6話 変わり始める日々へ
「奴隷商人?」
ナーシアが例の男たちを引っ張って来る間、俺とアイラは、ある一人の少女と話をすることにした。
ナーシアは、あえてすぐには男たちを取り押さえず、彼らが拠点に行きつくのを待ち、そこで攻撃に打って出たらしい。有能である。
結果として、男たちが拠点としていた馬車の中で、この女の子を見つけたのだそうだ。
「では、お主、三年間もあやつらに捕まっておったのか」
「う、うん……はい」
「……無理に礼節を重んじるでない。気楽にせい」
アイラは王女ということを明かしていないが、それでも少女は恐縮しまくっていた。
どうやら敬語をうまく使えないようで、お世辞にも育ちは良くなさそうである。見た目もみすぼらしい――が、それは悲惨な扱いを受けていたからだろう。
よく見れば、顔立ちは整っている。
「お主は麓の村で攫われたわけではないのだな? 名と出身を教えてくれぬか?」
「名前は……ジル。生まれは、ガレルの谷」
「む……そうか」
アイラは、何かを察したように視線を落とす。
「それにしても、不思議だな。こんな可愛い女の子が、どうして売れ残ってたんだろう」
「か、可愛い?」
俺がぽつりと呟くと、少女――ジルは、無表情なまま顔を上げた。
色素の薄い髪がしゃなりと揺れ、怯懦に満ちた瞳が俺を見据える。
それから、おそるおそる、口を開きかけ、諦めたようにうつむく。
代わりに説明してくれたのは、アイラだった。
「ガレルの谷はのう。通称、死者の谷と呼ばれる場所なのじゃよ。死した者が行きつく場所と、かつては思われておった。今でも、ガレル出身の人間を、穢れた存在として忌み嫌う者も多い」
奴隷とはいえ、側に置きたくない――ということか。
怒りを覚えないでもないが、アイラやジルにそれをぶつけてどうなるわけでもない。
日本にいたときは、よく耳にする部落差別のことなんて、まともに考えたこともなかったが……いざその現実を目の前にしてみると、容易には納得できそうもない。
「それにしても、困ったのう。ガレルは今、我が国の領土ではなくなっておる。送り届けてやることもできん」
「……ガレルには、帰りたくない」
「なら、提案がある。もちろん、二人がそれでいいと思うなら、だけど」
俺は勢い任せにあることを提案した。
表情筋の動かし方をすっかり忘れていたらしいジルが、その提案に少しだけ目を見開く。
驚くほどあっさりとジルが提案を受け入れた直後、ナーシアが誘拐犯――改め、奴隷商人の首魁を引っ張って来た。
「っ……」
「あっちに行こうか」
奴隷商人の顔を見て、ジルが怯えた様子を見せたので、その手を引いて立ち上がらせる。
その場をアイラとナーシアに任せ、俺はジルを離れた部屋へと連れて行った。
「ごめんなさい」
「何が」
「だって、すごく怖い顔している」
「……別に、ジルに対して怒ってるわけじゃないよ。あの男にムカついてるんだ」
何が一番ムカつくって、人が険しい表情をしているだけでとりあえず謝ろうと考えてしまう、ジルの考え方だ。そんな考え方をする理由は、どう考えたって、奴隷商人に飼われていた三年間のせいである。
「ジル。よく聞いてくれ。君はもう、奴隷じゃない」
その場に座らせて、ぽんと頭に手を置く。
相も変わらず、表情に変化はなかった。
「いきなり変われと言われても、難しいかもしれない。けど、君は変わるべきだ。怖がってるだけじゃ、何も始まらない。それに、せっかく美人なんだから、オシャレもするべきだよ」
「美人……?」
「そうだ。俺もな、正直、内心では怖いと思ってる。そのうちちゃんと話すけど、いきなり見知らぬ場所に連れて来られて、大変なんだよ。だけど、前向きに頑張ろうと思ってる」
「前向きに?」
「そうだ。ゆっくりでもいい。今すぐじゃなくてもいい。けど、いつかジルには笑ってほしいなと思うんだ。そのための手伝いなら、いくらでもする」
約束だ、と小指を差し出す。
だが、ジルは困惑した様子で、首を傾げた。
あ、そっか、ゆびきりって日本でしか通じないよな。
仕方ないから、ジルの手を取って、無理やりゆびきりの誓いを結ばせる。
「俺の国では、約束するときに、こうするんだ。約束してくれるか? 十年後でも、二十年後でもいい……いつか、前を向く勇気を持ってくれるって」
しばらくの間、ジルは迷っていた。
しかし、おずおずと、だが力強く、小指と小指をグッと結ぶ。
その瞬間、俺たちの誓いは成立した。
そんな――ほんのちょっぴり穏やかで、僅かながらも優しい時間は、アイラの「何じゃと!」という怒声によって崩された。
「……何怒鳴ってんだ、あいつ。ちょっと見てくるから待っててくれ」
あたふたともとの場所に戻ると、奴隷商人の男がゲラゲラと笑っているではないか。
「民を導くのが王族の務め? わらわは民を愛している? 民を攫って奴隷にするなど見過ごせん? よく言うぜ、てめぇは何もわかってねぇ!」
「貴様……っ!」
「知らないようなら教えてやるよ。俺は一度も誘拐なんてしたことはねぇ。商品の奴隷はなぁ。皆、家族から買い取ったものなんだよ」
「ふざけたことを! 実の子を売る親がいるとでも申すか!」
雷鳴のようなアイラの声に、嘲るような笑みを消し、奴隷商人は低く低く、「いる。てめぇらがそんな鬼畜を作り出した元凶だ」と答えた。
「呑気に学者気取りで遊んでる第三王女様はご存じないってか? 自分の親や兄が、どんな暴政を行ってるか」
