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錬金術を売り歩く商人  作者: 独蛇夏子
メメント・モリの人
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treize

 〝1428年 敵襲来の報、急なるにフォール一族惑う。女子供逃げること能わんと慌てしところ、死神のような男現れり。曰く、地下に通路を作りてあり。そこより女子供逃げん、と。一族驚き慄きしが、地下に件の通路あり。女子供悉く逃げる。死神のような男、騎士戦いしを援護せり。その術奇妙にして、空を飛びし鳥、槍になりて敵の上に降り、城壁突如開きて落石あり、敵を攪乱す。フォール家圧勝せり、領地守る。時の当主シャルル感謝し男に名を尋ぬる。男、我メメント・モリと呼ばるる者なり。嘆かわし、戦いに貢献すなど、無用の役を演じたり。男、言いて東の城壁を通り抜けて消えん。〟


〝1578年 小麦不作にて貧窮す。また嵐により領地荒れる。他領に借財せんとすが、他領領主、当主リオネルが娘オーギュスタを欲す。他領領主老齢にして好色なり。苦渋の選択にてオーギュスタ、嫁がんと決意せしが、談合せし場に突如死神の如き男メメント・モリ現れり。オーギュスタ失神す。メメント・モリ曰く、我、畑の改良機械作れり。早速使わん。リオネル従いて、城外に置きてありし機械、畑に運ぶ。球体に滑車のつきたる奇妙の機械なり。しかれども機械動かせしのち、畑の土壌元に戻らん。またメメント・モリ曰く、フォール家がルビーを国王に献上すべし。包み隠さず現状報告すべし。リオネル再び従いて、フォール家家宝「マグマ・ルビー」献上せり。国王、フォール領を憂い、多額の金を下賜しけり。リオネル、オーギュスタ、メメント・モリに感謝す。メメント・モリ嘆きて曰く、我再び無用の役を致したり。嘆かわしことなり。〟


 〝1679年 弾劾されし錬金術師ども、領地に大挙し、当主シルヴェール困惑す。そこへメメント・モリ現れり。曰く、我が呼びし者どもなり。何卒匿うことを許し給え。シルヴェール、恐れてこれを許す。錬金術師ども、メメント・モリについてゆくに、城壁の穴に消えにけり。後々、錬金術師ども冤罪なりと発覚す。嘆かわしこと、メメント・モリの言にか適いたる。〟


 〝1732年 老衰せしシルヴェール、死の床にて甥が偽りの遺書書かせんとす。シルヴェール翁抵抗す。甥、伯父を殺さんとし、ナイフ振り上げしところ、シルヴェールがベッドの下より死神の如き男這い出でにけり。甥、悲鳴上ぐりて逃げんとし、駈けつけたるシルヴェールが嫡男フォルテュナに捕まえられたり。シルヴェール、死神の如き男メメント・モリに気付きけり。涙して礼を言う。メメント・モリ云うに、安らかなれ。シルヴェール、その日夜半に八十九年の生を全うす。フォルテュナ、正しくフォール家を継承す。〟


 〝1899年 当主が娘レジーヌ、舞踏会場の庭にて涼みけり。悪漢二人、レジーヌを攫い害さんとす。さすれば死神の如き男、夜闇より出でにけり。悪漢二人嘲りしが、死神の如き男差し出しし杖に当りし瞬間、気絶したり。レジーヌ、恐怖により失神せしが、後にメメント・モリに救われたりと知る。メメント・モリ去り際にのたまいて曰く、我無用の役を重ねり。死すれば同じことを、嘆かわし。〟


 〝1920年 レジーヌが息子ガスパール、屋敷に楽団呼びて、サン=サーンスが死の舞踏を演奏させん。ふと見るに、聴衆に見慣れぬ者あり。かの者、真黒の髪長く、蝋の如き白肌の青年なり。死神の如き趣纏いけり。ガスパール、かねてより聞き及びしメメント・モリと確信す。メメント・モリ涙して曰く、サン=サーンスが死の舞踏、昔を忍ばせり。如何にも古りたる話なり。次いで、メメント・モリ話して曰く、近くに戦争あり。備蓄せよ、と。ガスパール驚きて、すぐさま備蓄、装備を揃えたり。のち、戦争を乗り切りたり。〟




