プロローグ
異世界なんか行きたくなかった青年 プロローグ
「むっ、この靴はそろそろ新しいのにしなければ駄目かな……。」
俺はニ年間履き続けた真っ黒で、頑丈な靴の紐を結びながらそう呟いた。
この靴は、俺が大学に合格したときの祝いの品として、親から送られた物だ。
他に従兄弟の兄貴|(社会人、結婚済み)からちょっと高価な財布をもらったりした。
その財布は今でも俺のジーパンの右ポケットに入れており、大変重宝している。
「でも、金が無いんだよな〜。」
ブツブツと独り言を言いながら、靴紐を最後に力強く締める。
そのときにキュッと靴紐から心地のよい音がした。
「うむ、美しいチョウチョ結びだ。」
俺は出来上がった靴紐の結び目を見て、満足げに頷く。
しかしそのとき、少し捲れている靴の底が目に入ってしまった。
「……短期バイトじゃなくて、長期バイトでもしようかな。」
その光景を見た俺は、流石に新しいのにしなければやばいかなと思い。
名古屋に帰ったときに、バイトをするかしないかで悩み始めた。
そんな事を真剣に考えていたら後ろから、何処にでもいそうなおばちゃんの声が聞こえてきた。
「かずちゃん、もう行くの?」
その声に反応して、俺が後ろを振り向くと、そこには柔和な笑みを浮かべた50過ぎぐらいの女性が、真っ白い割烹着を身につけて立っていた。
「おう、そろそろ行くわ。ありがとな〜。おばちゃん昨日泊めてもらって。」
「いいのよ〜。かずちゃんなら何時でも大歓迎よ。」
おばちゃんはケラケラと笑いながら、なんとも嬉しい事を言ってくれた。
俺はこの人の豪快で、優しい所が大好きだ。
それは将来結婚する女性は、おばちゃんみたいな人がいいと断言できる程だ。
「さっすがおばちゃん〜。心が日本海ぐらい広いな。」
「馬鹿ね。私の心は太平洋ぐらい広いのよ。」
そう言い、腰に手を当て豪快に笑うおばちゃん。
その姿を見ているとこっちまで愉快になる。
ほんと今回の旅で、この家に寄って良かったと思える。
「………ねぇ、かずちゃん。」
すると突然、おばちゃんは先程までの優しい笑みを消し、真剣な表情で俺の顔を見つめる。
その時、なんとなくおばちゃんが何の話をするか予想が出来た。
だからだろうか、俺は自分の顔が段々と歪んでいくのを感じた。
「かずちゃん、あなたは優しい子。それと同時にあなたはあなたが思っている以上に気持ちの切り替えが出来ない不器用な子。………まーくんの事は「おばちゃん…。」」
俺はおばちゃんの台詞を最後まで言わせずに、失礼だとは思ったが、途中で無理やり言葉を入れ込む。
そして苦笑を浮かべながら自分の言葉を更に続けた。
「俺の所為じゃないかも知れない。でも、俺は俺の所為だと思っているよ。そうすれば俺は一生アイツの事を忘れない。俺は自分がアイツの親友だったと思っている。だから……忘れたくないんだ。」
「………不器用な子。」
おばちゃんは深いため息を吐きながら俺の頭を平手で叩いた。
痛くは無いが……とても響く一撃だった。
「まあ、俺は馬鹿なんだよ。」
そう言って、近くに置いてあったボストンバックを担ぐ。
「違うわね。かずちゃんは大馬鹿。」
「はは……違いない。」
「んっ。まあ、いいわ。行ってらっしゃい。」
「おう。んじゃ、またな。おばちゃん!」
俺はそう言うと、玄関の戸を開けて家の外に出た。
その刹那。ひんやりとした風が俺の頬を撫でる。
「うん、さすが北海道。夏でこの気温はありがたいね。まあ、太陽の日差しは強いが……。」
俺はそう呟くと、近くに止めてあったバイクに向かって歩き始めた。
「さて、過去への思い出に浸る旅に行きますか!」
「ああ!! かずちゃん! ついでに郵便受けの新聞取ってきて!!」
その声で行き成り出鼻を挫かれた俺は、こけそうになりながらもなんとか踏ん張り、後ろにいるおばちゃんを恨めしげに睨みつけた。
そしてそこには、悪戯が成功したような嫌味ったらしい笑みを浮かべる女性がいた。
わざとかこの野郎……。
さて、俺に付いて簡単な自己紹介をしよう。
俺の名前は平江和彦と言う。
現在は名古屋の方の大学に通う20歳の学生だ。
身長は日本の成人男性の平均より少し高い175cm、身体つきは……まあ、痩せてもなく、太ってもいない。
言ってしまえば、普通の体型だということだ。
顔つきは悪くないほうだと思っている。
少し高い鼻と目元の彫りの深さ、整った眉毛と鋭さを持った目。
カッコいい人と良く友人からも言われるが、それと同時に、怖い顔の人とも女性陣からはよく言われる。
俺としてはけっこうショックな事だが、最近では言われ慣れてしまった節が自分の中にある。
だがそれ以上に俺の心を傷つけているのが、この超極太の髪の毛だ。
サラサラヘアーには程遠い、ザ・ハリネズミ。
時代が時代ならスーパーハードのCMに出れただろう。
………まあ、如何でもいいが。
「やめよう。これ以上考えてたら落ち込みすぎて、地球の中心を通ってブラジルまでテンションが下がる。」
