seize
この回、結構グロいやも知れません。
シャンデリアには明かりが灯され、煌びやかな天井画や美しいタイルが会場を彩る。
壁に巨大な装画の天使が笑う。
舞踏会場には往時の華やかさと死者の退廃が絢爛に踊り狂っていた。
骸骨や腐乱死体が入り混じる楽団が演奏するワルツに乗せて、着飾った死体たちが手を取り合って優雅に踊る。
レースをふんだんに使ったドレスや、宝石たち、羽をあしらった帽子や、仮面。
間から見える、崩れた顔、落ち窪んだ目、骨が剥き出しになった手。
次々とパートナーが変わるダンスに興じ、マリーは錯乱しそうな景色に踊る、唯一の生きた人間だった。
マリーは冷静に考えた。
これはメメント・モリの見せる幻だ。
やはり、簡単には会ってくれないらしい。
だが、声は聞けた、とマリーは思った。久し振りの、変わらぬメメント・モリの静かな声。聞いたことのないくらい、悲痛な声だった。マリーが地下にやって来たことに彼が悩んでいると思うと心苦しい。
それでも胸が打ち震えるほど、マリーは声が聞けて嬉しかった。悲痛な声は、マリーがメメント・モリの心に残っている証拠だ。ひどいことと思えても、マリーはその事実に縋りつきたかった。
今度は絶対会いたい。傍にいたい。
冷たく華やかなパートナーと手を取り合って、ステップを踏む。
アンティークのピンクのドレスがひらりと揺れる。
こういう趣向なら、この格好でよかったかも、とすら思う。
周りを見ると、揃いも揃って、皆アンティークの盛装だ。
メメ様が見てきた衣裳なのね、きっと。
骸骨やゾンビに囲まれても、マリーには余裕があった。
分かっている。メメント・モリはマリーを誤魔化そうとしているのだ。怖いものを見せて、マリーを地上に帰そうとしている。マリーが逃げ出すように仕向けている。危険な輩を追い払ってくれたのと同じ方法だ。だが、それよりはずっと生易しい。
マリーはそんなことでは引き下がらない。
ドレスを纏って、アクセサリーをつけて、ヘアメイクをして、真っ先に会いたくなったのは、メメント・モリだった。
彼へと通じる道を見つけて、抑えていた必死な思いは燃え上がった。
メメント・モリはマリーの愛に困るかも知れない。マリーが地上の生を捨ててでも、メメント・モリに会いたかったのだと言えば、怒るかも知れない。フォール家の人間としてマリーが町のため、自分のために生きることを誰より望んでいる人だ。拒否される可能性は、充分すぎるほどあった。
だから、この舞踏会場に降りてきたのは、生半可な気持ちではなかった。
マリーは踊る。怖いのは骸骨やゾンビではない。
踊る人々の間を目で探す。彼の姿を。
怖いのは、彼を失うこと。
メメント・モリは絶対に、どこかでマリーを見ている。
「メメ様」
音楽に紛れるのも構わず、マリーは普通の大きさの声で呼びかける。
「こんなことをしても、私は怯まないわよ」
くるりと一回転して、また別のパートナーの手を取る。灰色の、冷たい手だ。
「メメ様が嫌がるって分かっていても、はっきりあなたの言葉で拒絶されたのでなければ、引き下がれないわ」
華やかで、退廃的な、周囲の景色が回転する。
黒いマントをひらめかせて、骸骨紳士はマリーと回った。
「今でも、愛しているわ。すべてを投げ出しても、あなたのもとに来たい。すべてを捨ててもいい、あなたと共に生きたい。そばにいたいの」
骸骨の暗い眼窩の奥が、揺らいだ気がした。
はっとする間もなく、手が離され、次のパートナーの手を取る。
白い手袋に包まれた、赤いビロード地の立派な衣裳を着たゾンビは、飛び出した目でぎょろりと見る。
「何年経っても変わらないわ。どうすればいいの」
