16話 新聞記者との出会い
「い、痛っ! 痛い痛い!」
「ご主人、がまん」
「無理ぃぃいいいっ!」
茂みの枝で切った全身の皮膚。衝撃で未だに奇怪なビリビリ感を抱えている足腰。
王立劇場の二階から飛び降りた際の怪我を治すため、ジルに塗らせた薬が、とんでもない代物だった。
「私のいた村では有名な良薬。王都では好まれないみたいだけど」
「こんなのを好む人間がいてたまるか!」
ジルのいた村っていうと……あの被差別地域か。
あまり思い出したくもないだろうに。
口では反抗しているものの、ジルなりの気遣いを拒絶するわけにもいかず、俺はぎゅっと瞼を閉じて、薬の激痛に耐えた。
ほとんど裸に近い格好なので、ちょっと恥ずかしい。
いや、でも、温泉のときにも裸に近い状態だったので、今更それが恥ずかしいってことはないはずだ。
今だけは一方的にジルの立場が強く、俺の体を好き放題にいじられているような感じなので、それがマゾヒスティックな刺激を与えているのかもしれない。
「あとは脚だけ」
――昨夜、あの後。
しょっぱなから「僕は何も話さないわよ」と、自己紹介すらせずつっけんどんな態度をとったあの少女。
『春風』の近くまで俺を送ってくれたものの、その態度は徹頭徹尾冷たかった。本当にこの人が俺を助けてくれたのかと、直前の記憶を疑ってしまうほどに。
結局、あの常連ちゃんのことはよくわからないままだ。
たまたま通りかかり、ただ顔見知りを見かけたから助けただけなのか。
それとも、何かの事情があるのか。
「ジル」
「ん。どんなに泣き叫んでもやめない。これも優しさ」
「いや、それはいいんだが……今日、春風に行くぞ」
「……普段はわざわざ宣言しないのに。どうしたの?」
「いや、ちょっとな」
昨晩のことは、あまり詳しく伝えていなかったので、教える。
やっぱり無茶をしていたのかと呆れながら控えめに怒られてしまった。が、あの臆病なジルが怒るというのは、きっと、俺に心を開いてくれつつあるという証拠なのだ。
「……悪いな、心配かけて」
「それはいい。でも、もうひとつの心配がある」
「もうひとつの心配?」
「またご主人の周りに女の子が増える気配がする」
不意にジルがバカみたいなことを口走った。
驚いて、がばっと起き上がってしまう。
「はぁ? あの子が?」
「ご主人の毒牙は、割と危険。現に、こっちの世界の知り合いの大半が女の子」
「それは、まぁ、そうだけど。あの子がその輪に入るなんて……ないないない、めちゃくちゃ冷たくあしらわれたぞ」
「そういう人だからこそ不安」
俺としては、あの常連ちゃんと仲良くしている自分というのが想像できないのだが。
どうやらジルの中では確信に近いようで、珍しく自分の意見を頑として譲らなかった。
◆
春風を訪れたところ、今日は休業とのことらしい。
新メニュー開発のため、食材を飼い揃えると言うので、荷物持ちくらいは手伝ってやろうと申し出る。
静かながらも確かな賑わいを見せる市場。
その通りを歩きながら、モニカは「ごめんねー」と申し訳なさそうに言った。
「いやー、あの人ほんとによく来てくれるんだけどねー。素性と言われると、さっぱり。あ、おばちゃん、これください」
「あいよ」
通りすがりに、手早く硬貨を取り出して、野菜を受け取る。異世界人の俺は名前も知らないが、この世界ではそれなりにポピュラーなものらしく、いくつかの露店で同じ野菜が売られていた。
