056 旅の記憶[2]
「セルバ村までは三日かかる行程だ。普通なら一日あたり金貨100枚、合計で300枚ってところだが、盗賊が出るって話もある。いつもの5倍は出してもらわんと割に合わんな」
「1500枚ですか!? いくらなんでも……」
「こっちは襲われれば一番に死ぬかもしれねぇんだ、これでも安い方さ。もちろん護衛もそっちで雇ってくれよ」
「そんな……」
「この条件が飲めねぇってんなら悪いが他を当たってくれ」
「……わかりました。少し考えさせてください」
目的の村まで馬車を出してくれるよう交渉するが、相手も簡単には了承してくれるはずもない。けれど彼の出した条件が最低ラインという事も、相手の思考が見える私には分かっていた。
それを聞いた私が吹っかけられた条件を聞いたような反応をしてみせたのでさえ演技だ。定期の乗合馬車しか知らず、貸し切った場合の相場も知らないまだ若い女の旅人、そういう人物像を作る事で多少条件を緩めてくれる事を期待したのだ。
もちろん強欲な者であれば逆に足元を見ただろうが、今回の相手は少しうしろめたさを与える結果となっていた。ならばもし護衛が集まらなくとも私たちが戦える事を示せば、交渉に応じてくれる可能性はあるかもしれない。それは最終手段なのだけど。
そんな私の演技に騙されるのは御者だけではなく、共に旅するミズキも同じだった。
「あのさ、金貨1500枚ってそんなに高いの?」
「まぁ、それくらいはすると思ってたわ」
「あ、そうなんだ。てっきり予算使いきる額なのかと思ったよ」
「残念だけど、手持ちにそんなお金はないわよ?」
「え? じゃぁどうすんのさ?」
「言ったでしょ? 相乗りする人を探すって。でも先に護衛を依頼できるかを確認するわ。
確かこっちに冒険者ギルドがあるって案内出てたはず……」
歩みを進めながらも説明していると、彼はもっと根本的な事を聞いてきた。
「ところでさ、俺ってこっちの金銭感覚が分からないんだよね。
だから金貨何枚って言われてもピンとこなくて……」
「あ、さっきの話ってそこから説明しないといけなかったのね。
確かに今までもお金の管理は私がしてたし、今後のためにも知っておかないといけないわね。
うーん、でもどう説明したらいいのかしら……」
金銭感覚なんて日々のやり取りで身に付くものだし、なにより人によって違う。一日あたり金貨1枚の収入の奴隷と、私のように苦労も知らぬ貴族の娘では感覚に大きな差があるのだ。
もちろん私は他の裕福な貴族に比べれば質素なものだし、なにより父に庶民の金銭感覚を教えられていたのでまだ理解している方だとは思う。
買い物をするときに提示されていた値段が、実はかなり吹っかけられた値段だと店主の思考を視て初めて気づくみたいな事も日常茶飯事だ。そんな私が説明するのもなかなか難しい。
だから私は“私の感覚”に頼らない説明で誤魔化した。
「確か魔導士ギルドの一般職員が初めて貰う給金が金貨200枚って聞いたわ。
もしその給金でさっきの馬車を借りるには8か月分必要になるわね」
「初任給が金貨200枚……。大卒初任給って確か20万円くらいって言ってたかな?
ってことは金貨1枚が千円ってトコか……。1500枚は……、150万円!? 高っ!!」
彼は宙を見つめながら脳内での計算をブツブツと呟く。
そして納得したのか、先ほどの馬車の代金の高さを実感したようだ。
「合っているかは分からないけど、イメージはできたようね。でも私は高いと思わないわ」
「どうしてさ?」
「行き先には盗賊が居るのよ? そして定期便は休止中」
「でも襲われるとは限らないでしょ?」
「そうね。でも定期便がない現状、馬車は盗賊にとっては数少ないチャンスよ。
そこに積まれている荷物が裕福でない人間であってもね」
「そっか、人通りが少ないから見つけたら片っ端から襲おうって算段だね?」
「もちろん相手もバカじゃないから護衛を見て勝ち目と利益を考えると思うわ。
けれど数が少ない分多少無理してでも襲ってくる可能性は捨てきれないのよ」
「じゃあ襲われるかどうかは運次第って事だね?」
「そうね。身も蓋もない結論だけど」
もちろん私は盗賊の魔力の色を視て狙われているかどうか判断できるのだけど、その事を吹聴して回るつもりはない。手札というのは相手に悟らせない方が効果的なのだから。
「で、襲われる確率はこの後頼む護衛次第だとして、もし襲われたらを考えましょう」
「襲われたらアウト、で終わりじゃない?」
「そんなわけないでしょ。旅人なら金目の物を奪って放置する事が多いわ」
「なんで?」
「盗賊って言ってもね、殺しは最終手段なのよ。もし通る者全員を皆殺しにしてたら、即座に冒険者ギルドに討伐依頼が行くわ。
そうなれば賞金首と同じ、討伐報酬目的に今度は盗賊が狩られる側よ。今はまだ放っておかれてる事から考えても、そこまで被害は大きくないのでしょうね」
「なるほど、なら襲われても許してもらうためのお金を用意しておけばいいって事?」
「そういう見方もできなくはないのだけど……。それでも問題があるのよ」
「問題?」
かなり事細かに説明しているが、彼にとっての常識が測れないので本当に一から説明しないといけない。それに今だって納得はしているけれど、彼の中ではまだ現実味がないのだ。元居た世界にはきっと盗賊も居ない平和な世の中だったのだろう。
「もし盗賊に襲われた時を考えてもみて。馬車を襲う時、足止めするにはどうすると思う?」
「前に立ちふさがるとか?」
「そんな事したら馬に蹴られるわよ。そうでなくとも弓士が居たらただの的ね。
足止めするなら馬を仕留めればいいのよ。それこそ遠くから弓でも使ってね」
「……許さん」
「馬好きのあなたには悪いけれど、それが一番効率的でしょう?」
「せめて供養を兼ねて馬刺しに……」
「いや、何考えてるのよ?」
一瞬想像した盗賊に憎悪の色を出したが、瞬時に食欲が勝ったようだ。彼にとっては馬は愛でてよし、食べてよしの動物なのだろう。
とはいえ実際に現場に遭遇したらそんな事言ってられないし、何より馬を解体できるのかという疑問もあるけれどここは置いておきましょう。
「で、話を戻すわね。助かったとしても御者にとってはそれが一番のダメージなのよ」
「そっか、馬が商売道具だもんね」
「そう。だから金貨1500枚っていうのも、襲われた時馬を買うための資金と考えれば安いでしょう?」
「馬車はバスみたいなもんだし、150万円じゃ買えないもんなぁ……」
「バスがどんなものかは知らないけれど、そういう事よ。その上危険な立場だし、もっと吹っかけてくると思ってたわ」
「え? それじゃあさ、なんでさっきはすごく残念そうな顔してたのさ?」
「そりゃね“若い女の悲しむ姿”ってのは、オジサマ相手に交渉するには最強の武器だもの。値引き交渉するための前フリってやつよ」
「演技って事!? おぉ、こわやこわや……」
乾いた笑みを浮かべながら首をすくめる彼だが、嫌な色は出していなかった。むしろ私が交渉上手な事に対して、安心感というか、信頼を厚くしたようだった。
次回は5/18(月)更新予定です。




