episode9-5「 」
大山川花火大会。僕の住む町から、一時間ほど電車に乗った先にある大山川の河川敷で行われる割と規模の大きな花火大会。名前は聞いたことはあるが、陰キャの僕はもちろん行ったことはない。その未知の経験である花火大会にこれから出掛ける。
(あれ?)
そんな僕のスマホがブルブルと震える。この震え方は『ステ恋』。すぐにスマホを取り出す。
『ずいぶん久しぶりね』
(エリカ……)
スマホの画面には、可憐な黄色の浴衣を着たエリカの姿がある。
『どうしたの? それ』
思わず尋ねた僕にエリカが答える。
『今からみんなで花火大会に行くの。それだけよ』
(花火大会……)
まるで僕のスケジュールを知っているかのようなこのアクション。偶然なのか、それとも必然なのか。
『だ、誰と行くの?』
僕が思わず尋ねる。
『サークルのみんなよ。誰かさんが誘ってくれないから』
(え……)
陰キャオタクの僕にはその言葉の真意が分からない。しばらくエリカの可憐な浴衣姿を見てから僕が言う。
『気を付けて』
『分かってるわ』
もうしばらく見つめてから言う。
『早く帰って来るんだぞ』
『何それ? 父親みたいじゃん』
そう言われた僕は何も言い返すことができず、画面から消えるエリカをただただじっと見つめた。
「神崎君~!!」
駅前。先に来ていた文芸部のメンバーが僕の姿を見て声を掛ける。
「こ、こんにちは……」
夏休みの夕方の駅前。少し涼しくなってきたこの時間帯には割と若い人が多く行き交う。僕は皆の姿を見て息を飲んだ。
(綺麗……)
全員浴衣姿。部長のララはピンクのツインテールと同じ桃色の浴衣。沙織は黒を基調としながらも黄色の帯がアクセントになった上品な物。ミカは燃えるような赤髪と同じ赤の浴衣。
そして真奈は薄青色の清楚な浴衣に、可憐にまとめたアップヘア。女性四名に男は僕一人。もう緊張から全身に汗が噴き出している。真奈が言う。
「わあ、神崎君。浴衣よく似合ってるね!」
「あ、ありがとう……」
そう、かく言う僕も浴衣姿。前回成り行きで買ってしまった品。そのいきさつを思い出したのか、そう褒めた真奈の顔が赤くなる。
「み、皆さんも、とっても綺麗で……」
雑踏にかき消されそうな小声。それが僕の精一杯であった。ミカが言う。
「じゃあ、行こうぜ。決戦の地へ!!」
その言葉に集まった浴衣集団の皆が右手を上げて応える。僕らは電車に乗り、真也と奥村が待つ大山川駅へと向かった。
「真也!」
「おお、神崎!」
電車に揺られること約1時間。たくさんの浴衣を着た花火見物客を乗せた電車は、会場最寄りの大山川駅に到着。駅前で約束をしていた真也と奥村と合流した。真也が僕の浴衣姿を見て言う。
「うぇ!? お前も浴衣着てんのかよ!!」
「あ、ああ。そうだけど……」
浴衣姿の僕に対し真也はポロシャツに短パン。自分以外全員浴衣を着ていることに真也の顔が青くなる。ミカが奥村に言う。
「今日はよろしくな! 可愛い浴衣じゃん」
「あ、はい。よろしくお願いします……」
初対面の先輩。しかも相手は独特の雰囲気のある桐生ミカ。奥手の彼女が戸惑うのも無理はない。真奈が奥村の浴衣を見て声を上げる。
「奥村さん、可愛い~!!」
「ありがとう。霞ヶ原さんも可愛いよ!」
僕はふたりのやり取りを顔を引きつらせて見ていた。理由は真奈。彼女は奥村の浴衣選びに秘かに同行している。あの白を基調とした薄紫の花柄の浴衣を見るのは初めてではない。僕は見て見ぬふりをした。ララが言う。
「じゃあ、行こうか~!!」
「はい!!」
皆が会場へと向かう。
大勢の人。それは僕の想像よりもずっとたくさんの人がやって来ていた。
(暑いな……)
この浴衣と言う服。意外と暑い。大昔はこれで涼しかったのかもしれないが、今の時代では真也の着ている服装の方がずっと涼しそうだ。
(あっ)
手が触れた。
僕の手と、隣を歩く真奈の手が人混みの中軽く触れ合った。
「……」
「……か、神崎君」
しばしの沈黙の後、真奈が僕に声を掛ける。緊張で体が強張る僕が前を向きながら彼女の言葉を聞く。
「わ、私の浴衣、変じゃないかな……?」
僕は忘れていた。真奈の浴衣について言葉を掛けるのを。僕は以前エリカに教えて貰った『とにかく褒めろ』と言う言葉を思い出す。
「い、いいと思う……」
なんて消極的な誉め言葉。所詮陰キャ。どう足掻いても恋愛経験値ゼロのキモオタ。これが僕の限界であった。
「あ、ありがとう。あの後買ったんだ」
そう、それは彼女が密かに尾行したあの日。僕と真奈は、再びあの日の試着室の出来事を思い出し、ふたりで顔を赤くし無言となる。
「おお、綺麗だな!!」
午後7時半。花火大会が始まった。まだほんのり明るい夜空に、色彩豊かな大花が広がる。気を抜くと吐きそうになるほどの人混みだが、僕はこれはこれで悪くないと思ったりした。ただその理由が隣にいる彼女のお陰だと気付くのは、しばらく後になってからのことだ。
「さて、では移動するぞ~」
ミカが皆に言う。そう、今回の最大のミッションである『河川敷で愛を叫ぶ』会場へと向かうのだ。無言の真也。奥村もなんとなく雰囲気で理解しているのか、ずっと彼の隣を歩いている。