「これってさ」


 セザルは不思議そうに訊ねた。


「当主って皆、マリーの先祖ってことだよな」


 からん。氷が溶けて、グラスの中で弾けた。

 飲み干したレモンスカッシュの残骸が奏でた音とともに、カフェの対座の席に座る、マリーとセザルの間に妙な緊張が走る。

 窓際から差し込むアッシュブラウンの短い髪が光っている。セザルは目をぱちくりとさせて、顔を上げる。

 栗色の髪をきっちり結い上げたマリーは口を真一文字に結び、頷いた。


「そうよ」

「・・・何か、悪いことでも言った?」

「いいえ、そんなことないわ」


 努めて何も感じていないかのようにマリーは言い、手元のコピーと翻訳に新しく分かったことを書き入れた。


 学部が同じのマリーとセザルは、授業や空き時間などが合うことが多い。授業や事務的なことを共有することになり、セザルはマリーに授業外に一緒にラテン語のテキストを読んだ方が、効率的で、早くに終わるのではないか、と提案した。

 マリーにとっては思わぬ申し出だった。四人でやるものと思っていたので、これほどセザルと接触が多くなり、しかも翻訳に関して提案があるとは思いもしなかったのだ。戸惑ったものの、マリーは協力関係を了承した。

 セザルとマリーは法学部でも優秀な部類に入る。ラテン語の習熟具合も同じくらい。しかし少しずつ、知っていることが違う。お互いに知識を補完し合い、教え合うには最適な人材といえた。


 どこか、ラテン語の勉強をしていても怒られないような、静かなカフェとか知らないかな。


 セザルにそう訊ねられて、マリーはしぶしぶ自分が気に入っている店を教えた。

 カフェ『冒険者』は、茶色の巻き髪の、精悍な店長が切り盛りしている店で、ラッコの剥製、仔鯨の骨、南の海でサルベージした海賊船の舵など様々なものが展示してある奇妙なカフェだった。店長は店で熱心に働くより何やら難しい図形を描いたり勉強していたりする方に夢中で、一度頼んだものを出すとすぐにカウンターの向こうに引っ込む。メニューもコーヒーと紅茶とオレンジジュースとレモンスカッシュ、といった塩梅で、素っ気ない。

 いつも閑散としている店の、長時間いても文句を言わない、しかし話をしてみると妙に人懐こくて少し浮いている感じのする店長に、なんとなく安心感があり、マリーは大学に入ってすぐに見つけたこの店によく入り浸っていた。


 セザルは真面目で温和な人柄だ。一人になれる、気に入っている店に知り合いが出入りするのは少し厄介だが、マリーは「ま、いいか」とカフェ『冒険者』を紹介した。

 マリーは語学と相性が悪いらしく、ラテン語の翻訳は一人でやるとなかなか進まない。正直、セザルと勉強できることで助かった。


 しかし。

 カフェで勉強していて、話題がラテン語の課題以外に飛ばないわけがない。


「いや、この人たち皆実際にいた人たちなのかなと思って。これって〝死神のような男〟の救世主物語ってことなのかな?記録ってマリーが言っていたわりには現実離れしていて」