「暴政じゃと……? だが、わらわは旅をしながら、多くの町に立ち寄った。そこでは、多くの者が笑顔だったし、王族を悪く言う者など」
「言えるわけないだろ。当の王族を相手に」
最後の言葉は、奴隷商人のものではなかった。
俺が言ったのだ。
「落ち着け、アイラ。冷静になれ。俺が見た感じ、麓の村も貧困にあえいでいたよ」
「……だが、農園は広大だった。作物も多く収穫されているはずじゃ」
「ああ。でも、人はやせ細ってたよ。それでも、お前やナーシアに愛想良くしてたのは、偉い人が相手だからさ。考えてみなよ。たくさん作物が収穫できるのに、やせ細ってるってことは……それだけ、搾取されてるってことだ。この男は、嘘は言ってないと思う」
「はっ。そっちの兄ちゃんの方がよくわかってるじゃねぇか」
縄に縛られているのは奴隷商人だ。
それなのに、目の前で精神を束縛されているのは、アイラとナーシアの方だった。
「てめぇは、遊びがてら旅をして、民衆のことを見てきたつもりかもしれねぇよ。けど、人間ってのは自分の見たいものしか見ねぇ。そりゃああんたが悪人じゃねぇことくらいはわかるさ。でも、悪人の存在を見過ごすなら、それは同罪だと思わねぇか?」
「……それは。じゃが、兄上も父上も、そんな暴政など」
「暴政だから、俺が儲けてられるんじゃねーか。礼を言わせてもらうぜ、あんたの家族にはよ」
黙り込むアイラに、奴隷商人は追撃をする。
一方的に。
「お前ら、助けた娘を村に送り届けたか? 親御さんは困り果てるだろうなぁ。売り払った娘が戻って来たんだからよ。娘だって事情には気づいてるはずだ。もとの仲良しな家族には戻れないだろうぜぇ」
歯を食いしばるアイラ。おろおろと、困り果てるナーシア。
仕方がないので、俺が口を開くことにした。
「……でも、それは今だけのことだ」
「あん?」
「この国が、アイラが思っているよりずっと腐敗していたとしても。それは未来永劫変わらないわけじゃない。アイラがそれに絶望と怒りを感じるなら、それは、アイラなら現状を変えられるってことだ」
「……レン。お主」
「一方的に助けられるだけじゃ割に合わないと思ってた。それに、リベラリタスの力も持て余してしまいそうで不安に感じてたところだった。けど、俺にはやるべきことがあるんだって、今、直感した」
アイラ。
この国が君の理想と違っているなら――それを正そう。
君にはその力がある。
俺は、それを支えるから。
そう言うと、アイラはしばし黙り込んでから、奴隷商人に「……まったくもって認めたくはないが。貴様のおかげで目が覚めた」と言い放った。
「ナーシア。レン。一度王都へ戻るぞ。わらわがこれまで目にしていなかった現実を確かめねばならん。つていきてくれるか?」
「は、はい!」
「ああ」
ナーシアに奴隷商人を任せ、アイラはどこかへ歩き出す。
なんとなく、それに付き従った方がいい気がして、ついていくと、アイラは寺院の入口へたどり着いた。
そして。
それと同時。
「あ……あの。もしかしてアイラ殿下、ですか」
一人の少女が、やってきた。
「……いかにも、わらわはアイラ・ノーランドであるが」
「あのっ。あ、ありがとうございました!」
「……は?」
「アイラ。昨晩助けた子だよ」
村娘は、至極元気そうだった。
疲れも、悲しみも、その表情からは読み取れない。
奴隷商人の言葉に、よほどショックを受けていたのか、アイラは真っ先に家族についての問いを投げかける。
「う、む……そうか。その、ご両親はどうだ。お主の帰りを、迎えてくれたか」
「はい! お母様は、山の寺院にアイラ殿下がいらっしゃるから、これを持って行けと。うちの果樹園で獲れたものです」
そう言って少女が手渡したのは、鮮やかなオレンジ色の果実がいくつも入った籠だった。
受け取り、アイラは困惑したように俺の方を見る。いや、俺に助けを求められても。
「まぁ、あれだ。あの男の言ってたことは、嘘じゃないとしても。やっぱり、あいつの捉え方も正確じゃないってことだよ。彼女の親だって、彼女を売るのは苦渋の決断だったんだ」
子を売りたい親などいるはずもない。けど、売らなければ生活できないから、売る。
奴隷商人を捕まえた今、彼女の家庭には、奴隷として娘を売った金と、娘本人がともに存在するわけで。
まぁ、お金に関しては、奴隷売買というアレな商売で儲けたものなので、アイラが気づいていないなら言う必要もないが。
「……娘よ。ごまかさず、素直な感情を述べてほしい。お主は、我が父エゼルバルドの治世をどう思う?」
「ど、どう思うと言われましても……私、難しいことはよくわかりません。生活はいろいろ大変ですけど、だからって、王様を恨むのは、ちょっと違う気もしますし」
あ、でも――と。
少女は、迷いなく続ける。
「話してみて思いました。アイラ殿下が王様なら、きっとこの国はもっと平和になる気がします」
その日――このノーランド王国に大きな転機が訪れた。
真実というのは、往々にして、絶望を伴うものだ。しかし、アイラは真実に心を折られつつも、かろうじて、一人の少女に救われた。
この国は変わっていく。
この王女は変わっていく。
その日、バロウルに吹いた風は、ひときわ強く、ひときわ寒いものであったが、アイラの瞳には強い輝きが宿ってた。
【序章 了 ◆ 第2章へ続く】
序章はこれで終了です。
次回から王都編。
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