんは、この呂不韋りょふいにとっても、他人事ではありませぬでな」


 呂不韋りょふいが、ずいと歩み寄り、俺の顔をのぞき込んだ。厚いくちびるが、弧を描く。


「……貴重な、貴重な男児だ。大切に、大切に育てねばなりませぬなぁ」


 その声は、祝福の形をしていた。だが赤子の俺だけが、聞き取ってしまった。いつくしみではなく、算盤そろばんを弾くような響きを。


 宰相ならば、世継ぎを気にかけるのは当たり前だ。……そう思おうとした。だがせいは、険しい顔を崩さなかった。


(まさか……『史記』に書かれていたことは、本当なのか?)



 俺は前世では、学生だった。


 人文系で東洋学を専攻し、秦末から楚漢そかん戦争についての卒論に、取りかかろうとしていた頃だった。図書館で重い書物を抱えて階段を降りていて、足を踏み外し、頭を激しく打った。……覚えているのは、そこまでだ。


 まさか秦の公子・扶蘇ふそとして生まれ変わり、蒙恬もうてんの乳を飲むことになるとは、思いもしなかった。


 俺の知る史実では、扶蘇ふそ始皇帝しこうていの死後に反逆の罪を着せられ、毒をあおって死ぬ。弟の胡亥こがいを担ぐ宦官かんがんちょうちょうこうの、はかりごとによって。蒙恬もうてんもまた、抵抗の末に処刑される。


 だが、この世界ではどうなるのか。ここは俺の知る史実とは、まるで違う。主要な人物が女だらけなのはもちろん、男の存在は貴重で、人口の一割しかいない。理由は分からぬ。だがそれゆえか、王族の男を殺す行為は、禁忌とされていた。


(ならば史実と違い、俺は毒を呷って死なずに済むのか。俺が死ななければ、蒙恬もうてんも、死なずに済む……)


 蒙恬もうてんは、美しい女性だった。色白の肌、涼やかな声、そして武人らしいりんとした立ち姿。十八ほど年が離れているが、俺はこの乳母が、ずっとそばにいてくれればいいと思った。



 そうして育つうちに、俺には一つ、見えてきたことがあった。


 ……この世の男には、二種類いる。


 一つは、その貴さに恥じぬよう生きる男。守られるぶん、女を守り、貴くあろうとする者。


 もう一つは、貴さを傘に着る男。甘やかされて育ち、己が貴いと驕り、女を弄び、傷つけ、捨てる。男に産まれたというだけで、何をしても許されると思い込んでいる者たちだ。


 宮の内でも、そういう男の噂は聞こえてきた。侍女に手をつけては飽き、次の女へ移る公達。貢がせるだけ貢がせて捨てる男。……貴重な男ゆえ、誰も咎められぬ。咎めれば、こちらが罰せられる。女たちは、ただ耐えるほかなかった。


 まだ幼い俺は、その光景を、ぼんやりと眺めていた。……そして、思った。


 ――俺は、女を食い物にするような男には、なりたくないな。


 それは大義でも決意でもない。ただ、五つになる前の子供の、素朴な願いのようなものだった。



 俺がこの世界に生まれ変わって、五年の月日が流れた。


 言葉を話せるようになり、活発に体を動かした。蒙恬もうてんの娘・蒙凛もうりんと一緒に育てられ、学問をするときも、遊ぶときも一緒だった。


扶蘇ふそ様は、とても賢うございます。それに比べて、うちの凛ときたら……」


「よい。人には得手不得手えてふえてがある。俺とて、学問のほかは、凛に敵わぬ」


 学問ができるのは、当然だった。中身は現役の学生なのだ。卒論のために漢文も読めるし、暗記も得意だ。だが駆けっこや木剣ぼっけんを取れば、凛の方が上だった。その辺りはさすが、武人の家系なのだろう。


 その日、俺はせいの宮で、蒙恬もうてんとともに召し出されていた。


蒙恬もうてん。戦に復帰するそうだな」


「はい。趙が強く、秦は苦戦を強いられております。桓齮かんき将軍が来年、総力を挙げて趙へ侵攻しんこうするとのこと。この蒙恬もうてんも、その軍に加わりまする」


 せいが頷いた。


桓齮かんきは、平陽へいようで趙軍十万を破った猛将もうしょうだ。次も、期待できよう」


桓齮かんき将軍では、李牧りぼくには勝てませぬ」


 ――俺は思わず、口を滑らせてしまった。


 せい蒙恬もうてんの視線が、同時に俺へ向く。宮の空気が、ぴたりと止まった。


(……しまった)


 だが、もう遅い。


 その切れ長の目が、俺という存在を値踏ねぶみするように、じっと見つめている。母の目ではない。王の目だった。傍らの蒙恬もうてんもまた、いつもの柔らかな眼差まなざしを消し、俺を見つめていた。


 五歳の子供が、口にしていい言葉ではなかった。


 ――俺は、その二つの視線の前で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


続きが気になったら是非ブクマお願いします!

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― 新着の感想 ―
扶蘇という歴史上有名だけど、さほどメジャーでもない人物を主人公にした作品は他になく、また始皇帝はじめ、蒙恬といった名将が女性なのも面白い設定です。続きを期待してます。
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