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メメント・モリの心配事はマリーの周りの危険だけではなかった。
灰色の目が憂うようにマリーを見つめて、これまた憂うようにマリーに言ったものだった。
「マリー・・・母親から聞いたぞ。友達がいないそうだな」
マリーは目をぱちくりと傾げて、鬱陶しいな、とでもいうように首を傾げた。
「いいじゃない。友達がいなくたって、生きていけるわ。話が合わないの、どれだけ綺麗な服を着ているかでその子の価値が決まるのよ?馬鹿みたい」
「嘆かわしい・・・フォール家の人々は町の首領である。マリーが友達も作らないとなると、その将来が不安である」
マリーにはメメント・モリがこだわっている出自が、自分に降りかかる重荷のように感じられた。メメント・モリに言われると捨て置けない、とは思っていたけれども、時代に合わない家の意識は窮屈だった。
「フォール家はもう貴族ではないのよ。町に対する責任は町長さんが負っているわ。私が自分が友達を作らないことに何ら支障はないのよ」
すると、メメント・モリはゆっくり首を振り、マリーと目を合わせて言い聞かせた。
「マリー。町、国、それぞれただ一人の責任のみで動くのではない。一人一人が役目を果たすことで物事は動き、人も動き、生活を営まれる。フォール家は貴族ではない。しかし、今でも大きな役割を負っている。マリー、お前はどうして、お前の母親がフォール家の者として、あちこち仕事に向かい、顔を出していると思うのだ?」
そう言われて、マリーは気付いた。
フローレンスは、フォール家の関わる事業の面倒をすべてみている。家を空けることが多いのは、そのためだ。
もともとは父のアンリが行っていたし、生きていれば今もアンリが主人として仕事をしていただろう、ということも聞いたことがある。アンリが亡くなった当時、まだ若く、無知で、余所者だったフローレンスが相当苦労したということも、耳にしたことがあった。
いずれはマリーが受け継がなくてはならないものを、フローレンスは代わりにみている。会いたくない人もいるし、いい顔をして甘い汁を吸おうとする人間と対決しなくてはならないこともある。それをマリーは知っていた。
自分の好きな人とばかり付き合えるわけじゃないのよ。
フローレンスが言っていたことだ。
そのうち、マリーがしなくてはならないことなのだ。
「見聞を広め、知識を吸収すること。体験すること。嗜みをつけ、人々の代表となれる相応しき人物となるのがフォール家の役目なのだ」
母を大変な目に遭わせているのは、自分がいるからだ。
それでも、フォール家のために、マリーのために、町のためにフローレンスは働いている。
「私が馬鹿だったわ」
「馬鹿なのではない」
メメント・モリは至極穏やかに、マリーに言い聞かせた。
「まだ若く、無知であるだけ。お前自身がどれだけ気付けるかだ」
メメント・モリはこうして、マリーが外の世界と向き合うきっかけを与えた。
代表ということは、リーダーということだ。
どうしたら、それになれるのだろう。
メメント・モリと話して後、マリーは学校でリーダーらしく振る舞っている子を観察した。特別目立つ子は、主張が強く振る舞いが派手な男の子や女の子で、大体その子の周りには友人と呼ばれる取り巻きが集まっていた。マリーが嫌いな徒党だった。強引で、乱暴で、人を見下している。同調するよりも孤高でいたいマリーにとって厄介な人種がリーダーになることが多いようだった。
しかし、そうした子の中でも、本当にリーダーらしく、他者に対し説得力を持つ子は、秀でたところがあった。運動神経、見た目、学力、センス、手先の器用さなどなど。主張の強さ以前に、特性によって自然と他人の目を引き、人が集まる面もあるようだった。
マリーが観察し始めてから、あまり目立たないクラスの大人しい男の子が、勉強ができるという理由で合奏の指揮者に抜擢された。先生たちが決めたので、指揮者をやりたがった目立ちたがりの男の子はがっかりしていたが、結局は納得するしかなかったようだった。指揮者になった男の子は、おじけず真面目に頑張ったのだ。
主張の強さや他人を排除する性格でなくとも、秀でたところがあれば、リーダーになれる。
人の尊敬を集めること。今は駄目でも、将来的にはそうあるべき。大人のやり方で。
学校の出来事をつぶさに観察して、マリーが学んだことだった。
そこでマリーは人一倍読書をし、勉強に身を入れることにした。
