プロローグ
ーーーーーーー狭い部屋で。
「やめろ!!こっちに来るな!!撃つな!!やめろ!!!!」
ーーーーーーー石造りの部屋で。
「雄鶏の首を叩き折れ!!!」
ーーーーーーー市街地で。
「グルパ!!グルパ!!!起きろ、グルパ!!!おい、起きろってば!!!.....」
ーーーーーーー塹壕で。
「レンス!!弾を撃て!!死ぬぞ!!!」
ーーーーーーー山で。
「待て!!ヘリがこっち向かってる!!!」
ーーーーーーー砂漠で。
「水が足りない!!救援物資を早くくれ!!」
ーーーーーーー川で。
「クソ...なんでこんなところに......こちとらシルまで逃げたんだぞ!!」
ーーーーーーーそして、戦場の片隅で。
「ヘルム!!その 拉縄を引け!神の一発だ!!フランコに一矢報いてやれ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「我々の独立は、単に土地を取り戻すことではない。人間の尊厳を取り戻す戦いだ。マグレブの空に輝く星は、もはや誰にも消せはしない。我々は兄弟であり、裏切りは死を意味する……」
「秩序こそが平和の礎である。国境を越える混沌は、容赦なく排除されねばならない。我がスペインの盾は、目に見えぬ脅威に対しても常に研ぎ澄まされているのだ……」
ーーーーーーープロローグーーーーーーー
ズガァァン!!!!
ーーー抑えていた眠気を噛み殺す。銃口から燻る微かな硝煙と鼻の奥を突き刺す血の匂いに思わず顔を顰め、そして巨大な音とともに目を覚ました。
周りに飛び散る血は、猩猩緋にも似た直径1mmに満たない高速な飛沫を放射状に壁や窓枠、床、そして私の穴が空いたズボンをも染めていた。
素早く相手の胸についている、血に塗れた金色に輝くバッチを剥ぎ取って脇腹のベルトにくくりつけられた雑嚢に無造作に突っ込む。
血がべっとりついた相手の服の襟を鷲掴みにし、片手でなんとか持ち上げて窓から外のサボテンのほうへ放り投げる。そして、自分も階段を駆け下りて先程の死体が窓の外に投げた”モノ”を取る。
砂地に残置されたM3は、少々砂を帯びていた。グリースガンと言われて数年来、確かに、そのガンのディティールは接着剤を塗布する工具そのものである。グリップを握り込むと、砂漠の夜の寒さを直に受け続けたその冷たさが、冷覚をほとばしって眠気を更に覚まさせる。
いま”処理”したフランス軍の兵士であろう青年が持っていたものだ。フランス軍の詰所は薄暗く、とにかく狭かった。
ーーーあの緑色の目は、一体何を目指していたんだろうか。あの怯えきっていて死を覚悟した目は、何を思ってこの地へ来たのか。
あの時、確かにあの緑色の目の、「やめろ」と叫んだ30代くらいの男は震えていた。それは、まさかマグレブの夜が寒いからではないだろう。ではなぜ、彼は震えていたのか?
ーーーーー答えは単純かつ明快だ。死に対する、恐怖である。自分の感情が途絶え、感覚が途絶え、そして理性が途絶えることへの恐怖である。
そして今しがた、またしても私は”それ”を自分の手で繰り返したのだった。多分、50回は繰り返しでいる。
このサハラの大地において、地図にも載っていないような集落は、実はかなり多くある。
フランス軍は、そういう集落を飛行機で見つけてはあとから車で兵士を数人送り、そのうちの2個や3個ぐらいの家を無理やり奪い取って監視と通信の拠点にしている。そのやり方にして、時には死者を出すほど強引だ、と話す60過ぎくらいの長老もいた。
そんな有り様であるから、地域の集落の反発は根強い。しかしながら、銃が相手では勝ち目がないのだ。それを理解しているからこそ、住民は我々反乱勢力を頼る。
多少、血が残っても、我が家は我が家なのだ。
ーーあとは、通信装置を破壊するだけ...
家屋の中の階段を2段飛ばしで駆け上がり、持ってきたハンマーを握りしめて通信装置のある部屋へ大股で近づく。
ーートツー、トトトトツー、ツートトトト。ツートトツー、トトトトツー、ツートトトト...
思わず息を飲み込む。....P…4-6….定時報告...!
誰にも聞こえない声ーーもちろん頭の中だけで響く音だがーーを漏らす。執拗に繰り返される高音のビープ音。それは、今しがた息絶えたあの緑色の青年が座っていた椅子へ、冷酷な「定時報告」の催促を運んできたのだ。しかしながら、それに続いてきたのはかすかなマグレブ訛りのフランス語だった。
「ジャン、聞こえるか?お前の好きな銘柄の煙草が手に入ったぞ.......」
ーー返事など、できるはずがない。
返事をするべき喉は、今ごろ外の砂地でサボテンの刺に貫かれている。
無機質なビープ音を吐き出し続ける機械の前に立った。パネルの裏側で真空管が熱を持ち、微かに焦げた匂いが鼻を突く。
その時、ノイズの隙間から声が漏れた。
「……おい、ジャン。寝ているのか?聞こえているんだろ? さっさと定時報告済ませようぜ?明日の朝、交代のトラックが出る。お前の言っていた、あのボルドーのワインを持って行ってやるからな」
それは、戦場の怒号でも、訓練場での上官の怒鳴り声でも、独立阻止の理想でも、平和への願いでも、ない。帰りを待つ、「友人の声」だった。
握りしめたハンマーの柄が、このジャンという緑色の目をした青年の血と、自分の手汗で滑るのを感じた。
この通信機を壊せば、この声の主は「ジャンの死」を悟る。
だが、壊さなければ、数分後には私の居場所が特定され、この村は火の海に包まれる。
「……すまないな。ワインは一人で飲んでくれ」
声に出さず、乾いた唇だけを動かした。ポツリと、緑の目の男に聞こえるかはわからない程度の声で呟いた。
振り下ろした鉄塊は、電子の叫びを無残な火花へと変えた。
ーーーー1発、2発、3発。
ガシャリ、バキ、ジジジ...という鈍い音と電子配線が壊される音が響き、部屋に完全な静寂が戻るのに大層な時間はかからなかった。
グリースガンの冷たい鉄の匂いが、かすかに鼻腔をくすぐり、そのさらに奥を「ジャン」の生暖かい鉄の匂いが刺激する。
私は窓の外、暗い砂漠の果てを見つめた。
マグレブの空に輝く無数の星は、素晴らしいほど清々しく、美しい。
だが、その光が照らし出すのは、常に誰かの死体と、それを踏み越えていく私の影だけだった。
ーーーサハラの冷たい夜が、すべてを飲み込んでいた。




