071 旅の記憶[17]
二人と一匹を見送った後には、静かな夜の闇が戻ってきた。
村の中心部から離れたこの場所は、家々から漏れる光も夕食の香りも届かない。
すこし肌寒く感じるほどの闇の中、星々の明かりだけが空に浮かぶ。
ルイの落とした木剣を拾い上げ、刀身に纏う緑の魔力を解けば、すっとその姿は元のスプーンへと戻る。
魔力で実体を持ったとて、それは仮の姿。いつまでも保てる訳もなく、魔力の源への負担になる。
まぁ、魔力の源はあのミズキだから、ずっと使い続けても何の影響もないのでしょうけれど。
できる事ならば、ルイにはちゃんとした訓練用の武器を与えてやりたい。けれど私が用意したのでは受け取ってくれそうにもないし、それらしい理由を付ける必要もある。
もっとも、道具を与えただけでは不十分だ。指導してくれる師がいなければ、効率的な訓練はできないし、なによりもその力の使い方を誤る危険すらある。
私が口を出す事ではないかもしれないが、一度サルスに相談しよう。
そう考え、リビングルームへと向かった。そこにはロッキングチェアに腰掛け微笑む老婆の姿があった。
「なかなかお転婆なお嬢さんじゃのう」
「うるさくしてごめんなさいね」
「いいんじゃいいんじゃ。あの子にもいい経験になったじゃろう」
「どうかしら……。私は教えられるほどでもないし、教えられたとしてずっとここに留まるわけにもいかないわ」
「そうじゃのう……」
サルスはゆらゆらと椅子を揺らしながら、夢見心地な様子で話を続けた。
おそらくルイを預かってはいるものの、好きにさせているようだ。
「あの子が本当に強くなりたいなら、信用できる師匠を付けるべきだわ」
「ふむ……。それを求めるなら探すつもりじゃがな」
「本人から言うのを待ってるって事かしら」
「そうじゃな」
「……そんなの言えるわけないじゃない」
「じゃろうな」
サルスも分かっている。ルイが見ず知らずの子である自身を世話してもらっているのに、その上でそんな願いを言えるほど図々しくはない事を。それを分かっていて見ているだけなのだ。
「あなたが適切な人を探さないなら、私が探すわ」
「えらくあの子に肩入れするのう……。あの子に何かあるんじゃろうか?」
「……。少し、私と被る所があるのよ」
彼の必死な姿も、そしてその理由も……。私がこうしてここに立つに至ったものと変わりはない。
ただ違いがあるとすれば、私は多くの人に手を差し伸べられ、そして導いてもらった。
だから私は、彼にもそうしてやりたいと願ってしまうのだ。
「しかし、あやつもただ棒を振り回しているわけではないのじゃ。
話によれば自分で冒険者ギルドへと赴き、ギルドへ入れてもらうよう懇願したらしいのじゃ」
「えっ……?」
「けれどまだ7つじゃし、ギルドが面倒みるにはちいと幼すぎてのう……。あのゴロツキ共ではお手上げなんじゃ。
もう少し、せめて10歳になるまでは今のまま過ごすしかなかろう」
「……そう。ちゃんとあの子も考えてたのね」
冒険者ギルドへ……。それは昔、私が目指した道と同じだった。だが彼は幼すぎた。
そしてその幼い子を教育できるほどに、この村の冒険者ギルドは整っていなかったのだ。
あの荒れていると表現した方が適切な状況を見たからこそ、彼が入れる場所でない事は察しがつく。ポールと出会った宿場町の冒険者ギルドの方が、規律も風紀も守られていると思う。
そちらに送ってやって、面倒見てもらう事を考えたくらいだ。それに……。
「事情はわかったわ。でもあなたもこのまま預かるわけにもいかないでしょう?」
「ワシはかまわんよ。三年など、長く生きた者からすればあっというまじゃ」
「……そう。余計なお節介だったわね」
「そんな事はないぞ。ワシはただ傍観しておるだけ。変えてしまう事を恐れて、手を出さぬだけなのじゃ」
「それは、私に変えて欲しいという意味かしら?」
「そう聞こえたなら、聞かなかった事にしてもらえるかのう」
「あら? どうしようかしらね?」
彼女は何か知っている。けれど知りつつ見ないフリをしている。
なぜかは分からないが、自身が手を出すべき事柄でないと考えているようだ。
けれど私は見て見ぬ振りなどできない。せめてこの先道を間違わぬよう、ルイを導いてやりたいと思う。私が多くの人たちにそうしてもらったように。
「それじゃあ、今日の所は休ませてもらうわね。おやすみなさい、サルスさん」
そう言い残し、木剣だったスプーンを片付け、私は寝室へと向かった。
◆ ◇ ◆
翌朝ダイニングへと向かえば、すでにミズキとルイの姿があった。
ルイは私の顔を見るや視線を下に落とし目を合わそうとしないが、ちらりと見えた目は真っ赤に腫れていた。
「おはよう二人とも」
「おはよ〜」
「……」
ミズキはあくび混じりの気の抜けた返事だ。その様子からは他所の家で落ち着かなかった、なんていう様子は無い。良くも悪くもマイペースなミズキらしい。
「ミズキ、運ぶのを手伝いましょう」
「はいはーい」
なんだか夜にも見た光景だ。台所に行けば、朝食のスクランブルエッグとサラダ、そしてパンが用意されていた。
そして同じく見たような光景で、ルイとヴェルデは一気にかき込み、私から逃げるように出て行った。
「嫌われたね〜?」
「別にいいのよ。あれで折れるようなら、到底無理な話なんだから」
「厳しいね〜」
ミズキは一晩同室でグズグズと無くルイを知っているくせに、わざと茶化すようにクスクスと笑う。
変に口を挟まれるよりはマシだが、なんだか見透かされているようで居心地が悪い。
「それより、盗賊の件調べるわよ」
「え? それは冒険者ギルドの仕事じゃないの?」
「討伐は、ね」
「んー?」
「事件の調査は魔導士ギルドの管轄よ」
「え? そうなの?」
「えぇ。何か事件・事故があった場合、調査は魔導士ギルドがやる事が多いのよ。
だってそうでしょう? 冒険者は腕っ節は良くても、そういう事に向いてると思う?」
「遠回しに冒険者の事バカにしてない?」
「得意分野の違いよ」
「餅は餅屋ってヤツだね」
「そういう事」
また異世界人特有の言い回しが出たけれど、通じればそれでいい。
それよりも気になるのは、さっきよりもさらにニタついているミズキだ。
「何よその顔は」
「いやー、どういう心境の変化かなーって」
「気が変わっただけよ」
「ホントにそれだけー?」
「……。気になる事もあるわ」
「気になる事?」
「あなたは気にしなくていいわ」
「逆に気になるよそれ」
「いずれわかるもの」
「ふーん。まぁいいけど」
「それじゃ、冒険者ギルドへ行きましょうか」
私達は朝食の片付けを終え、サルスの店を後にした。
次回更新は7/9(木)の予定です。




