第三十六話 先輩の残業
私は駅のホームで、電車が来るのを待っていた。
ふと、先輩が今何をしているのか気になったので、先輩にお電話することにした。
「は、は~い!」
何だ、それ?何か、後ろめたいことでもあるのかな?
「先輩、今浮かれていませんでしたか?」
「いや、別に。それで、何の御用ですか?」
何で、敬語なのさ?
「いえ、先輩がだらけていないか、確認の電話を差し上げただけです」
うん?返事が無い。
「先輩?」
「いえ、何でもありません」
すると、ホームに電車が進入してきますと、アナウンスが流れた。
「じゃ、電車が来ましたから、電話は切りますね。お布団は、ちゃんと干すんですよ。お掃除はしてください。あと、冷蔵庫にカレーを入れておきましたから、温め直して食べてください」
「ああ、ありがとう」
「先輩?」
「では、失礼します」
だから、何で敬語?
「はい、失礼します」
ホント、先輩って、面倒だ。
今度は、もっと長くお側に居よう。
色々と教育しないといけないし、それに楽しいし。
だって、先輩のお家って、本当にくつろげるんだもん。
お風呂も大きいし。
私と一緒で、先輩、喜んでくれるかな?
「先輩、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「先輩、寝ぐせついてますけど?」
「うん?ああ、後で直しておくよ」
「給湯室に来てください」
「え?いいよ」
「先輩のことだから、そのままにする気でしょう?」
「大丈夫だって」
「先輩?」
「ああ。分かったよ」
「先輩、面倒を掛けさせないでください。時間の無駄です」
「はいはい」
「先輩?」
「ああ、もう。了解しました」
給湯室に置いてある椅子に座ってもらい、先輩の髪の毛を直した。
「う~ん、ひとつ、ふたつ。みっつ」
「あの~、何をしてますか?」
「いえ、つむじを数えていたんです」
「ああ、そう」
「はい。すぐ終わりますから、大人しくしてください」
「はい」
いつもこう素直だと、先輩ももっと可愛いのに。
でも、こうして先輩の髪を梳かしているのも、何だか楽しいかも。
先輩がどこか、くすぐったそうにしているところが、特に。
「先輩、まだ帰らないんですか?」
業務も終わり、帰宅しようと総務に寄ったら、案の定先輩はまだ仕事をしていた。
働き方改革は、どうなったんだ?
「ああ、お疲れさん。この通りさ。今日は終わりそうに無いから、いっそ社に泊まるかな」
「仕方が無いですね」
「手伝わなくていいよ」
「誰が、手伝うって言いましたか?」
「え?違うの?」
「抗議しにいくんですよ」
「へ?」
「先輩ばかりに、こんなに仕事を押し付けるような奴を、ちょっと締めてきます」
「いいよ、ダメだよ。君の立場が悪くなるよ」
「大丈夫です。そうなったら、三倍にしてお返ししますから」
「いいんだよ。定年間近な私に、これだけの仕事があるって、むしろ喜ばないといけないからね」
「先輩って、ホント、むかつくぐらい優しいんですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
「そうなんだ」
私は先輩に、隣の椅子に移るように促した。
先輩は黙って、私に席を譲ってくれた。
「いや、本当にいいんだよ」
「先輩が終わるまで、私に何もせずに待てって言うんですか?」
そんな時だった。
「咲良ちゃん。一緒に帰らない?いい店を見つけたんだ」
ブタ野郎だ。まだ、懲りないようだ。
「いい機会だから、行ってみたら?」
はあ?
あんた、何言ってくれますか?
先輩、一度死にますか?もしかして、死にたいんですか?ええ、そうですか。死にたいんですね?
よく、分かりましたよ。後でたっぷり、殺してあげますね。
でも今は、このブタ野郎を追い払いますので。
「ありがとうございます。でも、今は忙しいので、またにしてください」
消えろ、ブタ野郎が!
