伯爵令嬢は友情のお茶会を開く(4)
「あら。あなたが門から案内なんて、珍しいですわね」
茶会当日、クロエが指定された時間にメディシュラムの離宮を訪ねると、珍しくフェデリタースが待っていて先に立って案内し出した。普段は自由に屋敷の玄関までひとりで向かうから、特別案内は必要ない。もう初めて来た時のように庭園の迷路で迷ったりもしなかった。
黒髪のヴァシルの使い魔は、少し立ち止まると、にこりともしない表情でクロエを見下ろした。
「――今日の会場は茶会室ではありません」
「まあ、そうなのですか?」
庭の行ったことがない区画に案内される。
高い生け垣がふいに途切れ、ぽかりと開いた空間には美しい温室が現れた。
硝子張りの屋根や窓が陽光を反射して、きらきらと輝いている。
どうやら扉は開け放たれているようで、声が聞こえた。
既に会は始まっている様子で、ずいぶんな人が集まっているようだった。
「あら、いけない。わたくし、時間を間違えてしまったのかしら?」
確かに招待状に書かれた時間に来たつもりだったが、理由もなく遅刻したとなると失礼にあたる。
「――いいえ。クロエ様は確かにこのお時間で間違っていません」
「どういうこと?」
「少し外から窺っていればおわかりになりますよ」
「まあ」
急いで主催者に無礼を詫びるどころか、立ち聞きを勧められてしまった。
しかし、わざわざ案内されたのだからその意図に従うべきだろう。
クロエは温室にそっと近づいてすぐに中には立ち入らず、令嬢方の会話を窺うことにした。
◇◇◇
主催者であるファンダイク伯爵令嬢アートゥラは、各卓を巡り、ひとりひとりの名を間違えることなく呼んで、令嬢方の領地の様子や各人の好きな物の話をして博学さを見せ、衣装や宝飾品をそつなく褒めては令嬢方の虚栄心をほどよく満たした。
卓から卓へ音もなく動くアートゥラの姿はさながら可憐な蝶のようだった。
濃い碧色のドレスは光沢があり、下に重ねられた絹の細かな透かし編みは淡く青が滲む白、ゆったりとした袖口には控えめに金の刺繍が施された蘇芳の布地が覗く。後ろ襟から背に流れ、裾まで覆う襞をつけたふたすじの薄絹はドレスの碧色を透かす薄い緑。それが、動くごとにふわりふわりと揺れる。また、二の腕で結ばれた組み紐も蘇芳と金の色糸で編まれた美しいものだった。
舞踏会の時はとにかくすっきりとした夜会用の美しいドレスだったが、今日は茶会であるからか、もう少し少女らしい柔らかさがあるものだった。
その刺繍にしても結ばれた組み紐の意匠にしても、さりげなく見えて実は、他では簡単に真似することのできない技術を要するものだった。
令嬢方は、天井から降り注ぐ花弁、卓上の見たこともないような菓子の数々、そして主催のアートゥラの神秘的な美しさに、もうどこを見たらいいのやら忙しく、注がれた茶の美味しさにまた感嘆の溜め息を吐いた。
「――ファンダイク様、この仕掛けは一体……?」
令嬢のひとりが降り注ぐ花弁を見上げながら、そう質問した。
アートゥラが微笑んで答える。
「魔道具ですわ」
「魔道具……」
そこかしこで驚きのざわめきが起こる。
「ど、どちらで手にされたのですか……?」
自身の茶会にこのような珍しい趣向をぜひ行いたい、と考える令嬢は幾人もいた。
「わたくしが考えました」
「え……!? ファンダイク様が……!?」
「えぇ。正確には、わたくしが案を出してヴァシル様に図面を引いていただいたのですけれど。生憎、わたくしには複雑な魔法陣の知識がなくて」
「もしよろしければ、そちらの図面を譲っていただくことはできないでしょうか……!?」
ずいぶん不躾な相談だったが、それには特に気分を害した風もない。
ただ、アートゥラは困ったようにおっとりと小さく小首を傾げた。
「ヴァシル様にお願いしても構いませんけれど――、実際にお使いになるのは難しいのではないかしら?」
それはヴァシルが首を縦に振らないということだろうか、と幾人かの令嬢は考えた。ヴァシルは女性に対して冷淡だ、という噂がある。もしくは複雑な魔法陣が組み込まれた魔道具となると、魔法騎士団以外には開示されないのであろうか――。
そんな疑問をアートゥラは軽く苦笑して否定した。
「いえ、魔法騎士団では実用的ではないので門外不出、というものではないと思うのですが……、希少な魔石を使っていますし、稼働に相当の魔力が必要なので魔力の多い魔法使いを幾人か抱えていらっしゃるお宅でないと難しいのではないでしょうか」
「魔力……、ではこちらはヴァシル様が?」
別の令嬢が訊いたのも当然だった。魔法使い数人がかりでないと稼働できないような魔道具に注ぐ魔力がある者といえば当然、この屋敷の主、魔法騎士団の副団長であるヴァシルを思い浮かべてしまう。
