092 月なき世界
星が照らす静かな夜道、私はきらめく空の光を眺めながら、冒険者ギルドからの帰り道を歩く。
少し冷えた夜の空気に、腕を撫でる。そっと宿を出るためとはいえ、ローブくらいは着てくればよかったと、肌寒さに少し後悔が湧いてくる。
そんな中、冷えた風が頬を撫でると、それに乗ってふわりと優しい魔力の流れを感じた。
その人物は、目を眩ませないよう気を遣ってか、淡い光球魔法を手に浮かべ、私のゆくさきに静かに佇んでいる。
「こんばんは。夜のお散歩ですかな?」
「こんばんはハシミさん。冒険者ギルドに少し用事よがあったの。
あなたこそ、こんな夜更けにどうしたのかしら?」
「あなたが出て行くのを見ましてな。お迎えにと」
「あら、心配してくれたのね。ありがとう」
「して、冒険者ギルドには何を?」
「あぁ……。訓練場を荒らしたままだったから、直してきたのよ」
私は嘘は言っていない。実際に支部長アイリーの魔力を使い、私は訓練場を修理したのだから。
そのために薬師サルスから渡された魔力水を、疲労の溜まった彼女に使ってしまったが、それは必要経費というものだ。だが、それが一番の目的ではなかった。
けれど、そのことをここで明かす気はないし、それは彼も同じだろう。
キュウさんの妨害がない今、彼の思考は手に取るようにわかる。彼の思いは、私への心配8割、本来の目的が2割だ。
「そうでしたか。少し冷えますな、これをどうぞ」
「ありがとう。助かるわ」
少し肌寒くて冷えた私に、彼は手に持ったマントを羽織らせてくれた。同時に、ふわりと暖かな空気に包まれる。
ここまで持ってくる時も、少し魔力を流し続けることで、マントを温めてくれていたようだ。
「せっかくですから……、夜の散歩でもいかがですかな?」
「そうね、少しだけなら」
彼の光球魔法に導かれ、私は闇に沈んだ村を歩く。
揺らめく明かりを追えば、水面に星々を湛えた小さな池のほとりへとたどり着いた。
土手は綺麗に整備されていて、自然にできた池ではないことを物語る。おそらく、あの植物学者が、田畑を灌漑するために造らせたものだろう。水路へと続く堰の存在もまた、水が発する魔力を絶つ地の魔力として、私の目には映っていた。
けれど、そのように下ばかり見る私と違い、ハシミは土手の開けた場所に座って、空を見上げていた。
私は招かれたまま、彼の隣に座る。すると、ふっと光球魔法が消えた。
「静かな夜ですな……。とても、星が良く見える」
「えぇ。良く晴れたいい天気ね」
同じように見上げれば、雲ひとつない空に満天の星空が広がる。
静かな沈黙の中、小さな光たちの間を、一筋涙のように星が流れた。
「星を眺めるのが好きなの?」
「……、そうですな。好きだった、といった方が正しいかもしれませんな」
「今は、好きではないの?」
「嫌いではないのですが、少し辛くなりましてな……」
「辛い……?」
彼の魔力はまた、精霊のチョコレートを食べた時と同じく、さまざまな感情が混ざる魔力の色を見せた。それは、私にも読むことが難しい、彼の迷いがもたらす色。
けれどそれは、私の中にもある色だった。自分の中での決着、無理やりに一区切りつけた過去の出来事。けれど本心ではまだ納得していない、納得できない事柄に対する、言葉にならぬ想い。
私には出せない答え……。いえ、人生経験が豊富な彼にすら出せない、誰にも解けぬわだかまり。それが発する色だった。
「もし、話すことで気が楽になるなら、話してみてもらえるかしら。
私には、聞くことしかできないかもしれないけれど」
「……、もうずいぶん昔の話でしてな。あの頃もこうして、よく星を眺めていたのですよ」
少しずつ、少しずつ、昔を思い出しながら話し出した。
彼からは懐かしいあの頃を思い出すといったような、優しい色が溢れ出す。
「まだこの世界に来る前の事、当時の私はタクシードライバー……、こちらでいう所の馬車の御者をしておりましてな。日々人を乗せて、方々回っておりました。
そんな私の、唯一といってもいい楽しみが、数カ月に一度孫が家にやってきて、天体観測をするひとときだったのです。っと、天体観測というのは……」
「星の観測でしょう? こちらでも、占星術などで研究している人がいるわ」
「そうでしたか。とはいっても、孫はまだその頃10歳ほどでしたから、研究ではなく見ているだけでしたが」
「お孫さんと仲が良かったのね」
「ええ……。あの日も、初夏の連休に合わせてこちらに来ると言っておりましてな。
荷物だけ先に送られてきて、私も楽しみにしていたのですよ。
……けれどあの子は、やって来ることはありませんでした」
懐かしさに浸る魔力の色は、すっと冷たい、そして悲しみに満ちたものへと変わる。
けれど、たとえその色が見えなくても、誰もがその子に何かあったのだと感づくだろう。
それは話したくない過去。思い出したくない現実。
けれど、だからこそ聞き手は、話しにくいことをあえて問うてやるべきだと、私は思うのだ。
「……。お孫さんは、どうされたの?」
