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年月は流れ、都心に近いとある大学のキャンパスにて。
芝生の黄緑色が鮮やかな庭に面したテラスで、四人の新入生が話し合いをしていた。
二人は女子、二人は男子の組み合わせの四人は、熱心に授業のテキストの選択について議論しているところだ。
ぱっと一人の女子が立ちあがった。
「そのマリーの家の写本を翻訳させてもらうのはどう?」
いいことを思い付いたとばかりに、淡い青の瞳を輝かせ、晴れ晴れした表情で言ったエロイーズの提案に、隣に座っていたもう一人の女子マリーは目をぱちくりとさせた。
大学に入ったマリーは、法学部で法律を学びながら、教養科目でラテン語をとっていた。
執事からメメント・モリの逸話集の写本を渡された後、マリーは写本の全ページを写真に撮り、その写真をいつも持ち歩いて、時間があるときに独学で解読を試みていた。しかし、ラテン語を一人でマスターするのは困難だった。進学校でトップを取り続けるには学校の勉強に力を入れなくてはならないし、やらなくてはならないことはたくさんある。ラテン語を集中的に勉強する時間を確保するのは難しかった。
その代り、マリーは目一杯勉強し、名門大学に入ることができた。
法学部に入ったのはフォール家を継いだときに役立つ知識を仕入れるため。色々な資格も取るつもりだった。マリーの意向にフォール家に人たちは大賛成で、特に母のフローレンスは、自分が法律面で苦労した経験からマリーの考えを全面的に推奨し、入学が決まったときは跳び上がって喜んだ。
「でもあなた、メメ様の写本はどうするの」
フローレンスは心配そうに聞いた。マリーが四苦八苦して、写本を読み進めようとしているのを見ていたので、てっきりラテン語を勉強できる文学部か史学部に入ると思っていたのだ。
「ご心配なく。考えてありますから」
それが、法学部に所属しながら、本格的なラテン語習得を目指す授業がある大学に入る、という選択だった。
マリーが入学する大学は、その歴史の古さから伝統を重んじる教養カリキュラムがあり、たっぷり四年間をかけてラテン語を習得するプログラムがあった。
大学図書館の蔵書も、ラテン語で書かれた古い本や、参考文献で豊富だった。
マリーは法律を学びながら、メメント・モリの写本の解読を成し遂げる四年間を過ごす覚悟を決めていた。
「私、ラテン語の授業をとるつもりよ。そこの大学のカリキュラムは独特で、四年間かけてラテン語の文章を読む力をつける授業があるの」
例によって、マリーは自室で独り言をはっきりと言った。
勿論、メメント・モリに語りかけるために。
このところ、この行為に慣れっこになっていた。
「絶対読んでみせるわ。フォール家の歴史でもあるもの。メメ様の、どんなことが書いてあるのかしら」
マリーは一人、不敵に微笑んだ。
「私は忘れない。死を忘れないと同じくらい、メメ様のことを忘れない。絶対に、あなたのことを伝えていくの」
すべてはメメント・モリのことを知りたいがためだった。
して、そのラテン語の授業のテキストを、どうするか決める相談をしているときに、マリーと同じチームになったエロイーズが、マリーの写本を使えないかと発言したのだった。
ラテン語の授業は基礎的な文法や単語を勉強した後、四人のチームに分かれ、各チームでテキストを探して来て共同で解読していく、というものだった。持ち回りでその翻訳を授業で発表する。実践を重視したシラバスだった。
マリーと同じチームになったのは、女の子が濃い茶の髪色をしたしなやかな美人のエロイーズ、男子はマリーと同じ法学部で爽やかな雰囲気のセザル、それから歴史オタクで眼鏡のトリスタンだった。
概ねチームを組んだ三人とはうまくやれそうだった。ただ、自己紹介をした際に、ラテン語の授業をとった理由を聞かれて、マリーはつい本当のことを話してしまったのだ。
「家の写本を読めるようになりたくって、授業をとりました」
「家にラテン語で書かれた本があるの?!うわぁ、すごいや」
トリスタンが眼鏡の奥のどんぐり眼を輝かせ歓声を上げたので、マリーは目をぱちくりさせた。家に写本があるという状態が、よくあることでないと初めて知ったのだ。
子供の頃はずっと地元にいたし、友達もいなかった。進学校に入ると寮生活で、友人たちは変わり者や特殊な職業の親を持つ子ばかりだった。よくも悪くもマリーは世間知らずに育っていた。
エロイーズの提案に、マリーは戸惑った。まさか自己紹介で言っただけの物を、取り上げるとは思っていなかったのである。
「できれば他のチームと被りたくないっていうのは分かるけど。でも、それ個人の記録なのよ。つまらないかもしれないわ」
「先生はラテン語で書かれていたら何でもいいと仰っていたわ」
「マリーの家って、歴史が古いの?!」
「うん、元貴族だとか・・・」
「ええ!そうなんだ!」
「どうりでラテン語の写本があるわけだ」
トリスタンは古い歴史のニオイを嗅ぎ付けて目をキラキラさせ、セザルは納得したように頷く。
自分の生まれ育った環境が、少し特殊だということは分かっていた。
しかし、メメント・モリのこと以上に、そもそもマリーは生まれ自体が周りとは違うらしい。
エロイーズはにっこり笑って、マリーに問うた。
「それって、一人で簡単に訳し切れる量?」
う、とマリーは言葉に詰まった。そう言われると。
「ううん、結構分量あるの」