錬金術の歴史や、錬金術を用いて作られた品物はおもしろかったし、メメント・モリはいくらでも教えてくれたけれど、おそらくその知識を披露する場面に出会うことはないと思われた。
もともと読書は好きだ。そこから得た知識を広げ、さらに学んでいくこと。それがマリーのとった手段だった。すると、知らない世界の扉が次々と開いていき、あまり興味のなかった学校の勉強もおもしろくなっていった。
屋敷の人々はこんなマリーの変化を喜ばしく受け止め、分からないことを質問されると快く答えた。
メメント・モリも同様で、彼は長く生きているせいか特にものをよく知っていた。
「すごいじゃない。学年で一番をとるなんて。見違えたわね」
勿論、フローレンスもとても喜んだ。マリーの内気を心配していただけに、外側に向かって努力を重ねる娘の姿にほっとしていた。
マリーは自分が思っていたより、母や屋敷の人々が自分の頑張りを喜んでくれることを知って、意外と思うと同時に、もっと勉強をしようと思うようになっていた。
「結構頑張ったわ。同じくらいできる子がいて。ライバルなの」
「あら、その子と喋るの?」
「ええ。進学する学校はどうしようかって、よく相談もするわ」
「そうなの」
学年でトップを争っていると自然に注目を集め、急に成績の伸びたマリーは煙たく思われてもいたが、話の合う友達もできた。マリー自身は相変わらず冷めていたが、他人と自分を比べずひたむきに努力を重ねる者もいるのだと知って、世の中それほど悪くないかも知れない、と思っていた。
発見も色々あった。例えば、学校の同年代の子供たちの会話が流行りのテレビの内容に占められているということ。カラフルなペンをどこで買ったか、どんなゲームが好きか、そんな話が共通の話題であることが多いこと。
そして、マリーが案外有名人だった、ということ。マリー・フォールといえば、「あのフォール家の跡取り」と子供まで知っているほど、フォールという家名は重く、また町に染みついていた。親がフォール家の影響の下にある会社や畑で働いている子供が多かったのだ。
フォールの家の近くや、教会といった建物には、何かと怪談がついて回るので、それも子供たちの興味の的である。
フォールの名前は重かった。改めて、自分の立ち位置を認識して、マリーは能力をつけることが重要、というメメント・モリの忠告を感じ入る。
フローレンスは、そんなマリーを温かく見守っていた。
メメント・モリの影響の強さに関しても。
「勉強が性に合ったようで、よかったわ」
「そうね。これで例えようもないほど馬鹿だったら、どうにもならなかったかも」
「あら、馬鹿なんて有り得ないわ。あなたのお父様は、とっても賢い方で、大学で一番だったのだから」
「大学で?」
驚いて振り向くと、フローレンスは嬉しそうに笑った。
「そうよ。首席で水泳が得意で、有名だったみたい」
「そうだったの。でも、お母さんはお父さんと出会う前、働いていたんでしょ?」
「そうねぇ。お母さんはその頃、両親を亡くして必死で働いていたの。お父様の通っていた大学の近くのカフェだった。お母さんは学もない、お金もない、ただのカフェの給仕。お父様は将来の約束された秀才。全然身分の違う身なのに、でも、何故かしらね。出会ってしまったのよ」
微笑む瞳に、懐かしさが滲む。マリーとは違う若葉色の瞳だ。
マリーが知らない、父の存在が、フローレンスの生きた記憶として語られる。フローレンスは父を知っていた、愛していた。それが伝わってくる。
「素敵ね」
「そうでしょう。あなたもきっと、出会うわ」
マリーは黙り込んだ。母から視線をはずし、部屋の燭台をじっと眺める。
その様子を見たフローレンスは、少し寂しそうに微笑んだ。
「あなたは勉強をたくさんして偉いわ」
「メメ様が教えてくれたの。フォール家の人は町の人を支えなければならないって。そのためにはどうすればいいか考えるべきだって」
「そうなの」
すべて分かっている、というふうに、フローレンスは鷹揚に頷いた。
「あなたはメメ様のことが、大好きなのね」
古めかしい蝋燭の火が仄かに揺れる。
そう、大好きだった。
何を知るよりも前に、誰かに出会うよりも前に、マリーはメメント・モリを愛していた。
メメント・モリの見た目が怖かろうと、面倒臭いくらい嘆いていようと、得体の知れない錬金術師だろうと、深く他者を守り、どこまでも包み込む優しい心は変わらない。
だからこそ、フォール家の者としてこうあってほしいというメメント・モリのマリーへの注文を、マリーは真剣に受け止めた。
マリーの目を開かせ、学ぶ楽しみを教えてくれ、マリーの背中を押してくれる。
父でもない。ただの保護者でもない。
