01、誕生
勇者の君へ——君と私の物語——
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の続きの物語です。
上記の話を読んでいなくても楽しめるように書きます。
勇者の君へ ——魔王になった僕が君を救う物語——
https://ncode.syosetu.com/n5930mu/
なども読んでいただくと、面白くなると思います。
その日、世界のどこかで――魔王が死んだ。
王都では鐘が鳴り響いていた。
人々は歓声を上げ、兵士たちは勝利を叫び、街には祝福の声が満ちている。
長く続いた戦いが終わった。
魔王が討たれた。
世界を救った勇者が帰ってくる。
誰もが、そう信じていた。
けれど。
王都から遠く離れた場所にある、とある貴族邸では。
「――もう少しです!」
慌ただしい声が響いていた。
「奥様、頑張ってください!」
「分かって……るわ……!」
寝室の中。
一人の女性が、汗で濡れた額を押さえながら必死に息を吐いていた。
ベッドの周囲では侍女や産婆たちが忙しく動き回っている。
「ゆっくりで大丈夫です。息を吸って――」
「っ……!」
女性はシーツを強く握った。
痛い。
怖い。
それでも、もうすぐ会える。
自分のお腹の中で、十か月もの間ずっと動いていた小さな命。
「……お願い……」
女性は震える声で呟いた。
「無事に、生まれてきて……」
その声を聞いた夫が、ベッドの傍で彼女の手を握った。
「大丈夫だ」
「……あなた」
「この子は強い。きっと大丈夫だ」
そう言った夫の声も、僅かに震えていた。
普段なら決して見せない表情だった。
厳格な貴族当主。
領地を治め、家臣を率い、何事にも動じない男。
そんな彼が今は、ただの父親だった。
「……男の子だったら」
妻が苦しそうに笑う。
「あなた、名前……決めた?」
「ああ」
「どんな名前?」
「もう決めてある」
「教えて」
「生まれてからだ」
「ふふ……」
女性は小さく笑った。
「もったいぶるのね」
「大事なことだからな」
そのときだった。
「――来ます!」
産婆の声が響く。
「奥様、もう一度です!」
「……っ!」
女性は夫の手を握り締めた。
「頑張れ!」
「あなた……!」
「ここにいる!」
そして――。
「――おぎゃああああっ!」
部屋に、産声が響いた。
一瞬。
誰も何も言わなかった。
ただ、その小さな泣き声だけが部屋を満たしていた。
「……生まれ、ました」
産婆が赤子を抱き上げる。
「元気な男の子です」
「……男の子」
女性の目から、涙がこぼれた。
「見せて……」
「はい」
赤子が母親の胸元へ運ばれる。
小さな手。
小さな指。
まだ何も知らない顔。
それでも、その子は確かに生きている。
「……かわいい」
女性は震える手で、赤子の頬に触れた。
「この子が……私たちの子……」
「ああ」
夫も覗き込む。
そして、少しだけ笑った。
「……よく生まれてきた」
その言葉に、女性は目を細めた。
「名前は?」
「……ルイン」
「ルイン……」
「ああ」
夫は静かに頷いた。
「この子には、この世界で自分の道を歩いてほしい」
「自分の道……」
「誰かに決められるのではなく、自分で選んでほしい」
母親は赤子を胸に抱いた。
「ルイン……」
その名を、何度も口にする。
「あなたは、どんな大人になるのかしら」
赤子は答えない。
ただ、小さな手を動かした。
「ふふ」
母親は笑った。
「元気ね」
「将来は騎士になるかもしれないぞ」
「気が早いわ」
「なら、学者かもしれない」
「それもいいわね」
「商人でもいい」
「ええ」
母親は頷いた。
「何になってもいいわ」
赤子の額に、そっと口づける。
「元気に生きてくれれば、それだけでいい」
その瞬間だった。
「……あれ?」
産婆が、ふと顔を上げた。
「どうした?」
夫が尋ねる。
産婆は答えなかった。
部屋の中を見回している。
「今……何か……」
「何?」
「いえ……」
彼女は首を傾げた。
風はない。
窓も閉まっている。
なのに。
部屋の中の空気が、僅かに震えていた。
蝋燭の炎が揺れる。
ふわり。
赤子の周囲に、淡い光が集まった。
「――っ!?」
母親が目を見開く。
「あなた、これ……」
「魔力……?」
夫の表情が変わった。
赤子は泣いていない。
むしろ眠っている。
その小さな身体から、普通の赤子では考えられないほどの魔力が漏れ出していた。
「こんな……」
産婆が後ずさる。
「生まれたばかりの子に、こんな魔力が……?」
夫は黙って赤子を見つめた。
やがて。
「……記録しておけ」
「旦那様?」
「この子の魔力反応を、すべてだ」
声は冷静だった。
けれど、その瞳には隠しきれない驚きがあった。
母親はそんな夫を見て、不安そうに赤子を抱きしめる。
「……大丈夫よね?」
「ああ」
夫は答えた。
「大丈夫だ」
そう言いながら、もう一度だけ赤子を見る。
「ただ――」
言葉が止まった。
「ただ?」
「……いや」
夫は首を振った。
「今は何も考えなくていい」
そして。
眠っている我が子の頭を、そっと撫でた。
「お前は、お前の人生を生きればいい」
その言葉を聞いたかのように。
赤子の指が、小さく動いた。
――同じ頃。
遠く離れた王都では、魔王の死が告げられていた。
人々は知らない。
世界を揺るがした戦いが終わったその日に。
新しい命が生まれたことを。
そして。
その小さな命が、十年後。
かつて世界を震わせた魔王と、奇妙な繋がりを持つことになるなど。
誰も――知る由はなかった。




