表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/33

アナタを忘れません 後編

 先ほどから布の中でもがき続けて、カルブはやっと足を動かせるだけの緩みを作れた。

 だからこうして立ち上がれたのだが、今度は布を内側から引っ張って、ミイラにしてはみずみずしく健康な肌が見えないように祈る。

 特に足は、ツタンカーメンのように細くない。


「大神官アイよ、次のファラオとなるが良い!」

 カルブがツタンカーメンの言葉を伝える。

 声が上ずらないように。

 王の威厳がきちんと表せるように。


「トート神が教えてくれた! アイよ、おまえはもう年だ! おまえの命はあと五年しかない! その五年の間にアンケセナーメンを政争から遠ざけよ! おまえの次のファラオを選ぶ際に、アンケセナーメンが巻き込まれぬようにせよ!」

 アイはカルブに深くひれ伏した。

 死んだはずの王がしゃべっているという状況、ファラオへの指名、寿命の宣言。

 いずれも本当に受け止めるのには時間がかかるだろう。

「か、必ずやアンケセナーメン様をお守りいたします!」

 この場ですぐに理解できたのはこの命令だけだったが、それこそがファラオが最も求めていることであり、今の王宮ではアイにしかできないことだった。

「くれぐれも言っておくが、アンケセナーメンを悲します行為は許さぬぞ! アイも! 他の者も聴け! 何者かがアンケセナーメンを傷つけんとせし時、我は死の翼をまといて目覚める! ここに居る者は皆、この言葉を心に刻み、のちのちまで伝えよ!“王の眠りを妨げる者は呪われ、速やかなる死が翼を以って舞い降りる”と!」


 声を張り上げて啖呵を切る。

 腹から声を出そうとして、力を入れたのがまずかった。

 体のバランスが崩れた。


(やばい!)

 両手を布で押さえられ、両足もわずかしか動かないこの状態では体勢を立て直せない。

(やばいやばいやばい!)

 このまま無様に床に転げ落ちたりなんかしたら、ニセモノなのがバレてしまう。

 そう思った次の瞬間、カルブの体は神々の手によって支えられていた。


 正面から両肩を掴んでいるたくましい手はアメン神。

 後ろから支えてくる無数の手はアテン神。

 後ろからの手をあごに添えられて、カルブは顔の向きを修正された。


「カラヘッヤよ」

 ツタンカーメンの言葉をカルブがくり返す。

「ホズンの魂については悪いようにはせぬと神々が申しておられる」

 もとよりひれ伏していた侍女は、さらに深く頭を下げた。



 最後にカルブは王妃の方に向き直った。

 王妃は棺桶が置かれた祭壇にようやくよじ登れたところだった。

 食事用のテーブルよりも少し高い程度の台だが、彼女にとっては人生最大のおてんばだった。


「アンケセナーメン……しばらくはアイのそばで我慢してくれ。そしてその後は、今度こそ王位なんかに関係なく、ただ愛せる人を見つけてくれ」

「いや!! つーたん!!」

 王妃がミイラに抱きついた。

 キスを避けてカルブは顔を背けた。

「この体ではダメで……だ!」

 この一言だけはカルブが自分で言った。

 すぐにツタンカーメンが、告げるべき言葉をカルブにささやく。

「代わりに花を摘んできてくれ。王宮の花園で……いや……道端のヤグルマギクを」

 それを正確にカルブが伝える。

「わかったわ、つーたん」

 アンケセナーメンは祭壇を降りるのにも大変な苦労をしていたが、カラヘッヤの手を借りてどうにか成し遂げると、二人で外へと駆け出していった。


 他の人々も広間から追い払い、辺りが無人になってから、ツタンカーメンがカルブにささやいた。

「本当にキスしていたら呪い殺してやるところだったぜ」

「勘弁してくださいっ」

 そして二人はクスクスと笑い合った。






 やっとやってきた祖父によって布を解かれたカルブは、荘厳なる王宮の内装を初めてその目に映し、黄金で惜しみなく飾られた天井を見上げて思わず感嘆の声を漏らした。

 布の下で息を詰まらせながら聴いていたあのやり取りは、こんな場所で行われていたのだ。


 本物のミイラとの入れ替わりが終わったところで広間の外から足音が聞こえてきた。

 祖父はうまく脱出できたが、慌てたカルブは祭壇の角に足を引っかけてスッ転んでしまい、立って走ってまた転んで、そのままその近くの柱の陰に転がり込んで隠れた。

「やーい、のろまー」

 ツタンカーメンが触れてもすり抜ける指でカルブのほほを突き、カルブは、効いてませんよーと言うようにほほをプクッと膨らませてみせた。



 両手いっぱいのヤグルマギクの花束を抱えきれずにまきちらしながらよたよたと駆け戻ったアンケセナーメンは、祭壇に身を乗り出して棺の中を覗き込んだが、そこに言葉を発せられる存在はもはやなく、ミイラにいくら話しかけても、ささやき一つ返らなかった。

