55、続くスローライフ
時は少し流れ。
ここは狸のしっぽ亭。
魔族の城から戻り。
ヤエはカウンターの中。
淹れたての湯気くゆるカップに口をつける。
そのままカップを傾けて。
中にある至高の液体を口に運んだ。
「はーーーー、やっぱりうちのコーヒーが最高ねー」
外の暖かい日の光を眺めながら、しみじみと言った。
狸のしっぽ亭の店内は軽く賑わっている。
そこにいるのはリチャードの故郷から移住してきた悪魔族たち。
狸のしっぽ亭に食事に来るようにヤエが誘っていたが、はじめは畏れおおいと断られていた。
だが最近は、リチャードの誘いもあってか、客としてちょこちょこ訪れてくれるようになった。
これでまた一つ。
ヤエのスローライフの目標が達成された。
「ヤエさん、なんだか年寄りくさいですねえ」
感慨深げに店内を眺めるヤエをカウンターの向こうから狸テレジアがからかってくる。
「えー? ヤエママは若くて可愛いよー。ねー、リチャードさん」
それを本気にとったヒナタが横から口をはさんできた。
「は? え? 俺っ? ってわ、あ、ああ、あー! セーフ!」
コロッケカレーをパクパク食べていたリチャード。
隣からいきなり飛んできた流れ弾に慌てふためき、手に持っていたスプーンを落としそうになって、何度かお手玉した後に、下に落とすことなくキャッチした。
「ヤエママは可愛いよね? リチャードさんも思うでしょ?」
ヒナタは無邪気に、なおもリチャードに問いかける。
問われた方としては困ったものだが、なんとかしどろもどろに答える。
「いや、いやー、なんて言うかな?
ヤエさんは俺ら魔族の救い主様だから、可愛いとかそういう次元じゃないな。
言葉にするなら、崇高とか、神秘的とか、そんな感じだよ」
そう言われて、ヤエはカウンターの中で苦い顔をした。
テレジアはニヤニヤ笑っていて、ヒナタは言葉の意味がよくわからず首を傾げている。
「ふーん、よくわかんない。ヒナタはヤエママは若くて可愛いと思うよー」
「ま、そうだな。でも若くて可愛いってんなら、俺はヒナタちゃんがそうだと思うぞ」
そう言って、リチャードは隣に座るヒナタの頭を優しく撫でた。
くるっとカールした薄茶色の柔らかい髪がフワフワゆれた。
「ふふーん」
ご機嫌そうに鼻を鳴らすヒナタの頬は照れくさそうに桜色に染まっていた。
すっかりとリチャードになついている。
ヤエもテレジアも。
娘のヒナタがご機嫌になっている姿は見ていて幸せだった。
それもこれもリチャードたちを見捨てなかったからだ。
「まあ、救い主とかは置いておいて、魔族のみんなが幸せそうでよかったわ」
ヤエは魔族の城で魔族を救うと宣言した。
そしてその宣言通り。
即座に魔族の領土を全てシンセカイの森に塗り替えて。
森の恵によって食料供給を安定させた。
さらに森の中であれば家も自在に建てられる。
ハジマリの村と同じことをするだけなのだから。
魔族の領地すべてに家を建てまくった。これで住環境もバッチリ整った。
結果、全魔族に食と住を恒久的に与えられた。
こうやって、誰の血を流すこともなく全ての魔族は救われた。
とはいえ、いきなり食べ物や家が生えたら魔族は戸惑う。
それを解決するために、魔皇は魔族全員にヤエのことを説明した。
どうやら神の司令を伝える時の方法を用れば、即座に魔皇の意思を魔族全員に伝えられるらしい。
その内容は、災厄の森と考えられていた森が、実際は慈悲深いシンセカイの森であり、その化身ヤエが魔族の生活を保証してくれるという感じだった。
それを聞いた魔族は、突如現れた森の恵と、住みやすい家に、納得をした。
同時に、ヤエへの救い主としての信仰は完全に定着した。
「ヤエさんはすっかりと救い主さまになりましたねえ」
狸テレジアはウヒヒと笑う。
「待ってやめて。
頭が痛いわ。
新規の称号に救い主ってついてた時の絶望わかる?