途方に暮れた響きを持って、マリーの言葉は零れた。
リードに身を任せて、マリーは目の前のゾンビとはまったく別のものを眺めていた。
真っ黒な髪が沿う、蝋のような白い肌に、冷たい灰色の瞳。
思うより温かい白い手が、いつでもマリーの手を引いてくれた。
その手に抱き上げられたことも、白い指がめくった絵本も、錬金術の説明のためにペンをとったのも、マリーの脳裏に刻まれている。
静かな声に慰められたことも、諭されたこともあった。
死より安らかに、寄り添う心を、くれた。
メメント・モリ。
誰が忘れられよう。
「どうすればいいの。あなたがいなくて、私は未だ悲しい」
途方に暮れた呟きは、ワルツに掻き消された。
マリーの心は、未だメメント・モリの慈愛に浸っている。
絢爛たる死の世界で、次々に死人と手を取り、死人のカップルとすれ違って、夢と現が溶け合う。
輝きと闇は、共にある。
赤いリボン、青いジャケット、黒いマント、白いレース、ピンクのブーケ、金の剣、真珠の首飾り。
灰色の髑髏、崩れた顔、目玉が飛び出た淑女、眼窩の落ち窪んだ令嬢、太い骨、朽ちた骨。
ステップを踏みながら、マリーはめくるめく死と華の世界に身も心も委ねていた。
思い描く人がいなくても、地下の研究室にまた辿り着けただけでもよかった。こうした幻惑に紛れ込んでいるのだって、彼の傍にいる証拠なのだ。
天井画がぐるぐると回る。死の世界も、絢爛も、入り乱れて、これが普通のような気がしてくる。
メメント・モリの作った世界にいられるなら、ここでこのまま踊り狂い続けても、本望とさえ思えた。
「マリー!!」
なに
死の狂気と華の乱舞の舞踏会場に流れるメロディーに割って入った声に、マリーは思わず反応した。
目に入ったのは、骨や腐乱死体が着飾って踊るのを押し退けて来ようとする、必死の形相の生身の人間だった。
「ちょっと、これ何なの?気持ち悪い!!」
「ひゃー怖いよー!マリー!」
「マリー!!何してるんだ!」
「マリー!帰ろーうよ――!!」
どうして。
マリーが骸骨に手をとられて踊っているところに、セザルとトリスタンが辿り着いて、マリーを引きはがした。
普段着姿に着替えたエロイーズに抱き締められる。
「心配したんだから」
「早く!ここから出よう!」
「うえぇ!ガイコツだぁ!」
青褪めた顔のエロイーズ。真剣な顔つきで踊る死人たちを掻き分けようとするセザル。トリスタンは震え上がって叫びまくっている。
茫然としているマリーを三人が抱える。周囲の景色がぼやけ、混じり始めた。
はっとしたマリーは幻影に戻ろうと手を伸ばした。
「メメさま!いや!待って!!」
「マリー!駄目だ!」
その手はすぐにセザルに捕まえられ、マリーは引きずられるようにして連れられた。
マリーの目に涙が滲んだ。
「いやよ!いや!メメさまに会いたい!行っちゃイヤ、メメさま!」
ワルツが不鮮明に歪んでいく。死の舞踏会の幻影は次々に黒い砂が散るように壊れていき、ゆらゆらと消えていきそうになる。
泣きながら随分と暴れた気がするけれど、それでもセザルやエロイーズ、トリスタンは絶対にマリーを離さず、地上に続く階段を上り始めて、マリーは泣きながら三人に抱えられるようにして自分の足で歩き始めた。
また離れてしまった。
長く、暗い、じめじめとした通路を上り、ようやく出口を潜りぬけて到着したのは、屋敷の大食堂だった。
待ち受けていたフローレンスや使用人一同がマリーたちに気付き、わっと近寄ってきた。
「マリー!まったくもう、あなたって子は」
フローレンスが心配そうな顔をするのも構わず、マリーは自分が通ってきた通路を振り向いた。