俺は深いため息と共に、今までの思考を断ち切る。
そして気を取り直して前を見ると、其処には長い間雨ざらしの所為でボロボロになった小さな小屋があった。
その小屋は、人が住むには余りにお粗末で、頼りない造りだったが。
それでも10年以上建ち続けてきたのだから立派なものだろう。
「……懐かしいな。良くまあ10歳のガキが二人でこんな物作ったもんだ。」
俺は万感の思いを込めてそう呟くと、小屋に向かって歩を進めた。
そして泥や草がついたトタンの扉を力任せに開けた。
その時、木が腐っていたのであろう。
小屋一面から軋む音や何かが折れる音が聞こえた。
「おいおい、大丈夫か?」
俺は小屋の耐久力に不安を覚えながらも、中腰になりその中に入っていった。
子供のときは丁度良い広さだったのだが、流石に二十歳の身長にはこの空間は狭い。
長居をしたら腰が痛くなりそうだと、爺みたいな事を考えながらも目的の物を探す為、奥の方にあるプラスチック箪笥の一番上の引き出しを開けた。
中にはベーゴマや、錆びて中身の汁が出ている乾電池などがあった。
正直触りたくない。
ゴム手袋でも持ってくるんだったと、激しく後悔した。
「……えっと、これじゃないな〜。真ん中の段だったかな?」
俺は一番上の引き出しを少しだけあさり、次に真ん中の段の引き出しを開けた。
「おっ……。あった、あった。」
俺はそう言うと、箪笥の中から一冊の落書き帳を取り出した。
それは湿気などでボロボロになっているが、中に書かれている文字は十分に読める。
「きったねえ字だな〜。まあ、ガキの頃に書いたからしょうがないか。」
一ページ、一ページ破れないよう丁寧に捲りながら、俺は落書き帳の文字を読んでいく。
それは小さい頃に親友と書いた物語。
子供が考えそうな、勇者が魔王を倒すというありがちな物語。
その物語を読んでいくうちに俺の脳裏に、幼いときの記憶が段々と蘇ってきた。
「そういえば……此処はドラクエをパクッタ設定だったな〜。」
「さらわれる姫……ピーチ姫をイメージしたような。」
「ここはどっこいおむすび君を………。」
暫くの間俺は、その物語を読みながら懐かしい過去を思い出していた。
故に俺は、何時の間にか外の景色が燃えるようなオレンジ色になっている事に気付かなかった。
「うん……。字が見えにくくなってきたな…。この年で老眼か? それはやばいな〜。マジで凹むよ。」
そうしている内にも外は日が落ち、夜へと近づいていく。
本格的に文字が見えなくなりそうになった時、俺はようやく日が落ちかけている事に気付いた。
「やばっ……。そろそろ宿に戻らんと。」
俺は読んでいた落書き帳を閉じ、それを持っていたビニール袋の中に入れて、鞄の中に丁寧にしまった。
「さて、帰るか。」
『まあ、待てよ。友よ。』
「………あ?」
俺が小屋から出て帰ろうとしたその刹那。
行き成り低く、威厳のある男の声が耳に聞こえた。
辺りをと言っても小屋の中だが……反射的に見回しても誰もいない。
『思い出に浸るだけで終わりか?』
しかし謎の声は俺の耳に、またはっきり聞こえてくる。
此処に来る前に、何処かの寺でお守りを買ってこなかった事に、俺は今激しく後悔した。
いや、持っていることは持っているが……残念ながら交通安全だ。
此処でもし、家内安全とかなら少しは効果があったのかもしれないが……。
「……誰だ? 幽霊か? お化けか? おいおい、俺そういうの苦手なんだよ。漏らすぞコラ。いいのか? この年で失禁は色々と心に消えない傷を残すぞ?」
『……相変わらず妙な事を自信満々で言うな。』
姿が見えない男が呆れた様にため息を吐く。
なんだ? こいつのしゃべり方からは、まるで俺の事を知っているような雰囲気がある。
「………お前、俺を知っているのか?」
『知っているさ。なあ、かずっち。あの時の事をはっきりさせよう。』
男のその台詞を聞いたとき、俺は一瞬驚きの余り思考が停止した。
きっと今の自分は目を大きく見開き、たいそう間抜けな顔をしているだろう。
だがそれはしょうがない事だ。
俺の事をかずっちと呼ぶ、男の声が聞こえる。
そう呼ぶのは後にも先にもアイツだけだった。
「お前、まさか!」
俺は声を荒げ、小屋の外に飛び出してた。
そして謎の声の主を探そうと辺りを見回したが、人影など何処にも無い。
「正明! お前は正明なのか!?」
『どちらが勇者でどちらが魔王……。くだらん内容の喧嘩だったが…当時の俺達にとっては大事な事だったな。』
「無視か!? 質問に答えろ!!」
一人で話を進めようとする男の声に、俺は段々と苛立ち覚え、思わず大声で怒鳴り散らした。
しかしそれでも声は、自分勝手に話を止めようとしない。
『だがな、今俺は魔王で構わない。お前は勇者だ。だから俺を倒せ……。』
「お前何言ってっ……!」
『お前も来いよ。その物語の最後は、俺達で最高の物に仕上げようぜ。』
その言葉を最後に俺の周りが眩い光に包まれた。
そして俺こと平江和彦という男が、この世界から消えた。