そんな重い話をしてたんじゃないのよ。
お隣さんが困ってたから出来ることをしただけなのよ?
それなのになんなのあれは?」
「救い主、いい称号じゃないですかあ、それに嫌がってた災厄の森の称号を消えたんでしょう?」
「そっちが消えても、救い主とかついてたらマイナスよ?」
そう言ってヤエは頭を振った。
その行動を見てリチャードは申し訳なさそうに口を開いた。
「ヤエさん、我ら魔族のせいで困らせてしまってすまない……
だけどどうしてもこの状況はどうにも。
言い伝えにある魔族全員を漏れなく救うという救い主さまと重なってしまう。
魔族はそれを希望に苦しい長い命を繋いできていたんだ。
許してくれないか?」
「ああ、リチャードさん、大丈夫よ、これは愚痴みたいなものだから」
「あんしんしてー」
「そうですよう。
なんだかんだ言ってヤエさんはすぐに救いの手を出しちゃいますからねえ。
安心して救われて崇拝してください」
「それはもちろんだ。魔皇さまを筆頭に我ら魔族の意思は統一されている」
「そうですねえ。でも一人、納得してないやつもいそうですけどねえ」
「テレジアさん。それはもう決めたことよ?」
テレジアの含みのある言葉と視線にヤエが眉を寄せた。
「ディスクか……ヤエさん俺が言うのも変だが、本当に生かしといて良かったのか?」
ヤエは今回の元凶である第二魔皇子ディスクを殺さなかった。
全ての処分を魔皇に任せた。
それを受けて魔皇はディスクを王族の籍から抜き、通常の犯罪者として扱った。
結果、罰は終身刑となった。
ヤエによって実質死刑を禁じられている状態であったからそれは最高の罰だった。
長命種である魔族にとってはむしろ死刑よりも苦しいかもしれない。
だがそれでも魔皇は息子の命が無惨に絶たれなかったことに感謝した。
この感情が魔皇をヤエに協力的にさせた。
「いいのよ。魔族のみんなとは仲良くしたいの。そんな時に血を流す必要はないでしょ?」
「そこは私は反対ですねえ。
あのバカ息子、全く反省せず、逆にヤエさんへ怨みごとを牢獄で叫んでるらしいですからねえ」
「メッする?」
テレジア寄りのヒナタが軽い口調でディスクを殺すかと問う。
それにヤエは首を横に振った。
「ヒナタ、それはよくないことよ」
「はーい」
「テレジアさんもこの話はおしまい。いいわね?」
「ええ、全てはヤエさんの自由ですよう」
「ありがとう」
そう言って。
いつも自分を助けてくれる美狸女神を見た。
頼りになって柔らかくて自分を導いてくれる。
彼女がいなかったら森としてのスローライフなどできていなかっただろう。
視線を横にずらせば。
そこにはかわいい娘、ヒナタがいる。
すくすくと成長して今は店の手伝いまでできるようになった。
まだ三歳だと言うのにとても能力が高い。
ヒナタがいなかったらまだテレジアと二人きりのスローライフだっただろう。
店内を軽く見渡す。
テーブル席やテラスで、悪魔族のみんなが思い思いに楽しんでくれている。
ヤエの淹れたコーヒーやヒナタの淹れた紅茶を喜んでくれるようになった。
美味しいです。
こんなに美味しい飲み物は生まれて初めてです。
そう言って喜んでいる姿は何度見ても嬉しい。
とても幸せな光景だった。
「ありがとう」
誰に向けるともなく呟いたヤエの言葉。
それは狸のしっぽ亭をゆったりとあたためた。
テレジアも、ヒナタも、リチャードも。
幸せそうなヤエの顔を見て一緒に幸せになった。
ヤエの自由なスローライフは、これからもまだまだ続いていく。
これにて一部完となります。
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