第9話 ハイブリッドの性(さが)
あのハイブリッドどもを撃退する。ぬけぬけとそう言い放ったキビットに魔人たちからの鋭い視線が刺さる。
「小僧、調子に乗るなよ。今の言葉、軽はずみでは済まされんぞ。他人の命運が左右する問題を己に任せろと言っておるのだからな。それがどういう事か解っておろうな」
「もちろん上手くいかないときは僕が真っ先に死にます。こう言ってもなお信じてもらえないなら、やはり今のうちに城を捨てて逃げた方が良い」
キビットとしては伝えたい想いを伝え、言いたいことは言った。結果として彼らが城から逃れる道を選び、キビットと永遠に会うことが無くなろうとも、受け入れようと心を決める。
そんなキビットへ向けて姫の父親から指摘された言葉は、キビットにとって辛辣を極めるものだった。
「ふん、衝動的に魔人の女を欲し、そのためなら命を懸け、同胞を敵に回すことも厭わない。それもハイブリッドの性というものか?」
この魔人の言葉はキビットの心をえぐった。キビット自身が一目惚れだと分析したこの気持ちや行動が、他人から見れば何のことはない、魔人を取り込んで種を残すことを欲するハイブリッドの習性そのものだというのだ。そう、それはキビットの思考が、彼の忌み嫌ってきたハイブリッド、そう、建町の理念をも忘れ去ったハイブリッドたちの思考と同様であることを意味する。
信じたくない。この気持ちは忌まわしきハイブリッドの呪いなどではなく、キビット個人の心に芽生えた純粋な恋心であって欲しい、いや、そうである筈だ。いつの間にか己にそう言いきかせようとしている自分に気が付いてゾッとするのだ。
このキビットの葛藤は、この後もたびたひ彼を悩ませることになる。
「ふふ……お主には少々毒の強い言い方だったかの。まぁ、兎にも角にも我らにとって差しあたり重要なのは、攻めてきたハイブリッドどもに対するこれからの現状の身の振りよ。お主には考えがあるのじゃろ?」
キビットの大きな動揺を察知した初老の魔人は少し言葉が過ぎたと反省したのか、慰めるようにそう言った。
ハイブリッドに似つかわしいとの指摘にここまで愕然とするキビットのこの反応は、ここまでにキビットが語ったハイブリッドへの思いに嘘が無いことの証左ともいえた。この初老の男にはそれを察知する洞察力と感性があり、キビットへの警戒を薄くした。
「ええ、もちろ──」
キビットが答えかけたその時だった。
今まで居なかった魔人が一人、倉庫の奥から息を切らせながら姿を現したのだ。そして初老の魔人の傍で片膝を着く。
「魔王様、玉座の間には既に敵が押し入っております! この場への抜け道は封印を施し完全に閉じました。言い替えれば、この道は二度と使用できません」
── 魔王だって!?
キビットは耳を疑った。しかし、たしかに今あの魔人は「魔王様」と呼び、「玉座からこの場への抜け道」と言った。キビットの目の前にいるのは魔王とその側近、そして姫と呼ばれたあの子は本当に姫様ということだ。
「お父さんは魔王だったのですか?」
「お主にお父さん呼ばわりされる憶えは無いが、まぁよい。いかにも儂は魔王である。しかし、側近たちが城を枕に討ち死にしてでも敵を迎え撃つことを許してくれぬでな。こうして隠し通路からこの倉庫へと出たところでお主と出会ったというわけじゃ」
「魔王さま!」
側近の一人、右の半身を紺のマントで被ったり魔人が大きな声を出す。それは戦えなかったことを側近のせいにした魔王への叱責なのか、得体の知れぬキビットに話しすぎだとたしなめたものなのかはキビットには分からない。
「ああ、すまんな」と言いながらも魔王は続ける。
「情けないことに此度は不意を突かれる形となってしまってな、体勢を立て直すべく一度城外へ退避するよう促されたのじゃよ。しかしお主はハイブリッドどもを撃退できると言うたの。聞こうか」
城から退避するといっても、それには兵や配下そして民の犠牲が伴うことになる。さらには、一時的でも主君が城を捨てるという行為は、民への求心力の面でマイナスが大きい。
魔王をはじめ魔人たちがこれほどキビットの話に聞く耳を持つ背景には、できれば退避の手段は取りたくないという魔人側の事情もあったのだ。
「僕の考えた策を実行するには、魔人の皆さんの協力が必要です。どなたか、周囲の気配を絶つ魔法、それと炎柱魔法を扱える人はいませんか?」
始めは、倉庫で働く者とはいえ魔王城詰めの魔物ならばと期待を持つ程度であったが、魔王とその側近ともなれば、この程度の魔法は使える者が必ず居る筈だと確信しつつの質問である。
「ステルスなら私が……」姫が名乗りを上げる。
炎柱魔法もニ名の魔人が修得しているという。
「では、ハイブリッドたちを広場の一カ所に集めます。僕が合図をしたら、ハイブリッドの集まる場所に向けて炎柱魔法を放ってください」
「おい待て。炎柱魔法が当たるほどに敵を一カ所に集めて動かなくすることができるというのか?」
炎柱魔法というのは、その名の通り術者が狙った場所に大きな炎の柱を出現させるもので、その威力は大きい。ただし、敵に当たらないというのが致命的な難点なのだ。というのも、戦闘において敵が一カ所に固まるという状況が生まれにくく、炎柱で一網打尽とはいかないこと。そして、炎柱魔法は発動に一瞬のタイムラグがあり、周囲の空間に色が付き始めた時点で察知され、避けられてしまう難点がある。そんな理由から使い勝手の悪い魔法とされているのだ。
「大丈夫、何とかやってみます。それではまず、倉庫の扉を開け放ちますので…… 姫さん、魔法をお願いして良いですか?」
キビットに促された姫は、無言で父を見る。
父である魔王が頷いた。
「分かりました。ステルスでこの建物を覆います」
姫はそう言って両の掌を開き、魔法を発動させた。
一瞬キビットは耳の鼓膜に違和感を感じた。恐らくステルスの影響によるものだろうが、感じたのはそれだけだった。何も変わったような気はしないが、既にこの倉庫は魔法の影響下にあるのだろう。
キビットは倉庫を出た。そして、広場の中央へと歩いてゆく。途中、倉庫の方を振り返ってみた。外が明るいため、倉庫の中は見えにくいものの、それでも目を凝らせば何となく魔神の姿が見てとれた。ステルスの魔法といえど、そこに人がいると認識した状態で見ると、効果は薄いのかもしれない。
広場の中央、円で囲まれた鮮やかで不思議な模様の石畳、その中心の立て看板の前にキビットは立つ。そしてピンを抜き、【よけるときは右に! (メルキド広場)】とのルールが書き記された紙を剥がすと、紙を裏返しにして再びピンで留めた。そこでキビットは腰のポーチから筆とインクを取り出すと、この紙にさらさらと何かを書き込んでいった。
「種と仕掛けを仕込んできました」
倉庫に戻ってきてそう言ったキビットを魔人たちが囲む。そして口々に、何を書いたのだと興味深そうに詰め寄った。流石は魔王の傍に仕える者、彼らはこのような悪い状況でも腹が据わっている。