第五章
群衆は農業区に到着した時だ。
第一農園前に集い、並び、睨み、唸る。
その唸り声はつながって大きくなる。大地を揺らすその低音は当主にも聞こえていた。
大声が出せない種族性のため、大勢には低音信号で伝えるのが基本であった。
アウランティ家当主もまた、農園からパイプを使って信号を出す。
「何が望みだ」
わんわんと響く低音。規則的に鳴り、意味を成す。
地中から出たパイプを群衆の代表が叩き返す。
それもまた信号としてアウランティ家当主の元へ向かった。
「我々は道具ではない。早くこんな外交をやめて同胞を解放せよ」
「それは承知の上だ。しかし理由がある」
「理由は不要。ただ安全な生活を保障せよ」
「そのための礎だ」
「もう何年同じ状態だと思っている」
「後3年で完了する」
「もう限界だ」
最後の信号を皮切りに群衆は叫びながら突撃し始めた。
アウランティ家当主は唇を噛み締める。
しかし考えている余裕はない――分家に指示を出す。
「解放しろ!」
ドンと大きな音と共に農園の扉が開き、中の人間が走り出す。
飢えた群衆は農場を壊すのをやめ、目の前を行く人間の方へ向かった。
その間に当主陣は裏道から別の農園へ向かった。
「本当にこれで良かったのかシネレイ」
「やむを得ん。この農園は元より放棄する予定だったはずだ。まずは気を逸らす。戻ってきたとして都市にまだ潜んでる、とでもいえばいい」
シネレイ家当主は淡々とこの作戦の意図を語った。
アウランティ家当主はこの農園を物寂しそうに見ていた。
「……そうか。とにかく第二農園まで急ごう」
こうして第一農園はもぬけの殻となった。
そして背後には地獄のような光景が広がっていたのを彼らは感じ、振り返ることはしなかった。
それなりの数を放ったため、しばらくは農業区に群衆が集うことはなかった。
それに、しばらくちゃんと動く人間を狩る事に慣れていない牙人はかなり苦労していた。
いつも室内で食事をとっていたため、いざ外となるとなかなか捕えられなかった。
追えども追えども、かわされて体力が切れる。それは単に飢えがもたらすものでもあった。
気が付けば国民にも反乱する気力がもう残っていなかった。
そして一年が過ぎる。
人手不足により国内には書簡が届かなかった。
それよりも飢えた牙人には人間も近寄らず、アンスロポリスからの連絡は一切なかった。
もうこの状態でアンスロポリスとの取引は応じることもできず、自分の農園だけが頼りだった。
最後にアンスロポリスから来た書簡には取引は手数料の石炭を二倍要求するというものだった。
つまり完全に梯子を外されていた。
この状態で誰が石炭を掘れるだろうか。
人気のない坑道は風が吹き、悲しげな音を立てているだけだった。
王都もまた閑散としており、風が凪ぐ音は寒々しかった。
王は祈ることしかできなかった。分断された状態で彼もまた飢えていた。
税として徴収していた保存血で何とかつないでいたが、それもわずかであった。
もはや国として機能しておらず、無法地帯と化していた。
王はただ、紙を見て、書いてするだけの職務となり、飢えを凌ぐためにも一日のほとんどを寝て過ごした。
ルブリア十世の家臣の多くは以前より度々来る暴徒との争いで倒れた。
いつしかそんな者も季節が進むと共に見なくなり、気がつけばルブリア十世と僅かな側近だけが住まう城となった。
大きな城に数人という状態は妙に寒く感じられ、ルブリア十世はよく温泉にこもっていた。
血ではなく飲料泉も使いながら飢えを誤魔化していた。
家臣達もまた同様にそう過ごしていた。
その為王としての職務は未来に向けての考えだった。
他の当主達にも連絡が取れない今、農園が整った後の計画を考えることでしか彼の精神は保てなかった。
時折涙し、家臣に支えられていた。
城の中もまた彼が最年少だったからであった。
状況は悪化の一途を辿りながら少しずつ季節は進む。
そしてこの年の冬。