「あら、いいえ」
アートゥラはくすりと笑った。
「ヴァシル様は魔道具を作製されるのが趣味ですけれど、このように騎士団の者が使わないようなものを実際に動かされることにはあまりご興味がないようですよ。たまたま余っている魔石がございましたから作ってくださいましたが、『このように大量に魔力が必要なものを作ってどうする』と呆れていらっしゃいましたから」
「で、ではどなたが……? 騎士団の方ですか?」
「まさか! このようなことに魔力を使わせてはわたくしが叱られてしまいます。わたくしの思いつきと我が儘ですから、わたくしが魔力を注ぎました」
「ファ、ファンダイク様が……!?」
ざわり、としていた会場が、しん、と静まる。
誰ともなく再び天井を見上げた。
はらはらと散る花弁の色がふと薄くなる。
「……ああ、申し訳ございません。魔力が少し足りなかったかしら?」
椅子を立って、アートゥラは少し離れた卓上に置いてあった優美な女神像に近づく。それに触れてしばらくすると、今度は黄や薄紫に色を変えた鮮やかな色の花弁が降り始めた。芳香も少し趣を変えたように感じられた。
「えぇ。このように魔力消費がひどくては実用的ではございませんから、あまりお勧めはいたしません」
おそらくは大量の魔力を使ったのだろうに何事もなかったかのようににこりと微笑んでアートゥラは席に戻った。
しばらくは誰も口を開かなかった。
ずいぶん経って、ある令嬢が取りなすように別の話題を口にする。
「そういえば、ファンダイク様はファラゼイン様と懇意にされていると伺いましたけれど、今日はお見えになっていらっしゃらないようですが……?」
「もちろんこれからいらっしゃいますよ。――少し遅れていらっしゃるようですわ」
しかし、この話題が藪蛇だったことに令嬢方はゆっくりと気づいていくことになった。
すっと、アートゥラが黒羽の扇子を開いて口元を隠した。
そうしていても、黒い瞳がすがめられ、微笑んだことがわかった。
どこか神秘的なその瞳は微笑んでいるのに、なぜか不思議と令嬢方の背筋を伸ばさせた。
ふと、花弁の色が変わる。黄みの強いものは薄青に変化した。花弁に温度などないはずなのに、手元に触れて消えるそれがどことなく冷たいように感じる者は幾人かいた。
温室のはずなのに、ひんやりとした風が吹き込んで、肌寒いように感じる。
――なにか、よくない話題を振ったのだ、と遅ればせながら幾人かが気づいた。
「……そういえば、わたくし、先日初めて舞踏会というものに出たのですけれど」
アートゥラのさきほどまでとは違う幾分低い声に、ぴくり、とまた幾人かが反応する。
「……正直、驚きました」
「あ、ええ、大変な騒ぎでしたもの……!」
「ええ、もちろん、それもございますけれど。――わたくし、皆様も既にご存知でしょうけれど、最近、父に見つけていただいてファンダイクの養女になりました」
ファンダイク伯爵令嬢アートゥラが平民育ちらしいという噂は、今では社交界に身を置くものなら誰もが知っているものだ。元々は妾腹の血筋で、跡目相続の争いを嫌ったファンダイク伯爵に屋敷から出され貴族とは関わりなく暮らしていたのだが、案に相違してファンダイクの血筋が絶えてしまったために、探し出されて養女にされたという。
急に身の上話を始めた茶会の主催者に、出席した令嬢方はなにが始まるのか、と不安を感じ始める。
「ですから、こちらの常識というものを学んでいる途上なのです。――たまたまご縁がございまして、シュテンベルヘン伯爵夫人に行儀作法を習っております」
シュテンベルヘン伯爵夫人は貴族令嬢の憧れだった。
なるほど、アートゥラの立ち居振る舞いが美しいのも納得された。
アートゥラのことをよく知らない多くの令嬢が、茶会に出席するまでは所詮平民育ちなのだから、と多少侮って来たのだった。けれど実際目にしてみると、その立ち居振る舞いは上流階級の貴婦人と遜色なかった。
「夫人には最初にお伺いいたしました。――貴族の序列、というものを」
幾人かが、はっとして冷や汗を流す。
「……わたくし、辺境伯の令嬢が、あれほど軽々しく扱われることにどうしても疑問がございましたの。それとも、シュテンベルヘン夫人が間違っていらっしゃるのかしら?」
「そ、そのような……っ」
幾人かが言いかけて、詰まったように息を呑み込んだ。
アートゥラは殊更大きく、悲しそうな溜め息を吐いた。
「わたくし、夫人に『お間違えではございませんか?』とご指摘しないといけないのでしょうか? ――皆様、どう思われます?」
誰ひとりとして、その問いに答えることはできなかった。