 アンケセナーメンの泣き声は、黄金の天井に反響して楽器のように鳴り響いた。


「神々は儀式の準備で出て行った。ここにはおれ達しか居ない。今からおれが言う言葉は、絶対に誰にも伝えるな」

 カルブにそう告げ、ツタンカーメンの透き通った魂は王妃の傍らに進み出た。

「アンケセナーメン……おれの妻……おれの大切な人……」

 声音に涙の色が滲む。

「一緒に来てくれ!!」

 神に禁じられた言葉を叫んだ。

「愛してる愛してる愛してる!! 離れたくない!! そばに居たい!! ずっと一緒だって約束したのに!!」

 王がどんなに叫んでも、その言葉は王妃の耳に届きはしない。

 それは届いてはいけないものだから。

 届かないとわかっているからこそこうして叫べているのだから。

「他の人を見つけろなんて言ったのはウソだ!! おれ以外を好きにならないで!!」


 王と王妃の嘆きの声が、まるでハーモニーでも奏でるかのように重なり合う。

 柱の裏にへたり込んで、カルブは自分の嗚咽が漏れないように口を押さえて震えていた。

 王の言葉を王妃に伝えてはいけない。

 胸が張り裂けそうだった。

 ミイラ職人としての仕事は終わった。

 カルブがツタンカーメンのためにしてやれるのは、世界中でたった一人だけ、王の言葉を聴いていること。

 この言葉は誰にも伝えてはいけない。

 両手を口に当て、だけど決して耳を塞ぎはせずに、王の叫びをカルブの心の中だけに刻み込む。

 いつかカルブが年を取って死ぬ時、王の言葉を知る者は、世界に一人も居なくなる。

(その時まで、オレは絶対に忘れない)

 カルブは今、ツタンカーメンの泣き顔を初めて見ていた。

 出逢った時からずっと笑顔で。

 良くスネて、たまに怒って。

 そんな男の泣き顔だった。



挿絵(By みてみん)



 葬式が始まった時にはツタンカーメン王の幽霊はいつものようにカラッとしていて、葬列に並ぶ厳粛な面持ちの人々に自分が見えないのをいいことにアッカンベーをして遊んで回った。

 笑い顔を見咎められないように、カルブは両手で顔を覆って必死で泣いているフリをした。


 ナイル川を船で渡って、ファラオの棺は夕日に染まる王家の谷の岩だらけの景色の中へと運ばれる。

 幽霊は棺に馬乗りにまたがっていたが、自分のおしりが棺のふたに描かれた肖像の顔の部分に当たっているのに気づいてモゾモゾと位置をずらした。

 カルブはアンケセナーメンの特別な計らいで、本来なら一般人ではありえぬことだが、墓所の入り口にまで行かせてもらえた。


 ファラオの冥界への旅立ちを見送るために集まった貴族達の様子を見て、カルブは自分の前では笑ってばかりいた人懐っこいこの男に、生前は心を開ける相手がアンケセナーメン一人しか居なかったのだと思い知らされた。

「別に寂しくなんかねーよ。アヌビス神もトート神も迎えに来てくれてるし。それよりカルブ、約束、忘れんなよ」

「当たり前ですよ! ツタンカーメン様こそ!」

「ハハッ! 期待してろよ!」


 大神官が祈りをささげ、墓所の扉がゴゴゴと開かれる。

 重たい石の扉の奥に、下りの階段が伸びている。

 ピラミッドという人工の山を石を積んで建てる風習は廃れ、この時代の墓所では、そびえ立つ自然の岩山にトンネルを掘って、死者の寝室や宝物庫を作る。


 ツタンカーメンの幽霊は、棺とともに運ばれながら、最後まで笑顔で手を振っていた。

 扉をくぐり、アイを先頭にした神官団が、階段の先へと棺を担ぎ込む。

 カルブがついてきて良いのはここまでだ。


 時間をかけて儀式を済ませて、戸口から神官達が出てきた。

 扉が閉まる音が響いて、カルブのほほを涙が伝った。


挿絵(By みてみん)


『アテン神☆ぷりーず ~ツタンカーメンの幽霊とミイラ職人の少年~』〈完〉

『アテン神☆ぷりーず2 ~ファラオの冥界大冒険~』連載中! 応援よろしくお願いします!


 挿絵はとあるお方からいただいたファンアートです♪

 ありがとうございました♪



 本作の執筆中のタイトルは『アテン神☆ぷりーず ~ツタンカーメンの幽霊とミイラ職人の少年が仲良くわちゃわちゃする話を書くために古代エジプトの資料を何冊も買い込んだのでモトをとらせて~』でしたが、完結できたのでモトは取れましたっ。


 ……執筆後、だいぶ経ってから、ツタンカーメンの棺に供えられていたのはヤグルマギクの花束ではなく、ヤグルマギクを含むさまざまな種類の植物で作られた花輪だったと気づく。

 たぶんあの後、花輪に作り直したのでしょうっ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