両国共に強い寒波が訪れる。
気がつけば逃げた人間を追い続けた牙人達も、多くが低体温症で息絶えた。
当然冬を越せるような服装でもなかった人間も例外ではない。
その両者の死体を弔う者はおらず、ただその体をしんしんと降る雪が包んだ。
雪に埋もれ、踏み抜いた先に誰かが居るなんてこともあった。
狩りがうまくいった者は何とか過ごしていたものの、それもまたかなり限界に近かった。
うまくいったのはもとより体力のあった軍事系の人や物流系、建築系の者が多かった。
必ずしも他の者が倒れたわけではなく、共同体をつくることで役割分担をしていた。
いくらかの知恵ある牙人の共同体は捕らえた人間を世話する小さな農園を作って細々と過ごした。
それもまた一筋縄ではいかず、幾らかの共同体はかなり荒れていた。
揉み合ったか、うまく管理ができなかったかで酷い有様であった。
後にその場に訪れた人曰く、酷い腐臭のため、特殊な許可をもらって焼き払ったという。
失敗した理由も明らかだった。
牙人達も人間が何を食べるのか知らなかった。
どうすればいいか色々試していた。
そのうちに手遅れとなっていた。
それほどまでに両者は理解がなかった。
皮肉なことにこの極限状態が理解を深める。
牙人は人間を、人間は牙人を知るきっかけは紛れもなくこの時代だったのだろう。
だからといって皆が失敗した訳ではない。
農園でのノウハウがあるのだから。
農園でかつて働いていた人、あるいは人間についてくわしい学者などが合流した共同体はうまく維持する方法を知っていた。
そのため、手遅れになる前に軌道に乗せることができた。
軌道に乗った共同体は失敗した共同体とは異なる生活をしていた。
人間を小屋に住まわせ、食べ物を与える。紐で結び、逃げないようにして……時折血を抜いて。
本来必要な量のおよそ十分の一しか取れない中で彼らもまた王と同じように寝るばかりになった。
人間の面倒を見る当番二人と他は寝る。
しかしながら血液の生産が間に合うわけもなく、生かさず殺さずを続けているだけだった。
しかしこんな生活がまともに続くはずもなかった。
欲に負けた者がいないわけもない。
そんな全部奪いかねない者が現れた時は必死に止めた。
それが生命線なのだから。
そんな者は共同体からの追放となり、また雪に埋もれる人が増えるのであった。
山岳地帯はよく吹雪に覆われ、外に出ようものならすぐに姿が消えていた。
風の音は彼らの心を削っていく。
獣を追う集団も、長く高熱を出し続けながら過ごした結果、力尽きた者も多かった。
それに、冬眠した獣は探しにくく、うまくありつけなかったということもある。
交渉に来る人間は居たものの、一部はそのまま食われ、気がつけば人間も寄り付かなくなっていった。
いつの日か、混沌としていた国境付近は雪と死だけが残った。
この国に生きとし生けるものすべてが絶望を味わっていた。
冬の厳しさが何もかもに追い打ちをかけ続けていた。
誰しもが絶滅を危惧していた。文明の最期だと。
人間による静かな侵略の完成に最も近づいた。
絶望の冬が永遠に続くと思われた。
突如春は訪れた。それは奇跡とも言えようか。
雪が少し溶けてきた頃だった。
第二農園にて、ニグリィ家当主が速報を持ってくる。
「第一世代が出荷できるぞ!」
皆が一斉に振り向く。
唐突すぎて期待よりも不安の方が上回る。
それ故にまだ誰もその話を信じられなかった。
「予定が早まった。もう大丈夫だ。今の人口がどうなっているのかは最早わからないが……安定して毎年供給できるはずだ」
そういって安心したのかニグリィ家当主はその場に崩れた。
地べたでハハと少し笑って眠りに落ちた。
その笑いと寝息に皆の緊張の糸が切れる。
アウランティ家当主もまたその場で崩れ、笑ったまま眠る。
スコラスティアン家当主が医療関係の分家を連れてきて彼らを診た。
「過労と栄養失調か……。とにかく寝かせてあげないと。かくいう私もだが」
