天蓋崩落4
「マリア」
玉髄は言った。事務所を出て、まだ数時間である。だが彼にとっては懐かしく感じられた。
「僕たちが作られたってことは知ってたんだよね」
「もちろん……「知識」の賢者って呼ばれ方は伊達じゃないわ」
好きじゃないけど、とマリアは付け加える。
いつも座っていたソファに玉髄は腰掛ける。
「マリアは何をしてたんだい?」
「外の世界では、役人だったわ。国家や国民の安全を守るの」
微笑みながらマリアは言った。暖炉の中にあるランプが暖かく光っている。青紫色の眼に、オレンジの光が差し込む。
「犯罪者扱いされた?」
マリアは冤罪だったと琥珀少年は告げた。玉髄は、琥珀とは短い付き合いだったが、この発言は唯一の本音だったと思う。そして善意だったとも。
だから玉髄はマリアを罪人とは思わない。
「罪は重なっていくものよ。あなたたちを騙した」
「理由は?」
「……会いたい人がいたわ、それに復讐もしたかった」
マリアの言葉が熱を帯びる。
「尽くした結果が、南極なんて笑えないわ」
「僕が思うに――」
自分が余計なことを言おうとしているのは、玉髄にも分かってる。言わなくてもいいことだと分かってる。
それでも言う。
「――マリアは僕たちが怖かったんだね」
玉髄は精一杯ほほえんだ。頼りない表情だった。
21世紀と23世紀の違いを玉髄は知らない。サイボーグ技術はすごいとは思うが、21世紀の延長線上にあるのは分かる。イメージはできる。ただ文化とか、国境とか、歴史的な出来事は知らないし、想像するのも難しい。
では21世紀と19世紀ならどうだろう。
詳しくはない。教育を受けた記憶はないし、学ぼうという意欲もない。物語として聞きかじった程度だ。中学生にも劣るかも……なんて玉髄は思う。
差があるのは分かる。
タイムスリップしても、コミュニケーションはできるだろう。しかし文化が違う。同じ国でもその考え方、生活は違うだろう。
居心地はきっと悪い。
まして南極都市の場合。
玉髄たちは、無自覚の兵士だ。自分たちの素養に気がついていない者さえいる。表面上は人間に似てるのに、根底がおかしいのだ。
まともに訓練を受けた23世紀の兵士とは違う。
人生はなく、改造され、ぎりぎり人間と判定される存在だ。意思があり、怒りを覚えることができ、その矛先は23世紀の人々に向くかもしれない。
意思と力のあるスケープゴートに、復讐心が芽生えるのは当然だ。
いつか殺しにくる存在。ゆえに、いつか殺さなくてはいけない存在。
23世紀にとっての玉髄たちだ。
その群れの中に放り込まれたのが、三賢者である。彼らは何十万の南極兵士に囲まれている。怯えて暮らすのは、いったいどちらか。
「想像に過ぎないけどね」
マリアには理解できない。
「同情してるの?」
「いや、そんな良いものじゃないよ。知ってるよね……僕たちは僕たちの命すら、大切とは思えない」
だから戦える。
だから殺せる。自分も他人も怪物も。
最適化されている。生存本能よりも、闘争本能を優先する。ブレはあるが、それさえも全体の効率のためだ。多様性は、強みではなく、弱点を分散させるために作られた。内輪もめも大歓迎だ。鉱石生物が脅威ではなくなったら、外ではなく、内へと暴力性が向くことが期待された。
多様性は、緩やかな自滅のためでもあった。
「そうしたのは私たちよ」
玉髄は首を横に振る。
「マリアは冤罪だったんでしょう?」
「情報の流出は、冤罪。でも南極都市計画には関わってた。希望したの」
「そっか」
「私たちは絶対に許されるべきじゃない」
そう言って、マリアは立ち上がる。
「二人を止めてくる」
「僕も行っていいかな」
「……好きにして。私に命令する権利なんてないわ」
轟音が響く。事務所からそう遠くないところで爆発があったのだ。いよいよ南極都市の住民たちも気づく。プレイヤー同士の戦争が始まっていることに。
脇のホルスターから、店のカウンターの下から、ソファの隙間から、それぞれ手近なところから――だが誰もが――銃を取った。
ためらいはない。