(頑張れよ)
僕はあのオタク仲間だった真也の晴れ舞台に心の中でエールを送った。
「さ~て、大山川花火恒例の『河川敷で愛を叫ぶ』が今年も始まります!!!!」
河川敷の一角、川に向かって置かれた小さな台の上で、大会主催者の男が集まった皆に向かって挨拶をする。湧き上がる拍手と歓声。もはや馴染みのイベントであり、花火大会に華を添える大切な行事。
ルールは簡単。飛び込みで台の上に立ち、大山川に向かって想いを叫ぶだけ。対象は恋人でも家族でもペットでも問題なし。とにかく『愛』を叫べば良い。
「真紀ぃいい!! 結婚しようーーーっ!!!」
会場は大いに盛り上がった。恋愛を叫ぶ者、結婚を申し込む者、家族や亡くなった妻の名を叫ぶ者など様々であった。歓声と拍手溢れる会場。僕の隣に来た真也が小声で言う。
「行って来る」
「ああ」
僕は真也の手をガシッと掴んで送り出す。緊張の一瞬。文芸部や奥村が見守る中、堂々と前に歩き、台に上がった真也が暗い川に向かって叫んだ。
「奥村ーーーーーっ!! 好きだ!! 付き合ってくれ!!!!!」
沸き起こる拍手。歓声。それを祝うかの如く夜空に美しき大輪が咲く。真奈が涙目になっている奥村の肩に手を乗せ言う。
「奥村さん」
「うん……」
顔を真っ赤にし、汗だくになって戻って来た真也。それを奥村が迎える。
何を言ったのか、彼女がどんな返事をしたのかは分からない。だけどふたりの顔を見ていればもう野暮なことは聞く必要がないと皆が思った。
「次の方~!! もう他にいませんかーーーっ!?」
花火大会も終盤。ひとしきり愛を叫び終わった会場に司会者の声が響く。今年もたくさんの人が愛を叫び、大いに盛り上がった。花火大会も、イベントも大成功。その終わりが近付こうとしていた。
「……おい、お前はいいのかよ?」
そんな中、僕の隣にすっとやって来た真也が肘でつつきながら言う。
「な、何が……?」
僕はわざと分からないフリをした。
「何がって、そりゃ決まってるだろ……」
真也の視線の先には、ほんの少し離れた場所で奥村と話す真奈がいる。僕が首を振って答える。
「む、無理、無理。そう言うんじゃないって……」
「そうなのか?」
「……」
僕は黙り込んだ。
陰キャ。キモオタ。恋愛クソ雑魚の僕がそんなことをしていい訳がない。
(霞ヶ原……)
僕は彼女を見つめた。
(あっ)
一瞬振り向いた真奈。目が合った。
「……」
だけど僕は視線を逸らし、下を向く。
(僕には無理、僕には……)
真也は凄かった。それに比べて僕は、自分の小ささ弱さにある意味納得し、どこか心の底で嘆いた。
「ではこれで今年の『河川敷で愛を叫ぶ』を終わりまーす!! また来年っ!!」
花火大会、そして愛を叫ぶイベントは終わりを迎えた。終わった。僕の中でも何かが終わった。
「さて、帰るぞ~!!」
ミカの言葉に皆が頷き、帰宅する人混みの中歩き始める。
(霞ヶ原……)
途中から僕は彼女と話をしていない。不思議とそんな雰囲気にならなかった。理由は分かっている。分かっている。前を歩く真奈の後姿。そこへ一瞬別の人が遮り、視界から消える。
――今日、花火大会行って来るから。
ふとエリカの言葉が浮かんだ。
消えるエリカ。そして真奈が、今度は霞ヶ原真奈が僕の視界から消える。
「先帰ってて!!」
「あ、おい!? 神崎っ!?」
僕はそう真也に告げると、皆の流れに逆らうように河川敷へと走り出す。
ドクドクと血液が逆流する。全身から汗が噴き出す。僕は何人もの人にぶつかりながら、慣れない草履で痛む足に力を入れ河川敷へと駆け始める。
(僕は、もう負けたくない……)
真っ暗な空。ぶつかる人々。
(自分に後悔し、自分を恥じ、自分を諦める……)
足が痛い。息が上がる。目に映る景色が処理できない。
(もう、そんなことは嫌だ!! 後悔しない為、恥じない為、諦めたくないから……)
誰もいなくなった河川敷にひとり立ち、僕は大きく息を吸う。
(君を想う、この僕の言葉を……)
episode9【いつか聞いて欲しい】
「大好きだぁあああああああああああ!!!!」
帰ろうとしていた人。その人達が突然上がった大声に気付き振り返る。にっこり笑う者、小さく手を叩く者。その反応は様々。だけど僕はそれに気付かない。興奮していた。気が動転していた。そう、それもあるけど、一番の理由は……
「神崎君」
そう、霞ヶ原真奈。君が僕の後ろでにっこり笑っていてくれたからだ。
「ねえねえ、一体誰に叫んでたの~?」
「し、知らない」
文芸部や真也達は気を遣ったのか、既に帰ってしまったらしい。僕とふたり寄り添うように歩く真奈が何度も尋ねる。
「えー、教えてよ~」
「ち、違う。ただの練習……」
「練習? 何の練習~??」
もう何を言っても無理なようだ。墓穴を掘るだけ。
「た、だだの発声練習……」
「え? 発声練習!? 何それ~??」
口に手を当てて笑う真奈。その仕草が心底可愛かった。
僕は時計を見る。午後8時29分、花火大会終了1分前。なんとか間に合ったようだ。僕は少しだけ安心した。