くらくらとしているスコラスティアン家当主は壁に手をつきながら農園の仮眠室へ向かった。
皆疲弊していた。
ナウィクラリィ家当主が言った。
「まだ私は気力がある。王に結果報告と人間を渡しに行ってくる。シネレイ殿には悪いがいくらか人を貸して欲しい」
シネレイ家当主もまたかといった感じで言い返した。
「いいだろう。ただ、彼らもまた準備させてからにしてやってくれ」
ユーディキリオ家当主が言った。
「まあ、どれくらい余裕があるのかはニグリィ殿しかわからないですから今は避けますが、当主巡礼を3日以内には行いましょう。そこで臨時法の撤廃と国の建て直しについて話しましょう」
それもまたナウィクラリィ家当主は承知し、王都へ向かった。
気力があると言った割にはふらついていた。
それでも、彼ならやってくれるはずだと皆、見送った。
農園の戸が開き、入ってくる日差しは暖かく、凍てついた身体も心も溶かしていくようだった。
しばらくしてスコラスティアン家当主が目覚め、同様に目が覚めたアウランティ家当主に言った。
「あの亡命者の話なくして技術の加速はなかった。もう亡くなっているのは悲しい話だが、そのことを伝えた分家の彼には助かったと伝えておいて欲しい。結果として混乱を招いたが、時間の問題だっただろう」
ベッドの上で横になりながら話す。
窓から差す陽の光が空気を暖めていた。
その空気の中で二人とも脱力し切っていた。
「ああ、本当に。ああも人間は複雑な生き物だとは思わなかった。11代も農業やっててまだこのことに気づいてないとは本当にばかばかしい」
アウランティ家当主は額に手を当て呆れていた。
これに答えるスコラスティアン家当主。
「仕方あるまい。これからはもう少し本家も分家も知識の共有が必要だろう。都市が近くなったのだから、それもきっとうまくいくはずだ。まあ、今はそれどころじゃなさそうだがな。なあ、頼むぞアルキテクト殿」
部屋の隅に居たアルキテクト家当主が言う。
「なんだ、気づいていたのか。それは賛成だ。それでこそ神性の血管が巡るという事。ふはは!なるべくしてなったってとこか?」
アルキテクト家当主は豪快に笑いながら照れてどこかに行った。
もう当主陣も限界の中、やっと笑顔が戻り始めた。
アウランティ家当主がスコラスティアン家当主に続けて話し出す。
「しかし彼らは肉を食うのだな。草や木の実ばかりだと思っていた。まあ、そもそも肉などこちらとしては与えるのは手間だったからな」
言った後に大きなため息をつく。
同じようにため息をつきながら続けられる。
「まあ、タンパク質が必要だったのは間違いない。血量が少ない個体には水を飲ませろとは文献が残っていたが……彼らはもっと色んなものを食うようだな。肉も然り、草も然り。牙人から見たらめんどくさくてたまらん」
笑って返答するアウランティ家当主。
つられてスコラスティアン家当主も笑う。
「まあ、そうだな。我々にはあり得ないことではあるが我々が人間の血で生きているのは彼らの様々な栄養源を元にしているからだろうな」
真面目に戻り、二人とも頭の中で色々と考え込んでいた。
「なるほど。もう少し栄養学を拡充させる必要があるかもしれんな。……しかしニグリィ殿はよく寝ているな」
今後の指針も考えつつ、二人はまだ目を覚さないニグリィ家当主を見た。
寝息がとても気持ちよさそうであった。
「まあ、最後はニグリィ殿のプラントが必須だったからな。そう思うとアルキテクト殿は元気だな」
フッと戻ってきたアルキテクト家当主。
「なんだ、呼んだか?建築は体力がないとできんぞ。図面を描くにも体力がないとな。まあ……強がっちゃいるがかなりしんどい」
アルキテクト家当主はその場であぐらをかいて座り、目を瞑った。
すぐにいびきをかき始めた。
「なんてことだ……せめて横になればいいのに」
こうして動ける者は動き、限界だった者たちは休んだ。
3日後、臨時の当主巡礼が行われた。