 セザルの感想はごく一般的なものだった。マリーだって、現実離れしていることは分かっている。

 マリーは氷の入ったグラスを両手で包み込む。


「そうね。皆、実際にいた人たちのはずよ」


 絞り出すように声に出す。

 マリーにはこの瞬間が一番苦しかった。

 皆、実際にいた人たち・・・実際にいる・・人の話に決まっているじゃないか。

 これは、実在するメメント・モリの記録なのだから。

 そう言いたい気持ちを堪える。分かっていたはずでも、メメント・モリが「実在しない」ことを前提に話をされるのは、マリーの気分を重くした。

 エロイーズもセザルと同じような感想を抱いている。「この中の誰が実在の人物なの?」とマリーに訊ねるのだ。

 トリスタンは楽しそうに〝中世から続く怪談〟を、他の怪談と比較をしたいと言い出した。この物語は〝怪物〟の救世主譚となっていて、とても珍しいと嬉しそうだった。

 メメント・モリの記録とはそういうものなのだ。マリーだって、何も知らないで読んでいたらそう思ったに違いない。メメント・モリの記録は、あまりに現実から飛躍している。

 それでも、守護者のようにずっと側にいて、大切にしてくれた人を。

 マリーが愛している人を、〝空想の産物〟〝実在しない不思議な怪人〟として話をされるのが、悲しかった。

 誰かと勉強するときはなるべく翻訳作業だけに徹したい、と思ってしまうが、写本の所有者を目の前にして内容の確認や感想を共同翻訳者が言うのは仕方ないことだった。


 セザルは不思議そうにマリーを眺めてから、やや気分を害したように溜め息をついた。


「君っていつもそうだ。この写本のことになると素っ気ないし、なんだか投げやりな受け答えになる。そんなに嫌だったら、最初から嫌だったと言えばよかったじゃないか」


 むっとしてマリーは顔を上げ、セザルの瞳を見返した。


「違うわ。翻訳のことは、この写本をテキストにしてもらえて嬉しい。助かってる。でも、あまり内容に触れないで欲しいの」

「無理だろ、そんなの。内容が分かってくるのが面白いのに、読んでいて何も思わないわけがないだろ」


 分かってる、とマリーは書類をテーブルに叩きつけたくなって、やっとのことで抑えた。

 俯いて床板を見つめ深呼吸する。

 涙が出そうだった。

 分かっている、仕方のないことなのだ。やっと読めたラテン語のテキストの内容を、検討しないわけにはいかない。感想を抱かないわけがない。それを共有する仲間に、伝えないなんて、むしろコミュニケーションの欠如だ。そうやって学び合うものなのだ。だからこそのグループ研究。共有ができなくて発表できる質の翻訳は出来あがらない。


 やっぱりメメ様の記録を使うのはよくなかった。


 マリーの胸に後悔がよぎる。

 分かってはいても、気持ちを割り切れない。

 メメント・モリが、実在には有り得ない人として皆の口にのぼるたび、どうしても自分が彼と過ごした日々が否定された気分になって仕方なかった。

 どこまでも守ってくれ、優しかったメメント・モリが、まるで、なかったことみたいになってしまう。

 それはマリーに背を向け、去っていったメメント・モリと重なり、引き裂かれるような想いまで思い出させる。


 写本に書いてあることは全部本当のことなんだから。

 優しくて心配性のメメ様らしい行動なんだから。

 死神みたいな見た目も、嘆かわしいって口癖も、変っていないんだから。

 マリーのそばにいてくれたんだから。

 愛していたんだから。

 愛しているんだから。



「マリー、どうした?」


 心配そうな声に破られて、マリーははっとし、素早く涙を拭いて顔を上げた。

 軽く目を見開いたセザルの顔と直面する。


「なんでもないわ」

「・・・本当に?俺、何か悪いことを言ったか」

「本当に、大丈夫だから」


 マリーはこう言うしかなかった。


 他の誰かにマリーの悲しい気持ちを押しつけるわけにはいかなかった。メメント・モリのような人は、世間にとってファンタジーであって、実在を疑わない方が無理な話だ。それに、マリーの悲しみなど皆知ったこっちゃないだろう。なるべく皆の足を引っ張らないよう、努力するほかない。