しん、と静まり返った温室の中にはまるで雪のように青白い花弁が散っていた。令嬢方にとって、最早そこは『温室』とは名ばかりで、真冬のように寒々しく感じられた。
「……遅くなって申し訳ございません。本日はお招きいただきましてありがとう存じます、アートゥラ様」
場違いに朗らかな声が響いた。
極寒の空気の中、当の辺境伯令嬢クロエ・サルマ・ファラゼインが、なにも知らないかのように優雅に温室に入ってきて貴婦人の礼をした。
アートゥラがぱちり、と扇子を閉じて嬉しそうに立ち上がって出迎える。
「クロエ様! ようこそ、お越しくださいました」
クロエに駆け寄ってそのそばに立ち、ふと思い出したように令嬢方を振り返る。
「そういえば、今皆様とクロエ様のお話をしていたところですの」
クロエも軽く驚いたようにその榛色の瞳を大きく見開いた。
「まあ。どんなお話を?」
アートゥラは令嬢方をゆっくりと見回して、微笑んだ。
「――皆様。クロエ様は大変お心の広い方ですよ。お訊きになりたいことがあったら、良い機会です、直接お訊きになったらいかが?」
真っ青になった令嬢方は暫し黙り込んだ後、震えながらがたりがたりと席を立つ。
「わ、わたくし、なんだか急に頭が……」
「わ、わたくしはめまいが……」
「そういえば急用を思い出しまして……」
「わたくしも」
「わたくしも……」
そそくさと潮が引くように帰り支度を始める。
「あら、それはいけません。門までお見送りいたします」
令嬢方に一歩近づくアートゥラに多くの令嬢方がぶるぶると首を振る。
「い、いえ、それには及びませんわ……!」
「おふたりはどうぞ、お茶会の続きをなさってください……!」
「えぇ、でも――。こちらのお庭、広いでしょう? 数年に一度、迷って帰れない方がいらっしゃるって冗談をヴァシル様が……」
小さく「ヒッ」と息を呑む声が令嬢方のどこからかした。
アートゥラが小首を傾げて、微笑んだ。
「では皆様のご好意に甘えましょうか、クロエ様。――ソレル、皆様をお見送りして」
「かしこまりました」
茶と白の斑髪の執事が畏まって礼をした。
「――ご機嫌よう、皆様」
見送るアートゥラに声もなく、令嬢方はそそくさと逃げるようにメディシュラムの離宮を後にした。
◇◇◇
クロエ、ローラ、アートゥラという、いつもの三人だけになってからクロエが苦笑した。
「――ずいぶんと、意地悪なお茶会ですわねぇ」
にっこりと見送っていたアートゥラはその笑みを消し、むっつりと不機嫌そうな顔をして乱暴な仕草で椅子のひとつに腰掛けた。
「……もう二度とやるもんか」
クロエが軽く息を吐くと、同じ卓につく。
「わたくし、とびきりお洒落してきましたのよ? これ、無駄ではなくて?」
クロエがおどけたように言えば、ようやくアートゥラが表情を緩める。
「……無駄なんかじゃないよ。私の目の保養になる」
クロエは吹き出すようにくすくすと笑った。
「でしたら、良かった」
肩を竦めるようにして、ローラも同じ卓についた。
「……お茶を淹れ直してもらいましょう」
アーヴェルからついて来ていて控えていたローラ付きの侍女、エマがすかさず新しく淹れ直したお茶を用意してくれた。
「……それにしても、わたくし、アートがあんなに令嬢らしくお話しできるなんて存じませんでした。以前、そういう話し方は得意ではないようなことをおっしゃっていたでしょう?」
ソレルが腕を振るったたくさんの菓子に目を丸くさせながら、クロエが感心したように呟いた。
アートゥラは心なしかげっそりした表情になる。
「……これにはいろいろ大変な準備があってね……」
「それでは、それはこれからゆっくりお聞かせいただくとして――、でもその前に」
クロエが微笑む。
「……ありがとう、アート。わたくしのために、こんなお茶会を開いてくださって」
くすり、とアートゥラも笑う。
「……当然。だって、クロエは『親友』だもの。これからだって、何度でも、なにかあれば助けるよ」
「……わたくしも。でも、もう、こんな無理はしなくても大丈夫ですからね?」
「……うん。本当、今回は頑張ったよ、私」
「えぇ、ありがとう」
ローラが大きく溜め息を吐いた。
「次回はお願いだから、わたくしを巻き込まないでちょうだい」
言われて、クロエとアートゥラが目を合わせて笑った。
「さあ、本当のお茶会を始めようか――」
メディシュラムの離宮の広い庭園の一角、きらきらとした陽光を跳ね返す見事な温室に、若い令嬢方の笑い声が響いた。
伯爵令嬢のお茶会はこれで終了です。
このあと長すぎて切った部分をおまけとしてアート視点に書き直した裏話を四話載せます(活動報告からの加筆修正となります)。
ご興味ある方は、そちらも覧いただけたらと思います。