ルブリア十世が着席。その姿は最後に当主達が見た時よりもかなりやつれていたが、その顔には笑顔があった。
「皆、よく頑張ってくれた。私ができることは書くか寝るかだったからな。あまり役に立てずすまない」
最後の一言には悲しげな顔。
アウランティ家当主が言う。
「王よ、今はただこの時を喜びましょう」
「それもそうだな。では会議を始めようか」
その声は掠れてはいたが喜びが込められていた。
ユーディキリオ家当主が手を挙げる。
その手は強い意志を持っていた。
「臨時法を撤廃したい。もう十分だろう」
レリグス家当主が続く。
その表情は必死だった。
「宗教罰も緩めたい。もう歪んだ思想は懲り懲りだ」
「異論は?」
誰も手を挙げるものは居なかった。
ただ、少し間を置いてアウランティ家当主が言う。
「臨時法は撤廃で構わないが、しばらく配給制は続けてほしい。また何が起こるかわからんのでな」
そこにニグリィ家当主も続く。
「確かに急務だったなら問題が起こらないとも限らない。用心に越したことはない」
ルブリア十世も同意。
「では、そのように進めよう」
さらにアルキテクト家当主が言いづらそうに手を挙げる。
「すまない、流石に人手不足だ。どこから都市修復をすればいい?」
満場一致で農業区のアウルス、次点に王都ルグリアスとなった。
「領民にはしばらくこの2か所で生活してもらわないとな」
実際、それぐらい人口は減少していた。
「とにかく最低限の暮らしを保証しなければ。そして失ったものを取り戻していかねばならない。復旧の手順と役割分担を決めよう」
会議は終わり、皆長い冬が終わったことを喜んだ。
庶民にそのことが降りてきたのはこの会議の後だった。
長きに渡り飢えに苦しんだ人たちは食事の際、喜びの中泣いていた。
アウルスとルグリアスには活気が戻っていった。
春の風は少しずつ吹いていた。
やがて年を追うごとに人口は少しずつ回復していき、都市の修繕も行われていった。
政治区、宗教区、学術区が復興した。
それは王都とアウルスに近い場所であり、秩序の要が再起動した。
続いて技術区、物流区、建築区が復興していく。
国のインフラが整い始めていき、復興は加速していった。
さらに軍事区、制裁区、外交区が復興。
対外的な秩序を取り戻していった。
まだまだ人間優位な取引は多かったが、力を取り戻してからは少しずつ対等になっていった。
最後に芸術区のヴィオルス、娯楽区のアルブスが復興した。
その頃には活気も戻り、最後の仕上げというような感覚であった。
最後ということもあり、近代的な建築様相になっていた。
こうして国として再建された。
都市の復旧にはアルキテクト家だけでなく他の家も手伝っていた。
特に物流のナウィクラリィ家当主はかなりあくせくしていたようであった。
また、アルビオン家は二代に渡り自分の領地に住むことがなく、12代目はその地を歩くこともなかったそうだ。
敷かれていた配給システムは後の公共販売所の元になった。
これは因果か、都市復建が遅れた都市ほど栄え、人口が増えていた。
備蓄の大切さを知った彼らは冷却技術を高め、保存血を蓄えるようになっていった。
この思考により直接人間から摂取するだけでなく、瓶に入れた血のため、牙が弱った牙人にも狩りの負担のない食事が取れるようになり、寿命は延びた。
そして王や当主達は次の世代へ渡る。
建国王ルブリア十世は当時暴虐王といわれたが、現在では救世主といわれている。
そして当時の当主達は後の世代にて家の中で英雄と扱われている。
しかし、庶民達がこの事実を覚えていられるのは短かった。
今日では忘れられているものの、彼らが生活できているのは紛れもなくあの当主達の努力によるものである。
平和な時の流れは残酷にも記憶を風化させていく。
ひとまず危機は去った。
しかしこの国に大きな闇が潜んでいることはまだ誰も知らない。
それをまた乗り越えて今日のヴリコラクラードがある。