仄かに胸の内に宿る思いを、恋と呼んでいいのかさえ分からない。
それでも、彼以上にマリーは愛せる存在を知らなかった。
「メメ様は、私の想いを受け容れて下さるかしら」
「・・・どうかしらね」
母はそんなマリーを見て、寂しそうに微笑んでいた。
メメント・モリは〝メメント・モリ〟の思想を伝えるさまざまな品を作っているのだと言っていた。
下を通ると「死を忘れるな」と囁く街灯、触れれば骸骨たちの死の舞踏に連れて行かれる彫刻など、死が常にそばにあると人々に忘れさせないためのものを作っている。
どう考えても趣味が悪いが、メメント・モリは至って真剣だった。
死を忘れるな。それは転じて、「精一杯生を生きろ」という警句なのだと、本気で語る。
死を感じれば、どんな人間の生にも火が点く。虚無に揺蕩う人、悔しさや憎しみによって死を願う人。どんな人でも、死に直面すると、やはり生きようとするという。
メメント・モリは直接的な方法で、独自の〝メメント・モリ〟の生き方を伝えたいのだ。
古くは魔術や医術の研究に費やし、自らを実験台にしたため、メメント・モリの体はいつの間にか時を止め、死なない身となっていた。
その生を如何に使うか。
メメント・モリが選んだのは、ただの石をも金に変える方法を模索しながら、永遠の命を研究をする錬金術と、死を見つめる道だった。
そんな人が恋をするだろうか。
マリーはよく、それを考えるようになった。
結果は、どういう経路を辿ってみても、否。
メメント・モリは恋をしそうにない、という結論に至る。
マリーは長い時を生きた人の感覚が分からないながら、なんとなく、メメント・モリは「生」を捨てたから、「死なない身」になったのではないかと思っていた。
メメント・モリは不思議な存在だ。どこからともなく現れ、いつの間にかいなくなる。
だが、呼べばすぐ来てくれる。メメント・モリはマリーにさまざまなことを教え、マリーのとりとめもない話をよく聞いてくれた。
そばにいてくれた。
だけど、今でもマリーの方を自分に引き寄せることはしない。絶対に。
一体どうして普通の生きる道を捨てたのだろう。
自分ではそれを覆せないのだろうか。
覆したとして、それからどうなってしまうのだろうか?
マリーの飛んでいきそうな想いの先には、鉄壁のように固い隔たりがあった。
マリーはメメント・モリの子孫に過ぎず、「フォール家の危機」のためにマリーのそばにいるだけに思えた。
どうしようもなくても、マリーの心は育ち、日に日に大きくなっていく。
教室にいて、好きな男の子の話になれば、必ず「死を知る人が好き」とぽつりと一言いう。
静かに心の中で、そばにいてくれる人の愛情を育て、手の届かないもどかしさに悶えて、ひたすら耐えていた。
屋敷にいれば、時にやってくるメメント・モリの錬金術講を聞きながら、静かな声に浸り、不思議な知の空間に沈む。
同じ目線に立てる人間になれば、メメント・モリとともに生きていけるだろうか。
マリーを受け容れてくれるだろうか。
そんなとりとめもないことを考えながら、眠りにつく。
銅板にニードルで細かい疵をつけるように、繊細に、柔らかに、マリーの心にはメメント・モリへの想いが刻まれていった。
マリーの頑張りは進学校への道を開かせた。
名門校と知られる都会に近い全寮制の学校だった。田舎町の少女が入学を決めたことに、学校やその周辺でちょっとした騒ぎにもなるくらいの学校だった。
当然、フローレンスやフォール家の使用人たちは大喜びだった。マリーを赤ちゃんから知る使用人たちは喜ぶ一方、「マリー様がいらっしゃらなくなると寂しくなります」「もうこんなに大きくなられたんですね」と寂しそうに言った。
勿論、メメント・モリも喜んだ。
「嘆かわしい・・・」
いつもの調子で。
「あの学校は未だに健在なのか・・・かれこれ二百年前からあったと思うが・・・いつかは朽ち、果てていく運命にあるものの命のしぶとさ・・・しかし運命には抗えぬ・・・」
「創立二百年ってそういえばパンフレットに書いてあったわ。古い学校なのね」
マリーはメメント・モリのこんな調子も慣れたものだった。
制服を着てみせると、メメント・モリは冷たい灰色の目でじっと見つめ、「制服は変わった・・・」と呟いた。
「昔は男子の学校であった」
「古い学校はみんなそうよね。今は共学よ」
「・・・世の流転の易きことよ・・・世は定めがたきもの」
メメント・モリはマリーを眺めてうんうんと頷き、それから穏やかに、ごく普通の言葉を贈った。
「勉学に励むことだ」
「はい、分かってます」