もちろん、社会人としてあるまじき発言になるので、可能な限り控えたいと思います。
でも、いつか真正面から言ってしまいそう。
先に、手が出るかな?
「ええ?でもさ、これって咲良ちゃんの仕事じゃないよね?そうですよね、勝呂さん?」
何で、先輩に話しかける?私の許可なくして、先輩に口を聞くのは、これはもうどうなっても構いませんと、そういうことですね?
「うん、そうだ・・・・・・・」
先輩は何かを察したらしく、口をつぐんでいた。これって、以心伝心なんでしょうか?
心が通じ合うって、やっぱいいなあ。素直な先輩って、私大好きです。
「すみません、本当に残念なんですけど、私、忙しいんですけど?」
だから、早く消えろ。このゴミクズ豚綾郎!せっかく先輩と二人っきりなんだから、邪魔するな?
馬の代わりに、私がお前を蹴り殺してやろうか?
「ならさ、手伝うよ。それなら、いいでしょう?」
いいことを思いついた。私って、もしかして天才?
「え?本当ですか?嬉しい!さすが、頼りになりますね!」
「うんうん、頼って。何なら、一生頼って」
「はい、頼りにしています」
「それでさ、その店なんだけど、ミシュランでさ・・・」
「さ、先輩、帰りましょう」
「え?でも?」
「せっかく、この方が手伝ってくれるんですから。親切を無にするのは、失礼にあたりますよ」
「ちょ、ちょっと、咲良ちゃん?」
「あと、私は坂上です。咲良ちゃん呼ばわりは、やめてください。気持ち悪いので」
先輩が茫然としているので、一応付け加えた。
「ああ、先輩ならそう呼んでくださっても構いませんよ。先輩は、特別ですから」
だって、先輩と私は、特別な関係なんですから。
DNA鑑定の結果が、どう転ぼうとも。
これはもう、決まったことです。
「いえ、遠慮します」
あ?今、何て言った?よく、聞こえなかったんだけど?
「先輩?」
「いえ、何でもありません」
ホント、先輩って面倒。私がいいって言えば、何でもいいんです!
「ほら、さっさと帰りますよ。じゃ、また明日!」
私は先輩の背中をぐいぐい押して、職場を後にした。
後ろ髪を引かれる感じの先輩だけど、私には逆らわないようだ。
これも、普段の教育の賜物かな?
「坂上さん、さすがにまずいよ」
会社の外に出たら、先輩が私の腕を掴んできた。
ちょっと、驚いた。こんな真似も、出来るんだって。ちょっと、ドキッとしました。はい、嬉しいです。もっと、してください。いっそ、俺に付いてこいぐらい、言ってもいいですよ。
まあ、先輩がそんなことを言う訳ないか。むしろ、私に付いてこいと言った方が、早いかも。
「え?」
「ああ、ゴメン。つい、腕を掴んで」
「いえ、いいんですよ。積極的だなあって、思っただけですので」
「とにかく、仕事を彼一人に押し付けるのは、さすがにまずいって」
「大丈夫ですよ。他の女子社員が、親身になってお手伝いするはずですから」
「え?私には、誰も手伝ってくれないけど}
「先輩?」
「だから、そう睨むなよ。君と彼女たちとは、立場が違うだろう?」
「何ですか、立場って?」
「君は、総合職でしょう?一般職と、自ずから立場が違うんだよ」
「ちゃんと、自分の仕事はこなしています。だから、問題ありません」
「まあ、そうなんだけど」
「なら、いいじゃないですか?」
「うん。まあ、いつもありがとう」
「先輩?」
「殴らないで?」
「先輩は、私のことを何だと思っているんですか?一度、じっくりとお聞きしたいと思っています」
「ああ、そう。機会があったらね」
「まあ、いいです。さあ、帰りますよ」
「ああ、はい」
こうしてふたりは、仲良くマイスイートホームに帰ることになりましたとさ。
先輩?
もちろん、喜んでいますよね?




