流氷6
サイボーグは神経伝達物質の受容体が人間のそれとは違う。
身体感覚も違う。人間の知覚とは違う――ほとんどの知覚は「感じる」というより「分かる」のだ。明確な差異がある。
恐怖は薄く、嫌悪は弱い。
攻撃性の抑制能力も低い。促進する力は人間並みだ。
つまり一度火がつけば、そう消えない。
共通の特徴である。
ときに、アイデンティティの崩壊というのは人間の尺度だ。
サイボーグは人間ではない生物である、と論じた学者は殺された。
そちらの方が残酷だと思った人間により、殺された。
殺人のハードルがより低いのはサイボーグだ。
しかし、そこには説明可能な理由がある。
もっとも、だから何だというのか。
彼ら彼女ら――これも、区別する必要はないかもしれない――にとって食事も生殖も、ファンタジーに見える。
個であることを懸けた闘争は理解できる。
自己を保ちたいから、ではない。
人間的でありたいからだ。
人間は地上を支配し、星さえまたいだ。
その上で今や絶滅の危機に瀕している。
サイボーグは人間的であろうとしている。
不必要な努力だ。
なろうとしているだけで、もうなっていることに気がつかない。
玉髄は深くソファに座っている。
造船計画において貢献できることは、ほとんどない。足場を組み上げるときにシールドを使った程度だ。当然、足場のための足場だったのだから用済みである。
仕事という仕事もなく、探偵事務所で本を読む。さほど集中せず、文字を追う。
ページをめくるとき、マリアを見た。
いつもの椅子に腰掛けている。表情も、髪をいじる指先も自然なものだ。
「何?」
「……怒ってるかなって」
マリアが眉をひそめる。
「心当たりがあるの?」
「勝手に、外に行くって言ったから。それにあー、あのときはアドレナリンが出てたっいうか、流刑とか言っちゃったし……」
勝手に。
勝手に言った。
マリアは思う。
この言葉にどれだけ救われるだろう。
契約ではなく、刷り込みではなく、命令でもなく、遺伝子調査でもなく、自由意志での発言。
玉髄の言葉、表現なのだ。
「怒ってないわ。南極都市も飽きてきたし」
「なら良かった」
罪を犯していないと思い込みたいのか。
心から信じているのか、分からない。
玉髄に意思があることの証明は、不可能だ。
誰もがそうだ。
誰もが、誰の意思も証明できない。
自分の意思さえも。
だから意思の尊重などというものは不必要なのかもしれない。
「僕は山登りしたいなぁ」
「あなたねぇ……」
「だってせっかく外に出られるんだし。ちょっとぐらいレジャーを楽しんでもバチは当たらないでしょ」
不必要さに、人間性を見出す。
そんな玉髄の主張を、マリアは思い出した。
「私も楽しむべきかしら」
マリアの、小さなつぶやきだった。
玉髄はあえて無神経に言う。
「楽しみたいならね。僕は、知らないうちに楽しくなると思うけど」
マリアが椅子から立ち上がり、玉髄に近づく。
玉髄はマリアの眼を見る。
綺麗な青紫色。
写るのは自分だけ。
「ん」
差し出されたのは右手だった。
玉髄はゆっくりと自分の右手を上げる。そして傷つけないように、マリアの手を握る。
「急にどうしたのさ?」
「なんとなく」
そのマリアの笑顔は、少しぎこちない。
初めて見る表情に、玉髄もまた笑顔を浮かべた。