「それにしても、最近は野菜の質がほんとに悪いんだよー。良いものはほとんど偉い人に持ってかれちゃうからねー」
「やっぱりそうなのか。農家の人以外はどうなんだ?」
「農業や畜産業の人以外は、基本的にお金だねぇ。ゼイキンってやつだよ」
そんな話をする俺たちの後ろに付き従いながら、ジルは黙り込んでいる。
人の多い場所なので、萎縮しているのだろう。
話を戻して、あの片眼鏡《モノクル》の女性について考察する。
「いつも本読んでるよね、あのお客さん」
「本って、そう簡単に持てるものなのか?」
「お金持ちじゃないと無理だねー」
いわゆるハードカバーのようなものではなく、表層も軟質なので、地球の本とはちょっぴり印象が違う。
が、それでも本であることに変わりはなく、その用途も同様だろう。
彼女が読書好きというのは間違いないし、読書がこの世界でそれほど特別な意味をもつわけではなさそうだ。
「衣装も、ちょっぴり変わってるけど、素材は安物じゃないねー。ただ、髪はあんまり手入れしてない感じだし……良家のご令嬢というよりは、自分で富を築いた人なんじゃないかな?」
「おおー」
それっぽいプロファイリングだ。
確かに、もともと一般的な庶民で、何らかの才覚によって成り上がった人ならば、THE・庶民料理といったメニューを提供している『春風』を好んで訪れることも納得できる。
今日も、モニカについてくるよりは、店の前で張り込んでいた方が、手っ取り早くあの子と知り合えたのかもしれない。
と――話していると。
「おおい、モニカ。珍しく男と逢引かい?」
どことなく気の抜けた、ひょうきんな男の声が聞こえた。
いきなりからかわれ、驚いて足を止めたモニカが、声をかけてきた人物に反論する。
「あ、ブランドンさん……やだ、もう、何言ってるんですかー」
底意地が悪そうで、それでいて不思議と好感を抱いてしまう、不思議な雰囲気の男だった。
猫背気味だが、姿勢の悪さを補って余りあるほどスタイルがいい。
くしゃくしゃの黒髪は、ほんのりと将来のつるぴかヘッドを予感させるが、かろうじて『おでこが広い』という程度で済んでいた。
年齢は、30ほどだろうか。
「彼はブランドン・フルヴィッツさん。私と同じ孤児院の出身で、今は新聞屋の記者をしてる人だよー」
「どーも。兄ちゃん、モニカは意外と手ごわいから気をつけな」
「ど、どうも」
「彼女を落とせたらたらふく酒をおごってやるよ。まぁ頑張りな」
とてつもなく軽薄な男だった。
えっと、新聞屋のブランドン・ゲラルディーニさんか……って、新聞屋?
「新聞があるんですか、ここには」
「んー? あるけど? 最近王都に越してきた人なのかい、キミ」
「そんなところです。蓮杖龍一郎といいます。こっちはメイドのジル」
「おー。可愛らしいメイドさんだこりゃ。どうですか、今夜」
「え? あ、あのあのあのあの」
ジル、フリーズ。
「あー、ごめんな嬢ちゃん。こういうの苦手だったかい。で、旦那、今ならお安くして差し上げますけど……契約します?」
「え、えっと。新聞ってのがどんなのか知らないので、今すぐってのは、ちょっと。あの……新聞って、毎日作ってるんですか?」
「そりゃ、世間は毎日毎日変わってくからな。一日休めばその次の日は二倍の記事を書かなきゃなんねぇ」
「一日どれくらい作ってるんですか!?」
「お、おう? やけに食いついてくるなぁ……まぁ、300か、もうちょっと多いくらいだよ」
そんなに?
え? まじで?