食堂には大きな鏡が嵌め込まれた壁がある。その鏡が扉のように開いて、出入り口になっていた。
セザル、エロイーズ、トリスタンがどっとふかふかな絨毯の上に倒れ込み、マリーもその場に座り込んだ。マリーを迎えにきた三人は、緊張が解けてすっかり疲れたようだった。
天井を見つめたままトリスタンが呆然と言った。
「何だったんだ、あれ・・・」
「あ!」
マリーは声を上げた。
開いていた鏡がひとりでに動き、閉じようとしていた。空気圧で、地下の奥底から黴臭い風が湧き上がってくる。その場にいる全員が、その様子をじっと見守った。
マリーは思わず体をそちらに向きかけたが、その手をしっかりエロイーズに握られて、動けなかった。
「だめよ、マリー」
「はなして」
「メメント・モリは、あなたがあそこにいるのを望んでいないわ」
振り向くと、エロイーズが真剣な顔をして見つめていた。
マリーの目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「どういうこと」
常時眠そうな目のトリスタンが、穏やかにマリーに告げた。
「マリー。現れたんだよ、彼」
マリーは目を見開いた。
「マリーがいなくなってから、屋敷の人たちで探して。この食堂に集まって打ち合わせしているところに、現れた」
沈鬱な表情でフローレンス、屋敷の使用人一同はマリーを見つめる。
「マリーが話していた通り、あの写本に書かれていた通り、『嘆かわしい』って言いながら、現れた。それで言ったんだ」
誰かあの子を連れて帰ってくれ。
「とても苦しそうな声だったわ」
広い食堂に静かな音を立てて、鏡のドアが閉まる。
マリーは次々に大粒の涙を流した。
こんなことって、あるだろうか。
あの舞踏会場に辿り着いたのに、マリーはメメント・モリとすれ違っていたのだ。
あまつさえ、彼はマリーの前には姿を現さず、使用人や友人たちに会っていた。
しかも、マリーを連れ出すために。
「どうして。どうしてあのままにしておいてくれなかったの」
胸が張り裂けそうだった。
ドレスを着て、メメント・モリに見せたくて、飛び出していった自分があまりに惨めだ。
いっそあのまま永遠に、死者の舞踏会で踊っていたらよかった。
「見くびらないで、マリー」
エロイーズの強い口調が、マリーの悲しみを揺さぶった。
「勝手にいなくなったりなんか、しないで。どれだけ心配したか。あなたのお母さんだって、使用人だってそうだけど、私たち友達なのよ?私たちを捨てて、それでよかっただなんて思わないで」
「愛していたんだね、マリー。メメント・モリを。それでも、僕たちは君と過ごしてきて、共同してきたことを、君に捨てて欲しくなかった。こちらの世界に、取り戻したかったよ、マリー」
怒ったように言うエロイーズと、優しく宥めるようなトリスタンに、マリーは戸惑った。
そして、今まで沈黙を守っていたセザルが、どこか憮然とした様子で口を開いた。
「メメント・モリはマリーが自分の世界に来ることを、望んでいないぞ」
ショックと戸惑いを隠せないマリーに、セザルはひとつひとつ説明するように語りかけた。
「メメント・モリが姿を現して、言っていた。『どうか、あの子を連れ帰ってくれ。私はあの子が私の部屋にいることを望まない。だが私はあの子を自分で追い出すことはできない。だから連れ出してくれ、日の下へ。私はあの子が日の下で生き、笑うことを望む。』」
そんなことを言うなんて、残酷だ。
そんなこと、望んでいない。
いつでも、どこでも、望んでいたのは、メメント・モリの傍にいることなのに。
泣き崩れたマリーの背を、エロイーズがいつまでも撫で続けた。




