vingt
月日は飛ぶように過ぎ、五年後。
丘の上にフォール家の屋敷が鎮座する町では、変らず穏やかに、しかし少しずつ新鮮な空気を取り入れながら、日々が営まれていた。
初夏の陽気は爽やかで、色々な花も咲く。不気味な怪談がまつわる街灯や銅像も、日の光を纏って輝いている。
栗色の髪を頭の上の方でひとつにまとめ上げ、足早に歩く女性がいた。茶系のカジュアルなスーツ姿で、ハンドバッグを手にしている。
きりっとした灰色の瞳を、駅の真ん前にあるやや高い建物へと向けた。
ガソリンスタンドで洗車していた青年は、彼女に気付くと「よお」と声をかけた。
「これから弁護士さんところいくのか?」
「そうよ。お仕事お疲れ様です。いい天気で精が出るわね」
「おう。マリーもな」
あはは、と明るい顔で、マリーは笑った。
「ありがとう」
そう言って、マリーはガソリンスタンドの前を通り過ぎる。
彼女を見送ったガソリンスタンドの青年は、ふわふわと手を振ってその後ろ姿を見送った。
初等教育の教室で同じクラスだったときは、「あれがフォール家の子?」と敵愾心を持つくらい、素っ気なくて無口な女の子だったのに、高等学校、大学と都会に出て勉強し、戻ってきてからはびっくりするほど人当たりが良くなって、リーダーシップを発揮した。
町一番の才媛、と、一時血筋が絶えるかとフォール家を危ぶんでいた人たちさえ誇りにしている。
「それもこれも、婚約者の弁護士の先生のお陰だったりするのかね」
人も変わるものだな、とぼやいてから青年は蛇口を捻ってホースから水を出して洗車を続けた。
スカートを揺らして建物の細い階段を上り、マリーは弁護士事務所のドアをノックした。
「こんにちは」
「ああ」
白いワイシャツの後姿が振り向き、マリーに微笑みかけた。すっかり社会人らしい青年となったセザルだった。
マリーは事務所をきょろきょろと見回す。
「ピエールさんは今はいらっしゃらないの?」
「ああ、町の法律相談会の打ち合わせに行っていて。俺は留守番中」
「そうなの」
頬を合わせ、マリーとセザルはキスをした。
マリーはセザルともうすぐ結婚する。
最も古い家柄の娘と、町に新しくやってきた弁護士の青年の結婚は、町中で大きな関心と話題を呼び、盛大な式にしようと人々は祝賀ムードで準備に協力してくれている。
セザルは大学を卒業してからマリーの町の弁護士事務所に就職していた。大学三年生から交際を続けていたマリーとセザルは、卒業する前に相談して、マリーの実家のある町に住むことにした。セザルは大幅にマリーの条件に合わせる形になったが、「次男坊だし、マリーの町で人の役に立てるんだったらいいよ」と柔軟に応じた。
どうしてそこまで、とマリーは思うことがある。メメント・モリに遭遇したことさえあるのに、セザルは積極的にマリーに関わった。マリーの心からメメント・モリがいなくなることがないと分かっているのに、それでもいいという。
マリーがそれについて訊ねると、意外にもセザルはメメント・モリを理由に挙げる。
「マリーのことは情があって冷静な分析力のあるところ、俺にはないなと思って、好きになったんだ。あんまりそれって、マリーがメメント・モリを好きなこととブレないんだ、俺の中では。メメント・モリにずっと片思いをしたことを知った時は、悔しかったよ。嫉妬もする。だけど、なんというか、彼の持つ歴史の深みのせいかな、写本を読んでいたこともあるんだろうけど、俺自身もメメント・モリに魅力を感じるんだ」
「魅力?」
「メメント・モリって、町と、歴史と、思想と、個人とが結びつく、不思議な魅力あるんだ。錬金術のせいなのかな。メメント・モリに会って、マリーを連れ戻しに行って・・・俺は多分覚悟していた。もし付き合うことができたら、フォール家の町に骨を埋めるつもりで、人生を考えていこう、って。そういうものに囲まれて生きることが、マリーに惹かれるってことだろうし、メメント・モリの魅力だろうしって。何か、上手く説明できないけど、そんな感じなんだ」
そこまでセザルが考えていたとは思わなかったマリーは、そのとき驚きで言葉を失った。
マリーは自分にはセザルの人生に責任があると感じている。メメント・モリに恋していた頃は、「共に歩む」ということを漠然としか考えていなかった。しかし、セザルのそれまでの人生や学んできたこと、人間関係などは、マリー自身も想像できるもので、マリーと関わることでセザルの人生の進路は変わってくる。
初めて現実的に「結婚」を意識できた気がした。
フォール家の人間との結婚は、マリーの町では大きな影響力を持つ。セザルが町の人と馴染み、多くの人に認められるには、それなりに町の人々、マリーやその周辺の人々と積極的に関わらなければならなかった。
大学を卒業した後、フォール家の次期当主として働き始めたマリーは、セザルが町で最も信頼されているピエール・ロレーヌ弁護士の事務所に入れるよう取り計らった。町に入り込みやすいようにできるかぎり公の場にセザルと共に赴き、工場や農場の人々に紹介した。
陰口を叩かれることもあったが、概ね町の人たちはセザルの働きや次期当主としてのマリーを認め、自然とマリーとセザルは結婚をほのめかされるようになった。