俺はあんぐりと口を開け、今の発言が本当か質してみるが、ブランドン氏は怪訝げに「嘘言っても仕方ないだろ」と答えた。
1日で300枚の新聞を印刷できるとなれば。もし、新聞に漫画を掲載することができたら――俺とアイラのプロパガンダは本格的に始められる。
「で、ブランドンさん。こんなとこで何してるの?」
「ん……ちょっとな。機能、王立劇場で面倒事があったらしくてよ。犯人を見つけてやろうと、その取材をな」
ぎくっ。
俺の後ろで、アイラまでカチコチに固まる。
「王立劇場? でも、どうしてこの市場を?」
「犯人が逃走した植え込みには、北方から運んできた珍しい品種の木が植えられていた。その木の葉っぱが、この市場で見つかったんだ。つまり、犯人はこの市場を通って逃走したことになるって寸法だ」
まずい。
俺、今冷や汗垂れてないよな? と不安になる。
なんとか、俺とジルの挙動不審さには、ブランドンさんは気づかなかったようだった。
「ほうほう、それでそれで?」
「おっと、いくらモニカでも、これ以上は教えられないな。記事にするまでは秘密主義なんだよ」
「素直に手がかりが見つかってないって言おうよ」
「んなこたぁねぇよ。っと……まぁ、そういうわけだ。兄ちゃん、それに嬢ちゃん。なんか手がかりを見つけたら、ここに知らせてくれ。警備隊じゃなく、な」
男のウィンクなんて見たくもなのだが、妙に色気のないウィンクとともに、ブランドンさんは1枚の紙きれを手渡してきた。
そこには、俺には読めぬアルディラ文字が刻まれている。
発言から察するに、新聞屋の住所的なものが書かれているのだろう。
もう少し、詳しく新聞の話を聞きたかったのだが、ブランドンさんは「そんじゃ」と、口を挟む余裕もない異様なテンポの良さで立ち去って行った。
人混みに消えていく後ろ姿は、名探偵よりはむしろ怪盗のように見える。
ジャーナリストというのは、悪事を暴くために活動していても、正義感とは無縁なのだろう。それはそれで、きっと悪いことではないのだ。
「嵐のような人だったな」
「昔からそうだったよ」
「女好きって感じ」
「レンくんほどじゃないけどね」
「……え? 俺、そんな風に思われてるの?」
「だって、キミ、知り合いの9割くらいが女の子でしょ?」
そういや朝もジルにこんなこと言われたな。
と思っていると、当のジルはこくこくと頷いて強く同意していた。
まったくもって遺憾である。
俺は女体とセクハラは大好きだが、間違っても、男を軽んじてまで女と仲良くしようとは思わないのだ。
それから、俺は女好き疑惑を晴らすために必死の抵抗を繰り広げたが、二人は結託して架空の『チャラすぎる蓮杖龍一郎』を作り上げていった。
もう一度言うが――まったくもって遺憾である。
◆
その日の夕方だった。
にわかに降り始めた雨の中、風呂に入りたいというモニカを我が家まで連れて帰り、両手に花の夕食を楽しんだ頃。
ドンドンと玄関の扉が叩かれた。
「旦那ぁぁぁあああああああっ!」
聞き覚えのある声。何事か、と思いながら玄関に向かうと、メイド服でなく私服を着た王室メイド・エミリアがいた。
ぶんぶんと尻尾を振りながら、エミリアは深刻そうな顔をする。
「大変ッス!」
「ど、どうしたんだ?」
雨音の中に、エミリアの緊迫した顔が、嫌な予感を胸の内に起こさせる。
ごくり、と息を呑む俺に、彼女は言い放った。
「ウチのおっぱいが……知らない間にちょっとだけおっきくなってたんス! これは大事件ッスよ、旦那!」
「………………」
「だ、旦那?」
「……………………………………」
「ああっ、まって、扉を閉めないでほしいッス!」
真剣になって損した。
さっさと食卓に戻ろうとするが、閉じようとしたドアをがっちりと掴まれ、阻止された。こうなると、獣人の力に抗って無理やり扉を閉めることは不可能だ。
諦めて、思い切り睨みつけながら応対してやると、エミリアは「本題はこっちッス」、と何かを差し出した。
受け取ってみると、それは封筒だった。その場で開けて中身を取り出してみると、手紙が入っている。
なんだこりゃ、と顔を上げると、エミリアは満面の笑みで手紙の内容を伝えた。
「あと数日で帰って来るみたいッスよ! アイラ殿下とナーシア様が!」