マリーはそわそわした。メメント・モリに聞きたいことがあった。マリーが屋敷を出て寮に入ったあと、メメント・モリはどうするのか。
二、三年前から、フローレンスの仕事は安定し、妙な男どももフォール家の周りをうろつかなくなっていた。最近ではメメント・モリは完全にマリーの知的好奇心に応えるためだけに出てきてくれているようなものだった。
それはある期待と、不安をマリーの胸に呼び起こしていた。マリーを純粋に好いてくれているということは、マリーの想いもメメント・モリにとって迷惑ではない、可能性。そして、マリーが家を出てしまえば、もう地下に籠ってしまって、二度と会ってくれないのでは、という不安。同居している思いは複雑にせめぎ合っていた。
「メメ様」
「何か」
「私、メメ様から色んなことを教わったわ」
メメント・モリは顔を上げ、マリーを見据える。
真っ白な頬に、黒い髪を垂らし、落ち窪んだ灰色の瞳は虚無を映しているようである。
マリーは悲しかった。未だにマリーは、メメント・モリが笑っているところも、泣いているところも見た事がない。
明日には屋敷を出て、寮に入る。
そんなマリーの動向も、メメント・モリの生きた期間に比べれば、一瞬のことかもしれない。
「私、たくさんのことを勉強して来ようと思う。メメ様、また会ってくれますか?」
静かにマリーを見つめていたメメント・モリはかすかに目を瞬かせて、口を開いた。
「何故、それを今さら聞く。今までもお前は平気で呼んでいたではないか」
「ええ、でも・・・」
「聞きたいことがあればいつでも呼べばいい。そう、恐らく科学と数学と歴史なら私はお前に新たな知識を授けることができるだろう」
「違うの」
マリーの縋るような目を、メメント・モリは静かに受け止めていた。
悲しかった。何も届かない。子孫として、守るべきフォール家の子供としてしか見られていない、その隔たりを打ち破りたかった。
マリーの胸ははち切れそうだった。
「好きなの」
凪いだ湖面に石ころをひとつ投げ込んだように、その言葉は広い部屋に波紋を広げていった。
「私はずっとメメ様のことが、大好きなの」
沈黙が満ちた。
マリーは思わず下を向く。メメント・モリが何を発するか、どう思ったのか、知りたくて知りたくなくて、緊張しながら待った。
しばしの沈黙の後、メメント・モリは口を開いた。
「嘆かわしい・・・」
はっと顔を上げると、メメント・モリは頭を押さえて天井を仰いでいた。
「また私は無用の役を演じてしまったようだ・・・」
「! 待って!」
マリーは顔から血の気が引くのを感じた。使用人たちから聞いていた、メメント・モリの昔話。
メメント・モリは去り際に、いつも同じような言葉を言うのだった。
それによく似ていて。
なのに、足が震えてよく動かなかった。引き止めないといけないのに、震える声で懇願するしかできなかった。
メメント・モリはいつも出入りしているカーテンの裏に向かっているのに。
メメント・モリはカーテンをくるりと自分の肩にかけると、もう一度だけマリーを振り向いた。
「どうやら私はマリーのそばにいすぎたらしい」
メメント・モリの冷たい灰色の瞳は、奇妙に輝いていた。
無表情なのに、それが妙にいつもより生々しい印象をマリーに与えた。
その瞳と同じ色を、マリーは持っている。
灰色の視線が、部屋の中でぶつかった。
「マリー、私は死のように、常に君の側にいる。君を守る。だが、これで顔を合わせるのは最後だろう」
「待って!!!」
悲鳴のような声を掻き消すように、メメント・モリはカーテンの裏に消えた。
マリーはその場に崩れ落ちた。
涙が止まらなかった。
言わなければよかっただろうか。
言わずに、ずっと求めないでいれば、そばにいてくれたのかもしれない。
だが、マリーにはそれができなかった。
好き、という気持ちはなんと身勝手なものなのだろう。
誰かのものになるような人でないと分かっていたのに、やはりマリーはメメント・モリの心が欲しかったのだ。
止まらない涙を携えたまま、マリーは翌日、フローレンスと心配顔の使用人たちに見送られて、新しい学校へ列車で旅立って行った。
マリーは列車に乗り込む前も、乗り込んだ後もずっと泣きっぱなしだった。駅のホームで見送るフローレンスに執事が心配そうに訊ねた。
「マリー様はどうなさったのでしょう。ずっと泣いておられて・・・メメ様も昨日はいらっしゃいませんでした。何かあったのでしょうか」
フローレンスは列車が見えなくなるまでじっと見つめながら、答えた。
「ふられたのよ」
「え?」
「あの子は、メメント・モリにふられてしまったの」
夏も終わりの頃のことだった。