 マリーの悲しみは、マリーだけのものだ。

 メメント・モリの記録を紐解き、一部を知ることができるだけで、ああそうだわ、あの人こんな人だった、こんなこともしていたんだ、とじわりじわりとマリーは喜びを感じる。

 絶対に、彼を忘れたりしない。

 決意は固かった。



 翌日は晴れだった。

 よく晴れた日のラテン語仲間の会合はキャンパス内のオープンテラスで行う。

 マリーが来たとき、既にチームのメンバーが席についていた。話をしていた三人がふっと話を止めてマリーを見た。

 マリーは何か自分にまつわる会話をしていたであろうことを察知し、立ち止まって全員の顔を見回し、「なに?」と訊ねた。


「今、マリーの写本の話をしていたの」


 エロイーズが気まずそうに言う。トリスタンも慌てたように頷いた。

 セザルを見ると、落ち着いた様子でマリーに説明した。


「マリー、写本をテキストにするのはやっぱり止めた方がいいんじゃないか」

「どうして?」

「だって、君、いつも俺らが写本の話をしていると黙って、暗い顔をするだろ。何か皆に言えないことがあって、俺らが話をしているのが気に障るんじゃないかと思って」


 マリーは思わず口を噤んだ。セザルは鋭い。よく人の機微に目を配っているらしい。


「私が図々しく言い出したから、断り切れなかったんじゃないかと思って!何も知らないで軽い気持ちでその写本をテキストにしたらいいじゃないかって言って・・・悪かったわ」

「そんな・・・」

「僕も古い写本が読めて嬉しいばっかりで。マリーにとって何かあると思ってなかった。ごめんね」

「止めましょう。この本、とっても書いてある物語は面白いし、テキストとしてとってもいいと思ってたけど、マリーの気分を害してまでやるべきではないわ」

「怪人の例として僕もすごく興味深かったけど、いいんだそんなこと。僕の個人的な興味だし」


 エロイーズとトリスタンが畳み掛けるように言い始めて、マリーは立ち尽くした。

 そんなマリーの様子を見て何を思ったか、顔を見合わせた三人は慌てて立ち上がった。


「テキスト!何か別のテキストを探しに行こう!」

「そうね、図書館ならラテン語で書いてある本がたっくさんあるわ。いくらラテン語の受講者が多いといったって、まだ本はあるはずよ」

「善は急げだ。すぐ行こう」


 図書館に行こうとした三人に、マリーは呼びかけた。


「待って」


 三人の驚いたような顔をひとりひとり見つめ、マリーは躊躇いながら言った。


「・・・これは、私の個人的な問題なんだけど・・・皆と一緒にこの写本を翻訳できるのはとても私も勉強になるし・・・是非、続けたいことなの」


 戸惑ったように顔を見合わせ、エロイーズはマリーに尋ねた。


「でも・・・嫌じゃなかったの?」

「それは・・・翻訳のことじゃないわ。気分悪くさせてたんだったら、ごめんなさい」

「翻訳のことじゃない?何か他にあるのか」


 セザルがマリーの肩を軽く掴み、見据えた。


「言ってくれよ。この写本の翻訳は進めたいってことでも、この先も写本のことを言うたびに不機嫌になられたんじゃたまらない」

「ちょっと。セザル言いすぎよ、私別にそんなこと思ってないわ」

「だって気になるじゃないか。逸話の感想を話すたび、怪人の話をするたび、悲しそうな顔をするのは何でなんだ」

「怪人じゃないわ!」


 マリーの噛みつくような大きな声に、三人とも驚いて硬直した。

 セザルの手を振り払うと、マリーはキャンパスのテラスを出て、庭の草原にどんどん入り込んで座り込んだ。限界だった。涙が溢れてきて頬を伝う。

 俯いて手で振り払っていると、背後に人の気配を感じた。

 両隣にしゃがみこんだのはエロイーズとセザルだった。エロイーズはマリーの背をさすり、「大丈夫?」と声を掛けた。


「ねぇ、マリー。何か言いにくいのかもしれないけど、私たちに話してみてくれない?」

「でも・・・」

「私たち、マリーの力になれたらいいと思ってるのよ」

「うん、うん、そうだよ!」


 後ろに立っているトリスタンも言う。

 いずれにせよ、このままマリーがダダ捏ねていても仕方なかった。


「私ね」

「うん」

「メメ様のことが大好きなの」

「は?」


 セザルのぽかんとした表情が目に入ったが、マリーはもういいや、という気持ちで思い切って口にした。


「私、メメント・モリに会ったことがあるの。怪人なんかじゃないわ。とても優しくて、ちょっと変わってて、とってもいい人なんだから」

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