「交通事故で亡くなりました。その電話があった時、何も考えられなくなりまして……。
目の前が真っ暗になる、そんな慣用句の通り、その言葉の意味も、何もかもが見えなくなりました」
「それは……、辛いわね……」
彼は、こちらでは通じない言葉に注釈を入れることなく語る。
けれど、私にはどういったものか彼のイメージを視ればわかる。
何より言葉自体はわからずとも、大切なひとを亡くしたというのは、そんなもの視なくても理解できるだろう。
けれど私は、その言葉に対する答えは分からなかった。
それは、私も似たような経験があるからこそだ。どんな言葉も、慰めにはならない。
気遣われた言葉ですら、すり抜けるように目の前を通り過ぎるだけだ。
「失礼、分からない言葉を使ってしまいましたな」
「いいのよ。思い出すのも辛いのに、話してくれてありがとう」
「いえ、けれど辛いからと泣いているだけでは、あの子に笑われてしまうと思い直しましてな。
それで、応急手当ての方法などを学ぶようになったのですよ」
「応急手当て?」
「えぇ、の子は暴走した自動車、こちらで言えば馬車に轢かれました。
私も同じく、車を使う仕事をしておりましたから、万一があった時、助けられるようにと……。
それが今、神官の仕事に活きているとは、なんとも皮肉なものですな」
彼は寂しげに、嘲笑する。その様子は悲しくて、そして何より苦しい、悔しいと私に訴えているようだった。
「馬の暴走だなんて、誰にも止められないとはいえ、悔しいわね……」
「……。いえ、それは少し違うのです」
「違う?」
「こちらの馬車とは違い、車というのは人間が完全に制御できるものなのです。
イメージとしては、魔道具に近いでしょうか。もしくは、あなたが魔法で出したゴーレムのような」
「つまり、操作していた人がわざと……?」
「いえ、そうではありません。ただ、操作を間違えた、調査の結果はそう告げられました」
彼の想いを乗せた魔力は、彼のひた隠したい負の感情を乗せる。
それは洞窟の浄化で見せた時よりももっと濃い、ドロリとした紫の魔力だった。
「止められたはずの事故だったのね」
「えぇ……。しかし操縦者は、道具のせいだと頑として自らの非を認めませんでした。
そして、最悪なことに相手は、こちらの世界でいう王宮付きの者だったのです。
だからかどうかはわかりませんが、捕まることもなく、軽い刑で済まされてしまったのです」
「……」
私は、彼らの世界に幻想を抱きすぎていたのかもしれない。
私のよく知る異世界人は、いつも飄々としていて、何の悩みもなさそうで……。危機感を持ち合わせていないような、そんな様子を見せている人だった。
だから、彼らの元いた世界では、何の不安も、理不尽もなくて、いつも笑って毎日を送れるものだと思い込んでいた。
けれど彼も、そして今目の前に居るハシミも、それぞれに抱えきれぬ想いと、吐き出せない痛みを抱えて生きていたのだ。
だからこそ、だからこそ彼らはこちらに来たのだろう。いつかその痛みと向き合えるまで、少しの間だけでも忘れられるようにと。
「暗い話をしてしまって、申し訳ない」
「いえ、いいのよ。私には聞くことくらいしかできないから」
「少し、気持ちが楽になったような気がしますな。
この話をしたのは、こちらに来て今日が初めて……、あなたが初めてでしてな。
何か、あなたには話していいと思ってしまったのです」
「そんな風にいってもらえるなんて、光栄だわ」
「……。こういうと失礼かもしれませんが、なぜかあなたには……、どことなくあの子に似た雰囲気を感じたのです。
不思議ですね、あの子はもっと幼かったし、なにより男の子だったのに……」
「ふふっ、なぜでしょうね。けれど、似てると思うのは、相手の見た目じゃなくて雰囲気かもしれないわ。
人間って、意外と相手の姿を見ているようで、ぼんやりとした雰囲気しか見えてなかったりするものだもの」
「そういうものかもしれませんな」
適当なことを言って誤魔化したけれど、彼が私にその子と似たものを感じるのは当然だ。
それは、私の変装魔法が関係しているのだから。
相手が最も親近感を持つ人物のイメージを、私自身に被せる。そうする事で、相手の魔力とイメージを使うことで、私は変装している。
だからこそ彼は私に親近感を覚えるし、そして支部長のアイリーも、私に優しくしてくれたのだ。
私がわたしだったら、彼らはこうやって接してくれただろうか……。
全ての人々を騙し、利用する私は、古代の本に書かれた、忌み嫌われる幻術士と同じではないだろうか……。
けれど、たとえそうであっても、私は私のやるべきことを成さねばならない。
それは勇者に付き添い、魔王を倒す事ではない。魔導士ギルドの魔の手から逃げ延びること。
そして何より、ミユキさんやナガノさん、そしてミズキのような、不幸な異世界人をこれ以上つくらないことだ。
「私からも、あなたにひとつ言っておかなければならないことがあるの」
輝く星の見下ろす中、私はゆっくりと話だした。
次回は11/20(金)更新予定です。