「だったら、みんなでやったら早いんじゃない?幸い、皆やる気があるチームみたいだし、やるからには本気でやらせてもらうから」
「うんうん、僕もやってみたい!古い貴族の家の記録なんて見たことないし!是非見てみたい!」
前のめりなトリスタンの希望にやや引いて、マリーはどうすればいいか迷い、次の日まで返事を待って欲しいと頼んだ。
「その写本ってどんな記録なの?あまり他人に見せたくない内容なのか」
エロイーズとトリスタンと別れ、同じ授業に向かう途中でセザルに訊かれた。
講義室へと続く回廊にわらわらと歩く大学生を避けながら、マリーは逡巡して、「うーん」と言葉を濁した。
「ちょっと、特殊な内容なの。一人の人間のエピソード集、みたいな感じ」
「イソップ物語みたいな感じ?」
「・・・どうなんだろう、それに近いかな。実在の人なの。執事に書庫から出してきてもらったようなものだから、教材に使っていいかどうかは・・・ちょっと家に訊いてみないと」
セザルは目をぱちくりとさせて、少し困ったように言った。
「家に執事がいるのか。本当にお嬢様なんだね」
マリーは首を傾げた。あまりそういう意識が今までなかったからだ。
「そうなのかしら」
「執事がいる家なんて滅多にないよ」
セザルは呆れたようだった。
皆で翻訳すれば、分からないところを教え合うこともできるし、一人でやるよりずっと早くに内容が明らかになるだろう。しかし、メメント・モリの記録は、鍵付の写本に綴られていた。メメント・モリのことや、フォール家で起こったことが外に漏れないように、先祖が配慮したのだろう。それを外部の人間に公開してよいものか。
それに、何よりメメント・モリのことなのだ。マリーの大切な人。過去の情報とはいえ、触れられることに拒絶感があった。
モヤモヤと考えていると、セザルが肩を竦めて言った。
「うん。まあ、写本のことは、大事なものみたいだし、気が進まないならはっきり断った方がいい。僕は構わないよ。ラテン語の教材なら、他にもあると思うしね」
そう言われて少し気が軽くなり、マリーは頷いた。
しかし、その日のうちに下宿先から執事に電話したら、
「いいんじゃないでしょうか」
とマリーの相談にあっさりゴーサインを出した。
「でも、メメ様のこと、バレても大丈夫かしら」
「マリー様は感覚が麻痺していますが、普通の人は何百年も生きている人間の記録なんて本当のことだと思いませんよ。物語のたぐいだと思ってもらえばよろしいのでは」
「あ、そうね。そうだったわ」
本当のことだと思いませんよ、という言葉が胸にぐさっと刺さったが、マリーは電話口で思わず笑った。
メメント・モリのような人が身近な生活をしていたから、ついつい一般観念を失念してしまうことがある。
普通のことではない。
大学に入り、さまざまなタイプの人と話をしたり、世間でいう常識に直面したりすることが多くなった。法律を学んでいると、より現実の生活や社会の構造に則した考えを持つ必要が出てくる。
戸籍のことも、資産のことも、今生きている人間のために決められたルールだ。
メメント・モリが該当するシチュエーションなどことごとく存在しなかった。
そのたびマリーの頭にふっとメメント・モリの姿がよぎる。
メメ様だったら、これをどう思う?
そのような基準で物思いに耽る自分が、ぐらつく。現実社会に反発心を覚える。
メメント・モリの影響から脱出していかねばならないのだろうか。そんな思いも忍び寄る。
だが、そうしたら自分から恋する気持ちまでなくなってしまいそうで、マリーは複雑な気持ちだった。
マリーの想いが不安定になる中、メメント・モリの写本は、チームの皆で分担して翻訳される運びとなった。
もともとラテン語の授業をとった理由がメメント・モリの記録を解き明かすためなので、奇しくも目的と授業内容が合致して、何だか奇妙なことになったとマリーは写真のコピーを配りながら成行きの不思議を感じた。
メメント・モリの人生の長さと、フォール家の歴史の深さに相応しく、記録は古く本格的な書き言葉で書かれていた。
序章はメメント・モリ―――ルイ=シトロンという、フォール家の跡取り息子だった男の短い経歴と、ペストが蔓延した時代の世情が及ぼした彼への影響がまとめられていた。
最も古い記録は十四世紀末。
当時のフォール家の家督相続争いに、メメント・モリが現れたところから始まる。
〝1395年 オリヴィアが息子、アルベール、レオポルト、ポール三兄弟、家督争いせり。一族談合にて争議中、突如死神の如き青年現る。その髪、闇の如く、その肌、白蝋の如き色なり。一族慄きける様子しばし見つめ、葡萄酒の杯に毒仕込まれりと警告す。長男アルベールの仕業なり。葡萄酒飲みしレオポルト、瀕死になりき。アルベール、捕われ牢に入る。ポール、レオポルトの回復待ちて話し合わんとレオポルトを看病せり。弟が心根に触れしレオポルト、感激しポールの家督を認めり。警告発せし死神の如き男、死したと言われたるオリヴィアが弟ルイ=シトロンなる者と分かりて、オリヴィア喜ぶ。しかれどもルイ・シトロン、年齢に相応ならぬ青年の姿にして、曰く「我、我が生を捨て、医術と魔術に魂を捧し者。死を見つめ死を覆さんことを欲す。我は既にルイ=シトロンにあらず。死を忘れぬ〝メメント・モリ〟に生きる身なり」。かく言うて、城の地下に帰れり。ポール、レオポルト、共に伯父に感謝し、敬して〝メメント・モリ〟と呼ぶ。〟
この記述を出発点に、翻訳は始まった。