なんとかここまで漕ぎ着けた、という感じだが、大変なのはこれからだ。
マリーはまだフローレンスにくっついてあちこちに出向くという状態で、最近ようやく仕事を任されるようになった段階だ。セザルも勉強しながら実務に取り組んでいる。
町の人たちがマリーに早く身を固めて欲しいとばかりに結婚を薦めるから、未熟者二人の結婚が許されたようなものだ。
「なんだか実感ないな。あと一週間で結婚だなんて」
「そうかな。私は結構屋敷でバタバタ準備しているから、もうすぐなんだな~って感じるよ」
「ごめん、そっちの手伝いできなくて」
「いいわ、忙しいんでしょ」
「今は暇だけどね」
「あはは」
セザルはマリーとフォール家関係の事業に顔を出しながら、町の人の法律相談や弁護を行っている。ともすればマリーよりも多忙かもしれなかった。
「で、何か用事なんだろ?」
「あ、そうそう。あの二人から結婚式に出席するって返信が返ってきたの」
「本当?!」
マリーはハンドバッグから手紙を取り出した。
エロイーズとトリスタンはマリーたちより早く結婚し、大学に残って研究を続けているトリスタンの都合から大学の近くに住んでいる。エロイーズは美術館のキュレーターをして、トリスタンを支えている。
手紙を読み始めたセザルは目に笑みを滲ませた。
「懐かしいな。相変わらず、トリスタンは丸文字だ」
「来てくれるって」
「メメント・モリの逸話集出版の立役者が来たら、町の人たちも喜ぶんじゃないか」
マリーたちのチームは、四年間のラテン語の授業で、見事メメント・モリの写本を現代語訳し終えた。
ラテン語の先生はその努力を認め、珍しい資料として出版を勧めた。マリーは迷ったものの承諾し、メメント・モリの写本を用いて研究したいというトリスタンが編集することになった。
マイナーな人物であるため、なかなか出版社が見つからず、暫くは錬金術とか神秘学とかを扱う怪しげな出版社からしかオファーがこなかった。
が、トリスタンは自分が選んだ逸話を基に歴史研究を発展させ、学会で発表し、学術と物語としての価値を認めさせ、大きな出版社から出版の約束を取り付けた。
トリスタンはマリーと相談して、すべてではなく一部の逸話をまとめ、再度原文と現代語訳を確認して原稿をつくり、『錬金術師メメント・モリの逸話集』として出版した。トリスタンがかなりマリーの心情を優先させ、誠意を尽くした形で、出版は叶った。
飛ぶように売れることはなかったが、マリーの町の人たちは、初めて知った地元のオカルティックな人物をゴーストツアーと重ね合せて、興味を持つようになった。
今ではゴーストツアーの中に盛り込まれている。
多くの人に知られるようになったのはいいが、所詮物語の中の人だ。
本当にいると思われても困るけれど、複雑な思いを抱くのもマリーの本心だった。
それでも、授業の成果が町の人たちに喜んでもらえるのは嬉しかった。
町の人たちは益々ゴーストツアーに力を入れ、少なからずメメント・モリの逸話集の出版は町の観光に光を当てているようだった。
「そうね。きっとトリスタンと話がしたいって人は多いと思うわ」
微笑んだマリーに、セザルは一瞬黙ってから、訊ねた。
「メメント・モリからは返事は来たか?」
マリーはゆっくり首を横に振った。
相変わらず、メメント・モリは姿を現さない。
その方が当たり前だけれど、メメント・モリと過ごした時はマリーにとって人生の半分以上になる。
それも、段々と、彼がいない時間の方が多くなっていく。
寂しい気持ちと、前に進む気持ちとで、マリーは時折遠くを見つめるような心地になる。
セザルと付き合い始めてから、マリーはメメント・モリのことをあまり口に出さないようになった。
メメント・モリの写本についてもできるだけ事務的にトリスタンと話し合った。
社会に生きるにはその方が自然のように思えたし、口にすればそれはそれで、安定した自分の心に動揺をもたらす気がした。
相変わらず、自室で話はしている。
結婚の話もした。この間通りかかった錬金術の商人を捕まえて、結婚式の招待状も渡してもらった。
だが、今の今まで、何も反応はない。
セザルはメメント・モリに、どこにいてもいいから、結婚式に出席して欲しいと言う。表向き出てこられないのは分かっているが、マリーの保護者代わりでもあるメメント・モリに、マリーの晴れ姿を見て欲しい、というのが言い分だ。
マリーはそれに、何ともいえない気持ちを抱いている。来て欲しいとも、欲しくないともいえない。ただひとつだけ、メメント・モリが夢の中で言っていたことを思い出す。
マリー。君を愛すれば愛するほど、私は君といられない。
メメ様を傷付けるようなことになったらどうしよう。
そんな思いから、マリーはメメント・モリの意思に任せようと思っている。
「まあ、どうするかはメメ様に任せるわ。でも、多分」
マリーはふっと微笑んで、セザルのスカイブルーの瞳を見上げた。
「きっとどこかで見てくれるわ」
それがマリーの意見だった。
セザルは少し困ったような表情をして、マリーの手をとって引き寄せた。
「そういう、俺には分からない信頼関係が、一番嫉妬するんだよな」
マリーは目をぱちくりさせると、ふっと微笑んでセザルの頬に唇を寄せた。




